![](https://real-sports.jp/wp/wp-content/uploads/2023/07/9c978e90e91311eaa83825b3ff7a1a63.webp)
少年のようだった内田篤人は、誰よりも「いい男」になった。その生き様をいま改めて振り返る
鹿島アントラーズの内田篤人が引退を発表。8月23日、明治安田生命J1リーグ第12節・ガンバ大阪戦でのプレーが現役最後の試合となった。長年鹿島の取材を続け、Jリーグ3連覇時から内田を見てきたライターの田中滋氏が、ケガと向き合う日々を過ごし、それでもチームにポジティブに接し続けた“鹿島の偉大な2番”の現役生活をいま改めて振り返る。
(文=田中滋、写真=Getty Images)
内田篤人の人生は「盤上この一手」の連続
「今日、僕はここでサッカー選手を引退します」
8月23日、内田篤人が多くの人に惜しまれつつピッチを去った。選手生活前半では鮮やかな活躍を見せたが、後半は苦しみの連続だったに違いない。
「正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、試合に出るとか出ないとか、勝つとか負けるより辛かった」
引退会見のなかで語ったこの言葉が、ずっしりと抱えきれないほどの重さをもって響いた。
ふと浮かんだ言葉がある。
「盤面この一手」
正しくは“盤上この一手”らしいのだが、格闘漫画「グラップラー刃牙」のなかで、命を危険にさらしながら戦いに向かう必要性を恋人に問われた主人公のバキは、将棋の格言を用いて自分の心境をこう説明した。その意味は、このプロセスを踏んできた以上、勝算があろうがなかろうが、この局面で次に打つ手はすでに決まっている。つまり、この場ではこの手を打つしかない、というもの。
振り返るに、内田篤人の人生は“盤上この一手”の連続と思えるほど、きちんとプロセスを踏んで歩んできた。
“一人”輝き放ち、世界と互角に渡り合ったブラジルワールドカップ
ドイツに渡るときもそうだった。
「強くなるというか、大きくなるというか、いい男になりたいです」
そう言って“鬼軍曹”フェリックス・マガト率いるシャルケを移籍先に選び、自らを厳しい環境の中に置いたのである。2009年にはJリーグで前人未到の3連覇を成し遂げ、日本代表でも右サイドバックに定着しつつあった。実績面では文句のつけようがないものを残していた。ただ、Jリーグ3連覇を成し遂げる頃には「前に行かないでそこにいることが勝つことにつながるとは思う。でも、それだけで良いのか悪いのかわからない」と、自分が伸び悩んでいることを実感していた。リーグ戦に加えAFCチャンピオンズリーグを戦い、年代別日本代表からフル代表までこなすスケジュールは、試合と調整が次々と荒波のように押し寄せ、息継ぎするのが精一杯。前に進んでいる実感がなかったのだろう。
だからなのか、いま振り返っても移籍会見の言葉はとても軽やかだ。
「Jリーグで優勝して、チームのなかには(小笠原)満男さんや(中田)浩二さんと海外に行っている選手もいる。そういう選手に少しでも近づきたいなという気持ちがあったし、話をしたときに『若いうちに行け』と言ってくれましたし、このタイミングかなって。そういう道なんだろうな、というのが自分のなかにあって、流れに身を任せてこうなっただけです」
なんとかなるだろうという楽観ではなく、やるべきことをやったのだからなるようになるという強い自負。「いい男になりたい」という願望は、このときすでに半分以上かなっていたのかもしれない。
2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会もそうだった。
2月にシャルケの公式戦で右膝裏の腱を損傷、4カ月後に控えるワールドカップ出場に暗雲が垂れ込めるなか、保存療法を選択してピッチに立った。「ほぼ潰れる覚悟」(内田)で臨んだワールドカップの舞台での活躍は、いまさら説明する必要もないだろう。3戦未勝利で大会を去った日本代表のなかで、一人、輝きを放ったのが内田篤人だった。
「南アフリカに関して言えば世界とはまだ戦える選手ではなかった。ブラジルに関して言えばあのレベルはシャルケの日常のレベルだった。そこらへんのレベルは体感していたし、イメージしていた感じだった」
夢物語のような“自分たちのサッカー”とは違い、地に足をつけたサッカーで世界と互角に渡り合った。
20代後半を棒に振った、ケガと向き合う苦しい日々
だからこそ、2015年6月に右膝の手術に踏み切ってからは本当に苦しい日々だったに違いない。正しいプロセスを踏んでいるはずなのに一向に膝の状態はよくならなかった。
2016年5月、わらにもすがる気持ちで、元チームメートの遠藤康の助言を頼りに鹿島アントラーズで治療を受け始める。顔は青白く、細いアゴはますます細くなっていた。
「久々に(オレが)来て『まだそこまでしか走れない?』って思わない?」
右足が接地するのを極端に避けるようにゆっくり走る衝撃的な姿を見たあとに、そう問われても返す言葉が見つからなかった。
正直、復活の目処は不透明だった。「篤人は精神的にまいってる。みんなと一緒にいるほうが篤人のためにもいい」(鈴木満 鹿島アントラーズ常務取締役強化部長[当時]、現フットボールダイレクター)という配慮も少なくなかった。
しかし、日に日にできるメニューは増えていった。1カ月後の6月には「やっとケガ人じゃなくなった」と目を輝かせ、7月には「膝がちゃんとして、体が戻ればやれる」と自信を垣間見るまで回復した。その間、わずか2カ月。苦しんだ日々は終わりを告げるかと思われた。
しかし、アスリートとして最も心身が充実する20代後半の時期を、完全に棒に振ったことで失われたものは想像以上に大きかった。2018年に鹿島に戻ってからも全力でプレーすれば体が悲鳴を上げる繰り返し。右膝以外もあちこちが痛み、小さな肉離れが頻発した。それならば、と練習からケガをしないようにセーブして調整したが、今度は試合で必要な体力が追いつかない。
多くの人に愛された「いい男」
「鹿島アントラーズというチームは、数多くのタイトルを取ってきた裏側で、多くの先輩方が勝つために選手生命を削りながら日々努力をする姿を、僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができないと、日々練習していくなか体が戻らないことを実感してきました。このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うのではないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」
盤上この一手。次の一手はもうなかった。
内田がいるだけで、きついトレーニングも明るくなった。彼が出すポジティブな声がけに若い選手は活力を受け取り、目を輝かせてボールを追った。内田に褒められると誰もがうれしそうな顔を見せた。きっと多くの人の心にもぽっかりと大きな穴が空いていることだろう。彼とは友だちでも、家族でも、チームメートでもないはずだが、多くの人に愛された。
ラストマッチで試合終了の笛を聞くとユニフォームで顔を隠した。引退セレモニーでも声は震えていた。しかし、グッとこらえて涙は流さなかった。子どものように泣きじゃくったのは2007年に初めてリーグ優勝を果たしたときだけ。
少年のようにか細かった男子は、強くて、大きくて、いい男になっていた。
<了>
内田篤人が明かす、32歳の本音「引退後は、監督も強化部もやりたい」
内田篤人が魅せられた『SLAM DUNK』ある選手のプレー。サイドバック転向の知られざる秘話
この記事をシェア
KEYWORD
#COLUMNRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
2024.07.26Training -
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
2024.07.16Education -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career -
ドイツ国内における伊藤洋輝の評価とは? 盟主バイエルンでの活躍を疑問視する声が少ない理由
2024.07.11Career -
クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
2024.07.10Career -
なぜ森保ジャパンの「攻撃的3バック」は「モダン」なのか? W杯アジア最終予選で問われる6年目の進化と結果
2024.07.10Opinion -
「サッカー続けたいけどチーム選びで悩んでいる子はいませんか?」中体連に参加するクラブチーム・ソルシエロFCの価値ある挑戦
2024.07.09Opinion -
高校年代のラグビー競技人口が20年で半減。「主チーム」と「副チーム」で活動できる新たな制度は起爆剤となれるのか?
2024.07.08Opinion -
ジョーダン・ヘンダーソンが振り返る、リヴァプールがマドリードに敗れた経験の差。「勝つときも負けるときも全員一緒だ」
2024.07.08Opinion -
岩渕真奈と町田瑠唯。女子サッカーと女子バスケのメダリストが語る、競技発展とパリ五輪への思い
2024.07.05Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career -
ドイツ国内における伊藤洋輝の評価とは? 盟主バイエルンでの活躍を疑問視する声が少ない理由
2024.07.11Career -
クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
2024.07.10Career -
リヴァプール主将の腕章の重み。ジョーダン・ヘンダーソンの葛藤。これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた
2024.07.05Career -
バスケ×サッカー“93年組”女子代表2人が明かす五輪の舞台裏。「気持ち悪くなるほどのプレッシャーがあった」
2024.07.02Career -
バスケ実業団選手からラグビーに転向、3年で代表入り。村上愛梨が「好きだからでしかない」競技を続けられた原動力とは?
2024.07.02Career -
「そっくり!」と話題になった2人が初対面。アカツキジャパン町田瑠唯と元なでしこジャパン岩渕真奈、納得の共通点とは?
2024.06.28Career -
西村拓真が海外再挑戦で掴んだ経験。「もう少し賢く自分らしさを出せればよかった」
2024.06.24Career -
WEリーグ得点王・清家貴子が海外挑戦へ「成長して、また浦和に帰ってきたいです」
2024.06.19Career -
浦和の記録づくめのシーズンを牽引。WEリーグの“赤い稲妻”清家貴子の飛躍の源「スピードに技術を上乗せできた」
2024.06.17Career