
岐路に立つ「オリンピック帝国主義」。開催困難があぶり出すIOCの支配体制は終焉へと向かうか?
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐる混乱が東京2020オリンピック開催の是非にまで影響を及ぼしている。当初「予定どおりの開催」以外の選択肢を頑として認めなかった国際オリンピック連盟(IOC)、日本オリンピック委員会(JOC)、大会組織委員会だが、その周辺では、延期や中止の可能性を示唆する声も聞かれ始めた。作家・スポーツライターの小林信也氏は、この問題が長年、世界のスポーツ界に巣くっていたIOCによる“帝国主義”の終焉につながる可能性があると指摘する。
(文=小林信也、写真=Getty Images)
オリンピックの今後に大きな影響を与える大会の行方
オリンピックの延期説が俄然、浮上している。
つい先日まで、「予定どおり実施」と強く主張していたIOCが論調を変えたのは、選手たちの間から、「この世界情勢の中でオリンピックの実施を主張するのは傲慢だ」という指摘が数多く発信され始めたからだ。
アメリカ、ヨーロッパをはじめ世界各国、各都市で非常事態宣言や外出禁止令が出され、サッカーのUEFA欧州選手権(EURO)、南米選手権(コパ・アメリカ)も来年に延期が決まる中、「オリンピックだけは予定どおり実施する」のはどう考えても理に合わない。
この先、IOCがどのように決断し、どうアナウンスするかは、オリンピックの今後にも大きな影響を与えかねない情勢になってきた。
オリンピックのブランド価値は依然として高い。世界中のどのスポーツイベントよりも最上位の価値と人気が認められているといっていいだろう。特に日本ではオリンピック信奉は絶対的で、揺るぎない。世界的には日本ほどオリンピック信仰は厚くないともいわれるが、オリンピックに匹敵する世界規模のスポーツイベントとなると、サッカーのワールドカップ以外には見当たらない。
これは100年を超える歴史と伝統、さらには各大会を彩った選手たちの躍動の賜物であり、『平和の祭典』を標榜するオリンピックの理念がもたらす存在感でもあるだろう。
スポーツ界を牛耳る「オリンピック帝国主義」
さらに、現在のビジネス的な隆盛は、1984年ロサンゼルス大会から導入された収益システムと商業主義によるものだ。
実はオリンピックがこの商業主義をまとってから、大きく変わった方向性がある。
それは、オリンピックそしてIOCが、まるで世界のスポーツ界の大きな傘であるかの影響力を持ち、意図的に各競技連盟を傘下に収めるような動きになっているところだ。
従来、オリンピックはあくまで4年に一度の祭典であり、これに集う競技は限られていた。だが、商業主義に舵を切り、「オリンピックが世界最強・世界最高の総合スポーツ競技大会でなければいけない」という意識を高めたIOCは、それまで拒絶していたプロフェッショナルの参加をむしろ歓迎し、オリンピックが「真の世界一決定戦」であるよう努力を重ねてきた。
話題となったバスケットボールのアメリカ『ドリームチーム』もこうした流れで生まれた現象だ。長くオリンピックの種目ではなかった卓球、テニス、バドミントン、ゴルフなどの人気競技がオリンピックに迎えられたのもその一環だ。
過度の肥大化は警戒しながらも、世界の誰もが知っている人気種目がオリンピックにないのは世界一のスポーツの祭典としては不十分だ。そのため、IOCは、ほぼすべての人気競技の正式種目化を図り、プロも含めて、すべてのトップ選手が参加する環境を整えてきた。
オリンピックには賞金も出場料(アピアランスマネーのギャランティー)はないが、各競技団体が報奨金を用意するなど、事実上の賞金や報酬を認めている。また、金メダルを獲得すれば、CM契約など多額の報酬を得られることが過去の実績で証明されているから、選手にとってオリンピックは最高の成り上がりの舞台だ。
そうした流れの中で、「オリンピック帝国主義」と呼んでいい状況が世界のスポーツ界には発生している。すべてはオリンピックを中心に回る。オリンピックがあらゆるスポーツの最上位に位置し、各競技団体もこの頂点に向かって活動を計画する。
端的な例はルールの支配だ。
例えばアーチェリーはかつて、90m、70m、50m、30mの4カ所から36射ずつ射る競技方法だったが、オリンピックの大会ごとに簡素化され、いまオリンピックでは70m一カ所で競われるシンプルな競技方法が採用されている。
トライアスロンは元々「鉄人レース」とも呼ばれ、水泳3.8km、自転車180km、ランはフルマラソン(42.195kmキロ)の超長距離が基本だったが、オリンピック向けに計51.5km(水泳1.5km、自転車40km、ラン10km)の「オリンピック・ディスタンス」と呼ばれる距離が競技のスタンダードとされるようになった。オリンピックが基準とする「2時間以内」というサイズのため、長年の伝統あるルールさえも変更されている。オリンピックが競技の核心にまで手を突っ込んでいるわけだ。
野球は2020年の東京大会で最後だと言われている。もし復活があるとすれば、9イニングが7イニングになるだろうとも予想されている。これも時間的な制約のためだ。
オリンピック種目かどうかが死活問題に
各競技団体は、なぜそこまでしてオリンピックの軍門に下り、言いなりになるのか?
それは、現在のオリンピックの人気や隆盛がある限り、「オリンピック種目から外れたら競技にあらず」といった風潮があることも一因だ。
日本の女子ソフトボールの変遷を見れば如実にわかる。
北京五輪で金メダルを獲得した日本代表は、あのとき、感動と賞賛の極みにあった。中でも上野由岐子投手の連投は日本中を感動させた。ところが、以後、オリンピック種目から外れると、新聞、テレビの扱いは激減した。
日本の報道各社が、オリンピック種目かどうかで扱いの大きさを決める姿勢を持っているからだ。2012年、2014年の世界選手権でも日本代表は金メダルを獲得。上野投手は北京五輪にまさるとも劣らない熱投を重ね、優勝に貢献した。しかし、活躍ぶりはほとんど報じられなかった。そのため、ソフトボールの普及や活性化に大きな障害が出る、これが現実。だからこそ、ソフトボールは是が非でもオリンピック種目に復帰したいと躍起になるわけだ。
IOCだけでなく、メディアまでがオリンピックの帝国主義を煽っている。だが、日本の大手新聞4社がオリンピックのオフィシャルパートナーであることを考えればそれも仕方ない。つまり、新聞各社もそしてもちろん大手テレビ局全局も、オリンピックビジネスを一緒に盛り上げるパートナーだから、オリンピック帝国主義が盤石になればなるほど展望が開けるのだ。
IOCと五分にわたりあっている数少ない競技団体は国際サッカー連盟(FIFA)だ。サッカーは年齢制限を設け、真のトップチームが参加はしない。それによって、ワールドカップをはじめ、各大陸選手権などとの格差をつけている。こうした競技団体はほかにはあまり見当たらない。ほとんどがIOCに従属している。なぜなら、巨大化するオリンピックビジネスで集めたお金の多くは、IOCから各競技団体に分配されているからだ。
JOC元参与の春日良一さんは、「IOCは営利団体ではありません。収入の7%をプールするだけで、他は支出に充てられます。中でも各競技団体への分配金は、1日平均で3億円を超える額になります」と話す。IOCから各競技団体への分配金は年間1200億円を超える。つまり、毎日、3億円もの大金が、IOCから各競技団体に渡されている計算になる。資金力の乏しい競技団体にとって、IOCが集め、下賜してくれる大金は重要な資金源になっているのだ。こうやって、IOCと競技団体の主従に近い関係性が築かれている。
IOCは世界スポーツ連盟ではないが、結果的にそれに等しい存在になってきたのだ。
オリンピックの今後を左右する新型コロナをめぐる状況
だがいま、新型コロナウイルス対策で、オリンピックの開催が案じられている。IOCはずっと強行姿勢を崩さなかったが、最初に記したとおり、最近になって姿勢の転換を迫られている。それは、オリンピックのブランドをこれまで同様に維持するため、選手たちの支持は絶対に必要だからだ。
そして、オリンピック帝国主義を維持しなければならない。ここで誤った選択、決断をすれば、一挙にオリンピックの信用や価値を失う恐れもある。それは絶対に回避しなければならない。
私は、7月に予定どおり開催できない場合の延期の時期を「今年の秋」と推測するようになった。なぜなら、年内であれば、オリンピック憲章にない「延期」ではなく、「日程変更」という扱いで済む。1年後、2年後となれば出場選手の顔ぶれは大きく入れ替わるだろうが、今年中ならほとんど同じ選手たちが出場できる。選手たちからの不満は最小限に抑えることができる。しかも、1年後、2年後となれば、スポーツ界だけでなく、スポーツに関係ないところまで影響や犠牲が及び、果たして賛同を得られるか確証はない。
秋の開催はIOCの収入の約半分を占めるアメリカのテレビ局NBCの賛同を得られるかと危惧する声もあるが、その見方は短絡的だと思う。2014年の契約延長を経て、NBCは約20年にわたり、計10大会の放映権契約を交わしている。その中の1大会がイレギュラーな実施になっても、オリンピックブランドを維持する方がはるかに重要だ。
20年契約ということは、クライアントでもあるが、ほぼIOCとオリンピックを共催するビジネスパートナーといってもいい。そのNBCが1大会の不都合や減益より、オリンピック帝国主義の維持を優先するのは当然ではないだろうか。
いまIOCは、オリンピック帝国を維持できるかどうか、これまでに経験のない状況に直面している。もし判断を誤れば、オリンピックの支持や人気を大きく失いかねない。だが、世界が新型コロナウイルスを克服し、秋までに平常に近い生活や移動が回復したならば、それの後に行われるオリンピックが世界の祝祭として、また新たな意味を持ち、世界の人々の心に強い思いを刻み付ける可能性は大いにある。
すべては新型コロナウイルスの動静にかかっているが、オリンピックの未来がかかわっているのもまた確かだと思う。
<了>
マラソン札幌開催は「当然」の決定だ。スポーツの本質を踏み躙る「商業主義」は終わりにしよう
「不謹慎ばかりでは前に進めない」 藤田俊哉が見る、東京五輪と欧州リーグの行く末
なぜ日本のスポーツ報道は「間違う」のか? 応援報道と忖度、自主規制。
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