三浦璃来&木原龍一「順位なんてどうでもいい」。奇跡の邂逅から発した、信頼と絆の“滑る幸せ”
世界を魅了した2人の邂逅(かいこう)は、わずかに2年半前のことだった。月日をかけて熟成させるペアの息も、出会った当初から並外れていた。迎えた北京五輪で果たした、日本代表ペア初となる7位入賞。だが、それよりも大切なものを手にした。三浦璃来と木原龍一、2人の口をつく言の葉は、“滑る幸せ”となって私たちの胸を躍らせてくれた――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
結成わずか2年半で五輪入賞。三浦&木原が歩み続ける驚異の進化
「今日の練習に来る前も、本番が始まる前も『フリーを滑らせてくれてありがとう』って言われて、『本当に龍一くんと組んでよかった』って思いました」
北京五輪のフィギュアスケート、ペア・フリーを滑り終えた三浦璃来は、ミックスゾーンでそう語っている。三浦が木原龍一と共に北京で残した7位という成績は、日本代表ペアとしてオリンピック初の入賞となる快挙だった。
三浦と木原は2019年7月末、名古屋にある邦和スポーツランドで行ったトライアウトで初めて一緒に滑っている。同年4月に前のパートナーとのペアを解消し、邦和スポーツランドでアルバイトをしていた木原に対し、三浦からトライアウトの申し出があったのだという。木原は苦手意識があったツイストリフトを三浦と行った際、その相性の良さに衝撃を受けたと振り返っている。滑りに自然な一体感がある2人の邂逅は、お互いにとってプラスの方向への大きな転換点だった。
コロナ禍で1年以上も帰国できず…2人で乗り越えた試練
翌8月にペア結成を発表した2人は、練習拠点に選んだカナダ・トロントに渡航した。結成3カ月でグランプリシリーズNHK杯に出場して5位、12月の全日本選手権にも出場し、2020年1月にトロントに戻っている。
しかし、そんな2人をコロナ禍が襲う。2020年3月にカナダ・モントリオールで開催される予定だった世界選手権に向けて調整していたが、直前に中止が決まる。カナダにとどまって練習を続ける選択をした2人が帰国できたのは翌シーズンの世界選手権終了後で、約1年3カ月もの間、海外で暮らすことになった。カナダは入国規制が厳しいことも影響し、長い間離れることになってしまった日本が恋しくなり、三浦が号泣したこともあったという。2021年世界選手権の際、木原は2人にとって試練でもあったこの時期を振り返っている。
「やっぱり通常の時期に比べて2人で乗り越えないといけないことがかなり多くて、不安なこと、つらいことはすごくたくさんあった。それを乗り越えてきたので『2人とも信頼関係が高まったんじゃないかな』と、僕自身勝手に思っています」
その言葉を裏付けるように、三浦&木原の快進撃が本格的に始まったのは、この世界選手権からだった。飛躍的に成長した滑りを見せ、総合10位に入っている。この世界選手権には北京五輪の出場枠も懸かっており、三浦&木原は自力で枠を獲得した。寂しさに耐えながらも、ブルーノ・マルコット コーチによる一流の指導の下で2人が積んできた鍛錬の成果だった。
2人が描いた急角度の成長曲線。木原の冷静な分析
8位につけたショート後、三浦は自身にとって初の世界選手権に臨むにあたり「私自身は本当にナーバスになりやすいので、ここに来た初日からずっと緊張していたんですけど」と語っている。
「滑る直前に、私と組めてよかったと(木原に)言ってもらえて、それで本当に緊張がほどけました」
この世界選手権でも、大舞台に初めて臨む三浦を精神的に支えたのは木原の言葉だったのだ。
世界選手権・フリーを終えた木原は、世界トップのレベルに追いつける手応えと同時に距離も感じたことを口にしている。
「練習から、普段はるかかなたにいた選手たちの足元が少し見えた気がしたので、僕自身すごくうれしくて。『ようやくここまで来られたんだ』って練習からすごく感じていたので。ただ、現実は厳しかったです(笑)」
世界に追いつこうとしている自分たちの武器と伸びしろについて、木原は冷静に分析していた。
「技術的な面に関しては、自信を持って試合に臨めるものが毎シーズン増えてきているので。エレメンツだけにならずに、つなぎや2人だけの世界観というのはまだまだ表現できていないと思うので、そういったところを磨くことが世界のトップの人たちに挑戦していくのに必要かなと思っています」
そして迎えた北京五輪シーズンとなる翌季、2人はさらに急激な成長曲線を描いていく。グランプリシリーズのスケートアメリカでは2位、NHK杯では3位となり、日本人同士のペアとしては初めてグランプリファイナル進出を決めたのだ。新型コロナウイルスのオミクロン株による感染拡大の影響でファイナルが中止になったのは残念だったが、世界のトップ6に入ったことには大きな意味があった。2人が出場する次の試合は、北京五輪となった。
北京五輪団体戦でショートもフリーも自己ベスト。飛躍し続ける過程
北京五輪のフィギュアスケートは、団体戦から始まった。2人はショート4位、フリー2位で日本の銅メダル獲得に貢献している。個人戦に向け、2人は意気込みを語った。
「今回大きなミスはなかったんですけど、少しジャンプでバランスを崩してしまったり、レベルの取りこぼしが本当に多かったので、そこを徹底的に練習して、個人戦では自分たちのベストの演技ができるように頑張りたい」(三浦)
「レベルの取りこぼしをしっかり修正して、ショートプログラムではしっかりパーソナルベストをまた更新できるように、フリーも今日のパーソナルベストを超えられるように頑張りたい」(木原)
北京五輪を29歳で迎えた木原は、20歳の三浦より9歳年上だ。北京大会は三浦にとって初めて出場するオリンピックだが、木原にとっては2014年ソチ大会、2018年平昌大会に続き3回目となる。木原は、過去2大会でも出場している団体戦について振り返った。
「過去2大会は『出させていただいている』とものすごく感じていて、チームメートに申し訳ない気持ちはあった。今回、ショートは少し力になれなかった部分もあったかもしれないですが、フリーを終えて9点取れたのは本当にうれしいですし、8年間悔しかった思いが少し晴らせたかなと思います」
「フリーを滑らせてくれてありがとう」。2人の全てを出し尽くした珠玉のプログラム
個人戦でも2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪に出場している木原だが、いずれもフリーに進出することがかなわなかった。北京五輪は、その悔しさを晴らす大会でもあった。
しかしショートで三浦は3回転トウループを予定していたソロジャンプが2回転になってしまうミスをする。5位が目標だった2人は8位と出遅れ、ミックスゾーンで三浦はほとんど口をきけないほどに落ち込んでいた。木原はそんな三浦を「最後までサポートし切れなかったのが残念だった」と気遣っている。
フリーの6分間練習で、木原は過去2大会でフリーに進めなかったことを思い出し、ブルーノ・マルコット コーチとそのことについて話したという。
「今日は別に順位なんてどうでもいいんだ。なぜなら今日、僕は初めて(オリンピックの)フリーを滑れるんだ」
木原がその思いを率直に伝えた「フリーを滑らせてくれてありがとう」という言葉が、三浦に力を与えたのだ。
個人戦で三浦&木原が滑ったフリー『Woman』は、2人の全てを出し尽くしたプログラムだった。2人が共に滑れる幸せを感じていることが、見る者にも伝わってくる。フリー・合計共に自己ベストを更新し、2人はショートから1つ順位を上げて総合7位となった。
閉会式で満ち足りた笑顔を見せていた2人は、北京五輪の閉幕にあたりコメントを寄せている。
「4年後のオリンピックにまた帰ってこられるように。より成長してメダル争いに食いこめるくらい強くなりたいと思います」(三浦)
「私にとって3回目のオリンピックが終わりました。目標としていた団体戦のメダルをチームメートと共に勝ち取ることができ、非常に満足しています。一方、個人戦では目標としていた5位入賞を果たすことができず悔しい思いが残りました。4年後に、個人戦でのメダル獲得を目指し、また走り出したいと思います」(木原)
4年後を見据え、再び走り始めた2人。次の舞台は、3月にフランス・モンペリエで開催される世界選手権だ。
<了>
三浦璃来&木原龍一、日本人ペア史上初の快挙も、涙を流した理由。世界が魅了された確信の急進化
羽生結弦が、五輪の舞台で残した轍。原点に戻り、誇りを懸けて挑んだ、前人未到の物語
坂本花織が掴んだ、銅メダル以上の意義。4回転全盛時代に、それでも信じ続けた“自分らしさ”
この記事をシェア
RANKING
ランキング
まだデータがありません。
まだデータがありません。
LATEST
最新の記事
-
中国に1-8完敗の日本卓球、決勝で何が起きたのか? 混合団体W杯決勝の“分岐点”
2025.12.10Opinion -
サッカー選手が19〜21歳で身につけるべき能力とは? “人材の宝庫”英国で活躍する日本人アナリストの考察
2025.12.10Training -
なぜプレミアリーグは優秀な若手選手が育つ? エバートン分析官が語る、個別育成プラン「IDP」の本質
2025.12.10Training -
ラグビー界の名門消滅の瀬戸際に立つGR東葛。渦中の社会人1年目・内川朝陽は何を思う
2025.12.05Career -
SVリーグ女子の課題「集客」をどう突破する? エアリービーズが挑む“地域密着”のリアル
2025.12.05Business -
女子バレー強豪が東北に移転した理由。デンソーエアリービーズが福島にもたらす新しい風景
2025.12.03Business -
個人競技と団体競技の向き・不向き。ラグビー未経験から3年で代表入り、吉田菜美の成長曲線
2025.12.01Career -
監督が口を出さない“考えるチームづくり”。慶應義塾高校野球部が実践する「選手だけのミーティング」
2025.12.01Education -
『下を向くな、威厳を保て』黒田剛と昌子源が導いた悲願。町田ゼルビア初タイトルの舞台裏
2025.11.28Opinion -
柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
2025.11.28Career -
デュプランティス世界新の陰に「音」の仕掛け人? 東京2025世界陸上の成功を支えたDJ
2025.11.28Opinion -
高校野球の「勝ち」を「価値」に。慶應義塾が体現する、困難を乗り越えた先にある“成長至上主義”
2025.11.25Education
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
ラグビー界の名門消滅の瀬戸際に立つGR東葛。渦中の社会人1年目・内川朝陽は何を思う
2025.12.05Career -
個人競技と団体競技の向き・不向き。ラグビー未経験から3年で代表入り、吉田菜美の成長曲線
2025.12.01Career -
柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
2025.11.28Career -
原口元気が語る「優れた監督の条件」。現役と指導者の二刀流へ、欧州で始まる第二のキャリア
2025.11.21Career -
鈴木淳之介が示す成長曲線。リーグ戦出場ゼロの挫折を経て、日本代表3バック左で輝く救世主へ
2025.11.21Career -
なぜ原口元気はベルギー2部へ移籍したのか? 欧州復帰の34歳が語る「自分の実力」と「新しい挑戦」
2025.11.20Career -
異色のランナー小林香菜が直談判で掴んだ未来。実業団で進化遂げ、目指すロス五輪の舞台
2025.11.20Career -
官僚志望から実業団ランナーへ。世界陸上7位・小林香菜が「走る道」を選んだ理由
2025.11.19Career -
マラソンサークル出身ランナーの快挙。小林香菜が掴んだ「世界陸上7位」と“走る楽しさ”
2025.11.18Career -
“亀岡の悲劇”を越えて。京都サンガ、齊藤未月がJ1優勝戦線でつないだ希望の言葉
2025.11.07Career -
リバプールが直面する「サラー問題」。その居場所は先発かベンチか? スロット監督が導く“特別な存在”
2025.11.07Career -
ドイツ代表か日本代表か。ブレーメンGK長田澪が向き合う“代表選択”の葛藤と覚悟「それは本当に難しい」
2025.11.04Career
