なぜトッティはローマを去ったのか? 「暗殺者」に受けた汚辱「君はお荷物だったんだよ」

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2020.02.28

2016年、フランチェスコ・トッティはASローマのディレクター就任契約の場で、「俺は副会長になりたい!」と言い放った。それはトッティが「暗殺者」と呼ぶ彼の天敵、コンサルタントのフランコ・バルディーニの挑発に対する宣戦布告だった。日本で3月刊行予定の『フランチェスコ・トッティ自伝』のクライマックスともいえるそのシーンは「推理小説の最後の場面がめくられた」という一節から始まる。

(文=沖山ナオミ、写真=Getty Images)

「暗殺者」とトッティが呼んだその男の正体は?

「推理小説の最後の場面がめくられた。暗殺者がすべてを暴露したのだ……」。トッティが「暗殺者」と呼んだその男は、現ASローマ会長ジェームズ・パロッタの右腕として、コンサルタントを務めるフランコ・バルディーニだ。

まずはバルディーニについて簡単に説明しておこう。彼は1998年ローマ元会長フランコ・センシにコンサルタントとして用いられ、1999年ローマのスポーツディレクターに就任した。2001年のスクデット獲得に貢献したガブリエル・バティストゥータ、ワルテル・サムエル、エメルソン、その後もクリスティアン・キヴ、アレッサンドロ・マンシーニ、フィリップ・メクセス、さらにはエリク・ラメラ、パブロ・オスバルドなど、ローマで活躍した主要選手を連れてきていることから彼の実力がうかがえる。

バルディーニは途中2度、ローマから離れている。1度目は2005年にローマを去り、ファビオ・カペッロに追従してレアル・マドリードのテクニカルディレクターに就いた。その後はイングランド代表でアシスタントマネージャーに就任し、やはりカペッロの傍らにいた。2011年再びローマに戻ったが、2年後、トッテナム・ホットスパーに籍を移した。その後、オリンピック・マルセイユの外部コンサルタントを務め、2016年7月からローマと3度目の関わり合いを持つことになる。

ローマとバルディーニの関係は中断期間があるとはいえ、およそ20年にわたる。彼はローマの歴史を築いた重要人物の一人なのだ。その彼をトッティが「暗殺者」と呼んだのは、刃(やいば)を向けられたから……。バルディーニは年俸の高いトッティをローマから排除することを長年にわたって企てていた。

「もし私に権限があれば君を売る」

自伝で最初にトッティとバルディーニが相対する場面が登場するのは、2011年夏のこと。それは「推理小説」の一幕から5年ほど遡る。トッティがレストランで食事をしていたとき、彼のもとに一本の電話があった。相手はフランコ・バルディーニ。

トッティはバルディーニとの難しい関係を修復するために、愛想よく対応する。「チャオ、フランコ! イングランドから戻ってきたんですね」。だが、バルディーニはその後すぐ核心に触れた。「いいか、フランチェスコ。もし私に権限があれば、君を売る」

ダイレクト過ぎるその言葉を受けてトッティは絶句したが、一瞬間を置いてから負けずに言い返した。「わかりました。ではどこかチームを探してください」と。

バルディーニは答えた。「残念ながらそれができないのだよ。ローマに新監督を呼んでくるとき、誰もが同じことを確認するんだ。『トッティは本当に残るんですね』と。だから今は売りには出せない」。

この一本の電話はバルディーニからトッティに向けた宣戦布告だった。それだけで終わらない。数日後、バルディーニは外に向けて次の一手を打った。彼はラ・レプッブリカ紙でトッティのことを「怠け者」と責めたのだ。誰もが読む新聞で内部の人間から自分を貶められたトッティは、当然だが怒りを隠せなかった。2人の関係は完全に崩壊した。

「トリゴリアで君はお荷物だったのだ」

トッティを排除するという野望がかなわないまま2013年トッテナムに移ったバルディーニは、2016年パロッタ会長の外部コンサルタントとして再びローマに戻ってくる。任期は同年7月からであったが、6月に行われたトッティのディレクター就任契約の席にフライングで顔を出した。そして「暗殺者がすべてを暴露する」そのシーンが展開される。

バルディーニが口火を切る。「フランチェスコ、私も同席する」と。「フランコ、なんのためにですか?」と尋ねるトッティに向かってバルディーニは、「君を引退させる場には私がいなくてはならない」と冷ややかに言う。

そして続けた。「それは私がずっと望んでいたこと。数年前から私は君を売ることを考えていた。しかし、どの監督も君が残ることを契約の前提としたから、それがかなわなかった。だが(ルチアーノ・)スパレッティは君の残留を要求しなかった。ここ数年、ローマにとって君はお荷物だったのだよ。ローマは邪魔者から解放されて新たな歴史を作り始める。まあ、見ているがいい」。

リスペクトのかけらもないバルディーニの言葉にトッティは打ちのめされた。だが、彼はそのとき思いついた最大限の対抗する言葉、あるいは長年心の底で育ててきた思いを吐き出し、向けられた刃を弾いた。

「俺は副会長に就きたい。それは名誉のためではない。トリゴリア(ローマ練習場)で一番の権力を持つためだ」と。ディレクター就任契約のその席で、トッティはいずれ副会長に上り詰めたいという意思を告げたのだ。オーナー会長のジェームズ・パロッタは通常ローマにいない。その彼の意思決定は外部コンサルタントのバルディーニに左右されることが多い。トッティがバルディーニ以上の力を持つためには、彼自身が副会長の座に就き、実質トリゴリアのトップに君臨する以外ないと判断したのだ。これはトッティがバルディーニ、あるいはすべての排除派に向けた挑戦状だ。

ローマを去ったトッティ

2018年9月にイタリアで刊行されたトッティの自伝を読んだバルディーニは、自身のトッティへの行為が暴かれたことを重く受け止めてパロッタ会長に辞表を提出したという。だが、最終的にローマを去ったのはトッティだった。

トッティは現役引退後、ローマのディレクターとして2年間働いたが、2019年6月に記者会見を開催し、辞任してローマを去る旨を告げた。生涯ローマにささげると思われていたトッティが自ら身を引いたわけだが、いったいなにが起こったのだろうか……。

辞任に至った最大の原因はトッティにディレクターとしての権限が与えられなかったことだ。彼はクラブの人事に関わりたかったのだ。1年目は見習いとして耐えていたが、その後も権限を与えられることはなかった。新監督の決定においても、ロンドンで行われた会議に参加したときには、すでにすべてが決められていたという。結局のところ、トッティに与えられた仕事はアンバサダー的な役割ばかりだったのだ。

エージェント業に乗り出したトッティ

ローマを退団したトッティの今後が注目されていたが、2019年11月に新たな動きを見せた。ロンドンのビッグ・エージェント”Stellar Group”の創始者であり代理人を務めるデイビッド・マナッセーに会っているのだ。同社はトッティが新たなエージェントを立ち上げるにあたっての提携先とみられている。

2020年2月11日、トッティはTwitterで『CT10』『IT Scouting』という2社を立ち上げたことを正式に発表した。本部をローマのエウル地区に置き、クラブと選手、監督のコンサルティングとアシスタントを主業務とする。ヴァンサン・カンデラも幹部として加入予定。代理人、会計士、弁護士はすでにスタッフとして動き始めている。まだ噂の段階だが、選手ではインテルの若いタレント、セバスティアーノ・エスポジト、監督ではジェンナーロ・ガットゥーゾ、ルチアーノ・ザウリをクライアントとして迎える予定があるそうだ。

選手時代はローマのバンディエラとして君臨したトッティだが、今後はスカウティング&マネジメント業界で旋風を巻き起こすのだろうか。その手腕が見ものだ。

<了>

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