FC東京・橋本拳人が追い続けた、石川直宏の背中 14年前に始まった「18」の物語

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2019.08.02

2019シーズン、悲願のJ1リーグ初優勝に向け、首位を走るFC東京(第20節時点)。その中心には、8月に26歳を迎える「18番」の存在がある。今年3月、日本代表に選出された、橋本拳人だ。
押しも押されもせぬFC東京の大黒柱へと成長した男が「18」を継承したのは昨シーズン。クラブのレジェンド、石川直宏さんの意思を継ぎ、クラブを背負う責任と覚悟をピッチの上で示し続けている。
「18」を介して紡がれた2人の魂の物語は、橋本が小学生だった14年前に始まっていた――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)

11歳の橋本少年と、石川直宏さんとの出会い

2017シーズン限りで現役を引退したFC東京のレジェンド、石川直宏さんのFacebookのタイムラインをさかのぼっていくと、他とはちょっと違う投稿が目に飛び込んでくる。

若かりし頃の石川さんが、最後尾で味の素スタジアムへ入場してくる一枚の写真。その左手は緊張気味の表情を浮かべている、ややぽっちゃりとした少年の右手をしっかりと握っている。

FC東京がいま現在も実施している、小学生のクラブサポートメンバーを対象にしたハンドウィズハンドと呼ばれるイベント。2005年4月10日。ジュビロ磐田を迎えたJ1第4節で石川さんと手をつなぎながら入場してきた少年こそが、J1で首位を走っている今シーズンのFC東京で、開幕から20試合連続で先発フル出場を続けているボランチの橋本拳人だった。

懐かしい写真がFacebookに投稿されたのは今年3月21日。キリンチャレンジカップ2019に臨む森保ジャパンから負傷離脱した守田英正(川崎フロンターレ)に代わり、橋本が初めて日本代表に招集された直後だった。写真にはこんな文面が添えられている。

「夢みていたこと。一緒に入場した子どもたちと、共に同じピッチでプレーする日。あれから14年経って、共にプレーするだけでなく自分の18番を受け継ぐ覚悟を示してくれた中で、チームに欠かせない存在となり、日本代表にまで駆け上がった。こんなに嬉しい事はない」(原文ママ)

東京都板橋区で生まれ育った橋本は、5歳のときに地元のアミーゴフットボールクラブでサッカーを始め、兄の影響を受ける形でFC東京のスクールにも通っていた。憧れの選手はトレードマークの長髪をなびかせながらピッチを駆け抜ける、スピードスターの異名を取っていた石川さんだった。

迎えたジュビロ戦で、応募したハンドウィズハンドで待望の当選を果たす。どの選手と一緒に入場するのかは、子どもたちの希望が優先される。群を抜く人気を誇っていた石川さんのもとには、橋本を含めて、当選した子どもたちのほとんどが殺到した。

「そのなかでジャンケンをして、僕が勝ったんですよ」

執念で勝ち抜いたと、橋本が照れくさそうに当時を振り返ったことがある。石川さん自身は「実は覚えていなくて。当時の写真を見て、何となくこんな顔だったかな、という感じはあるんですけど」と苦笑するが、緊張と興奮が交錯したハンドウィズハンドは橋本に大きな夢を抱かせている。

FC東京でプロサッカー選手になって、憧れの石川さんと同じピッチに立ってプレーしたい――。中学校に進学した翌2006年に下部組織のFC東京U-15深川に加入した橋本は、FC東京U-18を経て、2012年に晴れてトップチームへ昇格。干支が一回り違う石川さんとチームメートになった。

国際電話で伝えた、橋本の決意

そして、J2のロアッソ熊本で積んだ約1年半の武者修行を終えて、FC東京へ復帰した2015シーズン。6月20日に敵地で行われたサガン鳥栖とのJ1リーグ 1stステージ第16節で、橋本が長く夢見てきた瞬間が訪れる。

68分からピッチに立っていた石川さんに続いて、橋本も78分に投入された。12分ちょっとに及んだ初めての共演。しかし、左ひざの前十字じん帯を断裂した石川さんが長期離脱を余儀なくされたこともあって、その後はなかなかそろい踏みを果たせないまま、石川さんは2017年8月2日に18年間に及んだ現役生活にピリオドを打つことを表明した。

迎えた12月2日のシーズン最終節。約2年4カ月ぶりとなる公式戦出場を先発で果たし、ホームの味の素スタジアムで57分間プレーしたガンバ大阪戦が石川さんのJ1最後の一戦となり、先発フル出場した橋本と4度目にして最後の共演となった。

スコアレスドローに終わった一戦を沸かせたのが、橋本のスルーパスに反応した石川さんが抜け出したシーン。惜しくもオフサイド判定となり、スタジアムをため息が支配したなかで、トップチームに昇格したときから「37番」を背負ってきた橋本はある決意を胸中に秘めていた。

「ナオさんのファンの一人として、引退試合を含めて一緒にプレーしたなかで、あらためて偉大な選手だと感じていました。ナオさんが大好きだという思いを込めて、『18番』を背負わせてもらおうと」

横浜F・マリノスから期限付き移籍して2年目を迎えていた石川さんが、完全移籍へと切り替えたのが2003年7月。そのシーズンから背負い、いつしか象徴と化してきた「18番」の新たな持ち主が誰になるのかを、石川さん自身も気にかけていた。

「FC東京というクラブを心から愛し、責任と覚悟をピッチの上で示すことのできる選手に背負ってほしいと思っていたんです」

継承者になりたい、という思いは国際電話を介して、橋本から石川さんへと伝えられた。2017年の年末。鋭気を養うために訪れていた南半球のオーストラリアで、橋本はおもむろにスマホを手にした。

「本当は直接ナオさんと会って話したかったんですけど、なかなか時間がなくて。なので、ちょっと静かな場所に行って、気持ちをしっかりつくってから電話しました」

年を越しては失礼だ、という思いもあったのかもしれない。しかし、意を決してかけた国際電話に、石川さんは気づかなかった。しばらくして、着信に気がついた石川さんが折り返した。

「実は相談がありまして。ナオさんの『18番』をつけて、来年からプレーしたいんです」

受話器越しに聞こえてきた橋本の申し出に心が震えたと、石川さんは笑顔で振り返る。

「こんなにうれしいことはないですからね。僕の方こそありがとう、ぜひともよろしくお願いします、と伝えました」

石川さんが表情をほころばせる、橋本の変化

2018年に入ってしばらくして、練習場である小平グランドを訪れた石川さんから、背中に「18」が記されたユニフォームが橋本へ手渡されている。照れくさそうな表情を浮かべながら「18番」の5代目の持ち主になった橋本が、今シーズンに見せている変化が石川さんの表情をほころばせる。

「変に自分の思いを背負ってほしくないと思っていたというか、僕自身も最初は『18番』をつけた選手がプレーしているのを見るのは違和感があったんですけど。でも、あっという間に拳人なりのプレースタイルに(背番号の印象を)変えてくれました。彼の決意であり、覚悟ですよね。

攻守の切り替えも早いし、戦えるし、何よりも去年と違うのは一歩先を見て仕掛けられるようになっているところですよね。自信がまだなかったのか、去年はボールを持てばすぐにはたく印象だったんですけど、今年はキャンプの段階からグッとスペースへボールを持ち出せるようになっている。自らアクションを起こし、相手がリアクションを起こしてからはたいているので」

クラブ記録となる開幕から12戦連続無敗(9勝3分)をマークしたFC東京は、4月19日の第8節から首位をキープ。悲願でもあるリーグ戦初優勝を目指すチームの中心に、GK林彰洋、DF森重真人と共に開幕から全20試合(7月20日時点)で先発フル出場を続けている橋本がいる。

「常に『18番』の重みを感じながらプレーできていると思う」

こう語る橋本は、6月のキリンチャレンジカップでは追加ではなく、最初から森保ジャパンに招集された。FC東京と外部をつなぎ、発展のためにサポートするFC東京クラブコミュニケーターを務める石川さんへ、「ナオさんが試合に来ると身が引き締まる」と笑顔を浮かべる。

そして、いまも畏敬の視線を送られる石川さんは、前出のFacebookでこんな言葉も綴っている。

「でも、まだまだここから!拳人と手を繋いで入場してくる子どもたちが、未来の拳人となる姿を毎試合想像しています。代表での躍動も期待してるぞっ!!」(原文ママ)

正念場の夏の陣に突入したJ1戦線で、FC東京は横浜F・マリノス、鹿島アントラーズ、そして3連覇を目指す川崎フロンターレに追い上げられている。首都・東京をホームタウンとするクラブの初戴冠へ。FC東京にとって特別な背番号である「18」を介して、10年以上の歳月をかけて石川さんから橋本へと紡がれた熱き魂が、チームの中心でますます存在感を増していく。

<了>

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