
久保建英とビジャレアルは最高の盟友。だからこそ求められる、日本メディアの報道姿勢
8月11日、所属するスペインリーグ1部レアル・マドリードからビジャレアルへの1年間の期限付き移籍を決めた久保建英が入団会見を行った。国内外30クラブ以上からオファーを受けたとされる久保選手本人が「最良のオプションだった」と自信を持って語る理由とは? 長年スペインサッカーを取材する小澤一郎氏が、レアル・マドリードが設けた3つの条件について、そしてビジャレアルというクラブの在り方そのものについての魅力を解説する。
(文=小澤一郎、写真=Getty Images)
ラ・リーガ上位3チーム以外はすべて獲得に興味
サッカー日本代表の久保建英が11日、1年間の期限付き移籍をするビジャレアルで入団発表を行った。昨季はラ・リーガで5位に入り、来季のUEFAヨーロッパリーグ(EL)出場権を持つ名門クラブへのステップアップ移籍に日本はもちろん、スペインでも大きな関心と期待が寄せられている。
スペイン国内外から30以上のオファーが届き、現地記者に確認したところドイツの名門バイエルン・ミュンヘンからの関心があったのも事実のようだ。しかし、レアル・マドリード所属選手としてマドリードへの復帰が久保にとって本当の意味でのスタートラインであることに変わりはない。
11日の入団発表でビジャレアルへの移籍が「最良のオプションだった」と久保本人がコメントした通り、ラ・リーガや欧州の中でも「強豪」に位置づけられるビジャレアルのようなクラブへの移籍は久保の成長や来季のマドリード復帰の可能性を最大限に高めるステップアップを確実に保証するものだ。
シーズン終了直後から久保の去就についてはスペインでも過熱気味の報道が続いた。当初はビジャレアル同様に来季ELに出場するレアル・ソシエダ、そしてUEFAチャンピオンズリーグ(CL)を戦うセビージャや、同じアンダルシア州のベティス、グラナダといったクラブが挙がっていたが、オサスナやセルタといったクラブまで争奪戦に参戦するようになるとラ・リーガ1部の上位3チーム以外はすべて獲得に興味を示しているような様相を呈するようになる。
そんな久保争奪戦を制するクラブが8月5日に突如として浮上する。スペインの大手スポーツ紙『AS』は5日にWEB版で「久保、ビジャレアルへ期限付き移籍へ」と題した記事を掲載し、「ビジャレアル、レアル・マドリード、選手(久保建英)間の合意に達した。買取りオプションなしの1年の期限付き移籍にサインする」という内容を報じた。
移籍確定の第一報記事を書いたASのビジャレアル担当ハビ・マタ記者は「当初ビジャレアルは獲得の可能性がないと見ていたため、久保を(補強の)第一候補には考えていなかった」と明かす。事実、ビジャレアルにとっての第一候補は同じレアル・マドリード所属のMFオスカル・ロドリゲスで、7月末の段階で選手とは口頭レベルでの合意に達していた。
しかし、同じく7月末にウナイ・エメリが監督就任したことでビジャレアルの補強戦略に変化が生じる。昨季のビジャレアルの中心としてゲームメイクを担っていた元スペイン代表MFサンティ・カソルラが契約満了でカタールへ移籍したことで、エメリ監督は中盤2列目のライン間でのプレーに長けた久保に白羽の矢を立てた。
レアル・マドリードが設けた3つの条件
エメリ監督の意向を受けて、オスカル・ロドリゲスの完全移籍に向けて移籍交渉を続けていたビジャレアルはレアル・マドリードに「久保獲得の可能性」を相談。マドリード側は当初から買取りオプションなしの1年間の期限付き移籍を前提として3つの条件を設けていた。
1つ目がスペイン1部のクラブであること。昨季マジョルカで欧州1年目を過ごしたことからもわかるように、久保本人も将来のマドリード復帰を目指す上ではラ・リーガでのプレーにこだわり、マドリード側もスカウティングや情報共有のしやすさなどからスペイン国内の1部クラブへの貸し出しを最初の条件に設定した。
2つ目が若手の起用に慣れたクラブであること。クラブとして育成に投資し、積極的に若手を起用する文化を持つクラブのほうが久保の成長を保証してくれるのは明らか。例えばチームとしての平均年齢が高く、ベテラン選手の序列が高いチームに久保のようなマドリード所属で高額年俸を受け取る若手が突如入った際、受け入れ側のチーム内に若干の拒否反応や嫉妬が発生するのは想像に難くない。
最後の3つ目が欧州のコンペティションに出場するクラブであること。昨季のマジョルカは1部昇格組で残留が目標のチームで、1部20チーム中最下位のチーム強化費しかないスモールクラブだった。そのマジョルカで守備的な戦い方や守備のポジショニングを身につけた久保にとって次なるステップは、ボール保持、攻撃局面が多くELやCLに出場するような上位クラブでのプレーと考えられていた。
セビージャやレアル・ソシエダも3つの条件をすべてクリアするクラブではあったが、オスカル・ロドリゲスの移籍交渉でクラブ間で密に連絡を取り合い、タイミング良く久保の期限付き移籍を打診できたビジャレアルが8月に入って一気に争奪戦を制することになった。
ビジャレアルにとっての不幸中の幸いは、コロナ禍のオフシーズンということで通常よりもオフ期間が短く、久保に即決即断を求める状況であったということだ。来季のラ・リーガが9月12日開幕予定ということもあり、8月のCL、ELに参戦していないクラブはどこも8月10日前後からプレシーズンを始動させている。
世界中から尊敬されるクラブの戦略と哲学
条件、タイミングが合致したとはいえ、最終的に久保がビジャレアルを選んだ理由はこのクラブの在り方そのものに惹かれたからであろう。
久保の入団発表でも隣に座ったフェルナンド・ロッチ会長は当時2部残留がやっとのビジャレアルを買い取って以降、南米路線で着実な強化を進めてきた。2005-06シーズンのCLではリケルメ、フォルラン擁するチームで準決勝まで進出。2007-08シーズンにはラ・リーガでクラブ最高となる2位フィニッシュ。テンポ良くショートパスをつないで攻撃面で相手を圧倒するビジャレアルのサッカーは一躍国内外で脚光を浴びた。
一方でクラブは育成への投資を惜しまず、2012-13シーズンに2部落ちを経験した時には育成部門の予算だけは唯一現状維持を守った。5万人という人口規模からもわかるように地元には当然子どもの数も少ないが、子ども一人ひとりをダイヤの原石として大切に扱い、低年齢から良質な育成メソッドで選手を育てる方針も結果を出しつつある。今やトップチームの約6割が下部組織出身選手で占められており、昨季スペイン代表にも選出されたセンターバックのパウ・トーレスは地元ビジャレアルの出身選手だ。
良質なフットボールを展開するために良い選手を補強し、一方で安定的にチームを強化するためにも育成に投資するクラブの戦略と哲学は今や世界中から尊敬の念を持たれている。また、人口の少ない小都市だからこその生活面でのメリットもある。
確かに街の中心であっても娯楽やレストランは少なく、オフを満喫するには物足りなさもあるが、地元のファンやメディアからのプレッシャーは少なく、街中で選手が歩いていても過度なファン対応を求められることはない。車を少し走らせればスペイン国内でも有名な地中海沿いのリゾート地ベニカシムがあり、ビジャレアルの選手の多くはそういったリゾートに一軒家を借りて落ち着いた生活環境を整えている。
ラ・リーガのクラブでは珍しく2つのスポーツセンターを有し、クラブハウス内にはトップチーム専用の宿泊施設もある。そして何よりホームスタジアムのエスタディオ・デ・ラ・セラミカは収容人数こそ約2万4000人と少ないが、ビジャレアルのような良質なフットボールを堪能するには最高の舞台であり、クラブはその舞台装置たる芝の管理育成に積極的な投資を行っている。
そうしたビジャレアルは来季に向けてウナイ・エメリ監督を招聘した。セビージャでEL3連覇という偉業を達成したことからもわかるように、戦術家で野心家でもある彼にはビジャレアルというチームに初タイトルをもたらすアグレッシブなフットボールと勝者のメンタリティの植えつけが期待されている。
守備的、保守的な監督という批判も一部ではあるが、バレンシアでダビド・シルバ、セビージャでバネガを使いこなしてきたことからもわかるように久保のような攻撃面で違いを生み出せる選手をアクセント、スパイスとしてうまくチームにはめこむ手腕は持っている。久保の獲得をエメリ監督が熱望したことからもわかるように、来季のビジャレアルの攻撃においてスペイン代表FWジェラール・モレーノに似たタスクが与えられることになるだろう。
日本のメディアに賽(さい)は投げられている
日本市場にもたらす久保獲得のインパクトについても考えてみたい。これまでのビジャレアルはスペイン国内でも欧州でも「強豪」という位置づけで認められてはきたが、海外に多くのファン、サポーターを多く抱える「ビッグクラブ」とまではなりきれていなかった。しかし、今回の久保獲得によってすでに日本市場での認知は劇的に向上しており、ビジャレアルのSNSでのフォロワー数増加や久保関連のYouTube動画の視聴回数の伸びを見ても日本市場での勝利は約束されている。
経済的側面を見込んだ獲得ではないことから、久保の人気や認知を正しく使って日本市場でのプレゼンスを発揮していくことになるだろう。また、長年ラ・リーガの取材をしてきた筆者にとってビジャレアルは「ラ・リーガ最高の広報部門」を持つクラブだ。今後、日本のメディアからの要望が殺到した時には一時的な混乱が生じることもあるかもしれないが、常に誠実でメディアの要求にできるだけ応えよう、メディアと協力体制を築いてビジャレアルのブランド価値をファンに届けていこうという姿勢は他のクラブで経験したことのないレベルにある。
その意味では、日本のメディアに賽(さい)は投げられている。去就報道であったように「久保建英」の名前を載せただけの見出しを用いて中身の伴わない記事、現地報道を機械的に訳しただけのメディア展開や報道姿勢を今後も続けていくようでは、逆にビジャレアルというクラブのブランドを日本で毀損(きそん)することになりかねない。
どういうシーズン、結末になるにせよ、久保にとってのビジャレアルは恋人を超えた「最良のパートナー」になる。久保ほどの選手になればその一挙手一投足が大々的に報じられることは致し方ない面もあるが、彼はまだ19歳。日本中の期待を一身に背負ってプレーするような年齢の選手ではない。
日本のみならず世界のサッカー界の宝だからこそ、ビジャレアルというクラブの在り方同様に落ち着いて、大切に見守る姿勢がわれわれ一人ひとりに求められている。あふれる情報やSNSに過度に踊らされることなく、温かい目でビジャレアルでの久保の成功を見守っていこうではないか。
<了>
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