
瀬古樹が併せ持つ、謙虚さと実直さ 明治大学で手にした自信。衝撃を受けた選手とは?
横浜FCから川崎フロンターレに移籍して2シーズン目に入り、順調に出場機会を増やしている瀬古樹。高校時代はU-18日本代表候補に入るなど順風満帆に過ごすが、熱心な誘いを受けて進学した明治大学では「3年になってもなかなか試合に出られなかったので就活もしました」と振り返る。自分の人生に挫折はつきものと語る瀬古は、大学の4年間でいかにして自身を成長させたのか?
(インタビュー・構成=原田大輔、写真提供=©️川崎フロンターレ)
謙虚さと実直さ。「本当は高卒でプロになりたかったんです」
部屋に入ってきた瀬古樹に、名刺を差し出すと、しっかりと両手で受け取った。椅子へと促すと、姿勢を正して座り、テーブルの左端に名刺を置いて、こちらを見つめた。
当たり前のことに思うかもしれないが、選手のインタビューでは珍しい光景だった。わずかな所作からでも人間性は垣間見える。謙虚さや向上心にもつながる、聞く耳を持っている証だ。真っ直ぐに目を見て話す実直さは、芯の強さや意志の固さに映った。
「本当は高卒でプロになりたかったんです」
そう言って瀬古は、育った三菱養和SCから明治大学へ進んだ経緯を説明する。
「高校3年生になったタイミングでU-18日本代表候補の活動に呼んでもらえて、見に来ていた明治大学の井澤さんが声を掛けてくれたんです」
井澤千秋は、明治大学サッカー部のコーチや監督を歴任したのち、GMとしてスカウト業も担当していた人である。 「ただ、僕はプロになりたいと思っていたので、最初はお断りさせてもらいました。でも、井澤さんはその後も試合を見に来てくれて。『一度でいいから、練習に参加してみないか』と、再び声を掛けてくれました。周りに相談したら、『一度ならまだしも、二度も誘ってくれることなんて、めったにないぞ』と言われて。熱意にほだされて練習に行くことにしました」
現実を直視させられた明治大学の練習参加
プロを夢見ていたからといって、決して大学サッカーを軽視していたわけではなかった。しかし、明治大学の練習に参加すると、想像していた以上のレベルに衝撃を受けた。
「当時は、プロになることばかりを考えていたので、大学サッカーについては無知だったのですが、練習に行くと、プレー強度と質の高さに驚きました。体やスピードを含め、すべてに違いを感じた。ユースでは、できると思って自信を持っていたプレーすら、大学生が相手だとまったくできなかった」
明治大学のサッカー部は、漠然としていたプロへの道を具体的に意識させてくれた。
「練習に参加したのは、たったの2日間でしたけど、プロ入りが決まっているような人やユニバーシアードの日本代表に選ばれるような人たちがたくさんいました。自分が高卒でプロになったとき、同じ新人として、その人たちと対等に戦えるかと考えたら、『無理かもしれない』と、現実を直視しました。それで、逆にそうした環境があるなら、大学でサッカーを続けることも有意義かもしれないと思い直しました」
練習参加を終えると、井澤は「他の大学も気になるのであれば、一度、練習に参加して肌で感じてくるのもいいかもしれない」と、助言をくれた。三菱養和SCと進路について行った面談でも当初は、プロになることを希望していたが、練習参加を機に明治大学に進む決意をした。 「明治のサッカー部は大人数ではなく、各学年13人前後と、選手が限られていたところも自分にとっては魅力でした。そうした環境ならば、しっかりとした指導を受けられるのではないかと考えました。また、在籍している選手の多くが自立している雰囲気があったところもひかれました」
「感謝を直接、伝えられなかったことは、今でも…」
瀬古が優れているのは、実際に体験し、自分の考えや認識を改められるところにある。強度や質といったプレー面だけでなく、練習環境や組織の在り方に目を向けていたところも物語っている。
ただし、最終的な決め手となったのは、人だった。
「熱意に弱い傾向があるのかもしれない」
そう言って笑うと、井澤への感謝を口にする。
「井澤さんは、僕がプロになりたいという気持ちも汲んで話をしてくれて、さらには他の大学の練習に参加してもいいとまで言ってくれた。一度ならず、二度も声を掛けてくれる熱意に心が動かされました。だから結局、他の大学の練習には一度も参加せずに、明治大学へ進むことを決めました」
信じたものは曲げないところは意志の固さといえるだろう。
「だから、プロになって(井澤さんに)恩返ししたいと、ずっと思っていました。その言葉……感謝を直接、伝えられなかったことは、今でも後悔として残っています」
井澤が肺炎のため亡くなったのは2018年の秋――瀬古が大学3年生のときだった。享年69歳。長友佑都や室屋成らを指導し、明治大学を強豪に押し上げた彼は、同校が2年ぶり2度目の総理大臣杯優勝を成し遂げた翌日に息を引き取った。
「一気に社会人としての厳しさをたたき込まれたような感覚」
明治大学では、期待していたとおり、刺激が待っていた。
「選手として必要とされている期待感や高揚感もありました。ただ、明治大学に入ると、サッカー以上に、寮生活も含めて、それまでの常識が覆されるようなことばかりで。いかにそれまでの自分が、クラブユースで甘い蜜を吸っていたかを思い知らされました」
規律に則った集団生活を送るためには、さまざまな役割があった。大学3年生のときには会計係を担当し、百万円単位のお金を管理した。部費の振込が滞っている選手の親には、自らメールや手紙を送ったこともある。
「メールも、目上の方や会社の上司に送るような文面を作成しなければ失礼に当たるので、そうした作業もまた、社会人としての準備になりました」
日用品を買い出しに行く下級生には、詳細を聞き、その都度、お金を渡していた。また、瀬古が1年生のときには、その買い出しを自身も行っていた。
「下級生のときは日ごろの仕事も多かったので、一気に社会人としての厳しさをたたき込まれたような感覚でした」
明治は精鋭による活動だったとはいえ、瀬古は大学3年になるまで、リーグ戦のメンバー入りすらかなわなかった。その現実に、プロへの気持ちが揺らぐことはなかったのか。聞くと、与えられた役割での発見が、モチベーションになっていた。
「大学1年のときに、カメラ担当をすることが多かったんですけど、試合を撮影していると、各クラブのスカウトの方たちが見に来ているのがよくわかるんですよね。その光景に、関東大学リーグが注目されていること、いつどこで誰が見てくれているかわからないことを知りました。だから、絶対に諦めちゃいけないと思って。ただ、3年になってもなかなか試合に出られなかったので、サッカーは大学で終わりになるかもしれないと思って就活もしました」
挨拶をしたときに感じた清々しい所作は、大学での生活や就職活動で身についたものだったのだろう。
大学で周囲への気遣いや配慮を学び、視野が広がった効果は、プレーにもしっかりと反映された。 「同期の(安部)柊斗は2年生のときから試合に出ていたので、ずっと身近なライバルであり、尊敬する選手でした。同じポジションでも、自分とはプレースタイルが全然違っていて、明治のチームとしてのカラーに合っていた。明治のボランチは、練習参加したときにも感じたプレーの強度と、走れること、球際で強いこと、守備でボールを刈り取れることが求められていた。そこは自分が子どものときから逃げてきたプレーだというのもわかっていました」
4年生時に開花。リーグ戦を筆頭に3冠を達成
瀬古に謙虚さを感じる要素の一つに、自分のプレースタイルに固執するのではなく、取り入れようとしたところがある。
「二つ上の先輩である(柴戸)海くんや柊斗をはじめ、同じポジションのありとあらゆる選手のプレーを見られるだけ見て、自分に還元できることがないかと、ずっと探っていました。特に明治の練習は、1対1や2対2といった対人メニューが多かったので、自分がやる番じゃないときは、とにかく見て学ぼうと。慣れもありますけど、大学4年になって体も大きくなり、だんだんと強さは染みついてきたから試合に出られるようになったと思います」
一方で、瀬古は自分の個性を伸ばすことも忘れなかった。新しく何かを取り入れるからといって、身につけてきたものを捨てる必要はない。瀬古は引き算ではなく、足し算、もっといえば掛け算で物事を考えていた。
「ずっと攻撃を追い求めていたのでユース時代も守備より、ボールをさばいたり、パスをつないだり、ロングボールを送ったりと、攻撃面ばかりを意識してきました。同期の柊斗が明治のカラーに合ったボランチだからといって、自分も同じことだけをしていても勝てない。だから、すべてのバロメーターを上げつつも、自分の特長として突出していたところは消してはいけないと考えていました」 3年という時間を掛け、明治らしいボランチの素地も蓄えた瀬古は、4年になり自分の特長である攻撃でチームを牽引した。それは2019年、明治大学がリーグ戦を筆頭に3冠を達成した結果が物語っている。
衝撃を受けた三笘薫の存在「敵なのにワクワクした」
「大学時代は代表や選抜と名の付くものには一切縁はなかったですけど、関東大学リーグにはそうした選手がゴロゴロいて対戦する機会もたくさんあった。スカウトも必ず見に来ているのはわかっていたので、注目されている選手よりも、自分がいいプレーをすれば、興味を持ってもらえると思っていた。だから、大学の同世代でいえば、すでに(三笘)薫や(旗手)怜央が川崎フロンターレへの加入が決まっていましたけど、彼らと対戦できることは、自分にとってもプラスに働いていました」
大学4年生のときに対戦した三笘には、特に衝撃を受け、自分の目線を引き上げるきっかけにもなった。
「4年生のリーグ戦は2敗しかしていないのですが、その1敗が、薫がいた筑波大学でした。薫一人にほぼ全員が抜かれたんじゃないかってくらいドリブルで突破されて、ゴールも決められた。ちょっと他の選手とは空気感も違って、嫉妬というよりも、敵なのにワクワクしたのを覚えています。でも、フロンターレに加入するような選手と対戦して、肌感覚で、自分もやれる、決して負けていないと思ったときに、明治に進んでよかった、確かに自分の能力は向上していたと思うことができました」
横浜FCを経て、2022年に川崎フロンターレへの移籍を決めたのも、大学で同じピッチに立っていた彼らが、そこで結果を示して世界へと羽ばたいていった環境を、自分も知りたいという欲があったからだ。
「フロンターレで薫たち同世代が活躍していたことはもちろん、自分がプロを具体的に意識した時期からJ1リーグを牽引してきたチームで、自分がどこまでやれるか知りたかったんです」
そして瀬古は言う。
「大学時代は、なんでこんなにも試合に出られないのかと思ったり、ライバルに勝てない悔しさも味わいましたけど、そうした挫折もすべてターニングポイントになっていて、自分の人生にはつきものというか。フロンターレで過ごした昨季の1年間も苦しかったですけど、振り返るとどれもが濃く、欠かせない時間だったと思っています」
謙虚さと実直さを併せ持つ瀬古は、大学時代もそうだったように、川崎フロンターレでプレーする今も、分岐点を経ることで選手として、人として大きく飛躍している。
<了>
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[PROFILE]
瀬古樹(せこ・たつき)
1997年12月22日生まれ、東京都出身。サッカー・J1リーグの川崎フロンターレ所属。三菱養和SC、明治大学を経て、2020年に横浜FCに加入。2021年は絶対的な中心選手として活躍し、夏以降は主将も務めた。2022年に川崎フロンターレに完全移籍で加入。正確なキックやドリブルセンスを武器に、チームの攻守のリズムを作るMF。
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