
「金に興味無し」エンバペの新選手像 世界最高を育てた両親の「ただならぬ人間教育」
フットボール界のスター街道をひた走るキリアン・エンバペ。一方で、人気の爆発にブレることなく、カネに一切興味を示さず、社会貢献活動に熱心な彼の姿が多くの共感を生んでいる。そこには父母兄姉にしっかり教育されたジネディーヌ・ジダンを彷彿とさせる両親のたゆまぬ人間教育があった。全ては「フランスの子どもたちの未来」のために。エンバペが築いた新時代の選手像とは?
(文=結城麻里、写真=Getty Images)
これまでのフットボーラーになかった、全く新しいポリシー
エリーズ・リュセという女性がいる。「知らないフランス人はモグリ」と言ってもいいほど著名な調査報道の第一人者で、ワルな大企業や政治家はその名を聞いただけで密かに震え上がる。フランスジャーナリズムの批判精神を体現する、まさに社会の木鐸(ぼくたく)だ。そのエリーズ・リュセが、珍しく褒め言葉を吐いた。ラジオ「Franceinfo(フランス・アンフォ)」の電波上だった。「若者たちの突き上げをどう思いますか。生意気な感じは?」と問われ、こう答えたのだ。
「とんでもない、素晴らしいことですよ! 17歳の頃の私だって、全てに怒り心頭、何もかもひっくり返してやりたかったものです。若者たちはそうやって社会を動かしていくのです。キリアン・エンバペを見てください。世界中で有名になってもカネに無関心で、自分がどこからきたかを忘れずにセーヌ・サン・ドニ県の子どもたちを支援しています。素晴らしい!」
フランスのテレビ局「France 2(フランス・ドゥ)」の彼女の番組「アンヴォワイエ・スペシャル(特派員)」が、番組創立30周年を記念して社会を突き動かす若者たちに焦点を当てたのは、その翌日のことだった。グレタ・トゥーンベリさん(17歳のスウェーデン環境活動家)も追ったが、真っ先に登場したのはエンバペだった。
とはいえこの超有名番組でさえ、エンバペの本格独占インタビューは実現できなかった。ただ市民団体のために子どもたちとバイオ・クッキーづくりに挑戦する姿や、バロンドール受賞式(リオネル・メッシが受賞)などに密着しながらコメントをゲット。エンバペ一家のスタンスを浮き彫りにした。それは、これまでのフットボーラーになかった、全く新しいポリシーだった。
並べてしまおう。まずフットボールビジネスは考えない。したがってスポンサー契約も最小限。代理人もつけない。弁護士だけ雇ってアドバイスを受け、決定は本人と父母が熟考して下す――。
代理人をつけないフットボーラーは初めてではない。例えばアントワーヌ・グリエーズマンは、少年時代からの保護者兼アドバイザーに長く依拠した後、姉のモードさんにメディア対応を任せ、本人が決めている。ただアトレティコ・マドリードからFCバルセロナに移籍する時期をめぐって悩み、その姿をビデオ公開して顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまったこともある。そもそも「グリジ」の場合は、自伝でも告白しているようにCM出演が嫌いではないようだ。
これに対しエンバペはほとんどお断り。所属クラブのパリ・サンジェルマン(PSG)やフランス代表との関係で、ナイキなどごく一部のスポンサーとは契約しているが、他には高級時計メーカーのウブロと契約した程度。それもフットボールの王ペレとのジョイント企画だったためで、王へのリスペクトだった。これらを除けばCMにもまず出演しない。
こうしたポリシーを、広告宣伝業界エキスパートのフランク・タピロ氏は、「フランス・フットボール」誌上でこう分析している。
「もう怪物だね。あらゆるビッグフットボーラーが(スポンサー)契約をいくつも積み重ねているのに、彼ときたら穏やかそのもの。エンバペブランドのほうが他ブランドより最強なんだ。宣伝もほとんどしない。子どもたちのためのバイオ食品(前述の料理シーン)のように、市民団体の助けになるようなものだけだ。ウブロとも契約したが、あれはペレと一緒だったからで、『これからはキミの時代だ』とペレが彼に権力を移譲するイメージだった。ウブロがこの点で力を見せつけた格好だ」
秘話も明らかになった。実はペレがそのウブロ企画でパリを訪れた際、撮影後に倒れて入院する羽目になってしまった。ここまでは知られていた。ところがそのとき、病院にエンバペがお忍びで見舞いに来たのだという。ペレ自身が告白した。
「来る義務もなかったのに、キリアンは私の枕元に来てくれたんだ。だから私はこう言うよ。キリアン、悩んだときはいつでも私のところに話しにおいで。それが私の恩返しだ」
ジダンを彷彿とさせる父母の人間教育
父母兄姉にしっかり教育されたジネディーヌ・ジダンもそうだったが、エンバペの背景にも、どうやらただならぬ父母の人間教育がある。
例えばプロハンドボーラーだった母ファイザさんの口癖は、「偉大なフットボーラーになりたいなら、まずは偉大な人間になりなさい」だという。ちやほやする周囲にも、「狂犬病ワクチンを発見したわけじゃあるまいし」と笑って鎮めるそうだ。自慢したがる母が大勢いるなかで、彼女は頑なにカメラを拒否、やむを得ず画面に入ったら必ずモザイクをかけさせる。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会の勝利給寄付も、ファイザさんが空港でフランスサッカー連盟のノエル・ルグラエット会長とすれ違い、「選手はもらいすぎるほどおカネをもらっています。勝利給は全額寄付するようにできないでしょうか」と切り出したらしい。驚いた会長は「いますぐは決められない……」と戸惑ったが、後に熟考することとなり、他の選手たちも一部寄付の方向に動いていった。エンバペはといえば、断固として全額を市民団体などに寄付した。
父ウィルフレッド氏もほとんどメディアに登場しない。ただ、知られた育成指導者で、フットボール面で息子の後見人を務めるため、試合は観戦に来る。そこでテレビに映し出される。「アンヴォワイエ・スペシャル」用には、例外的に短いインタビューも受け入れた。
そこでエリーズ・リュセが、「息子さんを高慢だと言う人もいます」と突っ込む。すると父は、「物事には常に2つの見方があります。あなたが『明日の試合に勝ってやる!』と言ったとしましょう。ある人はそれを聞いて『高慢だ』と思う。でも別の人は『志が高い』と思うのです」と微笑んだ。またビジネスについては、「息子にはカネのことは考えるなと言っています」と明快だった。
こうしてエンバペは、ナイキの企画にさえ地元の子どもたちをジョイントさせた。スタッド・ド・フランスで開催された新作シューズイベントに、セーヌ・サン・ドニ県の子どもたちを呼び、フランス代表のホームスタジアムが「彼らのもの」と化したのだ。子どもたちが着たナイキ・ユニフォームには、エンバペの背番号ではなく「93」が揺れていた。「カトルヴァン・トレーズ」または「ヌッフ・トロワ」と呼ばれる「93」は、少なくないフランス人が「怖い」「貧しい」「移民」「暴動」と差別する県番号だ。その数字が堂々とスタジアムを占領し、ボールを蹴る子どもたちの笑顔がキラキラと弾けて輝いていた。
子どもたちのエンバペ人気は半端じゃない。演技も無理もしていないのに小さな子どもたちに好かれる人間がいるが、エンバペはその典型だ。PSGのクリスマスイベントでもそれは明らかだった。
このイベントにはPSGの選手たちとサンタクロースが登場。子どもたちは目を輝かせてプレゼントを待っていた。巨大な白髭とモジャモジャの白髪で両目しか見えないサンタが、いよいよプレゼントを渡そうとしたそのとき、すぐ後ろにいたチアゴ・シウバが予定外の行動に出た。サンタのモジャモジャかつらを背後からひょいと剥ぎ落としてしまったのだ。現れたのはエンバペだった。ところがやや戸惑うエンバペをよそに、「キャアー!」という子どもたちの歓声が発せられるや、すぐ脇にいた小さな男の子が狂喜のジャンプを敢行、見事エンバペの頬にジャンピングキスを成功させてしまった。これでエンバペも大爆笑してしまったのである。
子どもたちの未来のために闘うエンバペ
そんなエンバペの行動を前述のタピロ氏は、「いまのところ満点」と断言する。「少しミスした方がいいんじゃないかと思うぐらいだ」。
タピロ氏の言葉が聞こえたのかどうか、エンバペは試合中の交代に気を悪くして騒がれた。2月1日、モンペリエ戦(5-0)でのことだった。69分、トーマス・トゥヘル監督がエンバペをベンチに下げて、マウロ・イカルディを入れようとする。エンバペは硬い表情でタッチラインへ。すると監督がエンバペをひっ捕まえて諭し始める。だがエンバペは驚いて何か反論し、監督の手を何度も振りほどき、怒りのあまり用務係が差し出した上着まで拒否してベンチへ。これで「高慢なわがままっ子」「本当の顔が見えた」などの論が噴き出したのだ。
だが「監督もミスした」と見る専門家も多かった。不満顔とはいえ黙していたエンバペを、公衆とテレビカメラの面前で捕まえたのは監督のほうだからだ。こういう場合、選手が不満げでも無視して見送り、試合後にきっちりと話すべきだからである。またエンバペ級になったら、あらかじめ交代があり得ることやその理由を知らせておくのも肝要だ。ところが故意か自然か、公衆の面前で選手に恥をかかせて監督の権威を示す、というリスクを冒してしまった。
この後エンバペは監督と話し合い、「交代で入る選手に対しては何の悪意もない」と強調。ただ怒りについては謝罪しなかったという。そもそもベンチに下がるのを愛するコンペティターなどいない。表情に出すか出さないかの違いだけだ。このため「偽善的じゃなくてむしろいい」との声さえ出た。おそらく「ネイマールだけ途中交代対象外」という監督のマネジメントに納得できなかったのだろう。エンバペも人間だ。完全無欠ではないし、ミスもある。タピロ氏も安堵したのではないだろうか。
エンバペのポリシーはその後も変わっていない。フランスの有料テレビ局「Canal+(カナルプリュス)」が世界で最も過酷な環境のスタジアムを巡るルポを放映しているが、そこには氷と雪でできたスタジアム(ノルウェー)や、標高3800mの湖に浮かぶ湿地に白粉だけで描いたスタジアム(ペルー)などが登場する。このうちペルーの子は、水分でゆらゆら揺れる土を踏みしめながら、「一番好きなチームは?」と聞かれ、「フランス。だってキリアン・エンバペがいるんだもん」。これを見せられたエンバペは、スタッフの携帯にビデオメッセージを送った。スペイン語で男の子に直接語りかけ、励ましたのだ。予想もしなかったこのメッセージを見た男の子は、感動でしばし口がきけなくなり、それから潤んだ目で言った。「エンバペがここに来てくれるかな……」。
エンバペはつい最近も、パリ首都圏から募った出身階層も肌の色もまちまちの子どもたちを「就職するまで支援し続ける」という野心的プロジェクトを立ち上げた。「社会エレベーターが壊れた(がんばって勉強すれば職も見つかって社会に出られるという仕組みが壊れ、若者の失業と不安定労働が蔓延)」と言われて久しい郊外で、超高速エレベーターに乗って上昇したエンバペが、子どもたちの未来のために闘うのだ。
「カネには興味がないんだ。ただ戦績を爆発させて歴史を刻みたいだけ。今までこんなの見たことないよ」とタピロ氏は唸る。セーヌ・サン・ドニ県ボンディのクラックは、どこまでこのニューポリシーを貫けるだろうか。
エンバペは2月10日、強敵リヨン相手にまたゴール。12日にも叩き込んだ。いよいよUEFAチャンピオンズリーグの檜舞台も迫っている。子どもたちの瞳を輝かせるエンバペが、また緑のピッチに立つ。
<了>
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