
松田直樹から受け継いだ「3」と熱き魂 田中隼磨は全てを背負い、戦い続ける……
8月4日、それは日本サッカー界が決して忘れてはいけない一日だ。
Jリーグの歴史において最高のディフェンダーの一人、松田直樹さんは、多くのファンから、そして仲間から、誰よりも愛された人だった。
あれから8年――。
故人がサッカーに懸けた思いを、尽きない愛を、熱き魂を受け継ぎ、いまも変わらず戦う男たちがいる。
(文=藤江直人、写真=Getty Images)
特別な日に行われた試合
何かに導かれたかのように、さまざまな声が田中隼磨の耳に届いてきた。例えば興奮と緊張が、胸中で静かに交錯していたキックオフ直前。ピッチへの入場に備えて、先発する選手たちが等々力陸上競技場のメインスタンド下のエリアに集まったときだった。
「オレたちの年代がまだまだ頑張ろうぜ」
声の主は川崎フロンターレの大黒柱、38歳のMF中村憲剛だった。直前に37回目の誕生日を迎えていた松本山雅FCの最年長選手は、短い言葉を介して憲剛が伝えたかったことがすぐにわかった。
「シュンさんやヤットさんも頑張っているし、そういう先輩たちとお互いに刺激し合っていければ。みんな『若いヤツらには絶対に負けない』と言っているし、若いヤツらもオレたちに負けない思いでやっていけば日本のサッカー界全体が向上していく。(自分と近い年齢の選手は)本当に少なくなったけど、だからこそオレたちの力をまだまだ見せていきたいですね」
シュンさんとはジュビロ磐田からJ2の横浜FCへ移籍したMF中村俊輔であり、ヤットさんとは日本人選手では前人未踏の公式1000試合出場を達成したばかりのガンバ大阪のMF遠藤保仁となる。前者は41歳で、後者は39歳。ベテランと呼ばれる選手たちにとって、フロンターレと松本山雅が対峙した8月4日は特別な日だった。
「サッカーが好き、好き、本当に好き」
ピッチの上ではぼやきにも近い声が聞こえてきたと、田中は苦笑しながら明かしてくれた。
「オレ、全然ボールに触ってないじゃん」
声の主はフロンターレの左サイドハーフ、齋藤学だった。田中が横浜F・マリノスで最後にプレーした2008シーズン。2種登録選手としてリーグ戦で7試合に出場している後輩は、対面の右ウイングバックで目を光らせる田中の攻守両面の存在もあって、ほとんど目立つことなく74分に交代した。
「何か『隼磨君、もっと向こうに行ってくれないかな』とも言っていましたね。後半になって(右サイドハーフに)変わって、それからすぐに交代しちゃったけど、彼とはもっとデュエルでバチバチと熱く戦いたかったですね。彼もいろいろな思いがあったはずだからね」
プレーを介してもっと、もっと会話を重ねたかったと田中はちょっとだけ語気を強めた。図らずも同じ思いを抱きながら、キックオフを迎えていた。8月4日が8回目の命日だった松田直樹さんを偲び、故人から「戦う姿勢を教えてもらった」と齋藤は松本山雅戦を前に話していたからだ。
天国で松田さんが観戦しているからこそ、齋藤との対面勝負で負けるわけにはいかない。マリノスから名古屋グランパスを経て、J2を戦っていた松本山雅へ移籍した2014シーズン。松田さんが急逝した後は空き番となっていた「3番」を、志願するかたちで受け継いだのが田中だった。
「松本山雅の『3』は特別な背番号だし、マツさんの魂や気持ちを抱いて戦わなければ背負う資格はないとも思ってきた。いろいろな人の想いや願いを『3』をつけることですべて背負いました」
生前の松田さんが、口癖のように話していたことがある。志半ばで天国へ旅立つ2年前の2009年夏に行ったインタビュー取材で、筆者も故人の熱き魂をこれでもかとぶつけられた。これだけは他の選手に負けない、あるいは絶対に譲れないということはありますか、と質問した直後だった。無邪気な笑顔を浮かべながら、松田さんは「サッカー好き度、ですね」と一気に切り出した。
「サッカーが好きだ、というヤツには絶対に負けたくないですね。オレは本当に一日中、サッカーのことしか考えていないし、サッカーが大好きで仕方ない。サッカーは世界を動かせると思っているから。それくらいサッカーはすごいスポーツだとみんなに伝えたい。本当に面白いんだ、と。好き、好き、本当に好きですね」
生きていれば42歳になる松田さんを知る現役選手たちは、故人がサッカーに懸けていた熱き思いを受け継いでいる。どちらがサッカーを好きなのかを、比べられなくなって久しい。だからこそ憲剛も、齋藤も、そして田中も常にベストのプレーを誓う。命日に行われた一戦は、とりわけ特別だった。
「このチームに来て本当によかった」
フロンターレ戦の前日。非公開で行われた練習の開始前に、松本山雅は練習場のピッチの中央に松田さんの写真3枚を飾り、1分間の黙祷を捧げている。首脳陣や選手だけでなく、スタッフやクラブ職員も参加する光景は、反町康治監督が就任した2012シーズンから松田さんの命日に、試合と重複する年はその前後に必ず生まれている。
「マツが松本山雅に来たときにオレはいなかったから何とも言えないけど、クラブの管理不足もあっただろうし、だからこそ本当に残念だった。日本サッカー界に大きく貢献した選手であることは間違いないし、だからこそ風化させないように、絶対に忘れちゃいけない存在だといまでも思っている。ここに来てからはオレも選手の健康管理を第一に考えながら、人一倍やってきたつもりです。サッカーができなくなったら、やっぱりおしまいだから」
故人へ思いを馳せる時間を設けよう、と自ら発案した理由を以前に語ってくれた反町監督は、心の片隅にいまも「後悔」に近い思いを抱えている。契約満了に伴い、松田さんが愛着深いマリノスを退団した2010シーズンのオフ。当時湘南ベルマーレを率いていた反町監督のもとに松田さんから突然連絡が入った。受話器越しに志願してきたのは、ベルマーレへの移籍だった。
「そのときに『悪いけどマツ、ウチは若いチームなので』と断った経緯がある。もしも『湘南に来い』と言っていたら、いまも生きているかもしれない。だから、その意味ではオレも責任を感じている」
10年ぶりにJ1の舞台で戦ったベルマーレは力及ばず、2011シーズンから再びJ2で戦うことが決まっていた。続投する反町監督のもとで、世代交代が進められたベルマーレで松田さんを受け入れることは難しかった。
年が明けた2011年1月、JFLからJ2、そしてJ1を目指すビジョンに共鳴した松田さんは松本山雅入りを決断する。
「このチームに来て本当によかった、と。松本山雅を必ず全国区のチームにしてみせるから、任せてくださいと言っていましたね。やるからにはJ2じゃない、J1ですよと。だから社長、クラブとしても絶対に後押ししてくださいとも」
会場を埋めたサポーターがチームカラーの緑色のマフラーをかざし、白星を挙げた後に大合唱する『勝利の街』で迎えられた新体制発表会の光景に感極まった松田さんは、当時の大月弘士社長に涙ぐみながら熱い思いを語っている。しかし、約半年後に日本サッカー界は大きな悲しみに襲われる。
「プレーできることを心の底から幸せだと感じなきゃいけない」
オフ明けの練習が行われていた8月2日。グラウンドで突然倒れた松田さんは、心肺停止の状態で信州大学医学部附属病院の高度救命センターへ緊急搬送された。病名は急性心筋梗塞。最期まで意識が戻らないまま、2日後の8月4日に34年間の短い生涯を閉じた。
松田さんが倒れたグラウンドにAED(自動体外式除細動器)が設置されていなかったことから、日本サッカー協会は2012年度からJリーグだけでなく、JFL、なでしこリーグ、フットサルのFリーグなどの試合会場や練習場においてAEDの常備を義務づけた。救命の輪はスポーツの垣根を超えて、日本陸上競技連盟(JAAF)や日本相撲協会などへ大きく広がっている。
8回目の命日となった今年は、都内のフットサル場で「松田直樹メモリアルフェス」が開催された。フットサルの合間にはAEDの講習会が設けられ、故人が天国へ旅立った午後1時6分には、参加者全員が黙祷を捧げている。フロンターレ戦を直前に控えていたこともあり、メモリアルフェスには参加できなかったものの、田中も思いを届けていた。
「サッカー界はあの事故から、もっともっと学ばなければいけない。二度とマツさんのような事故が起きてはいけない。絶対に再発を防がなければいけない、ということを子どもから大人の方々に対して、サッカー界だけでなくスポーツ界全体に対してもどんどん発信していくことがオレたちチームの、そしてオレの使命でもあると思っています」
フロンターレ戦の前日には、一般社団法人松田直樹メモリアルNext Generationの理事を務める松田さんの姉、真紀さんへLINEでメッセージを送っている。松本山雅に加入した2014シーズン。故人の象徴だった「3番」を受け継ぐことを、後押ししてくれたのが真紀さんだった。
松田さんの魂を受け継いでいく決意をメッセージに綴った田中は、故人との永遠の別れを「美談にしちゃいけない」と声を大にして訴えてきた。例えば昨年のJ2を戦い、ジェフユナイテッド千葉に逆転勝ちした昨年の命日にはこんな言葉を残している。
「この年齢になってもマツさんの背番号をつけて、プレーできていることを当たり前に感じちゃいけない。心の底から幸せなことだと感じなきゃいけない。マツさんがどのようなプレーヤーだったのか、ということも知らない若手も多くなった。一緒にプレーした選手たちが伝えていかなきゃいけないけど、言葉で伝えるのは難しいですよ。
オレたちのころとは時代が違っているから。それでもピッチの上で彼らに響くように、試合だけでなく練習からプレーで示していくしかない。何も感じない選手もいるかもしれないけど、それでもオレはずっと伝え続ける」
故人の遺志を伝え続けていくこと
松本山雅でいえば、松田さんのプレーを覚えている選手は、2011シーズンのチームメイトだった33歳のDF飯田真輝、マリノス時代のチームメイトで昨シーズンから松本山雅に加入した29歳のDF浦田延尚、そして田中の3人しかいない。命日あるいはその前後にチーム全体で黙祷を捧げる時間を反町監督が設けてきたのも、クラブとして故人を語り継いでいく思いを込めたからだ。
命日に初めてJ1の舞台で戦ったフロンターレ戦後も、松田さんに関する質問になると、田中の声のトーンがちょっとだけ上がった。メディアに対して「みなさんもお願いします」と、文字や映像でどんどん伝えてほしいとも訴えた。
松田さんが放った存在感や遺志をさまざまなかたちで発信し続けていくことで、命の大切さが後世に伝えられる。だからこそ、わずかながらも故人と取材の接点を持った筆者もこれまでも、そしてこれからも機会があるたびに文字にして綴っていく。
初めてJ1を戦った2015シーズンの松本山雅は16位に終わり、1年で無念の降格を味わわされている。4年ぶりに挑むトップカテゴリーの戦い。全員が体を張って守り、乾坤一擲(けんこんいってき)のカウンターを仕掛ける戦いの末にスコアレスドローに持ち込み、王者フロンターレから初めて勝ち点をもぎ取った。
それでもJ1参入プレーオフに回る16位と順位は変わらず、勝ち点1ポイント差でサガン鳥栖が、さらに1ポイント差でジュビロが続いている。苦戦が続く状況に対して天国からどんな声がかけられるか、と問われた田中は再び苦笑しながら故人の胸中を慮っている。
「とにかく情けない試合だけはするな、絶対に残留しろと。そういう気持ちだと思います」
ピッチの上では故人のように熱く、無骨に、そして泥臭く戦い抜く。ピッチの外で松田さんを問われれば、サッカーへの尽きない愛を代弁していく。松田さんが旅立った年齢を上回って久しい田中は「もう年かもしれないけど、オレ自身はベテランとか、そういう気持ちはないですね」と屈託なく笑った。
<了>
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