紀平梨花は必ず強くなって帰ってくる。自滅の世界選手権で吐露した、自責の言葉と本音
目を伏せながら、小さく首を振った。リンクの上には、本来から程遠い姿の彼女が立っていた。全日本選手権で初めて4回転サルコウを成功させ、さらなる飛躍を期して臨んだ世界選手権は7位。失意のうちに終わった。「申し訳ない――」。口から出た、自分を責めるような言葉の数々。それでも私たちは信じている。紀平梨花は、必ず強くなって帰ってくると――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
ロシア勢と渡り合える世界でも数少ないスケーターだと証明した、紀平のショート
今季の紀平梨花のショートプログラム『The Fire Within』は、踊れるスケーターである紀平の新たな魅力を引き出した、斬新なプログラムだ。クールな印象を与える赤と黒の衣装をまとって演技を開始した紀平は、冒頭でトリプルアクセルに挑み、着氷。続いて3回転フリップ―3回転トウループも降り、後半に入ってからの3回転ルッツも決める。トリプルアクセルとコンビネーションのセカンドジャンプに4分の1の回転不足がついたものの、紀平の存在感を世界に示す3本のジャンプだった。
初めて振付を依頼したブノワ・リショーが提案したという片手側転はプログラムの強烈なアクセントになっており、これから紀平のトレードマークになるのかもしれない。紀平は、控えめなガッツポーズで演技を終えた。紀平のスコアは79.08で、1位のアンナ・シェルバコワを約2点差で追うかたちでフリーに臨むことになる。
ショートプログラムの上位3名が出席する記者会見で、ショート2位につけた紀平は、首位に立ったシェルバコワ、3位のエリザベータ・トゥクタミシェワと共に席に着いた。ロシア勢を追える世界でも数少ないスケーターとしての紀平の立ち位置を、象徴するような場面だった。
「スケートがあまり好きじゃないな」。吐露した意外な本音
「無観客の試合は初めてだったのですが、思っていたよりも試合の感じがあって。しっかりといつも通り試合に集中することができたので、いつもと緊張感が変わったということはなかった。世界選手権という大きな舞台だったので緊張しないか心配だったのですが、しっかり集中はできたかなと思います」
いつも通り真面目なコメントを口にした紀平だが、コロナ禍のシーズンで苦しんだこともうかがわせている。
「(今季は)世界選手権というこの大きな試合の前に全日本選手権しかなくて、すごく久しぶりの国際大会だった。モチベーションを保つのがすごく大変だったりとか、(成果を)出す場がないので練習を積むにあたってもなかなか達成感を得ることもなく、楽しくできるかといわれるとあまり楽しくなかったり、ということも多かったんですけど……それでも諦めずにこの日まで頑張ってやってこられたのは、よかったなって思います」
ミックスゾーンでの紀平は、さらに具体的に落ち込んだ時期について吐露している。「全日本選手権で4回転サルコウを決めてから、芽生えてきた自信もあるか?」と問われ、紀平は「全然自分の中では、この期間もずっと自信がなかった」と意外な言葉を口にした。
「試合が楽しみっていう状況が全然なくて、ここに来てから『なんとか少しでも楽しめるような状況にもっていかないと』って思っていたくらい……。どうなるか分からないですし、自分でもすごく『やだな』『スケートがあまり好きじゃないな』と思ってしまう時もあったので、あまりいつも通りポジティブに、明るく過ごせているかといったらそういう感じではなかったです。でもここに来て『やることはやってきたし、今まで練習してきたことを出したい』と思ったのと『応援してくださる方がいるので、そういう方を笑顔にしたい』という気持ちだけは強く持って臨んでいたので。自信が出ることは、あまり自分の中ではなかったんですけど」
「あまり勝負事を好まない」。だからこそ感じること
記者会見でも、紀平はスケートを楽しめない時もあることを口にしている。
「私はフィギュアスケートをずっと楽しめるかというと、あまり毎日は楽しめてはいないと思う。いつも、試合でノーミスできたりとか、私が演技で成功しているのを見て喜んでくださる方がたくさんいることが一番のモチベーションになっていて。自分だけがリンクに立って演技がしたいかっていわれると、周りの方がいないと自分からはあまり勝負事を好まないというか、そんなに強気でいられるタイプじゃないかもしれない」
しかし続けて紀平は、彼女らしく前向きな言葉も口にしている。
「私は今までたくさんの方に支えられましたし、今もスケートは好きだと思いますし、いつも試合でちゃんと成功して『フィギュアスケートが好きだったんだな』というのを、いつも確認できるなというふうに思います」
「フリーではショートをふまえて、なんとか一応4回転も入れられるぐらいの位置には立てたかなと思う。またあした・あさっての練習で、しっかり調整してフリーの本番の時間に一番いい状態に持っていけるようにして、ノーミスの演技を目指して頑張りたいなと思います」
演技を終えて首を振る。本来の出来から程遠かったフリー
ショート後の記者会見で、紀平はそのようにフリーの理想的な展開について語ったが、現実は残念ながらそのようにはならなかった。フリーの時間帯はショートが行われた昼間ではなく夜で、紀平の身体的なピークとずれていたのだ。
ピアノ曲『Baby, God Bless You』が流れ、紀平のフリーが始まった。ラベンダー色の衣装で滑り始めた紀平は、予定構成では冒頭に組み込まれていた4回転サルコウではなく、アクセルの軌道に入るが2回転になる。続いて跳んだトリプルアクセルでは転倒。全体的にいつもの回転の切れがなく、最後のジャンプである3回転ルッツでは回転し切れずに降りてきてしまう見慣れないミスをする。本来の姿とはかけ離れた滑りとなってしまった紀平は、演技を終えて小さく首を振った。
紀平のフリーの得点は126.62で、フリーだけの順位は9位、総合7位という結果だった。坂本花織の6位と合わせた合計順位は「13」で、北京五輪の最大出場枠「3」を獲得できたことは幸いだった。
「申し訳ない」。演技後に口にした、自分を責める言葉
紀平はミックスゾーンで、4回転サルコウを回避した決断について説明している。
「サルコウなしにしようって決めたのは、本番前の公式練習の後だった。その後ですごく考えて、よっぽど調子が良かったら入れるつもりだったんですけど、(公式練習を行った)練習リンクから(試合が行われるリンクに)すぐ切り替わって6分間(練習)しかなくて、多分間に合わないだろうなと思った。(トリプル)アクセル2本でいこう、というのは、(本番)直前に確実にそうしようと決めた」
「時間帯でコンディションが悪かったというか、そういう状況だった。(体のピークが来る)時間帯を、しっかり(試合のある夜に)合わせなくてはいけなかった。今日は、練習してきたことが出せるような体の力の入り具合ではなかった。悪かったことはすごくたくさんあって、あんまり言いたくはないというか……でもたくさんあってしまったので、それを改善しなくてはいけなかった。なんだか申し訳ないし……でも一応3枠は取れたので、そこはほっとはしているんですけど。とりあえず一から本当に、本気でやり直したい。『あしたから気持ち入れ替えてやるぞ』っていう気持ちです」
応援してくれる人を良い演技で喜ばせることがモチベーションだと語っていた紀平が口にする「申し訳ない」という言葉は、切なかった。
「理由はたくさんあるけれど、絶対にそれは克服できることだったので、もちろん自分のせい」
「もっともっと、しなきゃいけないことが……。『足りないよ』って言われていると思って、もう、何もかも追い込まなきゃいけない」
この苦い経験は、必ずや北京につながるはずだ
自分を責めるような言葉ばかりを残してフリーを終えた紀平だが、2日後に行われた一夜明け会見では前向きな気持ちを取り戻したようだった。
「全て自分が悪いなって、自分が『ダメダメだ』って思っちゃったんですけど、そういうふうにしてもあまりいいことがないかもしれないなと」
「4回転の練習ももちろんしていきますし、自信をなくさないようにしたいなと思う。やっぱり今までやってこられたこと、この大会に向けて頑張ってきたことは、間違ってはいなかったって自分でも言ってあげたい」
「北京オリンピックとなれば、何かまた起こるかもしれないし。そういう時に構成を落としても軽々勝てる、というぐらいの余裕のものにしておけば少しは楽な気持ちで挑めるのかなと思うので、余裕を持った練習の仕方をしたい」
コロナ禍のシーズン、試合という目標がない中で、支えてくれる人を結果で喜ばせようと努力を積んできた紀平にとり、世界選手権の結果はつらいものだったのだろう。ただ、紀平を応援する人は分かっているはずだ。7位という順位には表れない紀平の鍛錬と魅力、そして可能性を。
「悪かったところも改善はしていきますけど、『人間だからそういう時もある』と思って、自分をあまり責め過ぎず、でも頑張っていきたいなと思います」
ストックホルムで紀平が味わった厳しさは、きっと北京の喜びにつながるはずだ。
<了>
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