高校卒業後に女子競技者が激減するのはなぜか? 女子Fリーグ・新井敦子が語る「Keep Playing」に必要な社会の変化
女子スポーツの課題の一つに、高校を卒業後に選手の競技登録者数が激減してしまうことがある。その背景には、環境面における選択肢の少なさやケガの影響、ジェンダーギャップやセカンドキャリアなど、さまざまな問題がある。スポーツ用品を手掛ける株式会社モルテンは、競技継続を支える「KeepPlaying プロジェクト」を2021年にスタートし、サポートの輪を広げてきた。各競技の第一線で輝きを放ち続ける女性アスリートたちは、どのような経緯で今のキャリアを選び、“KeepPlaying”を実現してきたのだろうか。日本女子フットサルリーグのさいたまSAICOLOでフットサル選手としてプレーする新井敦子選手に、自身のキャリアの転機とともに「女性が好きな競技を続ける」ためのアイデアを聞いた。
(構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、トップ写真提供=さいたまSAICOLO、本文写真提供=新井敦子)
職場から100キロ移動して週3〜4回の練習へ。「理解ある環境がありがたい」
――新井選手にとって、スポーツの魅力はどのようなことですか?
新井:もともとはサッカーをしていたのですが、あまり足が速い方ではなくて、フィジカル的に勝てない部分が大きかったのですが、フットサルはピッチが狭いこともあり、予測やポジショニングなどを工夫することでフィジカル的な不足をカバーできることが大きく、そこに魅力を感じています。また、フットサルの試合は1チーム5人で行われるため、一人がボールに関わる頻度や責任が大きくなること、ゴール前の攻防が増えること、わずか数秒でゴールが生まれることなども魅力だと思っています。
――高校卒業後にさまざまな競技で女子アスリートの競技登録者数が激減してしまうという問題がありますが、「KeepPlayingプロジェクト」の活動についてはどのような印象を持っていますか?
新井:素敵な取り組みだと思います。スポーツは人が集まって対面で行われるイベントなので、競技者同士や観戦者同士でコミュニティが生まれ、交流する場を生み出すことができます。学校を卒業すると、仕事や家庭と、コミュニティが限定されがちですが、スポーツをすることでいろいろな人と交流できたり、日常生活への刺激になったりと、人生に彩りが生まれると思います。また、年齢が上がるにつれ、女性でスポーツを楽しんでいる人が減ってきていると感じます。様々な立場の人でも気軽にスポーツを楽しめるプラットフォームがあったらいいなと思います。
――新井選手が所属するさいたまSAICOLOは、どのぐらいのペースで練習をしていて、お仕事とはどのように両立しているのでしょうか。
新井:平日練習が週2回と土日にあるので、週に3、4回通っています。拠点はさいたま市内ですが、自宅や勤務先は埼玉県外になります。そのため、練習の時は毎回100km近い道のりを運転して練習に通っています。練習がある日のスケジュールは、午前8時に出勤、17時すぎに退勤して、車で下道で2時間半かけて練習に向かい、20時~22時で練習をして24時すぎに帰宅。1時~1時30分ごろに就寝しています。練習がない日に、仕事と体のケアを行っています。
――練習日はハードスケジュールですが、両立するためのサイクルができているんですね。さいたまSAICOLOでプレーするようになった経緯や、チーム選びで重視したことを教えていただけますか?
新井:日本女子フットサルリーグのクラブで、仕事と両立できるのがさいたまSAICOLOだったので、入団しました。仕事と両立するうえで重視した条件は、車で通える練習場所と練習時間であることです。あとは、どうしても仕事の都合がつかない時はチーム活動をお休みさせてもらうのですが、スタッフもチームメイトも理解してくれているので、ありがたいなと思っています。
――さいたまSAICOLOは10代から40代までの選手がいて、WEリーグでプレーしたこともある選手がいるなど、受け皿が広い印象があります。
新井:おっしゃる通り、多様なバックグラウンドを持つ選手がいるところはクラブのいいところだと思います。スタッフ陣は個性豊かな選手がいることで苦労もあるかもしれませんが、選手同士がお互いの意見を尊重しつつ、刺激し合えるところが楽しいです。また、定期的にチームを応援してくれている人たちとフットサルを通して交流したり、地元さいたまのスポンサー様を通して地元の小学生と交流したりできるのも個人的な楽しみです。そして、力強いサポーターがいるのもさいたまSAICOLOの特徴だと思います。
卒業後に訪れたターニングポイント。「スポーツをしていた方が圧倒的に人生が楽しくなる」
――新井さんが大学時代にプレーしていた早稲田大学のア式蹴球部女子部は、過去7度日本一に輝いた強豪校ですが、所属していた当時はどのようなことを目標にしていて、卒業後の進路についてはどのようにイメージしていたのでしょうか。
新井:大学時代はそもそも試合に出ることが難しかったので、卒業後にサッカーを競技として続けるイメージを持つことは当時の私には難しかったです。とにかく4年間をやり切ることしか考えていませんでした。チームの目標がインカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)で優勝して日本一になることだったので、そのために自分ができることを探して、毎日の練習に必死になっていました。
――サッカーを続けるかどうかを考えた一番のターニングポイントはいつだったのでしょうか?
新井:まさに、高校卒業と大学卒業のタイミングで競技をやめようと思っていました。高校卒業の時は、たまたま希望の大学に合格でき、スポーツを続ける環境が得られたので継続しました。大学4年を修了したタイミングでは一度競技を離れたのですが、やはりスポーツをしていた方が圧倒的に人生が楽しくなると思い、再び始めました。
――大学卒業後に転機になったことはありましたか?
新井:仕事の都合で2022年~2023年にアフリカのウガンダに住んでいたのですが、日本とはまったく違う生活環境に戸惑い、スポーツをすることに疑問を抱くことがありました。ウガンダではまずは日々の生活を整えることに精一杯で、スポーツをする余裕がまったくなかったんです。しかし、女性がスポーツをすること自体が珍しく、限られた一部の女性しかスポーツができなかったので、私がスポーツを楽しむ姿を見せることで「そういう生き方もあるのか」と思ってもらえたらと思い、スポーツの普及活動に取り組んでいました。
ウガンダでの活動を通じて感じた「人間の逞しさとスポーツの素晴らしさ」
――ウガンダには体育教諭として派遣されていたんですよね。現地の人々と一緒にサッカーをする機会もあったと思いますが、人々の反応はどうでしたか?
新井:ウガンダでもサッカーはとても人気のスポーツで、特にプレミアリーグは大人気でした。プレミアリーグで活躍する日本人選手も有名で、私が日本人とわかると、アーセナルの冨安健洋選手の話などがよく出ました。しかし、ウガンダではサッカーやスポーツは男性がするものという意識が強く、私がサッカーをしているところを見ると「サッカーできるの!?」と、とても驚いた様子でした。
当時は週2回ほど、私自身がサッカーする環境を確保するために、社会人男性のチームに混ぜてもらってプレーしていました。
――それは貴重な経験ですね! 体育教諭としての活動はいかがでしたか?
新井:現地の活動では、主に仕事先の学校の生徒に体育の授業をしたり、サッカーを教えたりしていました。2つの学校に勤務していたのですが、一つはウガンダでも珍しく女子サッカー部がある中等学校(日本の中学・高校)で、もう一つは小学校の教員を養成する教員養成校で、女子はあまりサッカーをしない学校でした。教員養成校では、学校対抗の地域スポーツ大会に女子のサッカーチームを作って出ることになったので、短期間ではありましたがサッカーを教えていました。 写真の赤いユニフォームは、男子のユニフォームを借りたものです。運動靴を持っていない生徒が多いので、裸足でプレーする生徒が大勢いました。対戦チームにはスパイクを履いている人もいて、踏まれたり蹴られたりしても一生懸命プレーしていました。そんな選手のひたむきさに感動しました。
中等学校の女子サッカー部では、WEリーグのアルビレックス新潟レディース様から、サッカー用品の支援やオンライン交流会をしていただきました。普通に生活をしていれば絶対に出会うことのない、日本のサッカー選手とウガンダの女の子たちが交流することができたのもサッカーの力だと思います。アルビレックス新潟レディースの皆さんと話をした後は、「卒業後もサッカーを続けたい」と言う生徒がいたり、「海外リーグでプレーしたい」と話す生徒もいたりしました。
――サッカーに夢中になる生徒たちの姿を通して、スポーツが人々に与える力や希望を感じたのですね。
新井:はい。ウガンダは難民に寛容な国だったので、隣国の南スーダンやコンゴ民主共和国などからたくさんの難民がウガンダに来ていました。そんな難民の女の子たちや、ウガンダの孤児、ストリートチルドレンたちを対象に行われているサッカー教室にも何度か参加しました。笑顔の裏には、私たちが想像を絶するような人生を歩んできた過去があると知りましたが、それでもサッカーを楽しむ彼女たちの姿に人間の逞しさとスポーツの素晴らしさを感じました。
「好きなことを続ける」ために必要な社会の変化
――新井選手は、他の競技に転向してみたいと思ったことや、やってみたい競技はありますか?
新井:子どものころはサッカーの他に、水泳、柔道、バレーボールをしていました。その中でサッカーとフットサルを選んできたので、今はあまり他の競技に転向したいという気持ちはありません。世界のどこに行っても、サッカーボールさえあれば誰とでも友達になれるというすばらしい経験ができたので、もし人生をやり直すとなっても絶対にサッカーはやりたいと思います(笑)。
――女子アスリートが好きなことを続ける上で、ご自身の経験から感じる課題はどのようなことですか?
新井:私は本当に恵まれていて、職場や家族、所属クラブからの理解があって今のチームでプレーできていますが、少しでも環境が変わると続けることは難しいと思います。そういった意味では、女子フットサルはチームの選択肢が少ないことも課題の一つだと思います。東京都にはたくさんのチームがありますが、それ以外の都道府県では5チームあればいい方で、登録チームが少ないためにリーグが行えない地域もあると聞きます。あとは、結婚や妊娠を機に競技を引退する女性もとても多いと思います。様々なライフスタイルがある中で、自分のライフスタイルや競技者のレベルに合わせてチームを選べるぐらい選択肢が増えると、競技を続ける人も増えると思います。
そのためにも、まずはスポーツをする環境を身近に作ることではないでしょうか。学校帰りや仕事帰り、子どもが学校に行っている間など、誰でも気軽に行ける場所があれば、スポーツを続けられるのではないかな、と思います。
――女性にとって競技継続のモチベーションになると思うことは、他にもありますか?
新井:費用が安いことや、閉鎖的でなく、初めて行く人でも輪の中に入れること、子どもを預けられることも大切だと思います。あとは会場までのアクセスや、天候に左右されないこと。インドアスポーツは冷暖房があることが多いのでうれしいです。また、「女性は家事や育児をするもの」という固定概念がなくなり、男性と同様に女性も自由に出かけられる文化がもっと根付くといいなと思います。
――今後、女性アスリートの競技継続のために、新井選手が発信していきたいことがあれば教えてください。
新井:スポーツの価値を広く伝えることや、スポーツを楽しいと思ってもらうことです。今、学校の教員をしているので、授業を通してスポーツを楽しいと思ってもらえたらいいなと思います。また、私自身日本リーグでプレーしているので、フットサルの魅力をたくさんの人に知ってほしいですね。
<了>
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[PROFILE]
新井敦子(あらい・あつこ)
1989年11月9日生まれ。9歳からサッカーを始め、早稲田大学ア式蹴球部女子を卒部後、大学の留学プログラムを利用して、アメリカのポートランド州立大学に留学。2013年に復学し、同年9月にスポーツ科学部を卒業。その後はワーキングホリデーを利用して約半年間シンガポールで過ごし、帰国後は群馬県で約5年間小学校教諭を務める。2019年に休職して青年海外協力隊に参加し、ウガンダへ体育教諭として派遣される。コロナのため一時帰国し、小学校に復職。一時帰国中、さいたまSAICOLO(日本女子フットサルリーグ)でフットサル選手として1シーズン活動。2022年5月にウガンダへ再派遣され、2023年3月に本帰国し小学校に復職。2023年から再び、さいたまSAICOLOでフットサル選手として活動している。
「好きなことを続けよう。スポーツを続けよう」― Keep Playing プロジェクト
日本における女性スポーツの競技登録者数(※)は高校を卒業後、大きく減少してしまいます。どんな競技レベルやライフステージでも、スポーツの持つ魅力に惹きつけられ、仲間と出会い、プレイを楽しみ、続けてほしいと考えています。このメッセージが多くのスポーツをする人・みる人・支える人に届くことで、興味・関心につなげ、スポーツを継続する環境がより良いものになることにつながっていくことを目指しています。
(※)2022年度バスケットボール、サッカー、ハンドボールの女性競技登録者数を参照。高校生から18歳以上になると競技登録者数はバスケットボール74%、サッカー29%、ハンドボール80%減少
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