
鈴木セルヒオ&リカルド、病弱だった幼少期に理不尽な失格…両親の愛が支えたテコンドー初の兄弟出場
日本人の父とボリビア人の母のもとに生まれ、5歳の時に日本からボリビアに移り住んだ鈴木セルヒオ。一方、ボリビアで生まれ育ち、幼少期はサッカーや水泳に夢中だった弟の鈴木リカルド。2人はいかにして“韓国発祥の武道”テコンドーと出会い、のめり込んでいったのか。そこには家族で経験し、乗り越えてきたさまざまな原体験があった。
(文・写真=布施鋼治)※写真は鈴木一家。左から母・ノルマさん、リカルド、セルヒオ、父・健二さん
セルヒオとリカルド。鈴木家の気持ちが一つになった瞬間
「一緒にオリンピックに行くぞ!」
昨年2月8日夜、岐阜県のホテルの一室。翌日に『東京2020オリンピック日本代表選手・最終選考会』を控えた男子58㎏級の鈴木セルヒオは傍らにいた実弟で男子68kg級の鈴木リカルドに声をかけた。
リカルドはすぐに「行くぞ!」と呼応した。その直前にはボリビアから応援に駆けつけた母・ノルマさんと一緒に2人は神に祈りをささげている。ノルマさんは敬虔(けいけん)なクリスチャン。日本語も話す母は「お祈りしていたら、心は強くなる」と訴える。「オリンピックという大きな目標がある中で個人ではいくら頑張っても届かないこともある」。
後方で3人がお祈りする姿を見ていた父・健二さんは「息子たちはお母さんの言うことを聞いていた」と目を細めた。鈴木家の気持ちが一つになった瞬間だった。
果たして、翌日、セルヒオとリカルドは兄弟で最終選考会を制覇。兄弟そろって東京五輪に出場することになった。
鈴木兄弟同様、例えば柔道では一二三と詩の阿部兄妹、レスリングでは圭祐と拓斗の乙黒兄弟、梨紗子と友香子の川井姉妹がそろって出場する。
実はテコンドーでも兄弟そろって汗を流すケースは枚挙にいとまがない。今回女子57㎏級で出場する濱田真由はロンドン、リオデジャネイロに続いて3大会連続の出場となるが、兄・康弘や弟・一誓もテコンドー界では有名で、地元佐賀県では兄弟で道場を運営する。もう一人の東京五輪代表である女子49㎏級の山田美諭の兄・勇磨も2014年のアジア競技大会で銅メダルを獲得。今は指導者として活躍する。しかしながら兄弟そろって同じオリンピックに出場するケースは今回の鈴木兄弟が初めてだ。
病弱だったセルヒオが憧れた、ムービースターのような…
セルヒオとリカルドは父・健二さんに感謝しなければなるまい。健二さんが20代の頃にオートバイで中南米を旅して、ボリビアでノルマさんに出会わなければ、2人が産まれてくることはなかったのだから。
「ボリビアを走っている時に転倒してしまい、左膝をケガしてしまった。現地で入院して手術したんですけど、そこの看護師さんに現地の日本料理屋を紹介してもらい、そこでバイトしながら下宿することになった。その店で妻は働いていました」(健二さん)
現在はボリビアで医者として活動する長男・ブルーノさんにも感謝しなければなるまい。セルヒオをテコンドーへと導いてくれたからだ。日本で空手を始めたブルーノは小3で母の母国に戻っても空手を続けたかった。そこで現地の総合スポーツセンターで開催されていた空手教室に通うことにした。
兄が稽古する姿を目の当たりにしたセルヒオに健二さんは聞いた。
「セルヒオも空手をやる?」
「ううん、僕はやらない」
セルヒオは空手教室の隣で行われていたテコンドー教室に目を奪われていた。
もともとセルヒオはブルース・リーなどのカンフー映画好き。ムービースターの華麗な蹴りにも似た、テコンドー特有の軽快な連続蹴りに魅了されたのだ。健二さんによると、もう一つ大きな理由があったという。
「日本でブルーノが習っていた空手教室の先生は竹刀を持っているような怖い先生だったんですよ。それでセルヒオは『空手=怖い』というイメージを持っていた。対照的にボリビアでテコンドーを教えていたアルドリンという先生はすごく優しい先生だった。先生が優しいかどうかも影響したと思います」
とはいえ、幼少の頃セルヒオは病弱だった。「私の実家のある川崎は空気が悪いということもあって、小児喘息(ぜんそく)にもなりました。正直、スポーツにはそんなに向いていないと思いました。ただ、体はものすごく柔らかかった。テコンドーを始めたら、最初から蹴ったりするのもうまかったですね」(健二さん)。
空手の大会で受けた難癖。テコンドーの鈴木兄弟が誕生した瞬間
一方、リカルドの場合、生まれ育ったボリビアで子どもの頃からサッカーや水泳に打ち込んだ。途中からは直接打撃制(フルコンタクト)の空手を始めたが、その全国大会でイヤな思いをした。優勝候補と当たった際、試合開始早々リカルドの攻撃が何発かヒットした。するといきなり審判団が集まり「提出した書類に不備がある」という難癖をつけられ、失格にされたというのだ。
理不尽な大人の対応にリカルドは泣いた。応援に訪れていた健二さんもノルマさんも悔しくて泣いた。泣きやまない弟をセルヒオは諭した。
「一緒にテコンドーをやろう」
テコンドーの鈴木兄弟が誕生した瞬間だった。とはいえ、それからボリビアの地で一緒にこの韓国発祥の武道で汗を流した期間は半年にすぎない。中3の時、シニアの全国大会で優勝するほどの腕前だったセルヒオは中学卒業後テコンドーの本場韓国に留学したからだ。
すでに長男は首都ラパスの大学に通っていた。ボリビア第2の都市サンタ・クルスの自宅に子どもはリカルドだけになり、健二さんは三男に伝統派空手を習わせたがっていた。もともと日本にいた時には格闘技専門誌を愛読するほどの格闘技好きで、日本の武道には以前から興味を持っていた。「伝統派空手をやってみないか」と促すと、リカルドは即座に首を左右に振った。
「僕はテコンドーのほうが面白い」
テコンドー漬けの1年で得たリカルドの成長
セルヒオとリカルドが再び集結したのは日本だった。大東文化大を拠点に練習する兄を頼り、ボリビアのジュニアチームで活躍していたリカルドが来日したのだ。当初はすぐ兄の母校でもある大東文化大に入学する予定だったが、調べてみると入学するためには1年待たなければならないことが判明した。
健二さんが中南米らしい、おおらかな学校事情を打ち明ける。「ボリビアの高校はスタートがけっこういい加減で、何歳から入学しなければならないという規則がないので、リカルドは通常より1年早く入学していた。そこで現地の高校を卒業するタイミングで、大東文化大テコンドー部監督の金井洋さんに大学入学について伺ったら、『日本の法律だと、その年では大学に入れない』という説明を受けた」。
結局、健二さんは当初の予定通りそのままリカルドを日本に行かせ、都内で兄と住まわせた。大学入学は1年待たなければならなかったが、それまでの期間はテコンドーの練習に専念できると考えたのだ。
「2人ともテコンドー漬け。昼間は一緒に走りやジムに行ったりして、夜は大東文化大で練習する。その1年間があったからこそリカルドの実力はグンと伸びたと思います」
新型コロナウイルス感染症の影響で、健二さんとノルマさんは1年以上来日していない。念願だったオリンピックでの息子たちの晴れ姿も無観客試合になったため、その目で見ることはかなわぬ夢となった。それでも、サンタ・クルスの自宅で鈴木夫妻は2人の息子が表彰台に立つ姿を待ち望んでいる。
<了>
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