2度の引退を経て再び代表へ。Wリーグ・吉田亜沙美が伝えたい「続けること」の意味「体が壊れるまで現役で競技を」

Career
2024.03.08

高校卒業後に、女子選手の競技登録者数が激減してしまう――女子スポーツ特有の課題を抱える競技の一つがバスケットボールだ。スポーツ用品を手がける株式会社モルテンは、「KeepPlaying」プロジェクトを通じてサポートの輪を広げている。2月上旬にハンガリーで行われたFIBA女子オリンピック世界最終予選で、日本は強豪のスペインとカナダを破り、3大会連続のオリンピック出場を決めた。最年長選手としてチームの精神的主柱となった吉田亜沙美選手は、キャリアで2度の引退と復帰を経験。そして36歳の今、「体が壊れるまで現役続行」を宣言する。最前線で戦い続けてきたキャリアの転機と、競技生活を離れて過ごした「大切な時間」について話を聞いた。

(構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=Wリーグ)

パリ五輪への切符を獲得「チームワークは世界一」

――吉田選手はバスケットボール女子日本代表の一員として、2月上旬にハンガリーで行われた「FIBA女子オリンピック世界最終予選」でパリ五輪出場権を獲得されました。改めて、厳しい予選を勝ち抜いた思いを教えていただけますか?

吉田:決して楽な戦いではなく、一戦一戦が本当に苦しいゲームでした。その中で日本の強みや良さを出し切った結果だったと思いますし、何より私自身、代表で仲間とバスケットができてすごく楽しかったです。今回の予選に出場したのは12名でしたけど、残らなかったメンバーの分まで戦って、オリンピックの切符を勝ち取れたことは非常に嬉しかったです。

――吉田選手自身は、チームの強さをどんなふうに感じていましたか?

吉田:「走り勝つシューター軍団」というコンセプトの通り、どのプレーに関しても走り勝つことを意識しましたし、ビッグマンも走れるチームだったので、そこは今大会のチームの魅力だったと思います。1番(ポイントガード)から5番(センター)まですべてのポジションの選手がスリーポイントシュートを打つことができて、2番(シューティングガード)、3番(スモールフォワード)は切り込んでいける選手とシュートに特化した選手がいて、ビッグマンもスリーポイントを打てるから、相手のディフェンスを外に引き出してドライブもできるので、どこからでも攻めることができる。その上で、選手たちがアイデアを出し合って戦うことができていましたし、チームワークは世界一のものがあると自信を持って言えます。

――吉田選手の振る舞いやリーダーシップもチームに落ち着きを与えていたと思います。

吉田:私はポイントガードで、ゲームメイクの部分はもちろんですが、チームの戦い方や、「ここが大事」という時間帯を考えなければいけないポジションです。以前は代表でもスタートで出ていたのですが、今は控えなので、メインガードをどれだけ長い時間休ませるかを考えながら、チームをまとめる役割にフォーカスできたことはありがたかったです。短期決戦では精神面も非常に重要ですし、大事な試合であることはもちろんみんながわかっていると思いますけど、より引き締めるという意味で、声がけや試合中の立ち振る舞いなどの面でサポートを意識していました。

――個性際立つ選手たちが多い中で、吉田選手のピンクのベリーショートヘアーが一際目立っていました。これまでも青や白などいろいろなヘアカラーやスタイルにチャレンジしてこられましたが、今回のヘアスタイルにはどのような思いを込められていたのですか?

吉田:どこかで目立ちたいなと思ったときに、今はプレーではなかなか目立つことができないので、髪やシューズで目立つことはもともと意識してやってきました。ベリーショートにしたのは、気持ちの部分で気合を入れる意味があったのですが、Wリーグの開幕戦のときにピンクと青と迷って、そのときはチームカラーである青にしていたので、代表のときはピンクにしてみました。

引退→復帰後に代表選出「諦めなくてよかった」

――吉田選手にとって、バスケットボールの魅力はどんなところですか?

吉田:仲間とつながれるところです。私自身、大好きなバスケットボールを通じていろいろな形で仲間と出会えてつながることができました。私の性格上、バスケットボールをやっていなかったら、誰かとこんなに深く話すことはなかったと思います。一つのボールを仲間と守って、オフェンスの時には仲間とともに決め切るので、本当に仲間の存在が大きいスポーツだと思っています。

――バスケットボールも、他の競技同様、高校を卒業後に女子選手の競技登録者数が減少してしまうというデータがあります。「KeepPlayingプロジェクト」の活動についてはどのような印象がありますか?

吉田:Wリーグの選手として、一人のバスケット選手として、多くの選手たちに競技を続けていってもらいたいという思いがありますし、すごく素敵なプロジェクトだなと思っています。もちろん個人の事情があると思うのですが、諦めてほしくないし、後悔してほしくないという思いがあります。私自身、引退してからまた復帰して、諦めずにプレーして日本代表にも選ばれたので、「諦めなくてよかった」という思いがすごくあるんです。だからこそ、このプロジェクトを一人でも多くの人に知ってもらって、「続けたい」と思ってもらえれば嬉しいですね。

――吉田選手は高校生から代表入りされて、Wリーグでも多くのタイトル取ってこられましたが、2019年と2021年に引退を決断されています。当時の転機とご自身の思いについて、改めて教えていただけますか?

吉田:一番最初に引退したときはJX-ENEOSサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)に所属していたのですが、勝ち続けなければいけないチームで、優勝するのが当たり前と思われている中でバスケットを続けることに、気持ちの面で疲れてしまった部分がありました。肉体的にはまだできたと思いますが、なかなか気持ちの部分でついていかなかったんです。それと、リオ五輪に出場した時に夢だったオリンピックでベスト8まで行って、「次の目標は東京五輪」というふうに考えられなかったので、引退を決めました。

競技から離れて気づいたこと「心も体もリフレッシュできた」

――引退後の心境の変化についても教えていただけますか?

吉田:最初の引退の後は半年間バスケットから離れたのですが、心も体もリフレッシュできた、私にとってとても大事な時間でした。その間に代表の練習や親善試合を見に行ったり、カテゴリー関係なく、ミニバスから大学までいろいろな練習や試合を見ました。それで、だんだん自分の気持ちにも余裕が出てきた時に、代表の親善試合をもう一度見たんです。そこで、「もし自分が東京五輪でユニフォームを着てプレーしたら、どんな景色なんだろう?」ということに興味を持つようになって。その後、いろいろな人に相談して、東京五輪を目指して復帰を決断しました。

――自分の気持ちと丁寧に向き合った中での決断だったのですね。ただ、東京五輪はコロナ禍で1年間、延期となってしまいました。

吉田:「東京五輪のために頑張ろう」という思いで復帰を決めたので、延期が決まった時にはそのメンタリティを1年間、保持し続けることが難しいと感じました。復帰後数カ月でWリーグが始まったこともあって、当時は肉体的な面でも難しさを感じていたんです。それで、悩み抜いて東京五輪を断念した時に、2回目の引退を決断しました。

――2度目の引退の後は東京医療保健大学でアシスタントコーチをされていましたが、違う立場を経験されたことで考え方が変化した部分はあったのでしょうか?

吉田:はい。指導することにずっと興味はあったのですが、いざ指導者になってみると、それまで感覚でやっていたバスケットを「言語化して選手に伝える」ことがなかなかできなくて、それが自分の課題でもあったので、本当に難しかったです。ただ、伝え方を変えてみたり、じっくり考えて伝えたりしていく中で、選手が理解してくれて、本人の力を発揮できたときは、自分がプレーしてうまくいくよりも嬉しさや楽しさを感じたんです。そうやって、指導者として選手たちと向き合ってバスケットを教えることはすごく楽しかったですね。

――その後、23年4月に、Wリーグのアイシンウィングスで2度目の復帰を果たしています。この時はどのような経緯だったのですか?

吉田:復帰の話を受けた時には「3年近くもブランクが空いたから無理だろうな」と思い、悩んだのですが、「今しかできないことってなんだろう」と考えたときに、「指導者はもう少し後でもできるな」と。それに「1年後に復帰しようと思っても、絶対にできない」と思ったので、一歩を踏み出して復帰するという決断に至りました。

「休んでみる」ことで競技への想いや考え方が変わった

――トップレベルで戦い続けることがいかに大変かが伝わってきます。現在はデンソー アイリスに所属している馬瓜エブリン選手も2022-23シーズンに1年間の休養宣言をした後にWリーグと代表に復帰しましたが、吉田選手や馬瓜選手のように一定期間「休んで競技から距離を置く」という選択も、長い目で見て競技を継続するための一つの選択肢になりますね。

吉田:そうですね。もちろん、そのまま続けていけることがベストではあると思いますけど、私やエブリンのように、半年や1年間の大事な期間を過ごすのも一つの方法だと思います。ずっと勝負の世界に生きてきたので、私はやめた時に日常に刺激が足りないと感じて、「バスケットをまだやりたいんだな」という思いを再確認できましたし、勝ち続けなければいけないチームにいたからこそ、「もっと楽しめばよかったな」と、違う考え方もできるようになったので。本当にわがままな部分もありましたけれど、私自身にとってすごくいい時間になりましたし、一度競技から離れてみることが私には合っていたんだと思います。

――今は「楽しむ」ことも大切にされているんですね。今後のキャリアは、どのようにイメージされていますか?

吉田:最後のチャンスだと思っているので、体が壊れるまで現役で競技をやりたいと思っていますし、今のアイシンウィングスというチームで出会えた仲間たちも、私自身の人生においてすごく大きな存在なので、この仲間たちと一試合でも多くバスケットを楽しみたいと思っています。あとは、パリ五輪という目標と夢ができたので、メンバーに選ばれるように頑張ること。それが今の一番のモチベーションになっています。

【後編はこちら】大学卒業後に女子選手の競技者数が激減。Wリーグ・吉田亜沙美が2度の引退で気づいたこと「今しかできないことを大切に」

<了>

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[PROFILE]
吉田亜沙美(よしだ・あさみ)
1987年10月9日、東京都出身。プロバスケットボール選手。Wリーグのアイシンウィングス所属。ポジションはポイントガード。東京成徳大高校からWリーグのJOMO(現:ENEOS)に入団。1年目から活躍し、高校3年生から日本代表に選出。リオ五輪ではキャプテンとして日本代表を20年ぶりのベスト8に導き、自身はアシスト王に輝いたが、2019年3月に引退を決断。東京五輪を目指すため、同年9月にJX-ENEOSで再び復帰するものの、五輪が延期隣、21年2月に2度目の引退を決意。東京医療保健大学で指導者の道に進んだが、23年4月にアイシンウィングスで2度目の復帰を決意。今年2月のFIBA女子オリンピック世界最終予選では最年長選手としてチームを牽引し、パリへの切符を勝ち取った。

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