ブッフォンが語る「ユーヴェ退団の真相」。CLラストマッチ後に下した“パルマ復帰”の決断
“世界最高峰のGK”として君臨し続けたプロ生活28年――。17歳でプロデビューを果たし、史上最多10度のセリエA制覇を成し遂げ、45歳まで現役を貫いたジャンルイジ・ブッフォン。イタリア代表では史上最多キャップを誇り、2006年にワールドカップ優勝を成し遂げた。その輝かしいキャリアの裏には、無数の失敗、敗北、葛藤、そして“立ち上がる力”があった。本稿では『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』の抜粋を通して、“ジジ”自身が初めて語る挑戦の物語をひも解く。今回は、2021年に20年ぶりにパルマ復帰を選んだ43歳での決断について。
(文=ジャンルイジ・ブッフォン、訳=片野道郎、写真=Maurizio Borsari/アフロ)
第2GKとしてチームに残ることを選んだ者への配慮
ユヴェントスの第2GKとして2020/21シーズンをスタートした私はほとんど出場機会を得られず、越えられない壁を前にしているような感覚に陥っていた。起用されるのは重要ではない試合だけだったが、心の中では密かにひとつの目標を定めていた。
それはUEFAチャンピオンズリーグのグループステージ最終戦、バルセロナ対ユヴェントスである。バルサ対ユーヴェはどんな時でもビッグマッチだが、今回は両チームともすでに勝ち上がりを決めており、グループ首位を懸けた対戦。1位抜けのためにはカンプノウで3点差以上の勝利という偉業が必要だった。スタジアムが無観客なのはアドバンテージだったかもしれないが、私は敵のサポーターからの圧力を感じるほどに燃えるタイプだ。
このビッグマッチを前にした数週間は体調が悪かった。しかし1週間前から戦列に復帰して、試合に向けた準備を始めた。アンドレア・ピルロは私を起用してくれるだろう、バルサ対ユーヴェは特別な試合で、向こうにはメッシ、こっちにはクリスティアーノ・ロナウドがいる、そして私もまだここにいる――。コンディションを戻し、ベストな状態で試合に臨むためハードなトレーニングに打ち込んだ。
しかし試合を前にしたある日の練習で、私に対する迷いの空気が感じ取れた。スタメンで起用しないという明確なサインがあったわけではない。しかし私も、そういう決断が下されたと感じ取れないほど経験が足りないわけではない。純粋に技術的な観点から見れば、それは正当な判断だった。しかし、第2GKとしてチームに残ることを選んだ者への配慮に欠ける判断でもあった。チームに残ることを私に求めたのであれば、それなりの配慮はあって然るべきだ。
飛行機の中で導き出した「最終的な結論」
出場機会の少なさを承知の上でチームを支える役割を受けいれた私に対して、すでに勝ち上がりが決まった後のビッグマッチですらプレーの機会を与えないというのは、最低限の配慮すらも欠いた振る舞いだと言わざるを得ない。私にとってこのバルサ対ユーヴェでプレーすることは、高いモチベーションを維持して残りのシーズンを過ごしていく上での酸素であり、生命線だった。
私は深く傷ついた。そして、長いキャリアを通じて初めて、自分の置かれた状況に正面から立ち向かう決断を下した。クラブに赴き、GKコーチにひとつの条件を提示した。「もしバルセロナで試合に出られないなら、1月にユーヴェを去る」。
調子は万全に戻って、その週は監督やコーチが驚くほどの高いレベルでトレーニングをこなしていた。誰も「出場させないつもりだった」とは言わなかったが、この種の直感において、私が間違えたことは一度もなかった。
いずれにしても、その時私は自分に満足してはいなかった。これまでそんな態度に出ざるを得なかったことはもちろん、そうしようという考えが頭に浮かんだことすら一度としてなかったからだ。
それは決して私らしい振る舞いではなかった。フラストレーションに突き動かされて取った行動であることは自分でもわかっている。理不尽な扱いを受けようとしていると感じていたし、何よりも自分の内側で膨れ上がる試合への欲望を制御しきれなくなってきていた。自分自身で選んだにもかかわらず、私は檻の中のライオンのような気持ちだった。そうして、トリノ・カゼッレ空港からバルセロナに向かう飛行機の中で、私は最終的な結論に到達した。
ユヴェントスに別れを告げる――。
素晴らしい試合となったCLラストマッチ
このバルセロナ戦は、私のキャリア末期において最も素晴らしい試合のひとつとなった。
スタジアムは無人だったが、カンプノウであることに変わりはない。ロナウドやボヌッチなど長年戦った戦士たちと共に、ピッチに続く通路に立ち、視線を交わす。それだけでたくさんの言葉を交わしたような気持ちになり、肩を叩き、抱擁を交わして闘志を高めていく。こういう試合に魂を燃やせなくなったら、それは終わりの時だ。空っぽの観客席に我々の声が反響する中に、カンプノウの魔法がわずかながら残っていた。
バルセロナが攻勢に立つが、ユーヴェも冷静に、そして頭脳的に対処する。自陣に完全に引きこもることなく、機を見て鋭い反撃の矢を繰り出した。メッシとロナウドの一騎討ちも見物だった。彼らは一度ならず競り合い、ドリブルを仕掛け合い、衝突した。彼らはこの時代のサッカーの歴史そのものだ。
後半、2点リードした状況で、私はメッシのシュートを2本止め、最終的に0-3での勝利をもぎ取った。ロナウドはPKを2本決め、ユヴェントスは首位でグループを勝ち上がった。トリノに戻る飛行機の中で、私は試合の結果にも自分のパフォーマンスにも満足していた。しかし試合に向かう過程で起こった出来事が心に落とした暗い影は、消えることがなかった。そして次の日曜日は、またベンチで過ごすことになった。
バルセロナ0-3ユヴェントスは、チャンピオンズリーグにおける私のラストマッチとなった。ユヴェントスは、続くラウンド・オブ・16でセルジョ・コンセイソン率いるポルトに敗退した。
その後、私たちはセリエA最終節で翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を手に入れ、コッパ・イタリアで優勝した。終盤戦の厳しい戦いの中で、外部の誰もがユヴェントスのトップ4入りを悲観していただけに、最終戦でボローニャを下した時の喜びは格別だった。
その勝利を祝うチームメイトたちがロッカールームで大騒ぎする様子を見つめながら、私は複雑な思いを抱いていた。すでにユヴェントスを去る決心を下していたからだ。
セリエB降格が決まったパルマからのオファー
まだ若く将来を嘱望されていたパルマのGKだった頃、試合前にはいつも、気分を上げてくれる曲を詰め込んだカセットテープをウォークマンに入れ大音量で聞いていた。
まだiPodやスマートフォンなどなかった時代、丁寧にカセットテープにダビングしたイタリアのロックやポップスの曲が、集中力を高めるための最も重要なツールだった。お気に入りの1曲に、ジョヴァノッティの『ベッラ』があった。90年代後半にヒットした曲だ。
パルマの試合前に何度この曲を聴いたことだろう。おそらく数十回だが、その数十回が頭の中で何百万回にも感じられる。
4月の終わり、パルマから復帰のオファーが届いた。彼らはセリエB降格が決まっており、すぐにセリエAに戻りたいと考えていた。トリノでのユヴェントス対パルマでその姿を見た新しいアメリカ人オーナーは、非常に真摯な人物だった。
当初はそのオファーを考慮に入れることすらしていなかった。セリエBでキャリアを終える気にはなれなかったからだ。私はオファーについて電話をしてきたパルマの幹部ハビエル・リバルタに、冗談めかしてこう言った。「セリエBならもう経験済みです。俺のような選手からすれば、あれだけでもうサッカーに対する立派な贈り物だったと思ってますよ」。
丁重なオファーに対して尊大な態度で応えるこのやり方は褒められたものではない。しかし、まるで90年代のまだ若かったジジが突然顔を出したようでもあった。自分自身に大きな重みを与えることでチーム全体にもそれを波及させようとする、強い性格と過剰なほどの自信を持ったあのジジだ。それこそが、私をこれだけ遠くまで連れて来てくれた力だった。
カンプノウでメッシとプレーする選択肢
代理人シルヴァーノ・マルティーナはセリエBの話など聞く耳を持たず、むしろパリでの経験と同じような道を勧めてきていた。「パルマなんてやめとけ。カンプノウでメッシとプレーするほうがお前にはずっと似合ってる」。実際、バルセロナが私に興味を持っているようだった。2001年に移籍成立直前までいったことを思えば、まるで改めて運命に導かれているようにも感じられた。
この葛藤に向き合うのはまったく簡単なことではなかった。パルマは心の拠りどころだ。しかしそこでキャリアを終えることは本当にふさわしいフィナーレなのだろうか? この選択に宿るロマンティシズムは、すべてが終わろうとしているという考えから私を救ってくれるのだろうか?
その葛藤を生きる中で、私は「自分自身を裏切ってはならない」という考え方に基準を置くことを決めた。自分でも気に入っている言い方をすると、私は「複雑だが根は単純な男」だ。その逆説的な表現の中には、私がこうありたいと思う人間像が込められている。過ちを犯しはするがその代償をきちんと支払い、複雑さを抱えながらも自らの矛盾を誇りとして生きる、そんな人間だ。
親愛なる友よ。吹き荒れる当時の記憶
そんな時、パルマのゴール裏で活動する古い友人たちから2件のメッセージが届く。もう50歳近くになるが、30年前にはゴール裏で共に黄色と青のチームに声援を送り、叫び、泣き、歓喜し合った仲間たちだ。
「ジジ、本当にパルマに戻ってくるのか?」
日曜の午前中にプリマヴェーラ(U19)の試合を終えた後、どれだけのアウェー遠征を彼らと共にしたことか。私はいつも彼らと一緒にゴール裏からトップチームの試合を、未来のチームメイトたちの戦いを見ていた。ウルトラスの世界の厳しさ、自分たちを代表するチームカラーへの愛着、チームをめぐるあらゆる一喜一憂を共に味わった。
そして今、そんな過去の断片が私を追いかけてきた。口の中に、骨まで凍える寒さを紛らわすためだけに飲んだあの不味いランブルスコの味が、唐突によみがえってくる。あれからもう30年が過ぎている。語り合いたい思い出がいくつあることだろう、親愛なる友よ。
「また連絡がついて嬉しいよ。でも残念ながらパルマの誰からも連絡は来てない。本当だよ」
頭の中には当時の記憶が嵐のように吹き荒れていたが、私はそう返事して彼らの気持ちを冷ました。同時に、あまり良くない邪推も頭をもたげてきた。パルマの新しいオーナーが、私が戻ってくるという噂を使ってサポーターの心を掴もうとしているのではないか――。
それからの数日間、携帯はその古い友人たちからのメッセージで溢れた。電話番号は当時から変わっておらず、彼らはその気になればいつでも私に連絡することができたが、これまでは一度もそうしたことがなかった。なのに今それをしてきたのには明確な理由があった。
「ジジ、お前が戻ってきたらどんなに素晴らしいだろう。何十年ぶりにお前と再会できたらみんなどれだけ幸せなことか!」。これは最後に届いたメッセージのひとつだった。
バルサ移籍か、愛するパルマか――キャリア終盤の葛藤
ある日、フォルテ・デイ・マルミからトリノに戻る途中、パルマのインターチェンジの近くを通った。
ラジオをつけていて、特にプレイリストを流していたわけでもなく、ただ気まぐれに放送を聞いていた。緑の標識に白で書かれた「PARMA」の文字が、銀色に輝く高速道路の地平線に浮かび上がったその時、DJが曲を紹介した。ぼんやりしていてタイトルを聞き逃したが、鳴り始めたイントロは間違えようがなかった。ジョヴァノッティの『ベッラ』だ。懐かしいスチールギターとドラムの音は、黄色いポルシェのカブリオレを飛ばして練習場に向かっていた過去の日々に、私を一気に引き戻した。
この曲を最後に聴いてから10年は経っている。だがその日、まさにパルマの近くを通過している時に『ベッラ』が流れ出した。
ジョヴァノッティのクソッタレ。
俺をはめやがって――。
奴は私を記憶の海に投げ入れ、メッセージを書いてきた友だちの向こう側で何十人、何百人が私の帰りを待っていることに気づかせた。だとすれば、私を愛してくれるだけでなく、たどったキャリアと経験を尊重してくれる場所に戻らない理由がどこにあるだろうか。
後は代理人を説得するだけだった。内面はまだGKのままであるシルヴァーノは、私にはまだトップレベルのサッカーに与えるものが残っていると信じている。しかし、もしそうだとしてもこれでいいのだと心を決めていた私は、彼と会って心からの思いをぶつけた。
「マジで? パルマにか?」。シルヴァーノは目を丸くしてそう答える。
「うん」
「気は確かか?」
「もちろん」
「お前じゃなければ、こんな選択は絶対にさせないだろう。でもお前を知っているから、これが正しい選択だとわかるよ」
「俺にもその確信があるんだ」
「じゃあ、彼らに連絡を取ってオファーの内容を確かめるよ。でも……」。ここで一拍置いたシルヴァーノは、周りを見回してからこう訊ねた。
「いったい誰がお前の考えを変えたんだ?
「ジョヴァノッティだよ」
「歌手のか?」
「そう、彼だ」
「もう何も言うな。聞きたくない。これで十分だ」。シルヴァーノはそう言って首を振った。
家族にもこの決心を話した。イラリアは少し懐疑的で、本当にセリエBに行くつもりなのかと訊いてきた。私がその場の感情に任せた選択をしていないか、ちゃんと頭で考え抜いた選択なのかを確かめたかったのだろう。
私は、パルマと共にセリエBに行くという決断の中に、自分の持つ価値観、何を本当に大切にしているのかを、改めて見出しつつあった。これは、パルマの人々にかつて受け取ったものの一部を返すための機会なのだ。ユヴェントスと共にセリエBでプレーしたことのある私に、パルマでもう一度それができない理由があるだろうか?
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』から一部転載)
<了>
【連載第1回】ジャンルイジ・ブッフォンが語る「GKとしての原点」。困難を乗り越える“レジリエンス”の重要性
【連載第2回】伝説の幕開け。ブッフォンが明かす、17歳でセリエAのゴールを守った“衝撃のデビュー戦”
【連載第3回】世界最高GKが振り返る「ユヴェントス移籍の真実」。バルサ行きも浮上した守護神“ジジ”の決断
【連載第4回】モレーノ主審はイタリア代表に恩恵を与えた? ブッフォンが回顧する、セリエA初優勝と日韓W杯
【連載第5回】守護神ブッフォンが明かす、2006年W杯決勝の真実。驚きの“一撃”とPK戦の知られざる舞台裏
【連載第6回】名守護神が悲憤に震えたCL一戦と代表戦。ブッフォンが胸中明かす、崩れ落ちた夜と譲れぬ矜持
[PROFILE]
ジャンルイジ・ブッフォン
1978年1月28日生まれ、イタリア、トスカーナ州マリーナ・ディ・カッラーラ出身。世界最高のゴールキーパーの一人と称される。1995年にパルマでプロデビューし、ユヴェントスでは長年にわたり守護神として活躍。セリエA優勝やコッパ・イタリア制覇など数々のタイトルを獲得した。2006年のFIFAワールドカップではイタリア代表の優勝に大きく貢献。晩年は古巣パルマでプレーし、2023年に45歳で現役を引退した。その献身とリーダーシップは世代を超えて尊敬を集めている。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
なぜマンチェスター・シティ「2季の2部生活」が浮上したのか? 英国で広がる厳罰論の背景
2026.10.23Opinion -
批判と低迷から始まったエディー体制の現在地。ラグビーW杯まで1年、日本代表に起きている変化
2026.10.23Opinion -
「小学生の全国大会が一つしかない」Fリーグ引退・森岡薫、GM転身で目指すフットサル界の改革
2026.10.22Career -
世界3位ドイツ戦で見えた、なでしこジャパンの変化。新体制で増えた選択肢と残された課題
2026.10.14Opinion -
世界1位・松島輝空も安全圏ではない。卓球で相次ぐ大番狂わせ、101位が中国女王を破った背景
2026.10.13Opinion -
「自信を失った経験がない」瀬古歩夢、4戦連続先発で示した成長。森保ジャパンで高まる存在感
2026.10.09Career -
五輪から外れた空手、世界1億人に広がる現在地。アジア大会金・尾野真歩が伝えたい「日本の形」
2026.10.09Career -
フットサルで磨いた判断は欧州サッカーでどう生きるのか。浅野蓮の可能性を広げた育成と「環境を選ぶ力」
2026.10.09Training -
「空手が楽しくない」からアジア大会金メダルへ。尾野真歩、4年間届かなかった日本代表と“自分の空手”
2026.10.09Career -
欧州に挑む16歳・浅野蓮の感性はいかに育ったのか。上田綺世も輩出したmalvaに学ぶ「正解」を教えない育成
2026.10.07Training -
「きれいごとを貫いて、利益にする」東京ドーム社長・斎藤裕が描く“4万坪の街”への夢
2026.10.06Business -
東京ドームはどう変わる? 4月就任の斎藤裕社長が語る「4万坪のエンタメの街」の新たな可能性
2026.10.06Business
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
「小学生の全国大会が一つしかない」Fリーグ引退・森岡薫、GM転身で目指すフットサル界の改革
2026.10.22Career -
「自信を失った経験がない」瀬古歩夢、4戦連続先発で示した成長。森保ジャパンで高まる存在感
2026.10.09Career -
五輪から外れた空手、世界1億人に広がる現在地。アジア大会金・尾野真歩が伝えたい「日本の形」
2026.10.09Career -
「空手が楽しくない」からアジア大会金メダルへ。尾野真歩、4年間届かなかった日本代表と“自分の空手”
2026.10.09Career -
14歳でFリーグ最年少記録、英2部QPRのトライアルでも3得点。日大藤沢・浅野蓮が語る欧州での手応え
2026.10.05Career -
「もしそれがW杯の試合だったら」鈴木唯人が語る“走り続ける”理由。開幕4試合4ゴールも最優先するものとは
2026.10.02Career -
「僕らだけで決断していいことじゃない」現役大学生で日本代表、伊藤龍之介が向き合う“二つのチーム”
2026.10.02Career -
W杯ブラジル戦で泣き崩れた田中碧…リーズ監督の「きつい冗談」と、先発を取り戻すまでの3カ月
2026.10.01Career -
「ベンチでOKではない。先発になるために」日本代表FW後藤啓介が語る、ブンデスで向き合う“自分との差”
2026.10.01Career -
「風を読んで、あのスペースに」鈴木彩艶が明かす配球術。英名物番組が驚異的と評するプレミアでの進化
2026.09.24Career -
40歳・長友佑都はなぜ現役を続けるのか。W杯後に一度は傾いた「引退」と「FC東京で優勝」の情熱
2026.09.18Career -
塩貝健人が語る「4年後に向けて」。W杯での課題をドイツ2部で磨き、再び迎えるブラジル戦
2026.09.11Career
