欧州で重い扉を開いた日本人指導者の“パイオニア”。J3高知ユナイテッドの新監督に就任した白石尚久の軌跡

Career
2025.10.01

欧州で実績を積み上げ、日本人として初めてイングランド2部クラブの指導者となった男が帰ってきた。高校3年でサッカーを始め、アルゼンチンでプレーして、フランスで引退。その後、スペイン、オランダ、ベルギー、そしてイングランド2部のWBAで指導を重ねた。型破りなキャリアを歩んできた白石尚久が、J3高知ユナイテッドSCの新監督に就任した。欧州各国で得た知見を携え、日本の地でどんなサッカーを描くのか──。

(取材・文=田嶋コウスケ、写真提供=白石尚久)

母国の重い扉を初めて開けた“パイオニア”の帰還

J3の高知ユナイテッドSCは9月23日、白石尚久監督の就任を発表した。

白石は、2024年から昨シーズンまでチャンピオンシップ(イングランド2部)のWBAでコーチを務めた。イングランド2部以上のクラブで、日本人がコーチを務めたのは史上初めてのこと。指導者として、サッカーの母国の重い扉を初めて開けた“パイオニア”だ。

WBAのコーチに就任した経緯を、白石はこう説明していた。

「23年の11月から12月にかけて、勉強のためイギリスのクラブをいくつか訪問しました。スウォンジーとノッティンガム・フォレスト、QPR、WBAをまわりました。そうしたら、WBAからコーチのオファーをいただいて。ちょうどスウォンジーとも交渉していたのですが、最終的にWBAに加わりました」

それまで、白石は指導者として海外で経験を積み重ねてきた。

2008年からバルセロナで子どもたちを指導するスクールコーチとなり、2011年にスペイン女子1部リーグのCDサン・ガブリエルの監督に就任。その後、当時日本代表だった本田圭佑の個人コーチを経て、エクセルシオール・ロッテルダム(オランダ)、シント=トロイデン(ベルギー)でコーチを務めた。さらに2022年にはKMSKデインズ(ベルギー2部)の監督に就任。日本人指導者としては、前例のない独自の道を歩んできた。

WBAでの肩書はテクニカルアシスタント。では実際、どのような仕事を行っていたのか。2024年まで監督を務めたカルロス・コルベラン(現バレンシア監督)体制では仕事が多岐にわたったが、白石の仕事の一つにインディビィデュアル・トレーニング(=選手個人の課題や能力にフォーカスして行うトレーニング)があった。

ただ基本的に、白石は「何でもこなしていた」と言う。相手チームの分析から自軍の分析、さらには全体練習への参加と、仕事は多忙を極めた。

またコーチを務めるにあたり、語学力も問われた。選手とのコミュニケーションは英語。コルベラン監督とコーチ陣とは、彼らの母国語であるスペイン語で意思の疎通を図った。「言葉についてはまったく問題ないです」と白石。英語、スペイン語、フランス語の3カ国語を流暢に操りながら、WBAの強化に明け暮れる日々を送った。

「欧州でも5〜6番目のレベル」イングランド2部で得た視座

白石は、指導者としてスペイン、ベルギー、オランダ、イングランドと欧州各国を渡り歩いてきた。彼の目に、日本人選手が多数在籍するようになったイングランド2部はどのように映ったのか。「レベルが高い」と位置づけるその理由を次のように明かした。

「チャンピオンシップのレベルは上がってきています。理由として、テレビ放映権の影響により、各クラブが獲得できる選手のレベルが上がっていることがあります。フランスやドイツの1部リーグに所属している選手を普通に獲得していますから。WBAも、イタリアのセリエAから獲得した選手がいます。戦術的にもだいぶ成熟してきました。リーグのレベルで言うと、欧州でも5〜6番目ぐらいにつけている。ベルギーの1部リーグよりも全然質が高いですね」

イングランド2部リーグを指揮する監督のレベルも年々上がっている。2年前にレスターを2部リーグの頂点に導いたエンツォ・マレスカ監督は、現在チェルシーの指揮官を務める。3年前の覇者バーンリーを指導したバンサン・コンパニ監督も、今やドイツの名門バイエルン・ミュンヘンの指揮官だ。こうした競争の激しいリーグに身を置き、白石は貪欲に知識を吸収し、経験を積み重ねた。

高校3年からの挑戦──異色の経歴とバルサでの原点

白石は高校3年で本格的にサッカーを始め、アルゼンチンに渡ってプレーし、27歳のときにフランスで選手を引退したという異色の経歴の持ち主である。引退後、一度は日本でサラリーマン生活を送ったが、サッカーへの夢を捨てきれなかった。

指導者になりたいと思い、イングランドのアーセナル、そしてスペインのバルセロナへ研修に向かった。当時を、白石はこう述懐する。

「アーセナルには2〜3回、研修に行きました。まだアーセン・ヴェンゲルが監督を務めていた時で、ティエリ・アンリもいた。試合を見て、トレーニング場やスタジアムも見学して、ここで働きたいと思いました。でもアーセナルでは職を得られず、バルセロナで仕事を頂いたんです。

バルセロナでは、当時ペップ・グアルディオラがリザーブチームの監督を務めていて。『アーセナルに似ているサッカーをしている』と思いました。バルセロナに行った時に『入れないか?』とクラブの担当者に話をしたら、『来シーズンから来てほしい』という話になって。それでバルセロナで指導者としてキャリアをスタートしました。今思うと、すごいところばかり行っていたんですよね(笑)」

グアルディオラ、アルテタ、ビエルサ…世界の名将から吸収した哲学

では白石は、監督としてどんなサッカーがしたいのか。やはりバルセロナとアーセナルの影響は強いというが、これまで指導者として積み重ねてきた経験も活かしたいと力を込める。

「僕は長い期間バルセロナでやっていたので、バルサのオフェンシブなサッカーが好きです。グアルディオラのようなサッカーが好みです。それと、アーセナルのミケル・アルテタ監督のサッカー。これらが、僕のやりたいサッカーです。

 一方で、WBAのコルベラン監督は、リーズのマルセロ・ビエルサ監督の下でコーチを務めていました。コルベランは、ビエルサの影響が大きい。コルベランのサッカーを経験しつつ、自分としては、監督として違うふうにやってみたいなとも考えています」

イングランドでは、サッカー監督の「マネジメント」にも着目していたという。クラブをどのように束ねていくのか。そのメソッドを吸収した。

「WBAでは、監督のマネジメントも勉強しています。イギリスサッカーの利点は、クラブスタッフの数が多いこと。他国に比べて多いです。理由は、スタッフの仕事を細分化しているから。イギリスの企業もそうですが、仕事を細かく分けている。その流れの中で、自分のアイディアを各スタッフにどう落とし込んでいるのか。そういう点も勉強しました」

J3高知で描く、新たなサッカーの青写真

グアルディオラからアルテタ、ビエルサまで──。

ワールドサッカーを全身に浴びながら日々鍛錬してきた白石。イングランド2部・WBAのテクニカルアシスタントを経て、次に選んだ道が「J3高知ユナイテッド」の監督だった。

「また監督をやりたい──」。

そう語ってきた白石にとって、高知ユナイテッドは新たな挑戦であり、悲願でもある。欧州で培った豊富な経験と知識を総動員して、高知ユナイテッドの強化に邁進していくはずだ。

<了>

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