【開幕特集】「もう一度花を咲かせたい」中村俊輔のヒーロー像とは? 再び「10」を背負い復活を期す1年へ

Opinion
2021.02.24

いよいよ開幕する2021年のJリーグ。「DAZN Jリーグ推進委員会」の特別連動企画としてREAL SPORTSは日本屈指のファンタジスタ・中村俊輔に、復活を期すシーズンへの想いを聞いた。
再びエースナンバー「10」を背負い迎えるプロ25年目のシーズン。国内外で数々の偉業を成し遂げ、今や多くのフットボーラーにとっての「ヒーロー」となった。そんな彼が希代のファンタジスタが少年時代に憧れ、自身のプレースタイルに大きな影響を与えた「ヒーロー」と、「今でも一番うまいと思っている」という日本代表時代の戦友の名前を明かしてくれた。

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、写真=YOKOHAMA FC )

中村俊輔が影響を受けた「ヒーロー」

――今や多くのサッカーファン、選手にとっての憧れの存在となった中村選手ですが、自身の子どもの頃のヒーローは誰でしたか?

中村:(ディエゴ・)マラドーナですね。今みたいにYouTubeもなかった時代だから、スポーツショップのビデオコーナーへ行ってマラドーナとか、「黄金のカルテット」(トニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテス、ジーコの4人の総称)といわれていた(1982年FIFAワールドカップ・スペイン大会の)ブラジル代表のサッカーに魅了されたのが最初です。

――個人選手としてはマラドーナ、チームだとブラジル代表だったんですね。

中村:ブラジル代表の彼らは、細かいパスからつなぐというか、テクニックで相手をいなしたりするプレーが好きでしたね。

――マラドーナはどういうところに引かれていたのですか?

中村:単純に、人と違うじゃないですか。技術も考えていることも、やってるプレーも。そういうプレーを見て体が小さいなりに「あ、この人うまいな」って。彼を見て、そういうプレーヤーに自分もなりたいという思いが強く表れてきたんだと思います。

――プレーをマネしたことは?

中村:オーバーヘッドキックとか、やりましたよ。ヒールキックを急に出したり。マラドーナは試合前に肩でリフティングしたりするんです。それを見せることで味方を安心させるというか、自信をつけさせる。そういう、ただうまいだけじゃないプレーヤーというところもいいなと。

――確かに、中村選手のプレーでも中盤でボールを持っている時にいきなり止まるというようなプレーが印象的です。

中村:そうですね。相手の嫌なところにポジションをとったり、急にサイドに立っていたり、後ろまでボールをもらいに行ったり。そういうプレーはマラドーナの影響かもしれないですね。

――中村選手が考える「ヒーロー」とはどんな選手ですか?

中村:チームが勝っている時にうまくいくのは当たり前だと思うので、うまくいっていない時や負けている時に、1回のプレーでガラッと味方に自信をつけさせて、結局勝利に持っていってしまうような人はヒーローだなと感じます。そういう意味だと、(ジネディーヌ・)ジダンや(フアン・ロマン・)リケルメ、(マヌエル・)ルイ・コスタとか、(パブロ・)アイマールが好きでした。

――負けている時に、ワンプレーで勝利へ導いてしまう選手ですね。

中村:そうですね。(横浜F・)マリノスに所属していた時に、対戦相手だったサンフレッチェ広島で当時の監督だったミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ)に「何もないゼロスタートからゴールまで持っていってしまうのはずるいよ」って言われて。特に意識していなかったので言われるまで気づかなかったですが、そういう選手になりたいなと思っていたので。だから、そういうふうに褒めてもらえたのはうれしかったです。

「逃げずに勝負できた」F・マリノス時代の監督アルディレスの助言

――これまでのサッカー人生の中で、影響を受けた人はいますか?

中村:日本代表で(フィリップ・)トルシエ監督の時に左サイドをやったんですけど、どうしてもセンターで勝負したくて。その当時はヒデさん(中田英寿)がセンターにいたから、(小野)伸二も左サイドをやらされていましたし。

センターで勝負してダメだったら納得がいくと思って、当時F・マリノスの監督だった(オズワルド・)アルディレスに相談しにいったら、僕に共感してくれるのかと思いきや「スタメンで出られるのが一番だ」と言われて。ベンチに座っていたら何もアピールできないし、しかも「ナカさん(中村のニックネーム)だったらどこのポジションでも君の色に染められる」と。「まずはグラウンドに立たないと何もできないでしょ」と言われたんです。

そこでスイッチが入って、その後も左サイドで頑張りましたね。結局(2002年FIFAワールドカップ・日韓大会の日本代表メンバーからは)落選しちゃったけど、逆に満足しました。「俺は(サイドでも)できる」という感覚が自分の中であったから、他の理由で落とされたと自分でわかっていたので。

――確かに当時の中村選手は、ギアが上がってやりたいことを何でもピッチ上で表現できている感じがしました。

中村:それができたのも、他の選手たちのおかげです。当時、F・マリノスでは(上野)良治さんや遠藤アキ(彰弘)さんたちが「おまえの好きなようにやれ、全部ボール渡すから」って調子が悪い時でも言ってくれて。マツさん(松田直樹)もそうでしたけど。そういう環境にいさせてもらったのは大きいです。

――他にもアルディレス監督とのエピソードはあるんですか?

中村:アルディレスは現役時代によくマラドーナと一緒にプレーしていたから、マラドーナのことをよく話してくれましたね。

それから、1対1でつかれて自分のプレーができなくなった時に、他の人にスペースを空けてあげればうまくいくかなと思って自分はボールを触らないようにしていたら、ハーフタイムでアルディレスに「どんどんボールを受けにいきなさい。他の選手もナカさんに全部ボールを渡せ」って。僕が1対1から逃げているように見えると言われて。

要は、1対1でどんどん勝負して、相手を抜けば道が開けるし、向こうの戦術を破ることができる。そうでないとガタガタになるだけだから逃げちゃダメだっていうこと。現役の時に海外で一流選手だった監督がかけてくれるアドバイスは、日本ではなかなか聞けないので。若い頃にそういう言葉をかけてもらえていてよかったなと思います。

中村俊輔が魅せた“スーパー”フリーキックを振り返る

――中村選手といえば世界に通じるフリーキックですよね。今でもフリーキックの歴代ランキングに名を連ねていたり、セルティック時代のプレーが語り継がれています。フリーキックを蹴る瞬間というのはスタジアム中の注目がそこに集まって、ゴールを決めた瞬間、静まり返っていたスタジアムがワーッと盛り上がるので、まさにヒーローだなと。

中村:やっぱり気持ちいいですね。

――2006年に行われたUEFAチャンピオンズリーグ、マンチェスター・ユナイテッド戦のホーム・アウェイでそれぞれ決めた2本のフリーキックもいまだに国内外で語り継がれています。

中村:ずっとこうやって話題にしていただいているので、練習していてよかったなって思います(笑)。プレーの流れの中でアシストやゲームを支配するためにどうしたらいいかということを第一としているので、自分の中ではフリーキックは10あるうちの1くらいなんですけど。だから、逆に大事にしている9のほうがないとグラウンドにも立てないし代表にも入れない。そういう感覚です。

――他にも印象に残っているのが、2008年4月のオールドファーム(スコットランドのグラスゴーを本拠地とするセルティックとレンジャーズのダービーマッチ)で決めたミドルシュート。ちょうど現地で見ていたんですが、あの時のスタジアムは今まで感じた中で一番すごかったです。

中村:シーンとしていましたね。

――独特の異様な空気でしたね。

中村:まだチャンピオンズリーグに日本人の出場選手が少ない時代だったから、なおさら注目されたのだと思います。セルティックはチャンピオンズリーグ出場をかけた大事な試合でもありましたし。

再び背負う背番号「10」への特別な想い

――プロ25年目となる今シーズン、再び背番号「10」を背負うことになりました。10番に対する思い入れを聞かせてください。

中村:小さい頃からつけていた番号ですからね。背番号でプレーするわけじゃないですけど、背番号でプレーできちゃう人っているから。その領域にいきたいなという部分もありますね。

僕らが子どもの頃はやっぱり、一番うまい人がクラブの監督から(10番の)ゼッケンを渡されて、親に縫ってもらうから、自分の中で夢をつかむという感覚があったわけです。「自分が10番で、期待されてるんだ」っていう感覚はいつまでも抜けないから、モチベーションは上がります。

――中村選手にとって少年時代のスターだったディエゴ・マラドーナやジーコも10番でした。

中村:そうですね。でも、そういう人たちはみんな、同じ10番でもそれぞれ違いを生み出す人じゃないですか。(ロベルト・)バッジョとか、リバウドやロナウジーニョも。だから、自分もそういう存在でいたいという思いはあるんだと思います。

――「中村俊輔の10番」のユニフォームは欲しくなりますよね。

中村:そうかな(笑)。多くの人にそう思ってもらえる印象を残せるように、まずは試合に出ていいプレーがしたいです。

「今でも一番うまいと思ってます」。周囲から比較されたあの選手…

――2月27日の開幕戦では北海道コンサドーレ札幌とアウェイで戦いますが、札幌には今シーズンから復帰した小野伸二選手もいます。小野選手は若い頃から常に比較されてきた存在だと思います。小野選手について今改めて、どういう選手だと思っていますか。

中村:単純に、今でも一番うまいと思ってます。伸二みたいなタイプの選手はそれから出てきていないですし。組織的なサッカー、戦術サッカーが多くなればなるほど、僕らみたいな選手も変化して追いついていかないといけないところもあるじゃないですか。だから、ヤット(遠藤保仁)とか他の選手もそうですけど、戦友という感じなのでライバルと見たことはないですね。

初めて伸二と会ったのはトルシエの時に日本代表に招集された時。1998年のU-21で国立競技場でアルゼンチン代表と対戦した際に、3-4-2-1で横並びでやった時はやりやすかったですね。

――アルゼンチンに勝った時ですよね。

中村:そうです。それ以外でがっつり2人でやったことはなかなかないから、もうちょっと近くでやりたかったな、というのはありますけどね。

――接点は多いように感じる一方で、意外と対戦相手としてもそんなに多く戦っていないですしね。

中村:そうなんですよ。

――常に同じ時代の天才フットボーラーとして比較されてきたと思いますが、比較されているという感じはないんですね。

中村:ないです。

――タイプが違うから?

中村:右利き・左利きという違いもあるし、伸二のほうが早めにフェイエノールトで海外デビューしてボランチをやっていたけど、僕は当時まだ前のほうでやっていたからポジションも違うし。代表で一緒に出た時も、伸二がボランチで僕がサイドハーフとかだったので。ライバルというよりは一緒にプレーする仲間という感じでしたね。

――札幌に対してどんな印象を持っていますか?

中村:ミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ)が監督になって4年目になり、変化してから進化している感じがするし、外国籍選手の質も高いし、やりづらいですよね。ミシャさんのサッカーは(サンフレッチェ)広島時代から毎回やりづらいです。

――難敵なんですね。

中村:僕個人の中では、嫌な戦い方をしますね。

――札幌で警戒している選手は?

中村:ミシャさんのサッカーで重要な選手は1トップと2シャドー。前の3人が要注意ですね。まだ誰が開幕戦で出るのかわからないですけど。そこはミシャさんのサッカーのいいところだと思っていて。

もちろんビルドアップもそうだし、あとは桐光学園高校の後輩の福森(晃斗)くんもいます。彼の位置から一発でボールを蹴られると、どうしても警戒して最終ラインから引かざるを得なくなって、その手前のボランチを使って前を向かせたり。福森くんと、前の3人は警戒していますね。

「ここ2~3年はゲームから消えてしまうことが多かったけど…」

――横浜FCで注目の選手を教えてください。

中村:そうですね、新たに4人のストライカーが入ったのは大きいんじゃないですか。今まではサイドに行ってボールを回してからまた戻していたところを、センタリングからでもみんなヘディングできるし、ボールが収まるし、裏にも出れるし、反転してシュートまでもいける。

今まで得点のにおいがしなかったところも、2トップで、しかも4人ストライカーが新たに入るとなると、僕らからするとギリギリのボールというか、得点につながるようなダイレクトのパスが出せるので非常にありがたいですね。

――渡邉千真選手、伊藤翔選手、クレーベ選手、ジャーメイン良選手の4選手の加入で、選択肢が増えたし、攻撃のバリエーションが増えたということですね。

中村:そうです。前にいいストライカーが入ったことで後ろの選択幅が広がる。そこが今季のポイントですね。

――開幕戦はどんな展開になると予想していますか?

中村:昨シーズンの終わりから開幕まで期間も少ないし、どこのチームも割と練習試合もできているのでいつもの開幕戦と比べてそこまで堅い試合にならないと思いますね。だいたい開幕してしばらくは「自分たちのいいサッカーをしよう」となる。だけど、相手ありきだから。相手が困ることというか、相手がよさをうまく生かせないような守備や攻撃をしたほうがいい結果が出るんじゃないかなと思います。自分たちのサッカーをしようというのはどこのチームでもありますけど、それにプラスしてしっかり相手を分析すること。あとは、セットプレーも大事ですね。

――後輩選手たちにはどんな声がけをしているのですか?

中村:何気ない会話で全然OKで、ちょっとしたプレーについてグラウンド以外でも「あれはああだったけど、あれを狙ったの?」みたいな会話をしたりします。それで自分が勉強になることもあるので。あとは、ちょっとモチベーションが上がるような会話をしたり。「海外は意識してないの?」とか、そういう声をかけるだけでもモチベーションが変わると思うし。

海外へ行くことを先に考えている選手が多いじゃないですか。でもやっぱり日本代表に入ることを先に考えて、そのために海外に行きたいならまずはJリーグでそれなりのプレーをする必要があると思います。順番を間違えないように意識させています。

――カズさん(三浦知良)とはどういうコミュニケーションを取っているんですか?

中村:ほとんどサッカーの話ですよ。逆にカズさんがいろいろな質問をしてきますけどね(笑)。向上心というか、気づくところがとても細かいので。何気ないパスにも、「あの時くさびを入れてくれて本当助かったわ」とか言ってくれたり。そうすると、ミーティングでその映像をシモさん(下平隆宏監督)が使ったりするので。カズさんはやっぱり意識しているところが高いし、ちょっとしたことでも要求や質問をしてくれるので。クラブ自体の雰囲気が締まりますよね。

――中村選手はチームでどんな役割を果たしていきたいと考えていますか?

中村:昨年と同じことをやっていても、いい成績は出ないと思うので。急にFWの選手にくさびを入れたり、裏を狙ったり、これまでよりもさらに色をつけられるようなプレーをしていきたいです。あとは、チームが苦しい時にどう自分を表現するかですね。プレーはもちろん、ピッチ外でも。

――最後に、今シーズンの目標を聞かせてください。

中村:ここ2〜3年はゲームから消えてしまうことが多かったんですけど、昨年の終わりくらいから足首の状態がよくなって。シーズンオフも、ここ2〜3年は足首を休ませるためにあまり動かず治療に専念していたんです。でも、今年はランニングシューズでけっこう走り込めて。合宿でも調子がよかったし、練習試合も今のところすごくいい感じにできています。

復活というわけじゃないけど、ポジションはボランチで試合にも絡めると思うので、もう一度花を咲かせたいですね。

<了>

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PROFILE
中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)
1978年6月24日生まれ、神奈川県出身。横浜FC所属。桐光学園高校卒業後、1997年に横浜マリノスへ入団。2002年にレッジーナ(イタリア1部)、2005年にセルティックFC(スコットランド1部)へ移籍。2006-07シーズンにアジア人初の欧州リーグMVP獲得という快挙を果たした。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ、マンチェスター・ユナイテッド戦でフリーキックを決め同大会日本人初得点を挙げるなど、セルティック初のベスト16進出に貢献した。2009年のエスパニョール(スペイン1部)移籍後、2010年にJリーグ復帰。横浜F・マリノス、ジュビロ磐田を経て、2019年7月に横浜FCへ加入。2000年、2013年Jリーグ最優秀選手賞(MVP)獲得、複数回受賞はJリーグ史上唯一。日本代表98試合出場24得点。FIFAワールドカップ2006年、2010年大会出場。AFCアジアカップ2004年大会MVP。

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