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「母を誇りに思う」 鬱病と闘ったグレイシー・ゴールド、コロナ最前線で闘う母との絆
世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスに立ち向かうため、世界中のトップスケーターが集まったオンラインチャリティーイベント“Blades for The Brave”。その司会を務めたのは、自殺願望とも闘った想像を絶する暗闇の時期を乗り越え、今シーズンの全米選手権で復活劇を演じてみせた、グレイシー・ゴールドだ。その凛とした姿には、コロナ禍にある世界中の人々へと伝えたいメッセージが感じられた――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
米フィギュア界の期待を一身に背負った彼女が受けた心の傷
2012年、世界ジュニア選手権銀メダリストとなった16歳のグレイシー・ゴールドは、数々の名スケーターを輩出したアメリカ女子の歴史を受け継ぐ存在として注目されるようになる。跳び上がった瞬間に軸がキュッと締まるトリプルルッツ、女優のような美貌。“ゴールド”というその名前も、彼女が歩む華やかな道のりを予告しているようだった。お気に入りのスケーターとしてゴールドの名前を挙げたフォトグラファーが、バックヤードでウォームアップする彼女をよけて通った時にお礼を言われ、「とても感じが良かった」と言っていたことも思い出される。
優れた才能、端麗な容姿、人柄の良さを兼ね備えたゴールドは、17歳で全米選手権に初出場、2回目の出場となった2014年大会で18歳の全米女王になる。さらに2014年ソチ五輪ではアメリカ代表の一員として団体銅メダルを獲得、個人戦でも4位と好成績を残した。順調にキャリアを積み重ねていたゴールドがその後苦難の道のりをたどることを、誰が予想しただろうか。
自国開催の2016年世界選手権(ボストン)、黒の衣装と赤い髪飾りを身につけたゴールドはショートプログラムでアルゼンチンタンゴの名曲『El Choclo』を滑り、首位に立つ。冒頭のトリプルルッツ―トリプルトゥループを皮切りにすべてのジャンプを着氷させ、笑顔でステップを踏んでいくゴールドは美しかった。スタンディングオベーションを送った観客の中には、フリー後表彰台の一番高いところに立つゴールドを思い描いた人もいたに違いない。
しかしフリー『火の鳥』でのゴールドは、冒頭のトリプルルッツ―トリプルトゥループで転倒。また単独のルッツが2回転になってしまうミスも響き、4位に終わる。その直後に滑った同国のライバル、アシュリー・ワグナーは大きなミスのない演技で銀メダルを獲得した。個人的には、メダリスト会見でのワグナーのとてもうれしそうな話しぶりが鮮烈に記憶に残っている。当時の印象は「アメリカの女子はやはり底力がある」というものだったが、その陰でもう一人のアメリカ代表であるゴールドが心に深い傷を負っていたことには、思いが至らなかった。
うつ・摂食障がいから復活を果たした全米選手権 誇らしかった姿
昨年掲載された『ニューヨーク・タイムズ』の記事によれば、完璧主義者だったゴールドは、ソチ五輪の前から無理なダイエットをしていたという。さらに2016年世界選手権の結果にショックを受けたゴールドはうつ状態になり、食べ過ぎた後に吐くことを繰り返すようになる。同年夏に米国フィギュアスケート連盟主催の定期観察会でその異変に気付いたのは、ワグナーだった。ワグナーからの報告により連盟は支援しようと動いたが、その時のゴールドは自らの異常を認めなかったようだ。2016-17シーズンも休まず競技会に出続けたゴールドだが、2017年全米選手権では6位に終わる。
2017年夏の定期観察会で増えてしまった体重と不安定な精神状態を見せたゴールドは、連盟のサポートを受け入れ、治療を始める。そして同年秋には、うつ・不安障がい・摂食障がいの治療を続けていることを公表。平昌五輪出場を諦め、2018年春まで治療に専念することになった。
リハビリを終えて徐々にスケートを練習し始めたゴールドは、2018年11月に行われたグランプリシリーズ・ロシア杯で復帰を果たすが、ショートプログラムで最下位になり、フリーを棄権。コーチはこの試合に出場することに反対していたといい、この時のゴールドはまだ復帰の途上にあった。ロシア杯に強行出場したのは全米選手権の出場権を獲得するためだったが、昨季のゴールドはその目標を果たすことはできなかった。
しかし、ゴールドの奮闘は既に世の中にインパクトを与えていた。2019年5月、勇気を発揮したスケーターに与えられる「ウィル・シアーズ・アワード」がゴールドに授与される。そして今季、ゴールドは東部地区選手権で3位に入り、ついに全米選手権への出場権を勝ち取った。
全米選手権、ショート13位でフリーを迎えたゴールドは、静かなバラード『She Used To Be Mine』に乗って滑り始めた。冒頭に跳んだ代名詞・トリプルルッツには高さがあり、後ろにダブルトゥループをつけて決めてみせる。ジャンプの細かいミスはいくつかあったが、後半で成功させたトリプルフリップ―ダブルトゥループは見事だった。頬に手を当てたポーズで演技を終えたゴールドは、放心したような表情になった後、涙をぬぐう仕草を見せ、そして華やかな笑顔で挨拶をした。ワグナーは、Twitterでゴールドの演技をたたえている。
「息が止まりそうになった。グレイシー・ゴールド、あなたを誇りに、誇りに、誇りに思う。これは、スケートにおける偉大な瞬間。あなたは素晴らしい」
ゴールドが誇りに思う、コロナ禍の最前線で闘う母
全米選手権に戻ってきた真の意義は総合12位という結果にはないことを、キスアンドクライで24歳のゴールドが見せた小さなガッツポーズが語っていた。
そして、フィギュアスケート界が新型コロナウイルス禍による世界選手権中止という前代未聞の苦境にある中、ゴールドは4月18日(日本時間)に配信された新型コロナウイルス禍救済のためのライブストリームイベント “Blades for The Brave(勇者のブレード)”で司会を務めた。このイベントには五輪や世界選手権に出場したフィギュアスケーターたちが出演、視聴者にアメリカの医療支援機関AmericaresのCOVID-19支援基金への寄付を呼びかけた。ゴールドは、このイベントに対する思いを次のように語っている。
「私の母は緊急病棟の看護師で、他の医療関係者のように最前線で闘っています。だから医療関係者に意義のあるこのショーは、私にとってどうしても逃したくない機会だったんです」(テレビ朝日 フィギュアスケート公式Twitterより)
ソチ五輪団体のチームメイトでもあるジェイソン・ブラウンと共にイベントを進行したゴールドは、本当に美しかった。際立った美貌のため、ティーンエイジャーだった頃のゴールドは整いすぎて人形のような印象すらあったように思う。しかし自殺も考えたという暗黒の時期を乗り越え、選手寿命が短い女子シングルにおいて、24歳で国内最高の舞台である全米選手権への復活を果たしたゴールドの内面的な充実が、その表情ににじみ出ていた。生き生きと楽しげに大役を務めるゴールドを見て、安心したファンも多かったのではないだろうか。
イベントには、看護師であるゴールドの母、デニースさんも出演した。デニースさんは、ゴールドが団体の銅メダルを獲得したソチ五輪前、とにかく痩せようと体を痛めつけるようなダイエットをしていることを心配し、娘にもっと食べるように言っていたという。「とても特別なゲスト」として娘に紹介されたデニースさんは「私はフィギュアスケーターのママであり、緊急病棟の看護師です」と自己紹介し、仕事に臨む覚悟について語った。
「最前線でコロナウイルスと闘っています。これは戦争であり、私には義務があります」
「私たちを助けてくれてありがとう、お元気で」と締めくくった母を見て、ゴールドはそっと目元をぬぐい「私は母をとても誇りに思っています」と口にしている。
世界中が新型コロナウイルスの猛威に苦しみ、先が見えない苦境にある今、新型コロナウイルス禍救済のためのイベントの司会役として、ゴールドはまさに適任だったと思う。ゴールドこそ、暗闇の先には光があることを体現している存在だからだ。想像を絶する苦しみを乗り越え、その経験によって得たものを世界に還元している現在のグレイシー・ゴールドは、最高に美しい。
<了>
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