世界王者スペインに突きつけられた現実。熱狂のアウェーで浮き彫りになったなでしこジャパンの現在地
ワールドカップ王者であるスペインに、なでしこジャパンが挑んだ。マドリード郊外のスタジアムはチケット完売、現地メディアも100人以上が詰めかけた注目の一戦。その舞台で、ニルス・ニールセン監督新体制の日本が見せたのは、強豪にも揺らがない日本のスタイル構築へのチャレンジだった。結果は1-3。それでも、ピッチには確かな変化と未来への青写真が描かれていた。
(文・文中写真=松原渓[REAL SPORTS編集部]、トップ写真=REX/アフロ)
チケットは完売、メディアも100人超。マドリードを包んだ熱狂
6月27日、マドリード郊外のブタルケ・スタジアム。夜遅くまで太陽が沈まず、キックオフの夜9時になっても30度近い熱気に包まれた雰囲気の中で、なでしこジャパンは世界王者であるスペイン女子代表に挑んだ。国際親善試合とはいえ、その意味合いは限りなく本番に近い。初優勝を目指す欧州女子選手権を目前に控えたスペインは、ベストコンディションでチームの完成度も高く、最終調整の場。日本にとっては、ニルス・ニールセン監督体制下での「現在地」を測る格好の舞台となった。
平日夜の開催にもかかわらず、1万2000枚のチケットは完売。スタンドにはスペイン国旗が揺れ、家族連れや代表のスターに憧れる少女たちが詰めかけ、自分たちの誇りである“ラ・ロハ”(スペイン代表の愛称)を応援。現地メディアも約100人が詰めかけ、取材エリアではテレビ局の照明と英語・スペイン語が飛び交った。そこには一つの大会のような熱気があった。
日本はこの試合、中盤の要でもある主将の長谷川唯をケガで欠いて臨んだが、スペインも中盤の要であり、攻撃のリーダー格でもあるアイタナ・ボンマティが、ウイルス性髄膜炎の療養中のため欠場した。試合前日の記者会見で、スペインを率いるモンセ・トメ監督はこう語っている。
「アイタナは我々にとって非常に大切な存在ですが、彼女がいないからといって、私たちのスタイルが変わることはありません。日本のような素晴らしいチームとの対戦は、EUROに向けた準備としてとても有意義です」
トメ監督は日本との一戦を「必要不可欠なテスト」と位置づけ、なでしこジャパンへの敬意を表した。

「スタイルを貫く」ニールセン体制の変化と挑戦
今回の遠征は、ニールセン監督体制で4回目の活動となるが、ピッチ内での変化は明らかだった。これまで、ディフェンスは4-4-2、攻撃は4-3-3を基本としながらも、試合中のポジションは流動的で、選手のイマジネーション、即興性が引き出されていた。だが、今回はより明確に「狙い」が共有されていた。中盤の底で攻守の舵を取る長野風花はこう語っている。
「今まではどちらかというと、私たちのアイデアを尊重してもらっていた感じだったんですが、このキャンプでは攻守の狙いが練習で提示されています。個々の感覚はもちろん大事にしつつも、その場で合わせるのではなく、再現性のあるプレーを出せるようにトライしていきます」
ショートパス、連動性、ワンタッチ、流動的な崩し。スペインと日本は似た方向性を志向しているが、どれだけ組織的に、精度高く表現できるかが試合の分水嶺となる。
「スペインのような強敵に対しては、選手それぞれ役割を理解して、まとまって戦う必要があります。90分間守り続けることはできないので、ボールをキープして自分たちの時間を作ることが重要になる。日本がやってこなかったことで相手を驚かせれば、それが見どころになると思います」(ニールセン監督)
同監督が掲げるのは、リアクションサッカーからの脱却。ボールを保持し、オフザボールでも相手をコントロールして主導権を握る。その方針と新たなチャレンジは、準備期間わずか3日間でも随所に見られた。いや、実質的には2日間かもしれない。初日の練習場は「羊も歩けないほど酷かった」(同監督)と、普段は温厚な指揮官が怒りをあらわす場面もあったからだ。だが、それが勝利を求める燃料にもなった。
「自分のチームに対して尊厳を欠くようなことは許せないので、試合できっちり“お返し”したい」(同)

主導権を握るための守備。静寂をもたらした先制弾
前半、日本は守備の姿勢の変化を明確に示し、スペインの巧みなパスワークを高い位置で寸断すべく、オフザボールでも粘り強く駆け引きを仕掛けた。その集中した守備が、30分の田中美南の先制ゴールにつながった。
「相手にボールを持たれると後手に回ってしまい、プレッシャーにいきたくてもいけなくなる。監督からは守備でも主導権を握ることを強調されていました。プレッシャーのかけ方も練習で示されているので、それを試合で出したい」
試合前の決意を、田中自身が最高の形で表現してみせた。高い位置からのプレッシャーで相手のパスミスをインターセプトし。右サイドの浜野まいかからゴール前でパスを受けた田中は、巧みなボディフェイントで相手を外し、体勢を崩しながら左足でゴール右隅へ蹴り込んだ。GKカタ・コルも一歩も動けない完璧なフィニッシュだった。
ゴールが決まった瞬間、それまで賑やかだったスタンドが静寂に包まれた。1万2000人の視線が一斉にピッチへ注がれ、数秒後にざわめきが広がる。驚きと失望が入り混じる空気が、スペインのホームを包んだ。
だが前半終了間際、鮮やかなコンビネーションからスペインが同点弾を奪取すると、その1点を待ちわびたサポーターの怒号のような歓声が巻き起こる。曖昧な判定でスペインに不利な状況が起きればブーイングと指笛が飛び交い、66分のスペインの逆転ゴールの後には、スタンドがウェーブで揺れた。女子サッカーにも、ヨーロッパ特有の熱狂が宿っていた。
スペインが見せた底力。メディアも称賛した日本の存在感
世界女王の壁は、やはり厚かった。
88分、スペインがお家芸のパスワークで日本の右サイドを切り裂き、3点目。スピード、判断、正確性、すべてが一歩上だった。特に、1点目と3点目の崩しは、育成年代から徹底されてきたスペインサッカーの“教科書”のような形。ライン間で数的優位をつくり、スペースを的確に活用して日本のブロックを破った。
20本近いシュートを浴びながら、自陣のペナルティエリア内では体を投げ出し、粘り強くブロックする場面も見られたが、スペインの攻撃の強度と精度はその上をいっていた。
GK山下杏也加は、「最終ラインが下がりすぎていた場面が多く、ラインを上げるメリハリが足りなかった。スペインは空いたスペースをうまく使って攻撃してくるので、なるべくラインを押し上げようと声をかけていました」と振り返り、攻撃力の差を冷静に受け止めた。
ヨーロッパでプレーする選手たちは現在オフシーズン中。リードを許した終盤は、ユーロに向けて万全の調整を進めているスペインとのコンディションの差も出てしまった。
右サイドでフル出場し、攻守に奮闘した守屋都弥は「ワンツーやクイックな動きに対してついていく瞬発力が必要だと感じました。アメリカでプレーしている経験は生きていますが、1対1の対応はもっと詰めていきたい」と課題を口にした。
結果は完敗だったが、試合後にはスペインの主要メディアは日本の戦いぶりに一定の評価を与えている。
エル・パイス紙は「スペインの前半の失点は痛恨のミスだったが、後半は右サイドからの連携を強化し、勝利をつかんだ」と総括。ラ・バングアルディア紙は「日本の守備構造と耐久力は称賛に値する」と報じた。
日本の先制ゴールはスペインに緊張感を与え、EURO前の調整として価値ある一戦となったことは間違いない。
進化の道の途中で――誰が出ても戦えるチームへ
ニールセン監督は試合後、「相手のプレッシャーの中でパスを回せる時間もあったが、守備の時間が長すぎたし、詳細を詰めるべきミスもあった。もっと短いパスをつないでから前線に運びたかった」と課題を認めつつ、「全体的にパフォーマンスは良かった」と、現時点でのチームの成長に及第点を与えた。
自分たちのスタイルを突き詰めること。相手がどれほど強くとも、その方向性は揺らがない。そのためにチャレンジしながら学び、負けても失うものはないと指揮官は考えている。
熱気に包まれたマドリードのスタジアムで、日本は今後の道筋を見定めるための青写真を描いた。今は道半ばだが、世界との距離を見極めた90分間は、その完成形に近づくための確かな手がかりとなった。
今後は、日本がスペインに勝るための要素――一瞬のスピードやひらめき、柔軟性のある崩し、守備の共通理解――を研ぎ澄ませていきたい。攻撃パターンを増やすために、セットプレーの精度向上や、サイドチェンジ、縦への素早い連動といったバリエーションも鍵になる。
指揮官はここまでの7試合で、交代枠をフル活用しながら、選手の適性ポテンシャルを見極めてきた。ワールドカップやアジアカップといった本大会を見据えつつ、選手層の底上げも着実に進んでいる。「誰が出ても戦えるチーム」を築くための作業は、すでに始まっている。
<了>
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