
「後悔と申し訳ない気持ちしかない」内川聖一が明かす、“4番・キャプテン”の意外な本音
福岡ソフトバンクホークスに在籍した10年間で、数え切れないほどのタイトル獲得に貢献してきた。2015年から4シーズンはキャプテンを務め、リーダーとしての役割を担い、今の常勝軍団の礎を築き上げたといっても過言ではないだろう。だが内川聖一はこう言う。「後悔と申し訳ない気持ちしかない」と。その意外とも思える本音を明かしてくれた――。
(インタビュー・構成=花田雪、撮影=高須力)
常勝軍団ソフトバンクは、ほんの10年前まで短期決戦に弱かった
ポストシーズン16連勝、日本シリーズ12連勝、日本シリーズ4連覇――。
今や、「短期決戦に強い球団」といえば、福岡ソフトバンクホークスをおいて他にいない。
圧倒的な戦力はもちろんだが、昨季までは2年連続でレギュラーシーズン2位から日本一に上り詰めるなど、「負けたら終わり」の一発勝負になると、めっぽう強い。
しかし、10年ほど前まで、ホークスといえばむしろ「短期決戦に弱い球団」の代名詞だったことを、覚えているだろうか。
セ・リーグに先駆け、パ・リーグが「プレーオフ制度」を導入したのが2004年。ホークスは導入初年度から2年連続でシーズン勝率1位ながらプレーオフで敗退し、日本シリーズ進出を逃している。導入3年目の2006年はシーズン3位から第1ステージこそ勝ち上がったものの、第2ステージで北海道日本ハムファイターズを相手に0勝3敗(アドバンテージの1敗を含む)。
2007年に「クライマックスシリーズ」に名称が変更された後も、以下のようにしばらくは「短期決戦で勝てない」年が続いた。
2007年 第1ステージ敗退(シーズン3位)
2008年 出場なし
2009年 第1ステージ敗退(シーズン3位)
2010年 第2ステージ敗退(シーズン1位)
2004~2010年までの7シーズンで、ポストシーズンに6回出場しながら、一度も日本シリーズに進出することができなかった。
しかし、2011年に転機が訪れる。
この年、パ・リーグを連覇したホークスはファイナルステージで埼玉西武ライオンズに4勝0敗(アドバンテージの1勝を含む)と完勝。続く日本シリーズでも中日ドラゴンズを4勝3敗で下し、ダイエー時代以来、8年ぶりに日本一の座をつかみ取った。
この10年間、ホークスの「短期決戦での強さ」はご存じのとおり。リーグ優勝は5度、日本一はそれを上回る7度。出場した日本シリーズではすべて、日本一を獲得している。
こと「短期決戦」に限っていえば、2011年以前と以後でホークスは真逆の結果を残しているといっていい。
そしてくしくも、その2011年にホークスの一員となったのが、今季限りでチームを退団した内川聖一だ。
入団後に短期決戦で勝てるようになったのは、「良い時期だっただけ」
内川入団後のホークスは、日本シリーズで一度も負けていない。もちろん、彼一人の力で日本一になれるほど、プロ野球は甘くない。ただ、そこには何かしらの因果関係があるのではないか――。
しかし、ホークス退団を発表し、新天地でのプレーを目指す内川本人にその疑問をぶつけると、あっさりと否定されてしまった。
「確かに、僕が入団する前のホークスは『短期決戦に弱い』と言われ続けていました。僕が入団してから、短期決戦で勝てるようになったのも結果だけ見たらそうかもしれない。ただそれは、僕が単純に『良い時期にホークスでプレーさせてもらっただけ』だと思っています。僕が入団した当時のホークスには、打者でいうと小久保裕紀さん、松中信彦さんといった実績のある大先輩がいて、20代の僕は本当に好き勝手に、自由に野球をやらせてもらっていました。レギュラーには同年代も多かったですし、チームとして脂が乗り切っていた。小久保さんや松中さんが引退した後は、柳田(悠岐)、今宮(健太)、中村(晃)といった年下の選手がどんどん出てきて、チームの世代交代が本当にうまくいった。プロ野球は、厳しい世界です。同じメンバーで10年間、強さをキープすることは不可能に近い。ただ、ホークスの場合は抜けた選手の代わりがすぐに出てきて、常に新陳代謝が行われている。だからこそ、長期にわたって勝ち続けることができているんだと思います」
2011年、フリーエージェントで内川が移籍した当時のホークスには、小久保、松中という精神的支柱が存在し、1学年上に川﨑宗則、1学年下に松田宣浩、2学年下に本多雄一といった20代後半~30歳の選手が主力を張っていた。チームの布陣としては、理想的なバランスといえるだろう。内川自身も、当時は29歳。2008年に今も破られていないNPB右打者史上最高打率の.378を記録してから、3年連続でシーズン打率3割をマークするなど、まさに「絶頂期」といえる状況でのホークス入団だった。
それから10年間、チームのメンバーは様変わりし、20代だった内川は30歳を超え、徐々に「ベテラン」と呼ばれる年齢に差し掛かる。当然、チームから求められる役割も、大きく変わっていく。「好き勝手やらせてもらった」移籍当初から、徐々にチームの模範、リーダーとしての役割を担うようになるのだ。
内川にとっての理想のリーダーは…「僕の野球人生に大きな影響を与えてくれた」
「リーダーとしての自覚」を感じたのは、いつか――。この問いに、内川はこう答えてくれた。
「小久保さんが引退された2012年ですね。確か引退会見だったと思うんですけど、『これからは内川たちがチームを引っ張っていかなければいけない』と名前を出してもらったんです。僕は移籍してきた人間でしたけど、そんなのは関係ないと。そこで、自分の中でも意識が変わりましたね」
内川にとって、小久保裕紀という選手は特別な存在だ。
「小学校のころ、大分でホークスが試合をするのを見に行って、そこで小久保さんがホームランを打ったのを、今でも鮮明に覚えています。子どものころから見ていたプロ野球選手ですから、同じチームでプレーしたときは少し不思議な感覚でした」
共にプレーできたのはわずか2年間だったが、それでも内川は小久保を「僕の野球人生に大きな影響を与えてくれた数少ない方のうちの一人」と語る。当然、自身が理想とするリーダー、キャプテン像も小久保だった。
尊敬する大先輩の引退と、年下の選手の台頭。そんな状況下で徐々にリーダーとしての自覚が芽生え始めた内川に、大きな転機が訪れたのが2015年だ。この年、チームの指揮官に就任した工藤公康新監督は、内川をキャプテンに指名。くしくも、ホークスがキャプテンを置くのは小久保以来、3年ぶりのことだった。
内川はその後、2018年までの4年間、チームのキャプテンという重責を担うのだが、その間のチーム成績はリーグ優勝2回、日本一3回。
十分すぎる成績に思えるが、意外にも本人はキャプテンとしての4年間を「後悔と申し訳ない気持ちしかない」と語る。
「キャプテンなんだから…」 空回りしてしまった責任感
「今思えばですけど、キャプテンになったことで必要以上に『俺がやらなきゃ』という気持ちが先走ってしまった。キャプテンをやって1年目にリーグ優勝、日本一にもなりましたけど、僕自身は打率3割の記録が途絶えてしまった。前を打つ柳田、後ろを打つ李大浩はしっかりと成績を残したのに、俺はチームに貢献できていないんじゃないか……そんな気持ちに支配されてしまったんです」
この年、内川はシーズンを通して4番を任されたが、その成績は打率.284、11本塁打、82打点。連続3割の記録が7年で途絶えたとはいえ、決して恥ずかしい成績ではない。しかし、3番を打った柳田は打率.363、34本塁打、99打点で首位打者を獲得。5番を打った李は打率.282、31本塁打、98打点。その間を打つ4番として、この数字は到底納得できるものではなかった。
個人として満足いく結果が出なくても、チームが勝てればキャプテンとして救いになるのでは……という気もするが、内川自身の思考は真逆だった。
「本来は、チームの勝利を最優先に考えて、自分の成績は二の次でいいと思えればよかったのかもしれません。ただ、正直にいって当時の僕は、そんな気になれなかった。むしろ『キャプテンなんだから、俺が誰よりも結果を残さなければダメだ』と思い込んでしまった」
強すぎる責任感が、逆に自らを苦しめることになった。
「もちろん、キャプテンとしてチーム全体のことを考えなかったわけではないです。ただ、その上で自分もしっかりと結果を残さなければいけないという思いが強すぎて、どこか空回りしてしまったのかもしれない。だから、『キャプテンとしてチームを日本一に導いた』と言ってもらっても実感はないし、後悔の念しかないんです」
21年目のシーズン、内川聖一はどんな姿を見せてくれるだろうか
一般社会のビジネスパーソンでも30代といえば後輩が増え、責任あるポストを任されることが多くなっていく年齢だ。そんなとき、周囲のことだけでなく、自分も結果を残さなければいけないと思い悩んでしまうことは、決して珍しくないだろう。
プロ野球という舞台で結果を残し続け、大きな成功をつかんだ内川も、その例外ではなかった。
しかし、本人が「後悔しかない」と語っている一方で、ホークスというチームが内川入団後、大きな飛躍を遂げたのは前述の通り。レギュラーシーズン、ポストシーズン通して、内川のバットがチームを救ったことは数え切れないほどある。
ホークスに在籍した10年間、大きな成功と喜び、キャプテンとしての後悔、苦悩の両方を味わった。
横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)で過ごした10年間、そして、ホークスで過ごした10年間を経て、迎える2021年。プロ野球選手としての新たなスタートを切る内川聖一は、われわれにどんな姿を見せてくれるのだろう。
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<了>
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