岩渕真奈、初めて明かす東京五輪の本音「この悔しさを経験した選手達が強くなれない理由はない」

Career
2021.09.16

準々決勝で強豪スウェーデンに敗れ、ベスト8で東京五輪を終えたなでしこジャパン。絶対的エースとしてチームをけん引した岩渕真奈は大会を振り返り、何を思うのか――。大会後初となるロングインタビューでオリンピックの総括と、大会中に悩まされたケガ、チリ戦後に見せた涙の理由、そして今後について、その思いを語った。 

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=大木雄介)

10番を背負い挑んだ東京五輪「ネガティブなことだけではなかった」

――今年6月に出版された著書『明るく 自分らしく』で「なでしこジャパンでいつか10番をつけたい」と書いていた直後に実際に10番を背負って東京五輪に臨むことになりました。大舞台で10番を背負うことになった思いを聞かせてください。

岩渕:やっぱり素直にうれしかったですし、東京五輪という本当にまたとない機会に責任ある番号を背負えたのはよかったです。けど、やっぱり結果の部分では物足りなさを感じるので……。またつけられる機会があったら10番に見合う自身のプレーと、チームとしての結果を求めて頑張りたいなと思います。

――東京五輪の延期、今年1月のイギリスへの海外移籍も含めて、岩渕選手にとって激動の1年間だったと思います。

岩渕:そうですね。本当にいろいろなことがあった1年ではありました。けど、その1年で大きく成長できた部分もありました。結果的に目標としたピッチに立てたことを考えると、ネガティブなことだけではなかったのかなとは思います。

――そういうすべての成長や結果の積み重ねが、現在のアーセナル・ウィメンFCでの活躍につながっているわけですね。

岩渕:そうですね。今、これまでで一番楽しいくらいサッカーを楽しめているので。アーセナルに移籍してよかったなって心の底から思えています。

――今回は東京五輪の話もじっくりお話いただきます。オリンピックのことをメディアで語るのは初めてだとお聞きしました。

岩渕:初めてです。まだ東京五輪を終えての気持ちを整理できていなくて、それをうまく言葉で表現するのが難しくて……。今アーセナルで楽しくプレーできているからこそ、気持ちを切り替えられている部分があるんですけど、そうじゃなかったらしばらく落ち込んでいろいろ悩んでいたんだろうなと思います。

チームを救う1ゴール。正直「カナダかよ!」と悔しい思いも

――東京五輪を終えての率直な今の思いを聞かせてください。

岩渕:正直な気持ちをいうと、あっけなく終わっちゃったというか……。東京開催と決まった時から自分自身、(1年の延期も経て)待って待って、最大の目標にして努力を重ねてきてたどり着いた舞台だったので、何も残せず終わって残念だなという思いは強いです。

――見ている側からすると、岩渕選手の見せてくれた活躍は「何も残せず終わった」とは感じなかったですが。

岩渕:自分自身やれることはやったつもりではいるんですけど、やっぱり団体競技で、チームとして結果を求めてきたので。例えばチームを鼓舞する、盛り上げるという部分でも、まだまだ足りなかったのかな、という思いはあります。 

―― 一戦一戦振り返っていきたいと思います。まずはグループステージ第1戦のカナダ戦(1-1)。結果として金メダルを獲得したチームを相手に岩渕選手のゴールで同点で終えています。実際に戦ってみてカナダは優勝すると思えるほど強かったですか?

岩渕:今自分たちが何を言っても負け惜しみになっちゃうのであまり言いたくはないんですけど……。あのカナダで優勝できるなら、どこのチームにも優勝の可能性のあった大会で、自分たちが優勝できるチャンスもゼロではなかったと改めて感じます。

――カナダ戦、初戦での岩渕選手の同点ゴールは、チームを勇気づけました。

岩渕:でも、勝ち点3も狙いにいける試合展開でしたし、1点取った後もそのチャンスはあったので、そういう意味では残念な思いも強いです。ただ、初戦が負けで始まるのと、引き分けとでは全然違うのでその点はよかったなとは思いますし、自分自身もオリンピックで点を取りたいと2012年ロンドン五輪の時からずっと思い描いていたので、悪くないスタートだったかなとは個人的には思っていました。

――そういう意味でも、そのカナダが優勝したというのが……。

岩渕:正直「カナダかよ!」と悔しい思いもあります。でも、じゃあ「自分たちが優勝するべきチームだった」と胸を張るつもりもないので、「優勝したチームから1点取ったし」といいほうに考えたいなと思います。

ケガとの闘い。「本当に歩くだけでも痛いし、難しかった」

――2戦目のイギリス戦(0-1)は、スタメンではないことは事前に決まっていたんですか?

岩渕:はい。当日の朝に事前に言われていました。膝のケガという報道もされていたんですけど、じつは足首の調子がすごく悪くて。1試合目の後は歩くのも痛かったんです。で、そこから練習もできなくて……。「イギリス戦に勝てたらベスト、ただもし負けたとしても3戦目のチリ戦できっちり勝てばいいから、チリ戦に向けて準備して」と言われていました。

――そこまで足の状態が悪かったんですね。

岩渕:できればあんまり話したくはないんですけど……、よくはなくて。サッカーをしたら痛みが出るので、試合のために2日間は何もやらずという感じだったんです。チームに迷惑をかけて申し訳ない気持ちもありながら、本当に歩くだけでも痛いし、難しかったですね。

――大きな大会の時に運悪くケガが重なることが続いてしまっていますね。

岩渕:本当に今回こそはケガなくいけると思ったんですけど……。足首のケガも昔から持っている、関節ねずみ(関節遊離体)なんです。それがちょっと大会中にうまくいかなくなって。ねずみに悩まされることはこれまでも何度もあったのですが、「ああもう、なんでここにきてそれが出てくるの!」というやるせなさもあって、けっこう落ち込んでいました。

――手術で取り除くことも考えているのですか?

岩渕:考えています。けど復帰までに2カ月ぐらいかかるので、やるならシーズンオフか、そこは今後クラブとも相談しながら考えたいと思っています。ただ、ちょっと休んだら平気なんですよ。で、試合したらまた「痛い!」の繰り返しで。プレー面に関してもそれほど影響はないんです。試合をしている最中はプレーに集中できているので。思うようにプレーできないということはないんです。

「この試合負けたら本当にもったいない」

――3戦目のチリ戦(1-0)はきっちり勝ち点3を獲得しました。試合後のインタビューでは涙も見られました。それだけあの試合に懸ける思い、背負っているものは大きかったですか?

岩渕:負けたら終わりだし、対戦相手も勝てるだろうと思われているチリが相手だし、一方で自分もチームも決してよくはない状況だったので。「ここで負けたら本当にヤバい」と、今まで感じたことのないプレッシャーは感じていました。試合後はとにかく勝ててよかったという気持ちだけでした。

――そして決勝トーナメントに入って、準々決勝のスウェーデン戦(1-3)。改めて振り返るとどういう試合でしたか?

岩渕:最初の5分は正直「これ何失点するんだ」とピッチに立ちながら思っていました。けど、なんとかディフェンス陣が1失点で耐えてくれて、前半で追いつけて。1-1で終わったハーフタイムに「この試合負けたら本当にもったいない」とみんなに話しました。前半も押し込まれていたのは最初の15分くらいで、それ以降はボールも握れていて、自分たちの流れにできると感じていたので。だからこそ後半の展開は悔しかったですし、本当に何か、うーん……、その気持ちをうまく表現するのが難しいです、やっぱり。

――東京五輪の戦いを通して感じたのは、いい時間帯はあるんだけど試合全体を通してだと、相手に押し込まれる時間帯も多くなってしまう。スウェーデン戦もすごくそれを感じました。

岩渕:改めて思うのは、経験値って本当に大事だなって。自分自身もまだまだ成長を続けていかないといけない立場ですけど、やっぱり海外でプレーして、屈強な体格の選手の中で日頃から揉まれることで得た自信や経験を持って大会に出るのと、そういう経験がないのとでは、やっぱり差が生まれてしまう。本当にその部分は大事だなと痛感しました。

――WEリーグも開幕して、日本の女子サッカーもさらなる発展を遂げつつある中ではありますが、海外でプレーするチャンスのある選手はどんどんチャレンジするべきだと感じます。 

岩渕:そうですね。もちろんそこは選手それぞれに合った自分がより上を目指す方法があるとは思いますが、海外でプレーしていると「日本のあの選手いいね」という話はよく聞くので、そういうチャンスに恵まれた選手はチャレンジしてもいいのではないかというのが素直な気持ちです。

「この悔しさを経験した選手たちが強くなれない理由はない」

――オリンピックというのは、FIFA女子ワールドカップや他の大きなサッカーの大会とはまた違ったものですか?

岩渕:ロンドン五輪の時は正直それほど違いを感じていなくて、ただただサッカーをして、最後の最後で選手村に入れてよかったなくらいの感覚でした。でも今回は東京開催で、いつテレビをつけても常にオリンピックについてやっていたり、いろいろな競技の選手の活躍を見ると、やっぱりオリンピックっていいなってすごく感じました。自分自身もオリンピック期間中にインスタグラムのフォロワーが3万人近く増えたんです。そういう意味ではオリンピックはすごく特別な大会ですし、選手村でもオリンピックならではの雰囲気を感じることができました。もう一度この舞台に立ちたいと、改めてそういう気持ちになりました。

――ポジティブな部分もあった大会だったわけですね。

岩渕:そうですね。やっぱり自分はサッカーが大好きなんだなと改めて感じることができましたし、2024年のパリ五輪の時には31歳になっているので、これまでは正直次はもういいかなって思っていたんですけど、パリも目指したいなという気持ちは芽生えました。その時になってみてコンディション的に行けそうにないなと判断したら一瞬でやめるとは思いますけど(苦笑)。

――今回の東京五輪に向けて、なでしこジャパンの顔としてずっとフューチャーされてきて、実際に今話していても、以前にも増して人として成長しているように感じます。

岩渕:本当ですか? 成長してます? けどまぁ、それはあるかもしれないですね。なでしこジャパンの中心選手として「責任を持ちなさい」という言葉は本当にたくさんの人からいわれてきたので。周りに厳しくいうからには自分がやらなきゃいけないし、やらないといえないし。そういったいいサイクルを自分が持てているなとはここ数年すごく感じています。

――東京五輪でのメダル獲得は逃しましたが、岩渕選手の中で2023年のワールドカップ、その翌年のパリ五輪に向けて、なでしこジャパンがより強くなるイメージは持てていますか?

岩渕:この悔しさを経験した選手たちが強くなれない理由はないというか。この経験をして、勝ちたい、強くなりたいと思わない人は絶対いないと思うので。自分の、自分たちのサッカーに自信を持ってプレーすることも大事ですけど、やっぱり個々が最大限ベストな環境で必死に上を目指すことは必要なので。そういう意味では、もちろん東京五輪を「いい経験だった」とはいいたくないんですけど、この経験をしたからこそ得るものも絶対にあると思います。それを個人としてもチームとしても次の大会に生かさないといけないと考えています。

<了>

「選手はプロ化を焦っていない」“なでしこのエース”岩渕真奈がWEリーグに対する「本音」

安藤梢と猶本光が語る“日本と海外の違い”「詰められるなと思ったら、誰も来てなくて…」

岩渕真奈の好調は「腸腰筋」にあり。身体の専門家が施したトレーニング法とは?

岩渕真奈が振り返る、10代の葛藤 「自分のプレーと注目度にギャップがあった」

浦和L・塩越柚歩、“良い選手どまりの苦労人”日本代表選出の背景。飛躍のきっかけは…

PROFILE
岩渕真奈(いわぶち・まな)
1993年3月18日生まれ、東京都出身。アーセナル・ウィメンFC所属。ポジションはフォワード。小学2年生の時に関前SCでサッカーを始め、クラブ初の女子選手となる。中学進学時に日テレ・メニーナ入団、14歳でトップチームの日テレ・ベレーザに2種登録され、2008年に昇格。2012年よりドイツ・女子ブンデスリーガのホッフェンハイムへ移籍し、2014年にバイエルン・ミュンヘンへ移籍、リーグ2連覇を達成。2017年に帰国しINAC神戸レオネッサへ入団。2021年1月よりイングランド・FA女子スーパーリーグのアストン・ヴィラLFCへ移籍。2021-22シーズンからアーセナル・ウィメンFCでプレー。日本代表では、2008年FIFA U-17女子ワールドカップでゴールデンボール(大会MVP)を受賞、世間からの注目を集めるようになる。以降、2011年女子ワールドカップ優勝、2012年ロンドン五輪準優勝を経験。今年6月に初著書『明るく 自分らしく』(KADOKAWA)を刊行。

この記事をシェア

KEYWORD

#INTERVIEW

LATEST

最新の記事

RECOMMENDED

おすすめの記事