引退から半年で起業。元Jリーガーが手がけるアパレルブランド『FIDES』3年で成功したわけ
元Jリーガーの小林久晃氏が手がけるアパレルブランド『FIDES(フィデス)』が今年6月に3周年を迎えた。シンプルなデザインとこだわりのクオリティのよさが口コミなどで広まり、今やサッカー選手や拠点としている福岡の人々のみならず、あらゆるオシャレ好きから支持されている。複数のJクラブを経て15年間プレーし、2016年末に5年所属していたサガン鳥栖で現役引退後わずか半年という異例のスピードでセカンドキャリアを軌道にのせてきた小林氏。その軸となっていたのは、紛れもなくこれまでのサッカー人生で築き上げてきたものだった――。
(インタビュー=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長]、構成=REAL SPORTS編集部)
「チームの一つのピースとしてどうあるべきか」ということを常に考えていた
――現役時代は黄金世代の選手としていろいろなJクラブでプレーされていましたが、自分自身のことをどういうプレーヤーだったと思いますか?
小林:器用な選手ではないというのは若い時からわかっていたので、高校生くらいから「自分は強さとヘディングでやっていくしかない」とはっきり認識していました。その強みをどう生かすかということを考えて、それで負けなければ上にいけるだろうし、負けるようならプロになんてなれないレベルだと思っていたので。常にそこでは負けたくないなという気持ちでやっていました。
――クラブから契約更新をされずに移籍するということが何度かありましたが、契約解除後から移籍先が決まるまでの間、引退を考えることもあったのでしょうか?
小林:そうですね。基本的には単年契約でしたし、もともとそこまでの実力があってプロに入ったわけではなかったので。若い時から一年一年、来年はどうなるかわからないという危機感の中で、常に「いつやめても後悔しないように」という心構えでやっていました。
――その中で15シーズンもの間、プロでやってこられた理由は何だと思いますか?
小林:移籍しながらだんだん高いレベルの環境に身を置いてきたことで、新人の頃よりも自分のレベルが上がっていったというのはもちろんあります。その中で、一人の選手として「自分が、自分が」ではなく「チームの一つのピースとしてどうあるべきか」ということを常に考えてきました。スター選手だったら自分のことだけを考えていても使ってもらえるでしょうけど、そうではない選手たちがその他大勢なので。その中でどう生き残っていくのか、監督が何を求めているのか、自分自身を客観的に見られる目があったのかなと思っています。
――それはすごく大事な要素ですね。もともとそういう性格だったのですか?
小林:そうかもしれないですね。小学校から大学までキャプテンをやらせてもらっていたんですけど、その時から、「チームとしても個人としても、今何をやらなきゃいけないのか」ということは自分なりに自然に考えていました。
――引退を決めたのは、何がきっかけだったのですか?
小林:大けがなどもなく体も動いてたので、正直なところ、もうちょっとできるかなというのはあったんですけど。でも、37歳でJ1チームでキャリアを終えるというのもいいのかなという気持ちもあって。いろいろな人に相談もしましたけど、やりたいこともありましたし、ここで辞めるのも一つの選択としてベターかなと思って引退を決めました。なので、後悔はないですね。
――J2を経て、J1に戻ってからの経歴のほうが長いというのは特異なキャリアですよね。
小林:そうですね。ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)に最初に入った2002年はJ1でしたけど、出たのはちばぎんカップくらいで公式戦には1試合も出られなくて。2年目の夏くらいに(モンテディオ)山形からオファーをいただいて、「すぐ行きます」と言って次の日にはもう荷物をまとめて行きました。山形に行って、試合に出られたというのが大きかったですね。
――やっぱり試合に出たほうが成長するということですね。
小林:間違いないですね。特に大卒なんて、試合に出られなかったら2~3年で相手にしてもらえなくなるというのは自分でもわかっていましたし。J2に行って出られる保証はないですけど、そこで出られなかったらもう終わりだという覚悟を決めて行けたので。実際に、コンスタントに試合に出られたのはその後のキャリアに大きく影響しました。
現役時代に培った人間関係が、引退後にも生きている
――先ほどの話の中で「やりたいこともあった」というのは、まさに今やっているアパレルブランドを立ち上げることですか?
小林:そうですね。引退する2年前くらいから考えてはいたんですけど、結局、具体的な方向性が考えられなくて。現役中にできることは人脈を増やすことくらいかなと思って、サッカー関係以外のいろいろな人と食事に行くようにしていました。引退したら会えないと思っていたので、現役中にそういう動きをしていたからこそ知り合えた人たちもいます。
――今でこそサッカー選手が現役時代からセカンドキャリアを見据えた動きをする人も増えましたけど、当時はあまりそういう感覚を持った人はいなかったですよね。
小林:Jリーグがキャリアデザイン支援でいろいろな取り組みをしてくれているんですけど、あまり積極的に参加する人もいなかったですし。そういった意味では、今のほうがセカンドキャリアへの意識は高まっていると感じます。
――現役のうちに選択肢の幅を広げておくのはいいことですね。
小林:間違いないです。ただ、現役中に商売っ気を強く出してしまうのはあまりよくないとは思いますけどね。
――その後アパレルの道を選んだ時の周りの反応はいかがでしたか?
小林:もともと洋服は好きだったので、アパレル業界の人ともよく食事に行ったり紹介してもらったりしていましたが、「アパレルをやりたい」と言うとやっぱり反応はあまりよくなかったですね。今はアパレルで成功していくのは難しい時代ですし、「経験もない中で今からいきなりやるというのはどうなの?」というような意見が多かったです。
――そこで踏み込めたのはなぜですか?
小林:根拠のない自信というか、やってみないとわからないと思って。まずはオンラインショップからコツコツやっていって店舗を出すという順序が普通だと思うんですけど、僕は逆に、いきなり店舗から始めました。無知だからこそできたというのもありますし、そのおかげで人と接する機会も増えたので、今思えばよかったのかなと。資金もおおよその額を決めずにやったので、初年度は、うん千万の赤字ですけどね(苦笑)。
――なかなか他の選手はまねできないですよね(苦笑)。
小林:コツコツやっていけばそこまでの出費はないと思うんですけど、最初の1年が終わった後に数字を見た時にはもうがくぜんとしました(苦笑)。でも、いろいろな経営者の方々から「最初の3年はしんどいよ」という話は聞いていたので、「まず3年は頑張ろう」という心の準備はできていました。なので、価格を落としたりせず、ブレずに貫き通してこられたのもよかったと思っています。せっかくここまでやってきたのに安売りしてダメになったら後悔するし、自分の能力にかけてみようと思って。
――羅針盤になるようなアドバイスをくれた人たちがいたんですね。
小林:はい。3年かけずにやってやろうという気持ちはありましたけど、やっぱり言っていることは正しかったですね。3年目でようやくこうして軌道に乗り始めてきたなというのはすごく感じます。
やっぱり、「元サッカー選手の小林という人間が作っている」というのが見えているぶん、プレッシャーというか、せっかくお金を出してもらうのに中途半端なものは売りたくないので。初年度からコンセプトは変えずクオリティにはこだわりを持っています。プロサッカー選手としてやってきた中でも、やっぱりブレずにコツコツやってきた選手がずっと前線に残っているのを見てきたので。違う業界ですけど、その考えや姿勢というのは共通するものがあると思っています。
最初は自分の理想の服を作りたいという想いが大きかったので、今ある定番のロゴTシャツも作らなかったんです。でも結局その後作った時にすごく売れて、だんだんブランドが認知されるようになってきたことを肌で感じました。そういった経験から、やっぱり求められる服を作っていかないと、自己満足ではダメなんだなというのを学びましたね。
――厳しい時も乗り越えて、3年目を迎えられた理由は何だと思いますか?
小林:例えば、ブランドロゴが大きく入った商品には一番いい素材を使っているんですが、その商品を買ってくれた人が実際に着てみて「FIDES(フィデス)はすごくクオリティがいい」というのを周りの人に広めてくれるようになったんですよ。それからすごく変わっていったので、口コミが一番のブランドへの信頼につながったと思います。
――僕もサッカー選手にインタビューをしていると、FIDESの服を着ている人がとても多いです。
小林:そうなんですか。学生時代も含めて、いろいろなチームで後輩の面倒を見てきたつながりが今になって生きているなと感じます。
――まさに現役時代の財産ですね。
小林:本当にそう思います。現役時代に知り合った経営者の方々にも、当時「引退したら離れていく人もいる」という話は聞いていましたけど、僕の中ではそういう人はあまりいなくて。今までどおりの関係を築けているので、現役の時にいい人間関係を築けていたのがよかったのかなと思っています。それから、引退後に商売を始めた時に「今までと一緒じゃだめだぞ」とか、心構えについて厳しくいろいろ言ってくれる人もいたのが、すごくありがたいですね。
『FIDES』に込めた想いと強い信念が支えた厳しい3年間
――『FIDES』というブランドに込めた想いやこだわりを教えてください。
小林:FIDESってラテン語で「信頼」という意味なんですけど。商売をする上で一番大事なのは信頼だと思っているので、その信頼を得るためにはしっかりしたものを作らなきゃいけないというのがまず大前提にあります。お客さまへの対応も信頼につながりますし、今まで積み重ねてきたことも一つの失敗でだめになることもあるので、そういった緊張感は自分はもちろんスタッフにも常に言い聞かせていて、一番大事にしている部分です。
――あまりサッカーは押し出していないんですよね。
小林:そうなんです。サッカー寄りにしてしまうと、元サッカー選手の僕が作っているぶん、よりスポーティーなイメージがついてしまうと思っていたので当初からサッカーとは切り離して展開していたんですけど。知り合いがやっている「NO COFFEE」という福岡の有名なコーヒー屋さんと「NO SOCCER」というコラボTシャツを作ったのが初めてのサッカー商品でした。それがすごく話題になったので、やっぱりサッカーを出していくのも間違いではないんだなという手ごたえを感じましたね。
――2020シーズンのサガン鳥栖のオフィシャルスーツも手がけることになったそうですね。
小林:選手やスタッフの移動時やクラブ公式行事などで着用するスーツなんですが、カジュアルウェアもやる予定です。
――引退から3年で古巣チームのウェアに関われるなんてすごいですよね。
小林:いずれはやりたいなと思っていたので、クラブのほうからオファーをいただいた時は本当にうれしかったです。(Jクラブのアパレルを手掛けるなら)最初は鳥栖でやりたいと決めていたので、鳥栖の社長には感謝しています。今後は他のチームのアパレル商品もやっていけたらいいなと思っています。
――アパレル事業をやるにあたって、九州・福岡を本拠地に選んだのはなぜですか?
小林:東京でやるか迷ったんですけど、現役最後の5年間に九州で築いた人脈もありましたし、アパレルは未経験なので(東京で)埋もれるのがちょっと怖かったというのもあって。それから、福岡から話題を広げていくのも面白いのかな、という発想もありました。
――その発想はすごいですね。これまでさまざまな人たちと出会って話をしてきたことが生きているんですね。
小林:そうですね。苦しい業界だとは言われていたので、それなら僕は、他と違ったやり方でやろうと思ったんです。だから展示会も卸売業もやらず、直営の店舗とオンラインショップでしか買えないようにしようと。最初のころに大赤字を出してしまったこともあり、卸しの話もあったんですけど、すごく迷いながらも断りました。結果として新型コロナウイルスの影響で店舗を閉めてもオンラインショップでしっかり売上をつくることができたので、ここにしかないという強みを貫いてきたことが生きたのかなと思っています。
「常に危機感を持っている」のはサッカー選手も経営者も同じ
――サッカー関連商品といえば、FIDES 3周年記念商品のキャプテン翼コラボレーションTシャツは、もう何度も着させてもらっています。本当にヨレないし、デザイン性もいいですよね。
小林:本当ですか! うれしいです。
――3周年記念でキャプテン翼とのコラボレーションTシャツを作った理由は?
小林:僕はキャプテン翼でサッカーを知りましたし、キャプテン翼が大好きだからというのもありますが、それに加えて大きな理由となったのが東京五輪です。ちょうど3周年と東京五輪開催の時期が重なるタイミングだったので、どうせ売るならひも付けて大々的にやろうと考えました。実現するために、いろいろな人をたどってつなげていただいたので今までの自分のサッカー人生ともつなげられるし、世界に向けて発信できるチャンスを生かしたいという想いが強かったです。
今回のコラボTシャツは、ヴィッセル神戸や横浜F・マリノスを始めいろいろな外国人Jリーガーにもプレゼントしたんですけど、やっぱりめちゃくちゃ喜んでくれました。
――実際に着た写真をSNSなどでアップしてくれたらうれしいですね。
小林:そうですね。マリノスの選手たちや、チャナティップ選手やジェイ選手(北海道コンサドーレ札幌)、パトリック選手(ガンバ大阪)などもSNSにアップしてくれています。そして実は、現役選手で一番最初にSNSで紹介してくれたのが小野伸二(FC琉球)だったんです。同じ年なんですけど現役中は絡みがなかったんですが、彼の優しさというか、気遣いは本当に素晴らしいと思いますし、尊敬します。
――東京五輪が2021年に延期になりましたが、注目を集める期間が長くなるという考え方もできますよね。
小林:はい。当初思い描いていたイメージとはちょっと違いますけど、それでもやっぱりすごく反響があるので本当によかったですし、実現させていただいてすごくありがたいです。
9月18日からは、宮下公園にオープンしたばかりの複合商業施設「レイヤードミヤシタパーク」でポップアップショップ出す予定で、その目玉商品としてキャプテン翼コラボのパーカーを販売します。それから今、オンラインを強化していくために海外向けサイトも準備中です。
――この3年間を振り返ってみると、自己評価としてはいかがですか?
小林:未知の業界に突っ込んでいって、本当にいろいろなものを吸収できたし自分自身成長できていると思うんですけど、周りを見るとやっぱり自分はまだまだだなと感じます。いろいろな人の力を借りながらここまでこられましたが、自分の力でなんとかできるようにしていかないといけないな、と。
――今後の展望としては、どのように考えていますか?
小林:今回のコラボもそうですけども、今後も徐々に海外に発信していきたいという想いが強くあります。もちろん、日本でもまだまだ広げていく伸びしろはあると思っているので国内展開も大事にしていきつつ、さらに海外に向けてもしっかり発信していけるような仕掛けをしていきたいです。
それから、FIDESだけではなく個人的にもいろいろチャレンジしていきたいですね。40歳を過ぎているので、大きなチャレンジをするなら今しかないと思っているので。
――具体的にはどんなチャレンジをしたいですか?
小林:まだ何も決まっていなくて、いろいろな人から話を聞きながら練っている段階です。同じことをやるのはリスキーなので、アパレルとは違ったビジネスをやっていきたいなと考えています。
――アパレルがうまくいったからといってそこでとどまらないところが、すごいですね。
小林:それもやっぱりこれまでの経験で、サッカー選手は試合に出続けていたからといって次の年に出られるかわからない。それと一緒で、今年は売れているかもしれないけど、来年売れるかどうかはわからないので。そのあたりは常に危機感を持っています。どこまでいってもたぶん、自分の性格上満足できなくて。スタッフは大変だと思いますけど(笑)。でも、ついて来てくれるスタッフたちの成長を僕自身すごく感じていますし、そこで満足したらもう終わりかなと思っているので、常に野心を持ってコツコツやっていきたいですね。
<了>
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PROFILE
小林久晃(こばやし・てるあき)
1979年生まれ、茨城県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。茨城県立波崎柳川高校、駒澤大学を卒業後2002年にジェフユナイテッド市原に加入。2003年8月よりモンテディオ山形に期限付き移籍を経て2004年に完全移籍。2006年にヴィッセル神戸へ移籍し、2011年はヴァンフォーレ甲府に移籍。2012年よりサガン鳥栖に移籍し、2016年11月にクラブから翌年契約更新しないことが発表され、12月に現役を引退。現在は福岡のアパレルショップ「FIDES」を経営する実業家として活動。
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