
3年越しで完成した五郎丸歩のルーティン。緊張や好不調の波をコントロールするメンタルスキルとは
元ラグビー日本代表の五郎丸歩の活躍によって一躍脚光を浴びた「ルーティン」。試合の前や試合中の重要な局面に、決まった動作を行うことでパフォーマンスを高めるアスリートは少なくない。だが、その狙いや験担ぎとの違いについては、意外と知られていない。メンタルコーチとしてエディー・ジャパンを支え、五郎丸氏のルーティン誕生に関わったスポーツ心理学者の荒木香織氏に、ルーティンとメンタルとの関連性や、緊張との向き合い方について聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)
エディー・ジャパンを支えた五郎丸歩のプレ・パフォーマンス・ルーティン
――荒木さんは、五郎丸選手のプレ・パフォーマンス・ルーティン誕生を一緒に作り上げたことでも知られています。完成までには、かなり時間がかかったそうですね。
荒木:ルーティンは「いつ、何のために何をすればいいのか」を明確にして、その選手に合う動きを見つけなければいけないので、五郎丸選手の場合は3年ぐらいかかりました。試合で確認したものを練習でその都度落とし込んでいかなければいけないですし、選手は他にもいっぱいやることがありますから(笑)。理に適った動作を見つけるのには時間が必要です。
――験担ぎとは違うのでしょうか?
荒木:その後に続くパフォーマンスに影響することが理論的に説明できないのであれば、プレ・パフォーマンス・ルーティンとは言えません。たとえば、五郎丸選手のルーティンの中で、手のひらを前に出して2回手を振る動作がありましたが、あれはボールを押し出すようなイメージを作ることと、右足でボールを振りきってしまうとボールが逸れていってしまうので、ポストの中に入れるイメージをつけるためにやっていました。試合で緊張したら正しいキックの感覚を忘れてしまうこともあるので、ルーティンに集中することでその感覚を思い出して、キックの動作を安定させることが目的です。「そのキックが入って勝つか負けるか」という結果は関係なく、「自分がキックを成功させるために何が必要か」を確認するためのものです。
――ルーティンを完成させるまでの過程で、自分自身のパフォーマンスのクセなどに気づくこともありそうですね。そういう意味では、すべてのアスリートにとって、ルーティンはあった方がいいのでしょうか?
荒木:たとえば、止まっているボールを止まっているゴールに入れるような作業にはプレ・パフォーマンス・ルーティンがあったらいいのかなと思いますが、万人に必要ではないと思います。五郎丸選手の場合は、「止まっているボールを止まっているゴールポストに蹴る」という条件と、彼の性格にもピッタリと当てはまりましたけど、必要ない人もいます。プレ・パフォーマンス・ルーティンの目的は「準備をすること」なので、その準備の時間がしっかりと取れる選手にはあってもいいと思いますね。
――パフォーマンスがうまくいかなかった時のルーティンもあるんですか?
荒木:パフォーマンス後に行うポスト・パフォーマンス・ルーティンもあります。テニスだと、ミスショットをした後にラケットを振って動作を修正してから次のショットに入る選手がいますよね。ラグビーでは、キックをした後に必ずキックティーをトレーナーに向けて放る選手がいます。次もしっかり自分自身がプレーできるように、その動作をポスト・パフォーマンス・ルーティンとして、リセットする動作にしていました。
自分自身を理解して、変化に気づくことが「メンタル力」
――試合前や試合中に緊張してしまう場合、ルーティンを持っておくことは一つの方法だと思いますが、他に、効果的なメンタルのトレーニング方法はありますか?
荒木:どういう状態が自分自身にとって一番いいのかを知って、いつでもその状態にできるようにトレーニングをしておくことが重要です。普段から、文字で自分自身の考えや、どんな感情や感覚が心地いいかを書けるぐらいにはなっておいてほしいですね。ただ、「自分は何が不安なのか書き出してみましょう」と言っても、「書けない」という選手は多いです。
――いつでも自己分析できるようにしておく、ということですね。
荒木:そうです。自分自身を理解して、変化に気づくことがメンタルの力です。スポーツだけをしてきた選手は、ボールの位置やスペースの位置はわかっても、自分のことに気づけていないことが多くあります。試合と練習はまったく違うので、自分が普段どんなふうに考えて判断しながらプレーしているのか、その中で試合の時に必要なことや、変えなければいけないこともわかっておくべきです。
試合のたびに緊張するなら、練習でその緊張と共存する練習をすればいいんです。そのためには、練習の時から大会レベルの緊張感を持って、その状況を想定してクリアする練習が必要です。練習はそのためにあるはずなんですけどね。
――普段から緊張と向き合う積み重ねが大切なんですね。中には「まったく緊張しない」という選手もいますが、いいパフォーマンスを発揮する上で、適度な緊張はあった方がいいのでしょうか?
荒木:緊張することによってすべてを忘れてしまったり、体がまったく動かないのなら困りますが、緊張しないことがその人にとって心地の良い状態なら、それでいいと思います。
選手たちからよく聞くのは、「一番今まででうまくいった試合とかレースとかで、まったく緊張していない状態だった?」という質問に対して、大概、「すごく緊張していたから覚えていない」とか、そういうコメントが多いんです。その時にどれだけ緊張していたかを忘れて、また「どうしたら緊張しないか」ということを考えているんですよ(笑)。だから、「緊張がダメ」ではないんです。一番ダメなのは、指導者が「お前ら、緊張するな!リラックスしろ!」という、無駄な働きかけが一番良くないですね。
――アスリート自身が、自分の状態をコントロールできるようにしておくことが大事なんですね。
荒木:そうです。音楽を聴くのもいいし、深呼吸をしてもいいし、何かを食べてもいい。どうすれば自分の心をいい状態にコンディショニングできるのかを理解して、必ずそうできるように練習しておくことが必要だと思います。
メンタルのトレーニングは小さい頃から習慣づけた方がいい
――「自分を知る」ことや、メンタルトレーニングは、小さい頃から習慣づけておいた方がいいのでしょうか?
荒木:どんな競技でも、スキル、フィジカルのレベルと同じようにメンタルのレベルも一緒に上げていかないと、結果は出ないと思います。基本的には、先ほども言ったように、小さい頃から「自分自身について勉強をすること」が大切です。小さい時からスキルのトレーニングをしていても、自分自身の思考や考え方のクセを理解して、試合でうまくプレーするために思考力を鍛える練習をまったくしていないがために、毎回失敗して、毎回泣く、という選手もいます。
他の人と自分を比べてしまうのも、それまでの指導や身につけた思考に問題があると思います。「あいつができているのに、なんでお前はできないんだ」と言う人もいますが、他の選手と比べずに、その選手の資質を引き出してできるようにしてあげることが指導者の力の見せどころですから。私は選手と話すときには、「他人と比べてもしょうがないし、比べたいなら、過去の自分と比べましょう」と伝えています。
――指導者の考え方やアプローチも大切ですが、若いうちから、そうした専門家の視点を取り入れてメンタルを鍛えることができればいいですね。
荒木:そうですね。ただ、指導者の方が必要性を感じていなければなかなか導入しようとは思わないし、お金や時間がない、という人も多いと思います。
ただ、大人になるまでにフィジカルとスキルだけをどれだけ積み上げていても、メンタルの積み上げがまったくない状態からは、なかなか追いついてこないんです。
食べることもそうです。食生活も小さい頃からトレーニングしてうまく食べる習慣をつけないと、食べられない子はいつまで経っても食べられなくて、頑張ってもすぐにケガをしてしまう。それはメンタルだけの問題ではないので、多角的にアプローチしないといけないですね。
「コントロールできるもの」に目を向ける
――ご著書の『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』の中で、「コントロールできることだけを考える」ことの大切さについて書かれています。コントロールできないものと、コントロールできるものは、どのようなことが挙げられますか?
荒木:まず、コントロールできないのは「相手」です。指導者が「相手がどれだけ強いか」を選手たちに伝えても、相手の強さはどうしようもありません。そういうどうしようもないことを心配したり、怒ったりしても、仕方がないんですよね。相手の特徴に合わせてどんな準備をして、どんなふうに試合やレースをするか、確実にできることを徹底して、力を発揮させてあげられるようにすることが大切です。「これだけの準備をして、負けたらまたやり直せばいい」と思えるようにしておくこと。スポーツはその繰り返しですよね。
コントロールできるのは、自分自身の思考や感情です。ネガティブな怒りとか、できるんだろうか?という疑いはない方がいいし、スポーツ心理学の研究でも、楽観的で、前向きな思考の方がパフォーマンスの維持・向上につながることはわかっているんです。
――いろいろな状況に対応できる引き出しを持っておくという、戦術や戦略的な準備もカギですね。
荒木:そうですね。「相手がこうきたら、自分たちはこう戦おう」という引き出しは多いほどいいです。そのためにメンタル、フィジカル、技術、戦略、戦術などの準備を怠らず、それでも太刀打ちできなかったら、「これが足りなくて負けたから、ここを強化しよう」ということもわかると思いますから。
――勝負強い選手になるために、メンタルの側面から大切なことはありますか?
荒木:準備力ですね。いろいろなシナリオを想定して、いい準備ができている人は結果を出せますよね。そのために、メンタル面では疲弊していない、いい状態で余裕を持って挑めるようにしておくことが大切だと思います。「練習でやり切ったから、やることは他にない」という状態で出ていくのではなくて、うまく引き算をして、「この準備をこれだけできたから、あとはやるだけ」という考え方ができる選手の方が強いですね。
【連載前編はこちら】「メンタルはスキル」。エディー・ジャパンを支えたスポーツ心理学者に聞く、世界と戦えるチームの作り方
【連載後編はこちら】スポーツ心理学の専門家に聞く、アスリートが「結果を出す」目標設定のコツとは?
<了>
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[PROFILE]
荒木香織(あらき・かおり)
順天堂大学スポーツ健康科学部 客員教授/株式会社CORAZONチーフコンサルタント、日本体育・スポーツ・健康学会理事/体育心理学領域代議員。スポーツ心理学を研究し、ノーザンアイオワ大学大学院で修士、ノースカロライナ大学大学院グリーンズボロ-校で博士課程を修了。エディ・ジョーンズヘッドコーチの下、2012年からラグビー日本代表のメンタルコーチを務め、2015年のラグビーワールドカップでは日本の快進撃を支えた。同大会で話題になった五郎丸歩のルーティンの誕生に深く携わり、バレーボール男子日本代表主将を務めた柳田将洋の欧州挑戦を後押しするなど、トップアスリートたちの活躍を支えた。陸上競技や野球、バレーボール、セーリング、ゴルフなど様々なスポーツのアスリートをはじめ、ビジネスパーソンや指導者、保護者や企業向けにもコンサルテーションやセミナー等を提供している。2022年10月よりオンラインサロンMiCORAZÓN(ミコラソン)を主宰。
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