「コーチも宗教も信じないお前は勝てない」指導者選びに失敗した陸上・横田真人が掲げる“非効率”な育成理念
2012年ロンドン五輪、陸上競技・男子800m。トラックに立った横田真人は、孤独だった。「宗教は信じているのか?」アメリカの名将にこう問われた過去がある。“信じるものがないお前は勝てない”――。現役時代、コーチ選びに迷い続けた男は、いま若き才能を預かる立場にいる。AIがトレーニングメニューを組める時代に、なぜ彼は“非効率”な育成にこだわるのか。その答えは、自身の後悔の中にあった。
(インタビュー・文=守本和宏、写真=西村尚己/アフロスポーツ)
「自分はコーチ選びに失敗した」横田真人の原点
1月12日、久保凛の積水化学入社が発表され、SNSは色めき立った。期待や意見にあわせて、言及されたのが「横田真人コーチで大丈夫か」とのテーマだ。新谷仁美、卜部蘭らを育てた横田だが、最近は日本選手権も獲っていない。指導力が落ちたのでは、との議論である。
その光景を見て、思った。「中距離でこんな議論が展開されるなんて……」。2012年ロンドン五輪、横田真人が44年ぶりに800mに出場しても、ほぼ話題にならなかったのが、指導方針までもが注目されている。その感慨深さに浸っていた。
最終的に、ファンがどう思うかは結果次第だろう。横田本人も「自分自身の指導者人生を賭けて、彼女と向き合いたい」と受け入れている。それぞれ好きに評価すればいい。
ただ、横田の現役時代を取材してきたものとして、これは伝えるべきだと思ったのだ。指導者選びに苦戦しながら挑戦し続けた彼の過去を。「信じるものがないお前は勝てない」とまで言われた葛藤を。
「自分はコーチ選びで失敗した。だから僕は、選手の個性や特性に合わせて、立ち位置もメニューもコミュニケーションも変えられる、自分が正解を持つんじゃない、“選手それぞれの答えを作る”コーチになりたい」と話す、その指導の信念を。
AIでメニューは組めるが「選手の心情」はわからない
6年前、新谷仁美に聞いた言葉が、頭の片隅に残っている。「横田真人は良いコーチか?」と聞いた際の返答だ。一瞬「うーん」と考え、彼女は口を開いた。
「世界陸上とかオリンピックのスタートラインに立ってるのが、私としては一番信用できるポイントでした。あの場に立ったこともないのに、いろいろ指導してくださる指導者は多い。でも、横田さんは経験している分、中途半端な発言をしない。それが信用できた理由です」
横田真人は現役時代、18歳で日本選手権800m初優勝。2012年のロンドン五輪では、800m日本男子44年ぶりの出場を飾ったが、予選敗退。その後アメリカでパフォーマンス再構築を目指した。しかし、以降は日本選手権を制することなく、2016年に引退。通算では日本選手権6回優勝、世界陸上2大会(2007、2011)出場と、輝かしい実績を持つ。
ただ、横田が注目を集めたのは引退後である。
米国公認会計士の資格を有し、NIKE TOKYO TCコーチを経て、2020年「TWOLAPS TRACK CLUB」を創設。ユーチューブの積極活用、ネットラジオ出演などを通してスポーツビジネス分野で活躍している。自社で企画した陸上大会「MDC(ミドル・ディスタンス・サーキット)」で選手の価値創出を図るなど、中距離中心に陸上の価値を高め続けている。
その新谷の発言について、横田はどう感じるのか。一度聞いてみたかった。
「オリンピックの舞台に立った時の孤独は、経験した人しかわからない。“経験したからこそわかる”ものはやっぱりある。その“本気で目指したからこその重み”を、彼女なりに感じてくれているのかなとは思います」
「オリンピックを目指すためのトレーニングやメニューも、言ってしまえばAIで正しいものが誰でも作れる。でも、世界を本気で目指す過程には、言葉で表せないものがたくさんある。それをアスリートは、どれだけコーチやサポートがいても、最後まで一人で抱えることになる。『こうしたほうがいい』は常にあるけど、それをオリンピックを目指して本気で向き合う過程の中、今言うべきかはAIにもわからない。教科書にも書いてない。それがコーチングであり、人と人が向き合うことだと思っています」
2人の間にそこまでの信頼関係があるのは、横田もまた、現役時代にコーチ選びに苦労したからだ。陸上界では煌びやかに見える横田真人。彼が選手として抱えた原体験は、現在の指導にどう結びつくのか。その知られざる過去を、振り返りたい。
“痛みなくして成長なし”。成功の道を置いてアメリカへ
アメリカにこんな言葉がある。「No pain, no gain(ノーペイン・ノーゲイン)」。日本語で「痛みなくして成長なし」。横田真人の現役時代を表現するなら、私はその一言を挙げる。
2009年10月に21歳で800m日本記録を15年ぶりに更新した横田は、翌年富士通に入社。この頃から、すでに海外を意識しており、社会人1年目から短期でアメリカには行っていた。メニューなどリモートで出してもらい、2010年から本格的にアメリカへ。そして、1984年ロス五輪で金、1988年ソウル五輪で銀を獲ったジョアキン・クルス コーチに師事する。
そのころ、言われたのが、こんな言葉だった。
「『なんでコーチいないんだ』って言われたんです。一つの練習が自分の運命を左右するのに、自分の人生を託せる人がいなかった。この人だったら一緒にやってくれる、と思える人がいなかったんです」
「それを伝えたら、『宗教は信じているのか』と聞かれた。信じてないって言ったんです。そしたらコーチに『オリンピックはトラックに立った時、最後に信じられるものがあるかどうかだ。“この人が言ってくれたから大丈夫”とか信じるものがあるべきだ』って言われたんですよ」
「それが宗教だし、それがコーチだ。なんにもない、お前は勝てない」
そんな言葉を投げかけられ、自問自答しながらも、何人かのリストの中から「やっぱり金メダリストのとこに行きてえ」と考えて選んだコーチ。最初はマンツーマンで指導されたこともあり、結果はついてきた。2012年のロンドン五輪出場もこの頃である。
選手の個性に合わせて、自分を変えられるコーチになりたい
オリンピックは予選敗退だったが、まだ25歳。伸びる余地はある。だが、結果的にオリンピック後からは、トレーニングチーム「サンタモニカトラッククラブ」に移籍。自分で探したクラブだが、指導が個別でなくなり記録も伸びず、日本へ帰国。2016年に29歳で引退した。
一連を振り返り横田は、「そのコーチ(クルス コーチ)にずっと教わっていたらよかった」と本心を話す。
「走れてたし、自分に合わせてメニューを組んでくれた。当時は『これ自分に合ってるのかな』って感じる部分もすごくあったけど、今思うと、僕が徐々にできるように組んでくれていたとわかる。トレーニングパートナーがいるチームでは、出されたメニューでやるのが当然。それは僕に合わせたメニューじゃなく、チームに出したもの。自分のペースで成長していくほうを選べば良かった、とは思います」
そして、もう一つ気づいた問題点は、「コーチとのコミュニケーション」だった。
「クルスさんは、僕が納得するようにコミュニケーションを取ってくれた。なぜ、これなのか、説明してくれた。僕は結局、納得して物事を進めたいタイプなんです。なぜこれをやるのか、なぜ今必要なのか、理解してやりたい。そういう本質を理解した上で、誰と一緒に競技を続けるか。それを考えていれば、結果はもっと違ったかもしれないと思っています」
いくつかの反省を経てたどり着いた結論。それこそ「コーチってすごく大事」である。
「コーチっていろいろなものを左右する存在だと思ってて。自分がコーチをやるとなった時、その選手の個性や特性に合わせて、自分を変えていけるコーチになりたいと思ったんです」
それを学んだアメリカでの経験は「本当に大きかった」と、横田は話す。
ふんぞり返っていると、数字でしか見なくなる
その反省は横田が代表を務めるTWOLAPSの「選手の声を聞くところからすべてが始まる」フィロソフィーにつながっている。
「指導に、メソッドや答えはない。それが正しいか今もわからないけど、僕はその形でやりたいんです。選手の一番いい形を模索する。僕がコーチ選びで苦労したからこそ、その思いを選手にはさせたくない」
「TWOLAPSも、目指したいものとか、やり遂げたいことが僕らの中にある。その中の1つが選手育成で、他にもMDCという大会を世田谷にどう根づかせるか、稼げるモデルの陸上大会をどう作るか、とかいくつかある。その中で大事にしているのは、一人ひとりにきちんと向き合うこと。キッズスクールも、一流選手の指導と子どもへの指導は全然違うけど、共通しているのはその理念」
「効率的にやろうとすれば、みんなに同じメニューをさせていればいい。でも、それぞれにメニューを出して、スケジュールも変えてやっていく。その非効率さに、コーチングとか人が育っていく本質があると思うんです。そんな思いを、伝えられたらうれしいですね」
そういえば、印象的なことが、もう一つあった。積水化学の選手たちを取材していて、時々話に出るのが「野口(英盛)監督や横田コーチは一緒に走ってくれるから説得力がある」との意見だ。現代スポーツの流れとして、プレーイングマネジャー(競技レベルが高い監督/コーチ)が支持される傾向が高いように思う。それも、“信用を得る”過程の一つなのだろう。
「こと陸上においては、シンプルにコミュニケーションも増えますね。一緒に走ると、共有する感情も増える。『ここでつらくなるぞ』とか、『きつそうだな』も感じられる。『一緒にやりきったよね』とか、共通の達成感もありますよね」
「それこそふんぞり返っていると、数字でしか見えなくなる。何秒で走ったとか。その良さもあるんですよ、客観的に見るとか。でも、選手ってやっぱり感情で動くじゃないですか。その意味で一緒に走るとか、一緒に汗流すとかは大事なのかなと思います」
横田コーチが目指すもの「自分が見れなかった世界を見たい」
横田真人コーチは、これから先、どこを目指すのか。
「一番は僕のエゴですけど、自分が見なかった世界を見たい。スポーツを地域に根づかせるとかいろいろ実現したいことはあるけど、僕らの1丁目1番地は『結果』。陸上競技を生業にしている企業だから、根幹はアスリートの結果が一番重要。だから、自分がコーチをやって、その目標が“僕の見たことない世界”だったら見てみたい。それを見られると思う選手しか、入れないようにしています」
「それは単純にオリンピックの金メダルだけじゃなくて、ダイヤモンドリーグ(世界陸連が主催する陸上競技最高峰の年間シリーズ戦)とか、いろんな大会、初めて行く場所もそうですよね。オリンピックだって予選と準決勝はきっと違う。そんな景色を、見られたらうれしいです」
ひとしきり思いを語ってもらったあと、最後に聞いた。アメリカ生活を含めて、最も苦しかったことは何だったのか。すると横田は、「自分自身を見てくれなかったこと」だと言った。
結果が出ないつらさではなく、環境でもない。一人の個として見られなかったことが、つらかったというのである。
逆をいえば、人はちゃんと自分を見てくれる誰かさえいれば、生きるつらさを軽減できるのかもしれない。それはしかし、見つける方も見守る方も、簡単なようで、とても難しいことなのだと思う。
それでも、“非効率さ”を求める横田真人とTWOLAPSメンバーなら、各選手の答えをきっと見つけてくれる。少なくとも私は、そう信じている。
<了>
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