
ラグビー男子代表、急躍進の裏側に“陰の立役者”の緻密な「準備力」。岩渕HC、初メダルへの慧眼
2015年ラグビーワールドカップ、日本代表は当時過去優勝2回の南アフリカ代表に勝ち、「史上最大の番狂わせ」と騒がれた。2016年リオデジャネイロ五輪では、ニュージーランド代表を破り4位入賞と躍進した。世界を驚かせた日本ラグビーの陰には、ある一人の男の存在があった。ヘッドコーチとして男子日本代表を率いる東京五輪では、いったいどんな驚きをもたらしてくれるだろうか――。岩渕健輔の類いまれな「準備力」に迫る。
(文=向風見也)
ラグビー日本代表GMとして2015年W杯、リオ五輪の躍進を支えた男
抜け目のない人だ。
岩渕健輔。男子7人制ラグビー日本代表のヘッドコーチとして、この夏は東京五輪を見据える。
6月に登録メンバーを定めるや、まず北海道でキャンプを張る。海外出身選手ら練習相手のチームも招き、1日に複数の試合をする大会スケジュールを想定して動く。本番のある東京はもっと蒸しそうだが、暑熱順化は直前期にできればよいと想定する。
7月12日から本格始動の東京合宿を約2週間後に控えていたころ、北海道でオンライン会見に応じた。
「タイミングを踏まえながら、いつ、どれくらい暑いところで(練習を)やるか(を考慮)。(以前)オリンピックと同じタイミングで東京スタジアムを使って試合をしました。その時のパフォーマンスを見て、ずっと東京――暑いところ――でやるのが必ずしも得策ではないと結論づけました。暑さ(への対策)に関しては3週間前からで十分だろうと考えます」
調査力と想像力をベースに準備を重ねるのは、この人の性分か。
2015年秋までの約4年間は、15人制の男子日本代表のゼネラルマネージャーを務めた。世界的名将のエディー・ジョーンズ ヘッドコーチをサポート。2013年のウェールズ代表戦勝利を体制継続の条件とするなど、刺激を与えることも忘れなかった。ジョーンズは契約最終年、ワールドカップ・イングランド大会で歴史的3勝を果たした。
岩渕は2016年、男子7人制日本代表のゼネラルマネージャーとしてリオデジャネイロ五輪に参加した。瀬川智広ヘッドコーチ率いるチームを多角的に支え、ニュージーランド代表を破るなどして4位入賞。その時点で、すでに先を見据えた。
自らがHCとして迎える東京五輪。「オリンピックシミュレーション」
――日本のラグビー界は、準備万端で臨んだ試合で好結果を出す反面、そうでない試合で苦しむ傾向があります。
2018年の取材でこう聞かれ、うなずいていた。
「そこが2015年のワールドカップ、2016年のオリンピックを終えた中で私が感じた今後の改善点です。かなり、大きく改善していく必要がある。国のラグビー力が足りていない点だと思われます」
自ら動いたのは、その2018年。ゼネラルマネージャーとして当時のダミアン・カラウナ ヘッドコーチの退任を「KPI(重要業績評価指標)を設定し、ここは達成した、ここは達成していないと(諸事の検討を行った)。強化のスピードをもう一段階、上げていく必要がある」と決断。自らヘッドコーチとなった。
実権を握るや視野を広げる。担当スタッフと共に走力、筋力を引き上げた上、専門家の知識を借りて唾液の状態をもとにコンディションを測ったり、睡眠の質を見直したりと、目に見えづらい領域からのアプローチも施した。合宿に自身が尊敬する海外の指導者を招き、チーム方針の妥当性を客観的に検討してもらいもした。
2019年にしたのは「オリンピックシミュレーション」。ちょうど競技の行われる日程で、本番の会場たる東京スタジアムを使い試合とその前後の動きを実地訓練。会場入り時も実際の導線を通り、試合中は大歓声のBGMを背に受ける。休息の折は、身体を冷やすアイスベストを着せた。
さらに、この「オリンピックシミュレーション」の約2週間前にあたる7月12日から東京合宿を本格的にスタートさせている。この日取りは、今回の東京入りのタイミングと重なる。6月下旬の調整を北海道で行うこと、岩渕が前掲通りに「ずっと東京――暑いところ――でやるのが必ずしも得策ではないと結論づけた」と話すことも必然なのかもしれなかった。
コロナ禍で難しい日々も、選手のマインドセット構築に腐心
ここ1年は大会の延期に伴い、福岡堅樹ら主力候補が相次ぎ引退および辞退を表明。それでも活動再開がかなった6月以降、チームは段階的に新たな「日常」をつくる。
今なおオリンピック開催の意義が問われる中、「世界中が難しい1年半を過ごしている。スタッフはトレーニングができていることを幸せに感じています」と認識しつつ、「オリンピックがあるかないかという議論を聞きながらやるのは難しいことでもあります」。選手のマインドセットの構築についても、指揮官はある準備をしていた。
「合宿で、選手たちとオリンピックについて考える時間を持ちました。とにかく思っていることを口に出して、実際に話し合いました。何のために代表チームでプレーするのか、オリンピックはどういうものか、今はどんな現状か……。(結論としては)感染症対策のために社会に生きる人間としてできることはありますが、アスリートの立場でできることは、努力をして、グラウンド上でできるパフォーマンスをすることじゃないか……と。もし大会が、機会があれば、そこでできるパフォーマンスのために努力をして、その日に最大のパフォーマンスをしようと意思統一しました」
代表HCを務めながら日本協会専務理事を兼任も、選手からの信頼は厚い
2019年6月以降は、日本ラグビーフットボール協会(日本協会)の専務理事も兼任する。
振り返れば現役時代は、英国のケンブリッジ大で学んでイングランドはプレミアシップのサラセンズでもプレーした。日本協会の要となってからは、15人制代表のゼネラルマネージャー時代にそうしてきたように強豪とのビッグゲーム成立に尽力。今年に至っては、本来職域外の国内トップリーグの開催準備にも奔走した。
東京五輪に出る加納遼大いわく、「大変そう過ぎて、チームの中では『岩渕さんは2人いるんじゃないか』という話になっているくらい」。ヘッドコーチ自身がヘッドコーチを雇う組織の幹部となっている現状も、現在のガバナンス領域の顔ぶれやこの人の職務能力および意欲を鑑みれば自然に映る。加納は続ける。
「体力的にも、メンタル的にも強い方だと感じます。7人制の合宿に来たらそっちにシフトしてくれるというか、(選手との)1対1ミーティングでは忙しそうなそぶりが見えないです」
本人の心境は。複数あるうちの一つとしての「男子7人制日本代表ヘッドコーチ」という業務について、こう相対化する。
「今、ラグビー界にはいろんな流れがあり、自分自身がやるべきこと、周りから期待されていることは認識しているつもりです。ここ(専務理事とヘッドコーチの両立)についても当然、議論は出ていて、自分が今後どうするかを考える局面は何度もありました。例えば自分が(ヘッドコーチの座から)離れるか、離れないかという話も、いろんなところで出ていました。ただ私は、こういうポジションでやらせていただいている以上、選手たちと共に一緒になって世界の舞台で戦う、と思ってやってきました。(取材日から)30日後(の本番で)、選手がベストなコンディショニングでパフォーマンスを出すためのベストを、尽くしたいです」
岩渕は準備をしてきた。やりたいこと、やらなければならないことの両方を首尾よくこなしてきたここまでの日々は、最後まで指揮を執り続けるための準備といえた。
<了>
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