なぜ原口元気はベルギー2部へ移籍したのか? 欧州復帰の34歳が語る「自分の実力」と「新しい挑戦」

Career
2025.11.20

原口元気は、挑戦を止めない。10シーズンにわたってプレーしたドイツ時代を経て、2024年9月に浦和レッズへ復帰。しかし、1年後の今年9月に再びヨーロッパへ。選んだ先は、ベルギー2部・KベールスホットVA。困難な状況にも怯まず、再出発を決意した男は、今どのような夢を描くのか――。現地・アントワープで取材した彼の言葉から、その現在地と未来への展望を探る。

(文=中野吉之伴、写真=Belga Image/アフロ)

欧州挑戦〜日本復帰からのベルギー移籍という異色の足跡

原口元気は挑戦を恐れない人間だ。困難な状況に陥っても、再び立ち上がることに怯えない。いつだって勇敢に歩んでいく。欧州で長く活躍したあと一度日本サッカー界へ復帰し、再度ヨーロッパへ戻ってきた選手はほぼいない。

9月に浦和レッズからベルギー2部のKベールスホットVAへ移籍した原口だが、なぜベルギー2部クラブへの移籍を決意したのか。今どんな気持ちでサッカーと向き合っているのか。自身のキャリアをどのように受け止めているのか。

聞きたいことがたくさんある――。となれば現地へ足を運ぶのが一番だ。第11節コルトレイク戦を取材するためにアントワープにあるオリンピアスタジアムへ向かった。

移籍後すぐにポジションを確保した原口は、ベルギーカップ・ラウンド32では1部ワーテルロー相手に強烈なミドルシュートでゴールを奪い、チームを勝利に導いている。迎えたコルトレイク戦は上位争いする相手との大事な直接対決だったが、原口はカップ戦で少し負傷したことが影響し、大事をとっての欠場。それでも試合前にこちらの取材に応じて、丁寧に語ってくれた。

挑戦の理由「欧州に帰ってくることが最重要」

「ヨーロッパに帰ってくることが最重要ポイントだった」と語る原口にとって、「自分がまだ戻ってこれるうちにヨーロッパにという中で、一番面白そうな挑戦がここだった」と、ベールスホットへの移籍の理由を明かしてくれた。

ベールスホットは紆余曲折を経て現在に至るクラブだ。かつてあったプロクラブが2013年に倒産、吸収合併を経て、FCOベールスホット・ウィルライクとして再スタートすることになった。14年に5部リーグ優勝を決定した試合では、1万2000人のサポーターが詰めかけ、ベルギー地域リーグの最高観客数を打ち立てている。18年にサウジアラビア人オーナーの投資を発表。19年に現在のKベールスホットVAという名前に変更され、2020-21シーズンに1部リーグへの昇格を果たした。現在は2部にいるが、その戦力は1部相当で昇格候補の一つとして見られている。

そんなクラブで、主軸としての活躍が期待されているのが原口なのだ。

「1部のクオリティーがあるチームだなと思っています。昇格争いもできているし、いろんな面で楽しめています」

原口もそう手ごたえを口にし、「今めちゃくちゃワクワクしています」と言って微笑みながら、話を続けていく。

「環境とかめちゃくちゃですけどね(笑)。グラウンドとか、クラブハウスとか経験したことないレベルなんだけど、でもそれも含めて面白いなと思っちゃってる。20代で来てたら『なんだよ、これ?』ってなっていたかもしれないけど、一回り回って今は何に対してでもなんか結構楽しめている」

上位ウニオンから下位シュツットガルトへ移籍の理由

置かれた環境を最大限楽しんでいる原口の話を聞いていると、ブンデスリーガ時代、2022-23シーズンの途中にウニオン・ベルリンからシュツットガルトへ移籍した時に、「自分がイメージするサッカーがしたいから」と移籍の理由を語っていた当時のことを思い出す。

当時のウニオンはブンデスリーガで上位争いをし、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場も達成している。原口は当時のウルス・フィッシャー監督から確かな信頼を得ていたし、出場機会だってちゃんとあった。残っていたら翌シーズンのCL出場のチャンスは間違いなくあったのだが、それでも原口は自分が願うサッカーへのチャレンジをあきらめることができず、当時残留争いに苦しんでいたシュツットガルトへの移籍を決断した。今回のベールスホットへの移籍でも、そうしたサッカーへの思いが続いている。

「うん、そうですね。またドイツとは違うけど、ベルギーサッカーも面白い。サッカーのことを勉強しながら、英語を勉強しながら、さらに選手としても、まだまだ面白い挑戦ができるという部分で、かなり今は充実感がある」

シュツットガルトでの葛藤「自分の実力は……」

当時やりたいサッカーをやるために渡ったシュツットガルトだったが、原口獲得を熱望したブルーノ・ラバディア監督解任後に就任したセバスティアン・ヘーネス監督のもとでは、残念ながら出場機会をつかむことができなかった。そんなシュツットガルト時代をどのように受け止めているのだろう?

「結局、セバスティアンに認められなかった時点で、自分の実力はそういうところだったんだな、というのは思います。あれだけ優秀で、モダンなサッカーをする監督に使ってもらえなかったのが、自分の実力。もちろん、ライバルがウンダフやミロ、シュティラーというとんでもないクオリティーを持った選手たちだったというのもありますけど……」

原口が「非常に優れた指導者」と評価するヘーネス監督のもとチーム力が格段に上がったシュツットガルトは、2022-23シーズンに無事1部残留を果たすと、翌2023-24シーズンにはリーグ2位でフィニッシュと大躍進を遂げた。デニズ・ウンダフやアンジェロ・シュティラーはドイツ代表に、エンゾ・ミロもU-23フランス代表として2024年パリ五輪に選出されている。

「結局そこでポジション争いに勝てなかったというのが、ブンデストップクラブでは難しかったというのを認めざるを得ない感じになりました。……もしかしたら、20代の一番動けている時だったら、もう少し出れた。それはもちろんそうだと思う。(シュツットガルトでは)33歳で、一番いい時期ではないというのもあった。ただ、それは言い訳であって、セバスティアンに評価されなかったというのは、自分の中で一つのいい見極めになったかなと思っています」

フェアで、何が起こるかわからないサッカーの世界

サッカーキャリアにはいろんな時期がある。原口にも、浦和レッズで頭角を現して日本代表入りを目指してギラギラしていた時期があって、ドイツに渡って日本代表で主力として戦っていた時期があり、苦難と向き合い続けた時期があって、ベルギーで新しいサッカーとの出会いがあった。原口にしかできないサッカーキャリアがここにある。本人は、そんな自身のこれまでのキャリアをどのように見ているのだろう?

「どの選択もよかったなと思える選択でした。悔しいこともたくさんありました。ただ、浦和での成績も含めて、やっぱり実力の世界なんだなというのは思いますよ。自分が20代で浦和に帰ってきていたら、絶対になにかしらできていたと思う。やっぱり自分の実力がないから、ここぞという時に結果を出せなかったり、チャンスを無駄にしたり。やっぱり実力ありきの世界だなって、何度も浦和時代に感じていたので……」

プロの世界は本当に厳しい。そしてそんな世界を、原口は好ましく思っている。静かだけど力強い口調でこんなふうに言葉にしていた。

「こんなフェアな世界ってない。だから、やっぱり自分に向いているなと思いますね」

さまざまな巡り合わせでクラブを渡り歩き、そして今またヨーロッパの地でサッカーをしている。1部昇格の可能性だって十分にあるクラブでプレーしているのだから、来季ベルギーのトップリーグでプレーをして、そこからまたさらなる可能性だって生まれてくるかもしれない。

「そうですね。1部に上がることができたら、また新しい世界が見えるかもしれない。それぐらいポテンシャルがあるチーム。やっている感じではいけると思います。そうしたら……。サッカー界なんで、何が起こるかわかんない」

自分の力で切り拓き続けた道。その道はまだ先へと続いている。次章はどんな物語になるだろう。まだ原口の物語は、終わっていない。

<了>

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