
「トイレの汚さだけは慣れないけど…」アルゼンチンで一人奮闘、苦悩も充実の日々。日本人初プロサッカー選手・江頭一花
ワールドカップ優勝国アルゼンチンでは、2019年にプロ化された女子サッカーも盛り上がりを見せている。そんな南米のサッカー大国に初の日本人プロ選手が生まれた。今季なでしこリーグの伊賀FCくノ一三重から、アルゼンチン1部リーグ・エクスクロジオニスタスへと移籍を果たした江頭一花だ。近年、失業率・貧困率ともに増加の一途をたどり、決して治安もいいとはいえないアルゼンチンの地で、一人奮闘する20歳の日本人女子サッカー選手。彼女はいったいどのような生活を送っているのだろうか?
(インタビュー・構成=栗田シメイ、写真=Manu G. Calabró、取材協力:株式会社無双ARGENTINAC.F.)
サッカー強豪国とはいえないアルゼンチンでの挑戦
それは飛行機で30時間以上も離れた、地球の裏側の地での出来事だった。
20歳のヤングなでしこのデビュー戦は、アルゼンチン・ブエノスアイレスの多くの地元メディアでも報じられた。今回取材に応じた日本人初のアルゼンチン女子プロリーガーとなった江頭一花の表情は、充実感に満ちていた――。
江頭にとって、プロとしてのデビュー戦。3月13日に開催された強豪リーベル・プレートとの試合に2トップの1角として出場した江頭は、フル出場を果たす。単独のドリブル突破からあわやゴールというチャンスも作り出し、MVP級の活躍を見せた。
アルゼンチンリーグは、日本のWEリーグより1年早い2019年よりプロ化となっている。男子と比べると世界的にはまだサッカー強豪国とはいえないが、江頭はあえてその環境に飛び込むことを選んだ。そこから見えてきたアルゼンチンのリアル、日本の女子リーグとの環境の違い、デフレに揺れる国内での生活、そして女性アスリートならではの苦悩を聞いた。
値段が一日で大きく変わるのには慣れた。だけどトイレだけは…
――まず、なぜアルゼンチンという国で挑戦することになったのかを教えてください。
江頭:私の場合、日本でもなかなか試合に絡めていない現実がありました。それで、「チャンスがあるのなら、海外に行きたい」と。一方では、そんな自分がアルゼンチンに行くということで周りからどんな見られ方をするのか、という葛藤もありました。ただ、伊賀のチームメートたちが「自分の直感を信じたほうがいいよ」と背中を押してくれて吹っ切れました。今では、自分の選択はめちゃくちゃ正しかった、と思えます。
――アルゼンチンという国にどんな印象を持っていましたか?
江頭:正直、何も印象がない中で来たんです(笑)。せいぜい(リオネル・)メッシや(ディエゴ・)マラドーナの国くらいの知識で。親からもすごく反対されましたし、何でブラジルじゃなくてアルゼンチン?みたいな。それで実際に来てみると、物事すべてにおいてすごく激しい……。
実はリーベル戦の前の週にデビューを言い渡されていたんですが、開始前に急遽中止になったことがあるんです。アルゼンチンでは警察、消防車、救急車がそろわないと試合ができないんですが、この日は渋滞か何かで消防車が来なくて……。そしたら相手チームと自分のチーム、審判団が入り乱れる言い合いになって、それが1時間くらい続いて結局中止(笑)。ただ女子リーグの人気も非常に高くて、普通にテレビ放送があるんですよ。それは日本だと考えられないことでした。
――アルゼンチンでの生活が始まって1カ月が経ち、少し慣れてきましたか?
江頭:スペイン語もまったくわからない中、今では1人で買い物に行き、練習場までバスで行けるくらいにはなりました。練習場まではバスに30分乗って、そこから15分くらい歩くんですが、何とかたどり着けるようになりましたね。経済状態が悪くて、バスの乗車運賃が一日で大きく変わったり、スーパーでも毎日のように値段が変わる。でも、それも慣れました(笑)。ただトイレの汚さだけはどうしても慣れないですけど。そもそも設計がおかしくて、ドアから便座も近すぎるし、何でこんなところにトイレットペーパーが?というような設計なんですよ(笑)。
36歳で3人の子どもを育てながら続けている選手も
――なでしこリーグ(WEリーグの下位リーグ、実質2部)では、大半の選手が働きながらプレーしている環境です。アルゼンチンの場合はどうですか?
江頭:私がいた伊賀はすごく恵まれた環境で、朝から14時まで働き、その後15時から練習ができるというチームでした。私は車の部品工場で事務をしていたんですが、試合の翌日は有給もしっかりもらえるという。でも、大半のチームはフルタイムで働いて夜に練習という感じです。
アルゼンチンが日本と違うのは、チームのスポンサーさんのところで働くというよりは、みんなそれぞれが別の仕事や生活をしているということです。ただプロとはいえ、日本円で月給10万円を超えるような人はそんなに多くはないのかな、と。なかなかサッカーだけで食べていくのは難しいことは一緒です。あとはお子さんがいる人も多くて、なかには36歳で3人の子どもを育てながら続けている選手もいます。
――子どもが3人いて現役アスリートはすごいですね。
江頭:しかもめちゃくちゃ筋肉ムキムキなんですよ(笑)。こっちは筋トレをすごく重視することもありますが。あと、他にも子どもがいる選手はうちのチームだけで3人もいるし、アルゼンチンでは珍しいことではないみたいで。日本の常識だと考えにくいですよね。
とにかく筋トレの時間が長いトレーニング事情
――単純に日本との比較で考えたとき、サッカーのレベルはどう捉えていますか?
江頭:基礎技術に関しては、日本のほうが間違いなく高い。でも、ここぞという時に化け物じみたプレーが出るのは、アルゼンチンなんですよね。練習で身についたものではなく、本能的に出るプレーというか。勝つための最善のプレーの選択、という点が個々でできる選手が多いんです。本当に驚くようなプレーが飛び出るのはアルゼンチンかな、と。実際にアルゼンチンリーグからヨーロッパにステップアップする選手もいますし、うちのチームからもいました。あと、とにかくフィジカルが強いということも痛感しています。ベースにはやはり純粋な身体能力の高さがあって、それを鍛えるという習慣もあるのだと思います。
――練習メニューや環境面はどうでしょう?
江頭:基礎練習なんかはほとんどしなくて、実践形式が多いです。あとはとにかく筋トレの時間が長い(笑)。本当に毎日ですから。練習時間は90分と短いんですが、内容はキツいですよ。芝は人工芝がかなり深くて、そのぶんだけ余計にフィジカル的な要素が問われます。
選手たちはコーチの目線など気にせず下着姿で…
――サッカー以外の部分でギャップを感じたことはありますか?
江頭:服装ですね。日本だと考えられないんですが、みんな驚くほどお腹を出した服を着ているんですよ。それも決してスマートな体型ではないというチームメートも。みんなコーチの目線など気にせずスポブラでそこらじゅうを歩き回っていますし、練習場では基本みんな下着だし、終わったらささっと服だけ着替えてそのまま電車に乗って帰っちゃうみたいな(笑)。最初は「えっ〜 !!」と驚きました。私は当然そんなことできないし、そこはすごいギャップでしたね。
――ラテンですね(笑)。でも、そんな環境が苦にはならないのですか?
江頭:私、高校までずっと男子に交じってサッカーをやっていたんです。それでなでしこリーグに入って、上下関係とか、女性のなかでのルールというようなものに慣れなくて悩んだ時期もあって。もともと考えて何かするのが苦手で、直感的に行動したいタイプなんです。それがアルゼンチンに来て、みんなおっぴろげというか。言葉はわからないけど、みんなすごくフラットで面倒見がよく、優しさもある。だから、なんだかんだでアルゼンチンという国は自分には合っているのかな、とは思います。
アジア人の女性というだけで好奇の目を向けられることも
――ブエノスアイレスは決して治安がいい場所ではないですが、女性アスリートならではの苦労などはありますか?
江頭:アジア人の女性というだけでこの街ではすごく目立つんですね。特に私は身長も大きくないですから、ナメられるというか、好奇の目を向けられることも多くて……。今は通訳さんがいろいろ面倒を見てくれているんですが、それでもホームレスの人がずっと後を付いてきたりするようなこともあって。特に夜は危ないから、20時以降は外に出ないようにしています。
あとは、食材ですね。鶏肉が頭だけは切られてはいるものの、本当にそのままの状態で置かれていて、それを捌くという経験は地獄でした……。今は日本から持ってきている手持ちがあるのでそれほど苦労はないですが、今後買い物とかは困る部分は出てくるかもしれません。
――アルゼンチンでのキャリアを経て、今後どのようなステップを踏んでいきたいですか?
江頭:まずは今のチームでしっかり試合に出続けて、サッカーだけでやっていけるようになりたいです。その先にヨーロッパのチームでプレーするということがついてきたら理想的ですね。実際に、そんなステップを踏んでいる選手もいるし、私もできる、というふうに少しづつ手応えは持ち始めています。
フィジカルの強さや文化、評価されるポイントは違いますが、逆に私の武器であるドリブルはそんな相手だから生きる部分もあるということもわかってきました。今はとにかく毎日が楽しくて充実しているし、アルゼンチンという環境でも成長できるんだ、ということをプレーでみんなに届けていきたいです。
<了>
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[PROFILE]
江頭一花(えがしら・いちか)
2002年6月18日生まれ、滋賀県出身。アルゼンチンリーグ・エクスクロジオニスタス所属。ポジションはフォワード。伊賀FCくノ一三重サテライトを経て、2022シーズンより伊賀FCくノ一三重でプレー。2023年より日本人初のプロ契約選手として、アルゼンチン女子サッカープロ1部クラブであるエクスクロジオニスタスでプレーする。
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