なぜ長谷部誠は40歳まで第一線でプレーできたのか? 「1試合の総走行距離がすべてを物語るわけではない」
40歳を迎えた2023-24シーズン限りでの引退を決めた長谷部誠。所属した日本とドイツのリーグでそれぞれ優勝経験を持ち、2022年にはUEFAヨーロッパリーグも制覇。日本代表として114試合に出場して長く主将を務め、FIFAワールドカップにも3度出場。日本サッカー史上トップクラスに輝かしいキャリア持つ彼は、では一体何が優れていたのだろう?
(文=中野吉之伴、写真=千葉 格/アフロ)
長谷部誠はすごい。では一体何が優れていたのだろう?
22年間のプロ生活に別れを告げ、現役生活を引退した長谷部誠。では彼は一体何が優れていたのだろう?
キャリアは文句なしにすごい。2008年に浦和レッズからドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルクに移籍すると、移籍2年目でリーグ優勝に貢献。その後も出場数を重ね、ニュルンベルクを経て2014年にアイントラハト・フランクフルトへと移籍する。数シーズンは残留争いが続いたが、本人が「あれがアイントラハトにとって転機となった」と振り返る2018年のドイツカップ優勝以降は、ブンデスリーガでも強豪に数えられる立ち位置を勝ち取り、その中で長谷部は中心選手として長く活躍した。
2021-22シーズンにはUEFAヨーロッパリーグ(EL)で優勝。ベンチスタートだった決勝戦では、後半13分に味方DFの負傷で急遽出場という緊急事態ながら、ピッチに足を踏み入れた瞬間からスムーズに試合へと入り込み、チームをすぐに統率してみせた。
全国紙フランクフルター・アルゲマイネに65年記事を寄稿しているという大ベテラン記者のハルムート・シェルツァーが長谷部について少し興奮気味に次のように話してくれたことがある。
「長い間ベンチに座っていて、EL決勝という舞台で途中出場。だがまったく動じた様子も見せずにすぐチームを掌握してみせた。ハセベがピッチに立ったことで回りの選手に落ち着きが生まれたというのは特筆すべきことだろう。彼の持つ洗練さ、視野の広さ、技術の確かさ、チームメイトへの影響力。これはプライスレスなもので、これ以上評価できないほど素晴らしいものだ」
長谷部には類まれなスキャン能力と決断精度がある
長谷部が現役中に見せた「すごさ」はもっとちゃんと語られるべきだろう。
守備的な選手を取り上げた記事はパッとしないものが少なくない。本来求められている役割でもないのに「○○フル出場も無得点」みたいな見出しになったりもする。無得点なのが悪いみたいなニュアンスを感じさせないだろうか。もう少し文章が書き添えられていても、「△△完封勝利に貢献」みたいなあいまいな表現でまとめられておしまい。でもそれってあまりに扱い方がぞんざいじゃないだろうか。
現役時代の長谷部誠のすごさについて、改めてもう一度スポットライトを当ててみたい。
サッカーはチームスポーツだ。攻撃だけが華々しければいいわけではない。チームのために必要なタスクは多種多様であり、それぞれにおけるタスクを理解して、その働きぶりを評価できたほうが、そのスポーツをより楽しむことができるはずではないか。
攻撃をよりよい形で機能させるためには、攻撃的な選手が自分のタイミング・間合いで味方からパスをもらうということが大切になる。相手のガッチガチのマークに苦しんでいるときに急にパスを渡されても困るし、小柄な選手のもとに届きもしない高いボールを蹴り込まれてもどうしようもない。
そこをコントロールするのがDFの選手ということになる。よく試合ではDF間で右へ左へ、時にGKにもボールを下げながら自陣でパスを回していることがある。なぜああしたパス回しが必要なのかというと、そうやって時間を作ることで、攻撃的な味方選手が自分たちで仕掛けやすいポジションと状況を作り出せるようにしているわけだ。
長谷部は味方選手の状態を常に観察しながら、彼らが自分のプレーを発揮しやすい状況を逃さずに、最適なタイミングでスムーズな動作から正確なパスを提供していく。チームメイトが気持ちよく躍動している裏では、長谷部がいくつものおぜん立てをしていたのだ。
「1試合の総走行距離がすべてを物語るわけではない」
フランクフルトにおいて、長谷部はチーム事情に応じてDFとしてだけではなく、守備的MFで起用されることもあった。チームの中でも特に運動量が要求されるポジションながら、フィールドプレーヤーとしてブンデスリーガ最年長の選手がプレーするのは一見現実的ではない。
だが長谷部には類まれなスキャン能力と決断精度がある。サッカーにおいて特に大事なのはポジショニングと体の向きだとされている。どんなにフィジカルで勝る相手でも先に良いポジショニングと体の向きを取っておけば、そして相手が次にどんな動きをしてくるか推測することができたら、フィジカル的なスピードで負けていても相手よりも優位に立つことができる。
まるで相手選手が長谷部に向かってパスをしたんじゃないかというくらい、あまりにもあっさりとボールを奪ってしまうシーンが何度もあった。ただのカンなどではない。試合の流れ、相手の位置、味方の動き、パスの展開などから次に起こりうる状況を論理的に推測し、事前にスタンバイしているのだ。
ドルトムント監督時代にユルゲン・クロップが「1試合の総走行距離がすべてを物語るわけではない。いつ、どこで、どのように走り、どこでスピードを上げるのか。試合において重要なのは正しい走り、正しいプレーをどれだけできているか、だ」と強調していたことがあった。
ボールを追いかけ回しているだけでは守備に貢献しているとはいえない。守備において問題になるのは、空間的にフリーでボールを持たせているという現象よりも、プレー選択肢がいくつも作れるという状況を与えてしまうということ。チームとしてプレスをかけられる状況にあっても、最初の選手がボールホルダーに対して詰めながらも寄せきらないと、プレー選択肢を奪うことができないのだ。このように一つ一つのプレーにおける解釈を整理して、突き詰めて、味方選手を操舵して、守備を構築するのが長谷部のすごさだった。一緒にプレーすると味方選手が見違えるようにいい動きを見せるのにはそうした背景があったのだ。
長谷部は「退屈」? 同僚たちの貴重な証言
そういえば「長谷部はlangweiligだ」と誰かが言っていた。40歳になった長谷部に対してチームメイトからのコメントをまとめた動画でチームメイトの一人がそんな風に表現していたのだ。
langweiligは直訳すると「退屈」となる。とはいっても、それはつまらないという意味ではなく、何事にも動じず、浮わつかないという意味合いのほうがしっくりくる。例えばニュルンベルク時代から長年チームメイトの元アメリカ代表ティモティ・チャンドラーがこんなことを言っていた。
「マコトはいつでも100%全力だ。練習もそうだけど、練習前後の準備やケアにも100%なんだ。そうした姿勢が言葉よりも如実に仲間に伝わる。クラブにあるお風呂はもう彼のものだね(笑)」
あるいはこんな逸話がある。
2021-22にフランクフルトはELで優勝を果たした。クラブ史上初の快挙にみんなの喜びは弾けんばかり。試合後は夜通しパーティーモードだったという。フランクフルトへ戻るチャーター便では6つのスピーカーで音楽を鳴らし、ビールを飲んで、みんな叫んでいた。
「そんな中ふと端っこを見たら、マコトが帽子を深くかぶって眠っていたんだよ」(チャンドラー)
ブレないにもほどがあるだろとさえ思ってしまう。とはいえ極端なまでに禁欲というわけではない。2021年3月の契約延長記者会見で、フランクフルトで同僚だった元オーストリア代表DFマルティン・ヒンターエッガーが「長谷部は遺伝子レベルから違う」とコメントしていたことを受けて、これほど長く現役でコンスタントにプレーできる秘訣を尋ねられたときにこんなふうに答えている。
「明確なことはわからないけど、一つ、サッカー選手として、人間としてのバランス力かなと思っているところはある。小さいところでいえば食べ物。もちろん僕は食事に気をつけている。家で日本食とか体にいいものを食べるようにはしている。でも僕はお菓子も大好きで、お菓子も食べます。揚げ物も大好きで食べる。でも自分の中でこれ以上は食べないと決めたら食べない。そのバランス感覚かなと思っていますね。トレーニングでも、僕は年齢を重ねるごとにトレーニングは多くやらないと(パフォーマンスが)落ちていってしまうんじゃないかなと思うタイプなので、そこを調整するバランス感覚だったりとか。頭を使って、自分に合った、自分らしさの中でそこを調整できる。しいて挙げるのだとするとそこかなと」
愛されるパーソナリティ「僕の両親はいつも、大事なのは…」
ピッチ上でも、ピッチ外でも長谷部のその落ち着きぶりは、常人離れしているものがある。
いや、落ち着いているというよりも情報処理能力が極めて高くて正確なのではないかと思うのだ。起こってしまった事象に対しても即座に次に何をすべきか、どのように整理して自分の中でつじつまを合わせるのかを瞬時にトレースしてしまう。
記者会見でも質問の意図を汲んで、それに応えるだけではなく、質問者がどんな答えを求めているのかをある程度詮索したうえで答えを形成してくれる。
「僕のパーソナリティによるものかなと思います。僕の両親はいつも、大事なのは冷静さを保つことって言っていました」
常に冷静で、誠実で、時に冗談を交えながらその場を沸かせる。長谷部の人柄はドイツ人記者たちにも愛されていた。コミュニケーション能力も特筆に値する。
成長するためにやるべきことを正しく整理し、取り組み方を精査し、時に寄り道をしながら、自分の中でバランスを取り、やると決めたことは徹底的にやり続ける。
誰でもその領域にたどり着けるわけではないかもしれないが、ぜひ我々も参考にして、自分たちなりの高みを目指したいものだ。
【連載前編】長谷部誠が最後まで貫いたプロフェッショナルな姿勢「サッカーはそんなにうまくいくもんじゃない」
<了>
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