宇野昌磨の澱みなき成長への渇望。「悔やむ権利は僕にはない」の言葉に隠された意味
演技を終え、はにかんだ笑顔を浮かべながら、納得したように少しうなずくしぐさを見せた。昨年は開くことも許されなかったその舞台への感謝の想いを胸に挑んだ世界選手権。結果は、4位。これまでの実績を鑑みれば、決して満足いくものではなかったかもしれない。だが男は、「悔やむ権利は僕にはない」と口にする。その言葉の裏には、宇野昌磨のよどみなき成長への渇望が隠されている――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
現地入り後ジャンプの不調に見舞われるも「焦りはしなかった」
宇野昌磨はショートプログラム『Great Spirit』を滑り終えると「やっちゃった」というように頭に手をやった。演技後のあいさつをするリンク中央に戻りながら、転倒したアクセルを踏み切るようなしぐさを見せる。そこにはオリンピック銀メダリストというより、もっとうまくなりたい23歳のスケーターがいた。
拠点のスイスから2021年世界選手権が行われるスウェーデン・ストックホルムに入った宇野は、ジャンプの不調に見舞われていた。
「練習してきたことはなんだったのかというぐらい、ジャンプがこっちに来てから跳べなくて。焦りはしなかったんですけど、『いや、どうしたもんかな』って思って」
焦らなかったのは、既にベテランの域に入りつつある宇野の経験値の高さによるところが大きいのかもしれない。
「試合、6分間練習が始まったら、不思議とジャンプが全部跳べるようになっていて。『本当によく分かんないな』と思いながら試合に挑みました」
「皆さんの声援が会場であったらば…」。冗談と前置きした言葉
「すごく普通なフラットな気持ち」で臨んだというショート、宇野は最初のジャンプとなる4回転フリップを決め、5度目の世界選手権を順調に滑り出したかに見えた。続く4回転トウループのセカンドジャンプは3回転トウループを予定していたが、2回転にする。激しいビートの曲調に乗って重量感のあるスケーティングを見せ、プログラムは順調に進んでいったが、最後のジャンプに落とし穴が待っていた。回転は十分だったトリプルアクセルで着氷がうまくいかず、転倒してしまったのだ。
「最後のジャンプの前に『ノーミスできるかもしれない』っていう欲が出てしまって、ちょっと体を縮こまらせてしまったなと。間違いなく降りられるジャンプだったので、最後まで普通にやっていれば跳べたんじゃないかな」
宇野のショートは92.62というスコアで、6位発進となる。
「率直な感想は、最後のトリプルアクセル、リプレーで見た時も全然着氷できたジャンプだったので、本当に悔しいことは悔しいんですけれども」
ショート後のミックスゾーンで宇野が最初に言及したのはやはりトリプルアクセルの転倒だったが、表情は明るかった。
「でもショートプログラム全体を見た時に、すごく楽しかったですし、また全体的に地に足が着いたプログラムができて、すごくよかったんじゃないかな」
見る者にとっても転倒が悔やまれると同時に、自信と充実感が伝わる宇野らしいショートだった。
2季目となるショート『Great Spirit』は、前半に陥った絶不調を乗り越えて優勝した昨季の全日本選手権で、復活を印象付けたプログラムでもある。その際会場の代々木競技場第一体育館に響いていた大声援が、今となっては懐かしい。「無観客の試合はいかがでしたか?」と問われた宇野は「もしかしたら……冗談ですけれども」と前置きして、言葉を継いだ。
「皆さんの声援が会場であったらば、それが後押ししてトリプルアクセルを着氷できていたかもしれないっていう……まあ、それは冗談なんですけれども。でも、すごく不思議な感触で試合をすることになりましたし、観客がいないからか、舞い上がった気持ちもなく、緊張し過ぎる気持ちもなく、本当にフラットな気持ちで終えました」
「ショートプログラムで失敗はしたものの、フリーもショートと同じように、爽やかな気持ちで『楽しかった』と、ここ(ミックスゾーン)で再び発言できるような演技をしていきたい」
宇野の魅力が凝縮された、力強さと美しさを兼ね備えたフリー
1日置いて迎えたフリーの最終グループ、最初の滑走者として登場した宇野は、ピアノの音色とともに滑り始める。最初に跳んだ4回転サルコウは、4分の1回転不足と判定された。続く4回転フリップはきれいに決めるも、次の4回転トウループは着氷が乱れ、コンビネーションにできない。前半最後のジャンプであるトリプルアクセルも、着氷で前傾し、こらえるかたちになった。
しかし後半、宇野は底力を見せる。4回転トウループの後に2回転トウループをつけてリカバリーすると、3回転サルコウ―3回転トウループ、続けてトリプルアクセル―シングルオイラー―3回転フリップと決めていく。前半に一つも入れられなかったコンビネーションジャンプを3つ、きっちり入れてきたのだ。
個人的には、このフリー『Dancing On My Own』のジャンプを全部終えてからのスケーティングに、宇野にしかない魅力が凝縮されていると感じる。ステファン・ランビエール コーチに師事してから滑らかさを増したスケーティングと上半身の動きが、哀愁漂うメロディと相まって情感を醸し出す。力強さと美しさを兼ね備えたステップとスピンを見せて演技を終えた宇野は、「これでいいかな?」というようにランビエール コーチの方を見た後、小さなガッツポーズを見せている。
「成長したところはあまりない」の言葉に秘められた本当の意味
宇野のフリーの得点は184.82、合計277.44。フリーだけの順位は3位、総合で4位という結果になった。ミックスゾーンでフリーを振り返った宇野は「反省点は、このプログラムではなく、練習」だと述べている。
「今回の演技については、こっちに着いてからの練習で、本当にできるマックスだったかなと正直思っています。このような状態でも、ここまでなんとか耐えることができた。これはいい点ではありますけれども、やはりスイスで練習していた時に比べて、ジャンプの調子が全然よくない。その調整する部分が、今後の課題点、必要な部分になってくるのかなと」
またフリー・ショートとも昨季から継続のプログラムであることから、その中でこの2年間の成長や変化を感じる部分があるか問われ、宇野は「正直なところ、成長したって思える部分はないですけれども、この2年間通して」と口にしている。
「このプログラムだから、っていうわけではないですけど、この2年間本当にたくさんのことがありました。『今できることを、このままやっていけばいいな』と今の自分に満足していたのが、今年の自分でした。ただ、全日本に出た時に『もっと成長しなきゃいけないな』と痛感したので、成長を実感するというより、気付いた部分っていうのが大きかったかなと思います」
「今跳べないジャンプに果敢に挑戦したい」。成長への渇望
フリーの翌日、一夜明け会見に臨んだ宇野は、前日の発言について問われ、説明を付け加えている。
「言葉としては『成長したところはあまりない』とは言ったものの、ネガティブな発言ではない。『ジャンプで4回転ループが跳べるようになった』とか、そういう(具体的な)ものがないって言っただけで。別に成長できていないことを悔いているわけではなく、普通に(世界選手権が)終わって『成長できるような練習をしていこう』というふうになった、と言いたかった。すいません、言葉が多分足りなかったですね」
「今跳べないジャンプに果敢に挑戦して、成長できたら」という宇野が、コロナ禍のシーズンで気付いたのは「試合の大切さ」だという。
「試合があってこそ、やはりモチベーションがある。試合でたとえ悪くても、間違いなく悔しい思いをする。悔しい思いをするから、成長したいって思う。成長する源になっているのはこういう試合の場なんだな、ってあらためて実感したので、本当にいつも通りの日常に戻れるよう、心から祈るばかりです。試合になるべく出て、もっともっとうれしい思いをして、また悔しい思いもたくさんして、もっと成長できたらなと思っています」
「悔やむ権利は僕にはない」。全てを成長の糧に
「やっぱり今回は悔しかったですか?」と尋ねられた宇野の答えは「いや、そんなことはないですね」というものだった。
「僕ができる最大限だったので、これを悔やむ権利は僕にはないかな。これで悔しいって言ったら、それはただの高望みというか、今僕ができる最大限をやって、このような結果だったので。もちろん4位という順位は皆さんからすれば決していいものではないと思うんですけれども、僕はもっと順位というよりも、スケーターとして、また競技者として、来年以降もっとこの結果、そして、今回できなかったことも含め、成長の源にしたいなと思っています」
「全日本選手権に出た時に、羽生結弦選手の演技を見て『僕はもっと成長しなければいけないな』って、強く痛感したので。そこから、現状を磨く練習をしてきたところが、もっと先を見据えた練習になってきた。僕は今シーズン2つしか試合に出ていないですけど、試合があってよかったなと思っています」
「やっと自分らしい演技ができるようになった」
この世界選手権で、宇野は失敗を恐れなくなったという。
「今大会は、ショート・フリーともにすごく地に足が着いていたなと。やっと自分らしい演技が試合でできるようになってきたんじゃないかなと、強く実感していまして。僕があと何年スケートを続けるか分からないですけれども、間違いなく僕が今までやってきた年月よりは短いと思うので、終わりにさしかかっているのかもしれない。別にすぐやめるというにおわせとかじゃないんですけど、なので、毎日毎日を大切に楽しみたいなとは思っています」
思い返せば、前回出場した2019年世界選手権(さいたま)で、フリー後ミックスゾーンで涙していた宇野の順位は、今回と同じ4位だった。コーチ不在で不調に陥った時期を経て、ランビエール コーチと共に歩み始めた2年間を通し、宇野は成長することに目標を見いだした。失敗を恐れず挑戦する気持ちを得た宇野は今、スケートを楽しんでいる。
<了>
宇野昌磨とランビエールの“絆”に見る、フィギュア選手とコーチの特別で濃密な関係
羽生結弦の誇りを懸けた挑戦は続く。酷使した体、溜めたダメージ、それでも闘い続ける理由…
宇野昌磨が敗れても、笑顔だった理由。「やっぱり僕は負けず嫌い」、だから再発見した喜び
羽生結弦は「気高き敗者」だった。艱苦の渦中に見せた、宇野優勝への想いと勝気さ
ネイサン・チェン、圧巻の世界3連覇の原点。“永久に忘れない失敗”から学ぶ聡明さ
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
ラグビー欧州組が日本代表にもたらすものとは? 齋藤直人が示す「主導権を握る」ロールモデル
2024.12.04Opinion -
卓球・カットマンは絶滅危惧種なのか? 佐藤瞳・橋本帆乃香ペアが世界の頂点へ。中国勢を連破した旋風と可能性
2024.12.03Opinion -
非エリート街道から世界トップ100へ。18年のプロテニス選手生活に終止符、伊藤竜馬が刻んだ開拓者魂
2024.12.02Career -
なぜ“史上最強”積水化学は負けたのか。新谷仁美が話すクイーンズ駅伝の敗因と、支える側の意思
2024.11.29Opinion -
FC今治、J2昇格の背景にある「理想と現実の相克」。服部監督が語る、岡田メソッドの進化が生んだ安定と覚醒
2024.11.29Opinion -
スポーツ組織のトップに求められるリーダー像とは? 常勝チームの共通点と「限られた予算で勝つ」セオリー
2024.11.29Business -
漫画人気はマイナー競技の発展には直結しない?「4年に一度の大会頼みは限界」国内スポーツ改革の現在地
2024.11.28Opinion -
高校サッカー選手権、強豪校ひしめく“死の組”を制するのは? 難題に挑む青森山田、東福岡らプレミア勢
2024.11.27Opinion -
スポーツ育成大国に見るスタンダードとゴールデンエイジ。専門家の見解は?「勝敗を気にするのは大人だけ」
2024.11.27Opinion -
「甲子園は5大会あっていい」プロホッケーコーチが指摘する育成界の課題。スポーツ文化発展に不可欠な競技構造改革
2024.11.26Opinion -
なぜザルツブルクから特別な若手選手が世界へ羽ばたくのか? ハーランドとのプレー比較が可能な育成環境とは
2024.11.26Technology -
驚きの共有空間「ピーススタジアム」を通して専門家が読み解く、長崎スタジアムシティの全貌
2024.11.26Technology
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
非エリート街道から世界トップ100へ。18年のプロテニス選手生活に終止符、伊藤竜馬が刻んだ開拓者魂
2024.12.02Career -
いじめを克服した三刀流サーファー・井上鷹「嫌だったけど、伝えて誰かの未来が開くなら」
2024.11.20Career -
2部降格、ケガでの出遅れ…それでも再び輝き始めた橋岡大樹。ルートン、日本代表で見せつける3−4−2−1への自信
2024.11.12Career -
J2最年長、GK本間幸司が水戸と歩んだ唯一無二のプロ人生。縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
2024.11.08Career -
海外での成功はそんなに甘くない。岡崎慎司がプロ目指す若者達に伝える処世術「トップレベルとの距離がわかってない」
2024.11.06Career -
「レッズとブライトンが試合したらどっちが勝つ?とよく想像する」清家貴子が海外挑戦で驚いた最前線の環境と心の支え
2024.11.05Career -
WSL史上初のデビュー戦ハットトリック。清家貴子がブライトンで目指す即戦力「ゴールを取り続けたい」
2024.11.01Career -
日本女子テニス界のエース候補、石井さやかと齋藤咲良が繰り広げた激闘。「目指すのは富士山ではなくエベレスト」
2024.10.28Career -
吐き気乗り越え「やっと任務遂行できた」パリ五輪。一日16時間の練習経て近代五種・佐藤大宗が磨いた万能性
2024.10.21Career -
112年の歴史を塗り替えた近代五種・佐藤大宗。競技人口50人の逆境から挑んだ初五輪「どの種目より達成感ある」
2024.10.18Career -
33歳で欧州初挑戦、谷口彰悟が覆すキャリアの常識「ステップアップを狙っている。これからもギラギラしていく」
2024.10.10Career -
「周りを笑顔にする」さくらジャパン・及川栞の笑顔と健康美の原点。キャリア最大の逆境乗り越えた“伝える”力
2024.10.08Career