失明危機から3年半、ピッチに戻ってきた松本光平。海外で実力証明し、目指す先は「世界一」と「史上初の弱視Jリーガー」
「失明しても凹んだのは眼球だけ」――。明るくそう語るプロサッカー選手・松本光平にとって「諦める」という選択肢はない。2020年にトレーニング中の事故で失明危機に陥った男が、3年5カ月の壮絶なリハビリと地道なトレーニングを経て、フットボールのピッチに戻ってきた。松本は今年8月にニュージーランド1部ハミルトン・ワンダラーズへの加入を発表。8月3日に現地に到着し、2日後の5日にさっそく公式戦デビューを果たした。日本滞在時はフットサル・Fリーグ、ロービジョンフットサルの日本一も経験し、満を持してプロサッカー選手としての復帰を果たした波乱万丈の軌跡と、松本光平が目指すこの先のビジョンとは?
(文=宇都宮徹壱、写真=©Kybosh Photography、本文中デウソン神戸時代の写真=宇都宮徹壱)
実は8月9日ではなかった松本光平の復帰戦
《2020年5月に不慮の事故で大怪我を負い、失明危機にまで陥ったDF松本光平(34)は8日にニュージーランドサッカーリーグのハミルトン・ワンダラーズ加入を発表。そして9日にはリーグ戦オークランド・シティ戦にフル出場し、プロサッカー選手として完全復活を果たした。視覚障がいのあるプロサッカー選手は日本人初となる。》
8月9日のゲキサカの記事からの引用である。2020年の5月18日、松本光平はニュージーランドでのトレーニング中に不慮の事故に遭遇。その後は日本で手術を受けたものの、右目はほぼ失明状態で、左目の視力も「輪郭が見える程度」。そうした中、壮絶なリハビリとトレーニングを重ねた結果、実に3年5カ月ぶりとなる、フットボールでの公式戦復帰を果たすこととなった。
実は松本光平の復帰戦は、記事にある8月9日のオークランド・シティ戦ではなく、その4日前の8月5日。対戦相手は、マヌレワAFCであった。まずは日本出国までの、慌ただしいタイムラインを当人に語ってもらおう。
「ハミルトンとの契約は2カ月前に済んでいたんですが、なかなかニュージーランドのビザが下りなかったんですよ。それが8月1日に急に取れて、次の日に関空から発つことになったんです。でも、プレー用のゴーグルを東京に修理に出したばかりだったので、手元に無かったんですよ。それでロービジョンフットサル日本代表の岡(晃貴)キャプテンにピックアップしてもらって、トランジットする成田まで持ってきてもらいました」
ニュージーランドに到着したのは8月3日。ここからさらに怒涛の展開が待っていた。
「木曜(3日)に到着して、その日の夜からトレーニングに参加しました。金曜は試合前日なので軽めの練習。土曜の朝の時点では(トップチームの)ベンチ外で、昼からのU-23チームの試合には90分出たんです。終わってクールダウンしようと思ったら、監督から『ベンチに入ってくれ』って。いいのかなって思っていたら、後半の早い時間帯に出番が回ってきました(笑)」
この3年5カ月、ずっと夢見ていた、プロフットボーラーとしての公式戦復帰。しかしその瞬間は、あまりにも慌ただしく、当人にはほとんど感慨はなかったそうだ。
「フットサルに転向」ではなくサッカーと並行で
公式戦復帰と並んで、松本光平が目標としていたのが「FIFAクラブワールドカップに再び出場すること」であった。
彼はカタールで開催された、2019年大会にヤンゲン・スポール(ニューカレドニア)の一員として出場。その後、オセアニアで最も出場実績のあるオークランド・シティに所属して、日本でトレーニングを続けながらチャンスを待っていた。しかし、コロナ禍により事態は暗転。当時のニュージーランド政府が、出入国を厳しく制限していたため、2大会連続でオークランド・シティは出場を辞退する。FIFAの国際大会に復帰するという、松本光平の夢は、いったん遠のくこととなる。
弛まぬ努力のおかげで、視界が限られた中でも、フルピッチで90分間プレーする自信はあった。ただし、オークランド・シティとの契約は2021年の12月いっぱいで終了となり、松本光平は無所属の状態となってしまう。早く次の所属クラブを見つけたかったが、視覚障がいのある選手を受け入れようというクラブは、なかなか見つからない。
そんな中、思わぬ形で朗報がもたらされる。昨年3月14日にテレビ朝日の『激レアさんを連れてきた。』に出演。「神回」とSNSで絶賛されるほど話題になり、これがきっかけでFリーグ2部、デウソン神戸からのオファーが舞い込む。そして5月5日、正式に入団が発表された。
「当時は『フットサルに転向』みたいな報道もあったんですが、僕の目標はサッカーでの復帰。だからといって、片手間というわけではなく、Fリーグでは全力でプレーしていました。サッカーとフットサルは、あくまでも並行。デウソンのトレーニングは基本的に夜だったので、日中は大学や社会人、あとはセレッソ大阪のU-18でもトレーニングに参加させていただいた時期がありました」
結果として、Fリーグでの学びは予想以上に大きかった。そう、松本光平は言い切る。
「フットサルで学んだのは、対人での細かい部分、特に距離感のところですね。一つのミスで失点する競技ですから、マンツーマンでの守備のエラーは少なくなりました。それとサッカーでは、基本的に右サイドのラインを背負いながらプレーしていましたが、フットサルでは360度から相手にアプローチされる場面が多いんですよ。空間把握の部分でも、Fリーグで鍛えられたと思っています」
ちなみにデウソン時代、松本光平はパワープレー要員としてゴレイロも経験。また、ハミルトンでは右サイドだけでなくボランチも任されたのも、フットサルでの経験が生かされていると見てよいだろう。
ピッチに戻ってきた松本光平の新たな挑戦とは?
サッカー、フットサルと並行して、松本光平はロービジョンフットサルのCAソルアにも所属。日本選手権大会で優勝を経験し、日本代表の強化指定選手にも選ばれていた。ハミルトンへの加入がなければ、代表メンバーの一員として、8月16日からイングランドで開催された世界選手権にも参加するはずだった。
「視覚障がいっていろいろあって、実は全盲でない人の割合のほうが圧倒的に多いんです。ブラインドサッカーは、全盲の人が聴覚でボールや相手の位置を認識しながらプレーしますが、僕のような弱視はロービジョンフットサルのほうが馴染みやすい。ルールもフットサルとほぼ同じですし」
松本光平がロービジョンフットサルでもプレーするのは、視覚障がいの子どもたちに「弱視でもサッカーができることを知ってもらい、チャレンジのきっかけになれば」という思いがあったからだ。それでも視覚障がい競技の国際大会ではなく、ニュージーランドでの復帰を優先したところが、初志貫徹をモットーとする彼らしい判断といえよう。ちなみに今の時点では、左目の視力を回復させる手術ではなく、保存療法を選択しながらプレーを優先するそうだ。
「手術をして、必ずしも視力が回復するわけではないんですよ。それに今の見え方で、生活でもプレーでもまったく支障を感じなくなりました。リハビリを始めた当初と比べれば、空間認知能力も抜群によくなりましたし、浮き球の処理やヘディングもできるようになりました。走行距離もスピードもまったく落ちていない。むしろ今のほうが絶好調という感じです(笑)」
プロフットボーラーとしての公式戦復帰という、3年越しの目標は果たした。クラブワールドカップへの再挑戦とともに、松本光平にはもう一つの目標があるという。それは「史上初の弱視Jリーガーとなること」だ。
「僕がニュージーランドに戻ったのは、リーグでの実績があったことと、リハビリを続ける僕をハミルトンが気にかけてくれたことが大きかったですね。本当は日本での復帰を考えていて、いくつかのJクラブにも売り込んだんです。でも『目が悪いんだったら無理でしょ』って、テストさえ受けさせてくれませんでした。ですから、まずはここで実績を残すこと。その後、Jクラブにチャレンジしたいと思っています」
今年で34歳。現役のフットボーラーなら、そろそろセカンドキャリアを考える年齢だ。しかし松本光平は、自らに限界を設定することはない。途方もない挑戦は、まだまだ続く。
【過去連載(2020年7月)】「右SBだったら右目が見えなくてもやれる」失明の危機の只中・松本光平、復帰への挑戦
【過去連載(2021年4月)】なぜ松本光平は「その目では無理」と言われても楽観的なのか? 失明危機も「今ならいくらでも恥を…」
<了>
長身Jリーガーに聞く身長を伸ばす方法 188センチ中島大嘉の矜持「中学3年間で24センチ伸びました」
この記事をシェア
KEYWORD
#INTERVIEWRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
「ラグビーかサッカー、どっちが簡単か」「好きなものを、好きな時に」田村優が育成年代の子供達に伝えた、一流になるための条件
2024.09.06Career -
名門ビジャレアル、歴史の勉強から始まった「指導改革」。育成型クラブがぶち壊した“古くからの指導”
2024.09.06Training -
浦和サポが呆気に取られてブーイングを忘れた伝説の企画「メーカブー誕生祭」。担当者が「間違っていた」と語った意外過ぎる理由
2024.09.04Business -
張本智和・早田ひなペアを波乱の初戦敗退に追い込んだ“異質ラバー”。ロス五輪に向けて、その種類と対策法とは?
2024.09.02Opinion -
「部活をやめても野球をやりたい選手がこんなにいる」甲子園を“目指さない”選手の受け皿GXAスカイホークスの挑戦
2024.08.29Opinion -
バレーボール界に一石投じたエド・クラインの指導美学。「自由か、コントロールされた状態かの二択ではなく、常にその間」
2024.08.27Training -
エド・クラインHCがヴォレアス北海道に植え付けた最短昇格への道。SVリーグは「世界でもトップ3のリーグになる」
2024.08.26Training -
なぜ“フラッグフットボール”が子供の習い事として人気なのか? マネジメントを学び、人として成長する競技の魅力
2024.08.26Opinion -
五輪のメダルは誰のため? 堀米雄斗が送り込んだ“新しい風”と、『ともに』が示す新しい価値
2024.08.23Opinion -
スポーツ界の課題と向き合い、世界一を目指すヴォレアス北海道。「試合会場でジャンクフードを食べるのは不健全」
2024.08.23Business -
なでしこジャパンの新監督候補とは? 池田太監督が退任、求められる高いハードル
2024.08.22Opinion -
バレーボール最速昇格成し遂げた“SVリーグの異端児”。旭川初のプロスポーツチーム・ヴォレアス北海道の挑戦
2024.08.22Business
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
「ラグビーかサッカー、どっちが簡単か」「好きなものを、好きな時に」田村優が育成年代の子供達に伝えた、一流になるための条件
2024.09.06Career -
「いつも『死ぬんじゃないか』と思うくらい落としていた」限界迎えていたレスリング・樋口黎の体、手にした糸口
2024.08.07Career -
室屋成がドイツで勝ち取った地位。欧州の地で“若くはない外国籍選手”が生き抜く術とは?
2024.08.06Career -
早田ひなが満身創痍で手にした「世界最高の銅メダル」。大舞台で見せた一点突破の戦術選択
2024.08.05Career -
レスリング・文田健一郎が痛感した、五輪で金を獲る人生と銀の人生。「変わらなかった人生」に誓う雪辱
2024.08.05Career -
92年ぶりメダル獲得の“初老ジャパン”が巻き起こした愛称論争。平均年齢41.5歳の4人と愛馬が紡いだ物語
2024.08.02Career -
競泳から転向後、3度オリンピックに出場。貴田裕美が語るスポーツの魅力「引退後もこんなに楽しい世界がある」
2024.08.01Career -
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career -
ドイツ国内における伊藤洋輝の評価とは? 盟主バイエルンでの活躍を疑問視する声が少ない理由
2024.07.11Career -
クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
2024.07.10Career