
阪神・矢野燿大「育成と勝利の両立」2つの信念。15年ぶり優勝のキーマン「思考と哲学」①
2019シーズン、阪神タイガースは見る者を魅了した。怒涛の6連勝で大逆転のクライマックスシリーズ進出を決め、横浜に乗り込んだファーストステージでは1点を争う痺れるような展開を制した。そして迎える2020シーズン。期待されるのは、15年ぶりのリーグ優勝だ。
果たしてそのキーマンは誰になるのか? これから3回にわたって一人ずつ名前を挙げ、その思考と哲学に迫っていきたい。
1人目は、矢野燿大だ。1軍監督に就任し2年目を迎える男が挑む「育成」と「勝利」。その両立に向けた、2つの信念とは――?
(文=遠藤礼)
矢野燿大が挑む「勝利」と「育成」の両立
2019年の阪神タイガースは幾多の「ドラマ」や「物語」を生み出した。春には左足薬指骨折を押して出場を続けた梅野隆太郎がサイクル安打を達成。夏を前に大腸がんを克服した原口文仁が見事な復活を果たせば、秋には脳腫瘍からの実戦復帰を目指していた横田慎太郎が引退試合で渾身のバックホームを披露した。功労者のランディ・メッセンジャーの引退、鳥谷敬の退団もあった。見る者の心を揺さぶる場面が積み重なった中、その傍らで感情をあらわにしていたのがタクトを握った矢野燿大。試合中にベンチで見せる「矢野ガッツ」に象徴されるように、喜怒哀楽が球場に充満し続けた1年だった。
2018年秋、新監督就任の際にチームの方針として「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」の3本柱を掲げた。その年、2軍監督として若手に浸透させてきた理念でもあった。1年目のスローガンも「ぶち破れ!オレがヤル」。潜在能力にふたをしない。選手一人ひとりに能動的なアクションを促すようなフレーズの数々が並んだ。
何も、監督が選手に根性論や精神論を説き続けていたわけではない。特に経験の浅い若手に求めたのは「オレがヤル」=「主体性」の姿勢。スタンドプレーとは意味合いは違う。「オレがヤル」という意識を共有した戦う集団として1、2軍関係なく一人も欠くことのできない一体感の裏返しでもあった。
自分はどんな選手になりたいのか、この1年どんなシーズンにしたいのか……。極端にいえば、人生の主人公としてこの先、どんな物語を描いていくのか。その一つひとつが紡がれてドラマチックな「チーム」は形成される。壁にぶつかれば自力で乗り越えさせる。行動に「思い」が乗るだけで結果は変わってくる。直接的でなくても、若い世代の選手には采配を通じてそう問いかけ続けていたように見えた。
当然、プロの集団を率いる指揮官として最優先は目の前の1勝であり、リーグ優勝、その先の日本一。勝てなければ誰も幸せになれないし、理想は水泡に帰す。そのために、競争の世界で若手に対して非情な決断をしなければいけないのも当然。矢野監督もまた、「育成」と「勝利」の両立という難題に挑んでいたのも間違いない。だからこそ、その視線の先にいる選手からドラマや、物語も生まれる。
26歳の島本浩也が台頭した背景にある矢野の想い
育成と勝利……そんな相反するチームとしてのアプローチの懸け橋となるのは「我慢」と「信頼」。昨年、チームトップの63試合に登板するなど一気に台頭した島本浩也は、指揮官の「我慢」を「信頼」に変えてポジションをつかんだ一人に数えられる。象徴的だったのが、昨年6月6日のロッテ戦。1点リードの延長10回にマウンドに上がり、プロ初セーブをマークした。試合後、監督の目は潤んでいたという。「ファームで去年やってたやつらがこんな大事な場面で投げてくれるというのはね。感動せえへん? 俺だけ?(島本は)めっちゃ成長した」。
監督就任直後、期待の選手として名前を挙げたのが、他ならぬ背番号69。2軍監督を任された前年にリリーフで起用し続けて潜在能力の高さに目を付け「(1軍の戦力として)島本も中継ぎでいけると思う」と期待を口にしていた。伏線もあった。1カ月前の5月8日のヤクルト戦。総力戦となり2点リードの延長12回に出番が巡ってきたものの、同点に追いつかれて救援失敗。勝ち切れず責任の重さに打ちひしがれる若者に監督は試合後、LINEを送った。
「今日のことは気にするなよ。俺の責任やから」。受け取った者の心情は言うまでもない。「絶対にやり返すつもりでした」(島本)。監督としては痛恨といえる白星を取りこぼす結果になったが、終わったことを嘆くよりも我慢して傷心する左腕の「次」に目を向けた。
実は開幕直前、監督は島本から「70試合投げます」と宣言されていた。それまでシーズン23試合登板がキャリア最多あることを考えれば、完全なビッグマウスでも、この一年に勝負をかける強い気持ちが伝わった。普段、物静かな26歳の“ハッタリ”こそが何よりも求めていた「オレがヤル」という主体性。「思い」は行動に乗った。2軍監督時代から選手に訴え続けてきた「挑戦する姿勢」を感じる言葉を耳にしていたからこそ、同じ場面でリベンジの機会を与えた。
昨年は終盤の快進撃で逆転でのクライマックスシリーズ進出も、ファイナルステージで宿敵・巨人に敗れ去った。指揮2年目とあって、今季はより勝利を求められるだろうし、周囲の視線や求められるものもシビアになることは容易に想像できる。それでも、チームを預かる者としてのスタイルにブレは一切ない。選手の可能性を信じ、優勝を目指していくタイガースの姿と選手のプレーで野球の魅力、楽しさをファンに存分に伝えていく。
2020年のスローガンは選手、首脳陣にアイディアを募り「It’s 勝笑 Time!オレがヤル」に決めた。プロスポーツチームでは異例ともいえる「笑い」を加えたことには意味がある。「笑うことだけが先行すると違うことになる。笑って、楽しんで野球やる姿を見せて、しかも勝つ。その姿を子どもたちが見た時に“阪神入りたいな、阪神みたいな野球やりたいな”って思ってもらいたい。勝って笑う、勝って笑顔にする」。やはり、2020年も阪神タイガースは、ドラマチックな集団になりそうだ。
次代のタイガースの骨格をつくるべく、矢野燿大は「我慢」と「信頼」の狭間に立ちながら、若い才能を独り立ちさせていく。個々の主体性が集結した時、歓喜の秋は自然と近づく。
<了>
【連載第2弾】阪神・能見篤史、自らリスクに進む「41歳の覚悟」。15年ぶり優勝のキーマン「思考と哲学」
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