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岡崎慎司が語る「うまくいくチーム、いかないチーム」。引退迎えた38歳が体現し続けた“勇気を与えてくれる存在”
38歳での引退を決意した岡崎慎司。5月17日におこなわれたラストマッチでは、足の痛みを抱えながらも“らしい”プレーを見せ、現役生活に幕を閉じた。ドイツ、イングランド、スペイン、ベルギーと、欧州の地で14シーズンにわたってプレーし、欧州5大リーグでの得点数は日本人歴代最多の52。海外で最も成功を収めた日本人ストライカーが振り返る現役生活、そして、うまくいくチームとうまくいかないチームの違いとは?
(インタビュー・構成=中野吉之伴、写真=Panoramic/アフロ)
「そういう生き方をこのヨーロッパでやってきた」
元日本代表FW岡崎慎司が現役に別れを告げた。ラストマッチとなったのはベルギー1部リーグの中位プレーオフ、所属するシント=トロイデンVVがルーヴェンをホームに迎えた試合。スタメン出場を果たすと、51分間ピッチで懸命なプレーを見せた。岡崎はこの試合を「らしい終わり方だった」と振り返る。
「(トルステン・)フィンクが監督でよかったなって思える場面がありました。今日も最初は『20分でどうだ?』みたいな感じだったんですね。フィンクはやっぱり勝ちたいんで。当然の意見を話してもらえて、『自分出たいっす』みたいな(やり取りがあって)。そこで僕の決意も固まった。復帰して足が痛い中でのプレーだったんですけど、もう吹っ切ってとりあえず飛ばしていこうと。見ててくれって。『もし行けそうだったら、前半最後まではやり切らせてほしい』とフィンクに伝えました。そして監督が使い続けてくれた。ずっとこうやって、そういう生き方をこのヨーロッパでやってきたなと思うので、最後までやり切るって意味では、らしい終わり方だったなと思います」
どんな時でもできる限りのことに挑戦するのが岡崎らしい。ドイツのマインツ時代の最後の試合で、「ステップアップを考えているのか?」という質問が報道陣から出たことがある。岡崎は「ステップアップは考えてない。チャレンジをしようと考えています」と即答している。当時の発言について改めて本人に聞いてみた。
「それがなくなったらやっぱり終わりというか。選手としてじゃなくてもその気持ちは常に持っています。だから今も全然変わらないですね。『自分からきついところに行ったほうがいい』みたいな考えを感覚的に持ってるんです。みんな自分なりに挑戦していると思いますし、自分にとっての挑戦は、多分自分にしかわからないこと。まあだから都合のいい言葉ではありますよね(苦笑)」
「自分の役目は必ずくるなと思うんです。だから…」
そんな岡崎だから、やりきれない自分の今に悩んでいたのだろう。今シーズン頭にフィンク監督は「岡崎の存在がチームにおいてどれだけ大事か。自分と若い選手を結びつけるうえで必要な存在」というコメントを残している。当時の岡崎は、その言葉をピッチ内でのことと受け止めていたのだろうか? それとも……。
「監督とは話していました。監督の言い方だと、どっちかというとピッチ外のほうでしたね。ただ、サッカーってそんなに甘くないと思ってるんで。どこかで必ずチャンスはくる。自分の中では勝負は後半戦かなと。そうなったときに、監督が必要とする選手は絶対自分でありたいなと思っています。今は虎視眈眈とその準備をしています。苦しい状況でも本当にいいチームであれば抜け出せると思う。今の若い選手は多分そこまで考えられない。自分の役目は必ずくるなと思うんです。だから……」
そういって言葉を一度区切った。
「……本当にコンディションだけですね。今ずっと70%でやっているので。いかに100%にしていくかっていうところだけです」
この話を聞いたのが2023年10月。シント=トロイデンの街中にあるカフェでラテマキャートを飲みながら、インタビューをさせてもらった。いずれくるであろうその時のために、コンディションをなんとか上げていきたいと必死に向き合った。だが、100%を取り戻すことはできなかった。
うまくいくチーム、うまくいかないチーム
「40歳まではやるって決めたんで」。かつてそう力強く語っていたことがある。「僕は決めた約束は守るんですよ」。そうも話していた。そんな岡崎が38歳での引退を決意するのだから、膝はよっぽどの事態になっていたのだろう。
さまざまな紆余曲折があった。「いい思い出もあるけど、悔しい思い出も多い」と本人が語るほど、たくさんの苦難に向き合ってきた。その中で勝ち得た知見は大きな価値があるものばかり。
「サッカーって勝たないと自信も生まれないし、結束も生まれない。でも勝たずしてそうしたものを生み出せるかどうかが大事だと思う」と話してくれたことがある。当時はそれを望んでもうまく実現できない環境にいたのかもしれない。だがその後、さまざまなクラブを渡り歩く中で、「勝たずしてそうしたことが生み出せる」チームも実感することができた。
うまくいくチームとうまくいかないチーム。どこに、どのような違いがあるのだろう?
「やっぱり一人一人の選手の役割が明確になっていないときはうまくいかないんだなとすごく感じました。例えば自分が使われたり、使われなかったりの評価基準が見えなかったり。あとシュツットガルト時代はチームに外国人が多かったんですけど、外国人とドイツ人との関係もあまりよくなかった。癖が強い選手が多かったというのもあるけど、すごいギクシャクしてるなって感じていました。ああ、チームってこんな大事なのかって思いましたね。(Jリーグの清水)エスパルスでやっていたときに、どれだけ自分が幸せな立ち位置にいたのかを痛感できました」
当時は、海外初挑戦でのカルチャーショックの一つかと思わざるをえなかったかもしれない。でもマインツへの移籍でそうではないことがはっきりしたという。
「マインツに行ったとき、びっくりしましたね、いいチームだなって。選手一人一人がやるべきことが本当に整理されていた。シュツットガルトのころはみんなめちゃくちゃ文句が多かったんですよ。普段いいやつなのに練習とか試合になったらもう、めちゃくちゃ怒ってくるみたいなのが平気でありました。あとはフェアな競争がなくなってくると、きついなっていうのも感じましたね。(スペインの)カルタヘナとかはそうだったんですけど、試合で点を取る役割のFWがもう決まっていて。そうすると僕は得意なポジションは自分でよくわかっているのに、左サイドに置かれてプレーしなければならないのは年齢的にも受け入れるのがきつかった」
偉大なストライカーの選手としての章は幕を閉じた
ドイツ・ブンデスリーガで2シーズン連続2桁ゴール、スペイン2部リーグから1部昇格、そしてプレミアリーグでは優勝を経験。日本代表としてワールドカップに3度出場し、通算代表ゴール数は50を数える。岡崎慎司は数々の記録を打ち立ててきた。
「守備もフリーランもすべてをやりながら、最後のところでチームメイトみんなが僕のことを見てくれて、ゴールを決める」
そんなストライカー像を理想としていた時期があったという。伸ばした手でつかみかけた。いや、一度はつかんだはず。その余韻をずっと追い求めていたのかもしれない。
一緒にスタジアムの中を歩いていると、すぐに「シンジー!」と声がかかる。チームメイトだったり、クラブ関係者だったり、ファンだったり。誰とでも分け隔てなく優しく接し、にこやかに英語で会話をする。軽口をたたきながら、でもことサッカーの話になると熱を帯びる。岡崎慎司はいつでも、どこでも岡崎慎司なのだ。
ラストマッチでもそんなみんなに愛される岡崎の姿があった。選手が次々に2ショットでの写真を撮ろうとする。次はスタッフとだ。日本人ファンからも日の丸の旗を受け取り一緒に写真を撮る。試合後のイベントでも丁寧に参加してくれたファン一人一人に対応する。
成長を渇望し続けた。現状に満足することなく、貪欲にさらに上のステージを求めてチャレンジし続けた。「いつも悔しい出来事ばかり記憶によみがえってきて、もっとみんなに自分を証明したいという強い思いを常に持っていた」と振り返るほどに。
そんな岡崎だから、ファンは「勇気を与えてくれる存在」として愛し続けたのだろう。岡崎はそんなファンからのエールを感謝とともに受け止めている。
「うれしいですね、やっぱり。イメージかもしれないですけど、自分の生き方に対してそう言ってもらえていると思うので。自分の中で、いろんな葛藤がありながら進んできた。自分にとっての挑戦を続けてきました。『ザ・日本人』のメンタリティというのを常に持って、それがあったからやってこれたと思っているので。これからもそういう部分は大事にしたいですね」
プロサッカー選手としての章は幕を閉じた。だが次章はすぐに始まる。闘争心が枯渇することなどない。
【連載中編】岡崎慎司が到達できなかった“一番いい選手”。それでも苦難乗り越え辿り着いた本質「今の選手たちってそこがない」
<了>
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[PROFILE]
岡崎慎司(おかざき・しんじ)
1986年4月16日生まれ、兵庫県出身。元サッカー日本代表。滝川第二高校を経て2005年にJリーグ・清水エスパルスに加入。2011年にドイツ・ブンデスリーガのシュツットガルトへ移籍。2013年から同じくブンデスリーガのマインツでプレーし、2年連続2桁得点を挙げる。2015年にイングランド・プレミアリーグ、レスターに加入。加入初年度の2015-16シーズン、クラブ創設132年で初のプレミアリーグ優勝に貢献。2019年に活躍の地をスペインに移し、ラリーガ2部のウエスカに移籍。リーグ戦12得点を挙げてチーム得点王として優勝(1部昇格)に貢献。2021年より同じくラリーガ2部のカルタヘナでプレーし、2022年にベルギーリーグのシント=トロイデンVVへ移籍。日本代表では、歴代3位の通算50得点を記録し、3度のワールドカップ出場を経験。2016年にはアジア国際最優秀選手賞を受賞している。2024年5月に現役を引退。
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