「長いようで短かった」700日の強化期間。3度の大ケガ乗り越えたメイン平。“復帰”ではなく“進化”の証明

Career
2025.05.23

リコーブラックラムズ東京のメイン平。2022年に21歳で日本代表に選ばれるなど、ラグビー界の未来を担う逸材として大きな期待を背負っている選手の一人だ。しかし、23年ワールドカップの代表入りも視野に入れていた中、3回もの大ケガに見舞われていた。グラウンドに戻るまで約700日もの歳月を要したが、今シーズン復帰を果たし、再び日本代表へ返り咲こうとしている。

(文・本文写真=白石怜平、トップ写真=西村尚己/アフロスポーツ)

W杯も視野に入れるも、目前にして全治6カ月の肉離れに

2000年生まれのメイン平はニュージーランド人の父と日本人の母を持ち、宮崎県で生まれ育った。奈良・御所実業高校を卒業後はニュージーランドへと渡り、ラグビーを続けた。

父の影響で始めたことから、幼少期より「父の故郷であるニュージーランドでラグビーがしたい」という想いを抱いていたからである。

2年間を過ごしたのちに、2020年に日本へ帰国。ブラックラムズ東京に入団し、日本でのキャリアを再びスタートさせた。

翌年2月のトップリーグ(当時)開幕戦から出場し、20歳にしてレギュラーの座をつかむと、2022年には当時21歳で日本代表へと選出される。同年6月18日のウルグアイ戦で代表初キャップを獲得した。

翌年にはワールドカップを控えており、「やるからには選ばれたい」と目標に据えていた。

代表選手たちの取り組みを間近で見て吸収するなど、心身共に充実して臨んだ2022ー23シーズン。その終盤に差し掛かろうとした頃に、長き試練が始まることになってしまう。

それは2023年3月4日の第10節、NECグリーンロケッツ東葛戦でのことだった。

「左ハムストリングの肉離れでした。タックルに行く時に疲労が残った状態で左足を踏み込んでしまい、その時に足を広げてしまいました」

症状は重く、全治6カ月だった。ここまで全試合先発出場を果たしていたが、残り6試合を残して無念の離脱となってしまった。

「大きいケガだなというのはやった瞬間に分かりました。積極的にアタックも行っていたのですが結果ケガをしてしまい、不完全燃焼で終えてしまったので悔しいシーズンでした」

目標だったワールドカップでの代表入りも逃すこととなり、リハビリに専念する日々を送ることになる。

開幕前最後の試合で2つ目にして最大の試練が

半年後の2023年9月、予定通り復帰したメイン。

この間は「ハムストリングスの強化をしてすごく状態が良かった。足も速くなったような感覚も得られました」と、受傷前よりも前進していると感じていた。

次のシーズンに向けて調整は順調だったが、開幕前最後となったプレシーズンマッチで最も大きなアクシデントに見舞われた。

「右膝前十字靭帯断裂」

競技復帰まで約1年を要する大ケガ、つまり開幕を目前にしてシーズンでの復帰が絶望となったことを意味した。

「あの場面はジャンプしてボールをキャッチしたのですが、着地した際に上からのタックルを受けたんです。その時にスパイクが地面に刺さったまま膝が持っていかれた形でした。走れたのでもしかすると大丈夫かなとも思ってしばらく様子を見たのですが、MRIを撮ったらやはり切れてると……」

メインは高校時代に左足で同じケガを負っており、そこから復帰した経験がある。ただ戻るまでには長く険しいことを熟知しており、かつ3月の肉離れから半年かけて復帰したばかりであり、目の前が真っ暗になった。

「前のシーズンでも肉離れをして半分ほど試合に出られていない。そして開幕間際に前十字靭帯を切ってシーズン全部出られない。つまり、1シーズン半何もできない状態だったわけですよね。とにかく悔しいし、焦りも正直ありました」

再建手術を受け、もう一度リハビリの日々を過ごすことになった。

1年半は体と頭も進化させた期間に

それでもメインはすぐに気持ちを切り替えた。この期間は、パワーアップに向けた通過点だった。

「前のケガ(の話)に戻るのですが、ハムストリングを肉離れした時に自分の体を見つめ直したんです。そしたら動きが良くなって戻ることができた。だとしたら、今回も『1年あるならケガする前よりさらに良い状態にできる』という考えを持っていました」

できた時間は自分の体と向き合うことと、並行して下半身の強化に充てた。

「復帰した時にはケガしたことを忘れるような感覚で臨めていたので、リハビリ期間はすごくポジティブでしたし、強化できた期間だと思います。1年半は長いようで短かったです」

ブラックラムズはバックスの要を失うことになったが、その代わりグラウンドの外でチームの力となっていた。当時指揮官だったピーター・ヒューワット ヘッドコーチ(HC)と会話し、ある取り組みを始めた。

「ヒューイ(ヒューワットHCの愛称)から『チームに向けて何かできることはないか?』と話があったので、『僕はスクラムのアタック担当をしたいです』と。あのシーズンはコーチングにも挑戦しました」

メインは毎週次戦の対戦相手を分析し、どう展開すれば良いかをチームへプレゼンした。離脱の期間は、対戦相手やラグビーについての知見も蓄積されていた。

「練習はできなくてもナレッジが養われたシーズンでもありました。僕は『目の前の状況を見てプレーする選手』だと以前から考えてきました。練習の段階で相手を分析し、『相手はディフェンスが狭いから外にスペースがある』といった情報を練習前に頭に入れると、相手が見えやすいことを体感しました。これも復帰してから生かせている部分です」

1年半という離脱期間を経て、メインはグラウンドに帰ってきた。

2024年11月23日に駒沢で行われた東芝ブレイブルーパス東京とのプレシーズンマッチ。キッカーを務め、4回すべて成功させるなど存在感を放った。

あとは2024−25シーズン開幕戦に出場し、復活劇がこれにて完結するはずだった。

「フラッシュバックしました」再びの負傷

開幕までちょうど2週間前に行われた2024年12月7日のプレシーズンマッチ最終戦、三菱重工相模原ダイナボアーズ戦でまさかの事態が起きた。

この日も出場していたメインだが、スクラムからボールを受け取った際に背後からタックルを受け右膝をひねってしまった。

「右膝の半月板損傷」

前回と同じ開幕前最後のプレシーズンマッチでの負傷。チームの誰もが前年のシーンが頭をよぎった。

「靭帯断裂時と同じシチュエーションだったのでフラッシュバックしました……本当に悔しかったです。ずっとリハビリやって復帰してまたケガしたので、戻ってしまったわけですから。少し落ち込んだりもしましたが、やることは変わらないのですぐ切り替えました」

再び手術を行い、3度目のリハビリへと移った。

3度の大ケガという選手生命が絶たれてしまっても不思議ではない状況の中、メインは決して屈することはなかった。

「靭帯断裂よりも短い期間なので」と、ここでも前向きに強化に向けて取り組んだ。

「基本的には23年に前十字をやった時のリハビリと同じ内容でした。腰回りの機能やハムストリングスの機能など、体の全体のバランスを鍛えました」

手術から6週目にはすでに走るなど順調な回復を見せ、ついにこの日がやってきた。

約700日ぶりに復帰、シーズン後には桜のジャージも

半月板損傷から約2カ月半後、2月1日の第6節のコベルコ神戸スティーラーズ戦でついに公式戦復帰を果たした。

「ワクワクしながらグラウンドに立っていました」

ウィングで先発出場したメインは試合開始2分で先制トライを決め、早速結果を残した。

フルバックと2つのポジションをこなすメインはアピールポイントとして、「よりスピードを増したランとキャリー、そしてトライも見てほしいです」と語る。

同22日の東芝ブレイブルーパス東京戦ではトライに加え、素速いランでのボールキャリーで秩父宮ラグビー場を熱狂させた。

この試合後、自身の状態を以下のように語った。

「正直無理やり復帰まで持ってきたこともあって、リスク承知で最初はパフォーマンスが上がらないことは覚悟してやっていました。でも感覚が戻ってきた感触がありますし、体もフィットしてきて80分間思い通りに動けるイメージでプレーできています」

同15日の浦安D-Rocks戦では復帰後初80分間フル出場を果たし、以降閉幕まで途中交代なく戦い抜いた。

3月からはキッカーを務め得点源となるなどチームを牽引し、最後までプレーオフを争う原動力となった。5月11日の最終戦後、シーズンをこう総括した。

「復帰してから最後までやりきれた点では、一歩前に進めたと思います。試合に出続けることが一番大切だと思うので、無事終われて本当に良かったです。ラグビーの楽しさを感じられたシーズンでした」

メインは現在JAPAN XVの大分合宿に参加しており、再び桜のジャージに袖を通している。

「もう一度日本代表に返り咲きたい想いが強いので、強みを発揮できればチャンスはあると思います」

ここでアピールができれば日本代表に選ばれる可能性が十分にある。メイン平の復活ストーリーは、また新たな幕が開かれようとしている。

<了>

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