
「質より量」を優先する指導者に警鐘 育成年代をも蝕むオーバートレーニング症候群
日本のスポーツ界は、夏になると圧倒的に活動量が増える。インターハイをはじめとする学生スポーツがその象徴とも言えるかもしれないが、昨今はさまざまな競技クラブもスポーツ合宿などを行い、夏にイベントを開いていることが増えている。しかし環境面に目を向けると、年々気温は上昇し、確実に体への負荷は大きくなっている。
大人でさえ連日、熱中症で倒れる人が相次ぐ環境の中、まだ体の発育発達が未完成の子どもたちに長時間のトレーニングをさせる負担は大きい。
そこで、長年オーバートレーニング症候群を研究している第一人者、鳥居俊先生に育成年代のトレーニングにおいて、周りの大人が特にどんなことに気をつけるべきなのか、見解を語ってもらった。
(インタビュー・構成=木之下潤、写真=Getty Images)前回記事はこちら
オーバートレーニングは発育発達にどう影響するのか
オーバートレーニングは成長痛などの発達障害を引き起こす原因にもなっています。それなのに育成年代におけるスポーツ界のトレーニングには「発育発達」という観点が抜け落ちているのではないかと思っています。夏に入ると長期休暇を利用して、明らかに活動量が増加します。でも、日本のスポーツ界はいまだに質より量で解決しようとしていますし、だから選手たちに過度な練習をさせていたりするのだと考えています。
鳥居 体の発育発達の観点でいうと、日本のスポーツ指導者にはその視点が足らないところが往々にしてあります。例えば、私の専門は陸上ですが、強豪校の選手を見て感じるのは、線の細い選手が多いことです。
「大学、企業のチームに入った時にやっていけるのかな」と心配になるほどです。もちろん選手によりますが、発育段階でそれぞれの選手のキャパシティを超えたトレーニングをすると、健全に発育が起こらなくなるような状態を招いてしまいます。特に日本の長距離はどうしても線の細い選手が多いので、そこは気にかけている部分です。「どうして小さい子が多いんだろうな?」と。
私はジュニアサッカーを専門に取材活動していますが、ある意味、育成年代で起こる成長痛はオーバートレーニングの裏返しでもあると考えています。大げさに言えば、そういう選手たちはオーバートレーニング症候群の予備軍とも言えるのではないでしょうか。
鳥居 私が関わった選手の中にも中学校1年生でオスグッド病(膝の脛骨が突出して痛みが出るスポーツ障害)になり、卒業まで治らなかった選手がいます。痛みがあれば練習量を減らさなければ治りませんが、半年後にチェックするとまだ痛みがあるというんです。コーチに話を聞くと、その選手は能力が高いとのこと。でも、本来、長時間のプレーはできないわけです。
ケガの治りが遅いのは「少しくらい」という安易な気持ちで練習をさせていたりするからだと思います。この件については、サッカーでも結構ジュニアあるあるです。
鳥居 さすがに中学生を採血までして調べることは難しいですが、高校生はいくつかの学校で調べたことがあります。中には、性ホルモンの低下が見られる選手もいました。高校生でいうと、男性ホルモンはだんだん増えていくはずなんです。
だから、筋肉量が比例して増えていくわけですが、それが低下していたということは筋肉がつかないからパフォーマンスが上がることは考えにくいんです。つまり、その年代でオーバートレーニングの状態だと体作りがうまくいかないんじゃないかと思います。だって、体の成長が抑制されているわけですから。
もう25年も前のことですが、私は福岡県の大牟田高校出身です。全国的にもいまだに駅伝の強豪校なのですが、私が在籍していた頃の彼らの練習は驚くほどの量でした。
鳥居 朝練をして、午後も夜遅くまで練習をしている部活はまだたくさんありますよね。当然、練習は選手たちの生活習慣に大きく関わってきますから、一般的な高校生に比べると睡眠時間も短いのではないかと想像できます。野球や陸上では、いまだに髪型も坊主頭の学校もあって、そういう意味でも精神的な抑圧がかかっているのではないでしょうか。
海外の人たちが高校野球を見るとビックリされることはよく耳にします。
鳥居 髪を伸ばすことと競技をすることは関係ありませんからね。1週間のスケジュールに目を向けると、土日も練習をしている部活がまだたくさんあります。その間、選手たちはずっと精神的に緊張状態にありますから、絶対的にオフの時間が足りません。選手たちにとっては過酷な状態です。
選手たちだけでなく、先生やコーチも休みがないので過酷な状態ですよね。先日、國學院久我山高校サッカー部の取材をしました。あそこは進学校なので、そもそも朝練という概念がないそうです。
鳥居 繰り返しになりますが、練習スケジュールは生活習慣に大きく関わります。いまだに日本のスポーツ界は練習で量を頑張ればいいと思っていますが、質を高めることが大事なことです。それは同時に「疲労を減らす」ことにもつながりますから。
國學院久我山高校サッカー部には、専属のフィジカルコーチがいます。清水恭孝監督曰く、栄養や睡眠などの座学的なこともフィジカルコーチに任せているそうです。
鳥居 それはいいモデルケースですね。アメリカの高校にはトレーナーがいて、体のケアだけでなく、食事や睡眠などいろんな相談にのってくれると聞きます。しっかりと管理が行き届いていますよね。日本だとそれを主に顧問の先生が行うことになるので、アメリカのように選手のコンディションを管理することは現実的に難しいです。
たとえフィジカルコーチを雇っても、体のケアなどのコンディション管理ではなく、身体的な強化だけに目を向けられても困ってしまいます。教育機関でのフィジカルコーチの雇用なら、運動と休養のバランスを管理してくれるような視点を持つ人ではないと学校部活にはそぐいませんよね。プロアスリートの養成機関ではありませんから。
成長に必要な体内エネルギーを保つため、どう食事と睡眠をとるか
鳥居先生もオーバートレーニング症候群に関する講演をされると思います。その時には、どんなことをポイントにされているのですか?
鳥居 オーバートレーニング症候群になった選手を見てみると、長距離選手が発症するケースが多いんです。エネルギー摂取量が不足していて、それが体のトラブルを引き起こしている原因になっていると考えられます。なぜエネルギー摂取量が不足するか。それは「太りたくない」「脂肪をつけたくない」と食べたい量を食べないようにしている選手もいるからです。
エネルギー不足のまま過度なトレーニングをすることで、性ホルモンが低下したり骨が弱くなったりします。つまり、エネルギー不足は、トレーニングを行う上での体作りでは広い意味で言うとオーバートレーニングの一種を作り出している状態とも言えるということです。そして、睡眠の重要性もしっかりと話をします
なるほど。食事と睡眠は大切な要素ですね。
鳥居 スポーツ栄養学の分野では、自分の体重から算出する摂取エネルギーの計算式があります。だからといって食事のたびに頭の中でそれを計算していても、今度はそのことがストレスになって食事を楽しめませんから、時々「きちんと栄養が取れているかな?」と振り返るくらいでいいと思います。
当たり前ですが、自分の体のエネルギーと活動量、そして食事と睡眠の休養はバランスが大事です。まだ体が未完成の小中高生は特にそうです。
鳥居 エネルギー不足は練習後の体を作り直す材料不足にもなりますからね。それが積み重なれば、オーバートレーニング症候群を引き起こすことにもなりかねません。そもそもスポーツ選手は一般人に比べてエネルギーを多く消費しているわけですから、その分、食事や睡眠は増やさないとバランスが取れないわけです。
トレーニングは出費みたいなもので、食事と休養は懐に入ってくる収入。出費が増えると、体内の貯金がなくなるのは当たり前。貯金がなくなれば、働くことすらできなくなるわけですから。
でも、そういうイメージで毎日を過ごしすぎるとストレスになるから、1週間くらいで帳尻を合わせていくように、どこかで取り戻せるようにちゃんとスケジュールを立てることです。アスリートだったら本当は毎日考えてほしいですが、三食すべてでなくとも、例えば夕食時に振り返ってタンパク質が足らなければ取るとか。そんな発想でいい。
競技もそうですが、生活習慣もたまに振り返ることが成長期には必要なことです。
鳥居 中学生、高校生くらいだと、特に男性アスリートは体が大きくなるのを楽しみにしている部分があります。それなのに食事と休養が足らない状態の選手もたくさんいると思います。成長のためのエネルギーが足らない状態だから「身長が伸びない」「筋肉が増えない」という選手だっているはずです。そういう選手たちが心配だったら「ちゃんと寝ているか」「ちゃんと食べているか」と聞いてあげることが顧問の先生やコーチ、親の務めではないでしょうか。
どうしても選手は競技にのめり込みます。そうすると、食事や睡眠まで目が行き届かなくなるので、そこを指導することが一つ日本スポーツのさまざまな問題を改善していくきっかけにもなりそうです。
鳥居 日中、脳の中ではいろんなことが起こっていますから、食事と睡眠といった“休養”はいろいろなものをリセットし、心身をフレッシュにするために必要なものです。だから、高いストレスを受けて競技生活を送っている人たちは睡眠をとらないと心のストレスを解消することができません。
頭の中であれこれ考えることを含めて、競技に関わっている時間だけが競技力向上につながるわけではありませんからね。やはり競技と離れるからこそ新しい気持ち、新しいアイディアが生まれてきます。
鳥居 陸上選手がサッカーをしたり、バスケットボールをしたりするのも一つの気分転換です。そういう発想を指導する側が持ってくれるといい。そこで「ケガされたら困る」という先生やコーチもいると思いますが、「他のこともしないと能力が広がらないし、新しい発見がある」と発想の転換をすればいいだけです。
そこも変える必要がある。指導者の教養として専門種目以外のことも、選手の可能性を広げるために少しは知っておくことが大事です。そういったレクリエーション要素の高いトレーニングや練習メニューならば選手と一緒に、子どもたちと一緒に指導者も楽しめばいいと思います。そういう指導する側の心の余裕が選手の可能性を高めたり広げたりするのではないでしょうか。
<了>
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PROFILE
鳥居俊(とりい・すぐる)
1958年生まれ、愛知県出身。東京大学医学部卒業後、同大学整形外科学教室に入る。静岡厚生病院、都立豊島病院、虎の門病院での勤務を経て東京大学病院助手、東芝林間病院整形外科部長を歴任。1998年に早稲田大学人間科学部スポーツ学科助教授に就任し、2003年より現職。専攻はスポーツ整形外科、発育発達学で、運動器の発育発達、運動器障害の予防、身体活動と骨代謝、身体活動による健康増進などをテーマに研究指導を行う。日本体育協会公認スポーツドクター、日本陸上連盟医事委員会副委員長。
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