
なぜ手越祐也は批判されても独立したのか?「日本の価値観を変えたい」揺るぎない信念
「信じ抜けば、夢は叶う」というメッセージをテーマに大きな注目を集めている12月25日公開の『映画 えんとつ町のプペル』。さまざまな時代背景から、夢を持つこと、そしてその夢を叶えることが簡単ではなくなっている今、REAL SPORTSではこのメッセージに共感し、「夢を持ち、夢を叶えるために、自分の道を信じて、努力し続ける」人たちの姿や信念を伝えるコラボ企画をスタートする。
今回はその第3弾。今年6月に17年半所属したジャニーズ事務所を退所し、新たな道を歩み始めた手越祐也さんだ。
後悔しないように生きていきたいと独立した手越さんは、新たなチャレンジに対して少なからず恐怖もあったという。世間から懐疑的な目を向けられることもあった。それでも自分を信じ、自分に正直に生きる道を選んだのは、揺るがない信念があるからだ――。
(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=軍記ひろし)
「独立して100%よかった」「独立するからには絶対に勝てる自信があった」
――今年6月に独立してから、約半年がたちました。この激動の6カ月を振り返って、今どういう思いでいますか?
手越:独立して、100%よかったと思いますね。
――100%と言い切れるくらいなんですね。
手越:はい、言い切れます。でも、100%よかったと言えるのは、ジャニーズ事務所に入所した15歳からの17年半があったおかげというのは間違いないです。だから今でもジャニーズには感謝してるし、ジャニーズのことが好きです。
――それでも独立を選んだのは、どうしてですか?
手越:やっぱり個人のこだわりと、それに対しての強い思いと、後押ししてくれるファンの人がいれば、俺は大手にいる必要はないなとも思っています。YouTubeもありますし、認知度がある人は独立しちゃってもいいのかなと。山P(山下智久)さんもそうですし、あのくらいの認知度があれば何の問題もないと思います。ただ、(コロナ禍の)このタイミングだと甘くないとも思う。芸能人もそうですし、ジャニーズに限らずグループで活動しているメンバーが全員、認知度があるわけじゃないですから。そういう人が今、独立して戦うのは厳しいかなと思いますね。
――そこの見極めを間違ったら大変なことになるということですね。
手越:はい、大手にいたらある程度の生活も確約されてるし、ある程度のブランディングも全部事務所がやってくれる。言い方は悪いかもしれませんが、グループで目立たないような存在でもある程度の生活はできます。でも一人で戦うには老若男女に知名度がないと厳しいなとは思います。YouTubeもそんなに甘くないし。
――独立した当初に予想していたよりも厳しかったですか? それとも予想通り?
手越:絶対に勝てるなという自信があって独立しましたからね。独立してからのことを思い描きながら、自分のことを客観的に俯瞰(ふかん)で見て。自分の歌の能力とかトーク能力は自分が一番わかってるから。そう考えたときに、勝てるなと思ったから独立を選びました。
――ジャニーズにいた時もテレビ番組などで個人の活動も多かったので、あまり違和感はなかったんですか?
手越:そうですね。グループでの活動が9で個人が1だったら大変だったかもしれませんが、個人の活動の方が多かったですからね。個人の活動の方が多いということは、個人で勝てるなと思って。
「他人から見たらマイナスでも、最終的に全部プラスに換えられる自信がある」
――今はどんなことを考えながら活動していますか?
手越:すごくありがたい話、自分のやりたいことを結構なスケジュールの中で動かさせてもらっているので、それを一つひとつこなしています。
――独立してから特に変わったことは?
手越:自分で会社を経営してる人たちと会う機会がさらに増えましたね。
――日々そういう人たちと会って勉強しているんですね。
手越:そうですね、いろいろな人から会社の経営とかいろいろなものを学んでます。あと、オファーをもらったときに、事務所に確認する必要がなくなったわけじゃないですか。俺が首を縦に振ったらOKだから。そういうスピード感の早さはいいですね。やりたいことは全部仕事にしてやろうっていうのが。
――自分のやりたいことをやれる環境ができたと。
手越:ありがたい話、これまでずっとオリコンでも1位を取らせてもらって、日本で一番大きいドームに立たせてもらって。でもそれと同じことをやってたら、独立した意味がないかなと。別にもっと大きな会場でライブをやりたいとかもないし、今後ずっとオリコン1位を取りたいとかもない。それよりも、独立してもついてきてくれるファンとか周りの人に、本当に感謝して、大切にして、幸せにしながら、人助けだったり、自分がやりたいことを成し遂げていきたい。目の前のことを一つひとつ、必ず120点のものをつくり出せるようにできたらいいかなと思います。人間いつ死ぬかわからないし、いつ何が起きるかわからないじゃないですか。新型コロナウイルスだって誰も予想してなかったし、いつどこで災害が起きるかもわからない。そういうときに、後悔しないように毎日やりたいことを全力でやって、「昨日も楽しかった」「今日も楽しかった」って思えるような人生を歩んでいけたらいいかなと思いますね。
――新型コロナウイルスは世界的に大きな影響を及ぼしていますけど、手越さんのキャリアにとってはプラスとマイナスどっちでした?
手越:プラスですね、超プラスです。もちろん、苦しんでいる人もいっぱいいて、あってよかったとはいえませんし、第三波も来てほしくない。ただあのままジャニーズにいるよりも、個人だったら戦えるなと。
――結果的にプラスだったわけじゃなくて、全部自分でプラスに転換しているんですね。
手越:そうですね。他人から見たら全部マイナスかなと思われるようなことでも、最終的には俺にとって全部プラスに換えられる自信がありますから。
「やっぱ自分で点を決めるのが好きだったから(笑)」
――手越さんはこれまでFIFAワールドカップやFIFAクラブワールドカップのメインキャスターも務めてきました。手越さん自身はいつからサッカーをやっていたんですか?
手越: 4歳、幼稚園の年少からかな。近くのクラブチームで始めました。
――どういうきっかけで始めたんですか?
手越:確か読売クラブ(現東京ヴェルディ)でラモス(瑠偉)さんがサッカーをしてる姿を見てサッカーを始めた気がします。
――自分からやりたいって言ったんですか?
手越:そうですね。
――4歳でそれは早いですね。
手越:そうですね、習い事とかも親にやらされてやったことはないかも。
――どんなプレーヤーだったんですか?
手越:よくボールを持ち過ぎって言われてました。やっぱ自分で点を決めるのが好きだったから(笑)。
――子どもの頃から全然変わってないんですね(笑)。
手越:変わってませんね(笑)。
――その頃からすごくサッカーにのめり込んでいたんですか?
手越:そうですね。その頃はサッカー選手を目指してましたから。小学校に上がってからは、部活とクラブチームの両方でやってました。
――そこからどうして芸能界へ?
手越:中学生ぐらいになってくると、とんでもなくうまいやつが出てくるんですよね、都選抜のレベルとか。俺、中学受験したんですけど、受験しながらそのレベルにいけるほど甘くなくて。それで中学の途中からサッカー選手は目指さなくなったかな。それでジャニーズのオーディションを受けたら合格しちゃって、っていう感じですね。
「絶対に負けないものを持つしかない。それが俺にとって歌だった」
――手越さんがサッカーから学んだことはありますか?
手越:サッカーに学んだことは、“個でも結果を出さないといけない”ということですね。チームとして勝たないといけないけど、その中で個でも勝たないといけない。これはたぶん今日本人に一番足りない部分だと思います。あと、俺はもともとグループ(NEWS)にいましたけど、グループの中でもエースナンバー10のやつもいれば、陰の苦労人もいる。やるからにはエースになりたいっていうアグレッシブさ、貪欲さはサッカーから(学びました)。
――個が大事っていうサッカーの本質的な部分に早いうちに気付いたんですね。でも最初にグループでデビューしたのはよかったのかもしれません。子どもの頃からチームスポーツであるサッカーをやってきた良さが生かされますし。
手越:確かに!
――これまでの人生で誰かを支える側に回ったことはないんですか?
手越:NEWSになって最初は陰でした。一番目立てなかったし、名前も知られてなかったし。いつか絶対に自分がグループの顔になってやろうっていうモチベーションで最初はやってましたね。
――支えていたというよりも、自分より目立つエースストライカーがグループの中にいたと。
手越:そういうことです。
――そこからグループの顔になるためにどういう努力をしたんですか?
手越:強烈な個のストロングポイントを持つしかないなって。それが俺にとって歌だったんですけど。絶対に負けないものを持つしかないなって。
――最初から歌がすごくうまかったわけではなく、後から磨いたんですか?
手越:うまくはあったんですけど、事務所の売りとか推しってあるじゃないですか、グループの見せ方として。それを超越するくらいの歌の才能がなかったら、この立場は変わらないなと思って。ちょっとうまいくらいだったら序列は変わらない。もう圧倒的な差をつけるしかないなと思って歌を練習しました。
――やっぱりそこが大事ですよね。何かをつかむためには、自分の強みをさらに磨くという。それは何歳ぐらいの時に強く意識したんですか?
手越:18、19歳ですね。
――人生を懸けた勝負だったと。
手越:そうですね。周りからしたらデビューがゴールと思われてるかもしれませんけど、そこからが本当の戦いだったから。
――それで自分がグループのエースになったと感じたのはいつ頃だったんですか?
手越:NEWSが4人になったタイミングだから、23、24歳くらいですね。
――そこからは気持ち的には楽になりました?
手越:楽になったけど、責任感は増しましたよね。誰かの陰じゃなくなったわけだから。自分が引っ張らなきゃっていう責任感がありましたね。
「日本はもっと自由に生きたらもっと最高の国なのに。この価値観を変えたい」
――独立して成功するかどうか懐疑的な目線を向ける人も多かったと思いますが、手越さんは自分を信じていたわけで、実際にここまで順調にきています。そういう今の生き様そのものがファンに夢を与えているように思います。そうした強さは、どうやって手に入れたと考えていますか?
手越:それこそサッカーをやってたことが、多少なりとも今の性格をつくってると思います。あとは海外にたくさん行ったのはでかいかなあ。
――俯瞰で見られるようになりますよね。自分自身に対してもそうですし、日本全体に対しても。
手越:海外の話をすると「ここ日本だから」とか言う人がいますけど、俺がしてきたのと同じ経験をすれば絶対に考えが変わると思うんですよね。実際に俺が50カ国以上に行って、いろいろな景色、いろいろな国の人たちを見て考え方が変わってるわけだから。変わるんだよって伝えたい。
でも海外にどれだけたくさん行っても俺が海外に住まない理由って、結局日本が好きなんですよね。食にしても、生活にしても、住む環境にしても、俺は日本が世界一恵まれてると思ってる。なのに、世界一恵まれてる国に住んでるはずなのに、みんなの幸福度は世界一恵まれてない。だから、これを変えたいんですよね。すごくいい環境にいるのに、その環境ほどの恩恵を受けられてないから。
――日本は経済的にも豊かな方で、普通に考えたら幸せなはずなのに、心が貧しいというか、苦しいというか……。
手越:これまで貧困国にもいっぱい行ってきて、でもみんなすごく楽しそうだったりするわけ。人間とか人生って、本人の幸福度(が全て)だと思ってるから。いくら国が幸福だったり周りに幸福な人がいても、本人が幸福を感じてなかったら意味がないと俺は思う。日本は本当はもっとたくさんの人がもっと幸福であっていいはずなのに、いろいろな損得勘定とかしがらみに縛られながら生きてる。もっと自由に生きたらもっと最高の国なのにって。この価値観を変えたいんですよね。もっとみんな幸せで、笑ってられる国のはずなんだってすごく思ってます。
「これからやりたいことは、せっかくだから……」
――これからどんなことをやりたいですか?
手越:やりたいことは、そうだな……せっかくだからファンの子を連れて海外とかでライブをやりたい。ファンクラブツアーをハワイとかで。コロナ収束後に。
――ゆったりしたスケジュールでも行けますもんね、自分で判断できるから。ファンの満足度が高いものをプレゼントできそうです。
手越:そうですね!
――相変わらず全然寝てないでしょ?
手越:あんまり寝なくていいかな。毎日すっごく楽しいよ!(笑)
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<了>
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PROFILE
手越祐也(てごし・ゆうや)
1987年11月11日生まれ。2003年9月に男性アイドルグループ・NEWSのメンバーとしてデビュー。オリコンのアルバムランキングで12作連続の1位を獲得した。2006年11月に増田貴久とヴォーカルユニット、テゴマスを結成。歌手活動のみならず、バラエティー、スポーツキャスター、俳優など幅広く活動した。4歳からサッカーを始めた経験を生かし、FIFAクラブワールドカップ、FIFAワールドカップでメインキャスターを務めた。2020年6月、ジャニーズ事務所から独立。YouTube『手越祐也チャンネル』の登録数は2週間弱で100万人を達成した。
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