阪神・横田慎太郎、「奇跡」の道標に。病魔と闘い、最後に辿り着いた一瞬の幸福
それは「奇跡」だった。9月26日、1096日ぶりの公式戦にして、現役最後の試合。脳腫瘍の病魔と闘い、ようやく辿り着いた舞台で見せたバックホームは、まさに「奇跡」だった――。ここに至るまでに、いったいどれだけのものを失い、そして何を見つけることができたのか。横田慎太郎が歩んできた道は、いつか必ず誰かの道標になるだろう――。
(文=遠藤礼、写真=Getty Images)
2度に及ぶ計18時間の手術と、2年間の闘病生活
火を感じさせない静かな桜島が“戦闘服”を着ていない姿と少しだけ重なった。キャップをかぶり、カジュアルな私服姿で故郷の“象徴”を見つめる目は、いつも以上に優しい。今季限りで現役を引退した元阪神タイガースの外野手・横田慎太郎は、全力で歩んできた壮絶で、余りにも短かったプロ生活を実感を込めて振り返った。
「こんな経験ができたので。変な言い方かもしれませんが、この何年間で自分はすごく成長できたと思っています」
悲壮感はない。前向きな言葉が一瞬、ここ数年の激動の日々を忘れさせる。2年前、突然宣告されたのは脳腫瘍という大病だった。2度に及ぶ計18時間の大手術に半年にわたった闘病生活……。思い返したくもない苦しい時間を、まるで昨日あった、何気ない出来事のようにためらいもなく話していく。当たり前だが、簡単に乗り越えられたわけではない。口を閉ざしてもいいはずなのに、そうしないのはなぜか。「もしかしたら誰かの力になるかもしれない」。病を克服し、もう一度グラウンドに復帰した自身の体験を発信することが、同じ病気と戦う人間、壁にぶつかっている人たちの救いとなるかもしれない――。今、根底にあるのは、そんな思いだという。絶望に打ちひしがれながらも、最後にたどりついた一瞬の幸福。背番号124の力強い歩みは、困難に対してどう向き合っていくべきかを教えてくれる。
野球と光を失った日々、強くなった家族の絆
「異変」が起きたのは、プロ4年目だった2017年春季キャンプ中。沖縄のチーム宿舎で深夜にトイレに行こうと目を開けると、世界が割れたように視界がゆがみ、焦点が定まらなくなった。「立つこともできなくて。膝をついて何かにつかまらないとトイレまで行けなかった」。一度でなくそんなことが何日も続くと、プレーヤーとしても支障をきたすようになった。打撃練習では芯でボールを捉えることが困難となって、あり得ないペースでバットを折った。決定的だったのは、紅白戦で一塁へ出塁した際に視力の影響なのか、投手のけん制が全くイメージできなくなり、その場を動けなくなった。「完全にパニックになって……。これは異常だと。そこで、これは病院に行かないといけないと思いました」。翌日、眼科に行くとすぐに別の病院での精密検査を勧められた。MRI検査などを終えると、歩み寄る3人の医師からは、病名よりも先にこう告げられた。
「こんなことを言うのは嫌なのですが横田選手、野球からは一旦離れましょう。脳腫瘍という病気です」
そこからの記憶は曖昧だという。翌日には飛行機で緊急帰阪して大阪の病院に入院し、手術を受けた。前日までユニホームを着てグラウンドを全力疾走していたのだから無理もない。あまりにも受け入れがたい現実。手術は2回行われ、2度目は10時間以上にも及んだ。無事に終わったものの約2カ月間は視力を失い、記憶も断片的にしか刻まれない。「朝食べたものを昼にはもう忘れていて。親の顔も全く見えなくなりました」。心の準備をする間もなく、記憶と光を完全に失った。
支えとなったのは「声」だった。息子が病名を宣告されたその日に仕事を辞め、付き添ってきた母・まなみさんが術後のある日、車椅子を押して病院の屋上に連れて行ってくれた。夜桜が咲き乱れていた。「慎太郎、絶対に見えるようになるからね」。暗闇の中、力強くうなずいていた。抗がん剤や放射線治療の影響で毛髪は抜け落ち「あぁ……病気なんだな」と打ちひしがれもした。全身から毛がなくなり、寒気で体温が低下し夏場でも毛布にくるまって一日を過ごさなくてはいけなかった。あらためて闘病の意味を実感する毎日を送る中でも母だけでない家族の存在が何よりの“良薬”になった。
「母がずっと励ましてくれて。楽しいことをずっと言ってくれて。姉も仕事があるのにずっと来てくれた。家族が最初からずっと横にいてくれたので前に進めました」
元プロ野球選手の父・真之さんが頭を丸めて病室に現れた時には、一人になった後、ずっと泣いた。つらいことが増えるたびに強固になった家族の絆。徐々に回復していく視力とともに、もう一度ユニホームに袖を通すというイメージも浮かんできた。
「野球の神様っているんだな」
球団から「来年(2018年)は育成選手として契約し支配下時代の背番号24も空けておくから」と伝えられた時には視界が一気に開けた。「もう契約してもらえないと思っていたので、すごく大きかった。頑張れば(支配下返り咲きにも)近づいていけると思えた」。実はその直前、術後初めて病院の近くの公園で真之さんが目の前に投げてくれた柔らかいボールを捕球できなかった。「自分の中ですごくショックだったんです。もう野球は無理だと確信しました。そんな状態で戦える世界じゃない」。弱気になっていたところで背中を押された気がした。
2017年9月に選手寮に戻り、野球選手としてのリハビリをスタートさせてからは、入院生活の時よりも一進一退の日々が待っていた。引退の原因となったように、完全に回復しなかった視力が野球選手としての横田に制限をかけた。角度によってはノックの飛球は見えず、打席には一切、立てない。理想を追いかけるほど感じる現実との乖離。ただ、もどかしい時間が大半を占め、心の折り合いをつけることが難しくても一度も下を向くことはなかった。
「確かに“なんでこれができないの”と思うことは多かったですけど、野球をやると決めたのは自分。何か小さなことでも良いので、1日に1つ良いことを見つけて、プラスに考えてやっていた」
歩みを止められない理由もあった。闘病を経験した者として病気と闘う人たちに勇気を与えることを大きなモチベーションにし、実戦復帰を目指した。「“勇気を与えます”とか自分がそんな大きいこと言っていいのかなと思いましたけど、野球をやると決めた以上、次は僕が誰かを助けたいと思っていた」。周囲を見渡し、目に入ってくるのは心が折れそうな事実ばかりでも、プラス思考で前を向けた。重ね合わせたのは数カ月前までベッドにいた自身の姿だった。
「病気になってからは、できるかな……大丈夫かな?ってマイナスになっても前に進まない。プラス、プラスで1日1個何かができた、っていうのを続けていけば、目標に近づいていくんじゃないかと考えるようになりました」
重くても、つらくても、視線を上げて一歩踏み出せば“景色”は変わっていく。それを、体現したのが、引退試合として行われた9月26日のウエスタンリーグ・ソフトバンク戦だった。8回2死二塁から途中出場で中堅の守備につくと、塚田正義の中前打を処理してバックホームし本塁を狙った二塁走者を刺殺。打った塚田は「野球の神様っているんだな」と驚いた表情で仲間につぶやき、阪神ベンチでは観戦に訪れていた鳥谷敬が「野球の神様っているんだな。すごいぞ」と横田の背中を叩いた。神様がつくった花道。プロ人生で奪った最後のアウトは「奇跡」という表現でも全く大げさには聞こえなかった。
「打球は見えていなかったんです。いつもなら後逸するか、顔に当たっていたボール。最後にこの打球かと思ったけど、いつもより何十倍も体が動いて。今思い出しても鳥肌が立ってくる。考えられないというかあんな打球を捕ってよく投げたなと。本当に神様か誰かが、全部やってくれた。今まで見てくれた感じがしました」
あれから3カ月がたち、今は鹿児島に戻って1人暮らしを始めている。球団からのアカデミーコーチの打診は視力の不安もあって固辞し退団。セカンドキャリアは決まっていない中で、今できることに目を向ける。
「病気になったことは苦しく、つらいことでしたけど、自分が経験したことを言葉で伝えていきたい。苦しんでいる人を助けたい。僕が忘れられる前に、今何か一つでも小さな目標を持っていけば、あのバックホームのような良いことがあるんだ、ということを自分の口で伝えていきたいんです」
“激闘”の疲れは見当たらない。誰かの“道標”に――。24歳のまっすぐな眼差しには使命感すら感じる。
<了>
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