【特別対談:木村敬一×中西哲生】「社会活動家みたいにはなりたくない」。東京パラ金メダリストが語るスポーツの価値

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2022.05.17

世界は大きな変化の真っただ中にいる。特に日本は非常に多くの社会課題に直面しており、「課題先進国」としていかに問題を解決し、乗り越えていくかが問われている。誰にとっても他人事ではなく、それはスポーツ界、アスリートにとっても同様だ。

日本財団が運営するプロジェクト『HEROs』では、“スポーツが持つ力”を活用して社会貢献の輪を広げることを目的としており、多くのアスリートやスポーツチームの活動を支援・推進している。アスリートは競技以外の場で何ができるのか。そしてスポーツの社会的な価値とは何なのか――。

アスリートの社会的価値や貢献活動について考える連動企画の第2回は東京パラリンピックで100mバタフライ金メダルに輝いた木村敬一と、指導者とスポーツジャーナリストという2つの視点で東京パラを見てきた中西哲生氏を招き、「アスリートの社会的価値」について考える。

(インタビュー・構成=篠幸彦、中西哲生さん写真=本人提供、木村敬一さん写真=Getty Images)

「すごく長かった」9年越しの悲願の金メダル

――昨年開催された東京パラリンピックで木村敬一選手は100mバタフライで悲願であった金メダルを獲得し、100m平泳ぎでも銀メダルを獲得しました。大会から7カ月以上がたちますが、改めてこの大会を振り返っていただけますか?

木村:まだ自分のなかでしっくりくる言葉が見つかっていないのですが、「すごく長かった」というのが一番の感想です。新型コロナウイルスの影響で1年延期されたこともありますが、ロンドン大会(2012年)で初めて銀メダルを獲得して「金メダルを取りたい」と思ってから9年かかりました。それだけ長い時間をかけて大きな目標を達成することができて、安心したというのが正直な感想です。

中西:私は東京パラリンピック開催までにパラアスリートの方々とお仕事をさせていただく機会が何度もありましたが、驚きと敬意しかありません。この表現が正しいかわかりませんが、普段の生活自体が競技といってもいい。パラアスリートの方々にとっては当たり前かもしれませんが、いろいろな障がいを抱えているなかで練習場に行ったり、何か買い物をしたり、ご飯を食べたり、私にとって普通のことが普通ではないわけです。想像のなかでわかっていたつもりでしたが、実際に目の当たりにしたときに驚きしかありませんでした。

――中西さんは今大会の木村選手の活躍はどのように感じられました?

中西:木村選手が金メダル獲得にこだわっていたことは知っていました。そのなかでちゃんと目標を達成したことは本当に素晴らしいと思いますし、どれだけのプレッシャーがかかっていたのか……と想像してしまいます。私は中学時代に日本からアメリカに移り住んだことがあって、最初は言葉が話せず大変な思いをしました。木村選手も単身でアメリカに渡られて、そこでのプレッシャーや自分で全てやらなければいけないという経験が、金メダル獲得に大いに役立っていたのではないかと思います。実際にはいかがでした?

木村:私はどちらかというと、アメリカの生活は楽しかったですね。逆に新型コロナウイルスの影響でパラリンピックが延期になり、日本に帰ってこなければいけなくて、そこからの1年半のほうがしんどかったです。

中西:アメリカでの生活のほうがプレッシャーを感じずに過ごせた、と。

木村:アメリカにいた間は良い意味で生活していくので精いっぱいでしたし、その中で不安が紛れることも多かったんです。競泳の練習はかなり単調ですが、日々、文化的にも言語的にも成長していく自分を感じることができました。生活に張りがあって、プレッシャーのことを考える暇がなかったので、アメリカでの生活のほうが楽しいと感じられたのだと思います。

中西:日本だと食事の選択肢はいくつかあって、そこから選べばよかったと思うんです。でもアメリカでの生活は、その選択肢を自分でつくり出さなければいけない。自分で全てを解決しなければいけない環境だったわけですよね。それが結果としてご自身を強くしていったのでしょうね。

木村:そう思います。ただ、普段の生活を通して成長しようという思いで毎日を過ごしてはいませんでした。結果として成長につながったのだと思います。

過去3大会と比べた東京パラリンピックの盛り上がり

――東京オリンピック・パラリンピックに限らず、毎大会オリンピックとパラリンピックでは注目度や盛り上がりに差があることが話題に上がります。木村選手は今大会の盛り上がりについてはどのように感じましたか?

木村:私は2008年の北京大会から東京大会までパラリンピックに4回出させていただきました。そのなかでいつもオリンピックよりも過去のパラリンピックと比べてしまうんですね。その観点でいうと、東京大会はとんでもなく盛り上がった大会だったと思います。

中西:私はブラインドサッカーを中心に関わらせていただいて、東京大会を通じてそれまでブラインドサッカーの存在を知らなかった多くの人たちが競技を目にして、「よくあんなことできるね」「大会期間中ずっと見ていたよ」「ブラインドサッカーすごいね」と声をかけてくださる機会がたくさんありました。

木村:オリンピックとパラリンピックは戦っている選手たちも違うし、根本的に別物なのかなと思っています。だから私は今回の東京の盛り上がりは大満足ですし、すごく盛り上がった大会だったなと思います。

中西:大会前に一緒にイベントをやってくれたパラアスリートの方々がたくさんいますが、その方々がテレビで特集を組まれたり、他のメディアも含めたくさんスポットライトが当たったりするのを見て、携わってきた人間として本当にうれしい気持ちになりましたね。木村選手は金メダルを取ったことで周りの反響はどのように感じました?

木村:過去のロンドンやリオでもメダルを獲得してきましたが、それと比べても全然違いました。今日こうやって対談の場をセッティングしていただいていることもそうですし、いろんなメディアやイベントに出させていただく機会もかつてないほど増えています。その波及効果は金メダルを獲得したおかげだと思っています。

アスリートが競技以外のことを積極的に発信することは必要なのか?

――木村選手がメダルを取って多くのイベントに呼ばれるという話がありましたが、アスリートにはそういった人を引きつける力があるからだと思います。お二人はアスリートやスポーツが持つ社会的な面での価値、影響力についてはどのように考えていますか?

木村:スポーツは一体感が生まれるものだと思います。一人の選手、一つのチーム、一つの国を応援することで、一体感が生まれて自然と元気になったり、心揺さぶる瞬間をつくり出せる。それがスポーツの価値だと思っています。

中西:木村選手がおっしゃるとおり、アスリートが競技をする姿を見て、それに勇気をもらったり、元気をもらうことで、その人の人生が変わることもあるのがスポーツの持つ力であり、価値だと思います。「私もああなりたい」と、人の心を動かす力はものすごく大きいと思いますね。

――社会的な価値や影響力というところで、アスリートが競技以外の取り組みを積極的に行ったり、発信することも求められていると思います。一方で、日本では競技以外のことをやっていると、ネガティブな反応を受けることもあります。

木村:私は社会活動家のようにはなりたくなくて、『アスリートが本業を見失ってほしくない』という思いがあります。アスリートである以上、競技力で存在感を示すことがもっとも重要です。それに加えて、その過程や思いを発信し伝えていくことで喜んでくれる方はいるし、それが新たな応援やファンを生むと思います。応援のパワーはすごくて、アスリートの競技力向上にも必ずつながってきます。だからこそ、応援してもらえるように努力し、かつ競技の外で活動や発信をしてファンの方へ恩返しをしていくのがアスリートにとって良い循環なのかなと思います。

中西:私も現役時代、競技以外のことを表に見える形で何かに取り組んでいたわけではありませんでした。木村選手がおっしゃったように現役の間は自分のプレー、自分を磨くことに集中するべきだと思います。ただ、引退後のための準備を現役の間にしておくことも、大事だと思っています。私の場合は誰も行かない道へ進むことを考えており、現在取り組んでいるパーソナルコーチもその一つです。そのためにいろんな本を読んだり、違う分野に興味を持ったり、違う競技のアスリートと交友関係を築いたりしてきました。そうして自分が見たもの、聞いたものは必ず自分のなかに蓄積されるし、一流や本物といわれる人の言葉であるほど残ります。そこで得たものを現役の間は競技に反映し、引退後は世間へ発信する形で表現してほしいと思います。それはアスリートのセカンドキャリアという観点からも大事なことだと思います。

社会としてパラアスリートと子どもたちの接点をつくることが大切

――木村選手はHEROs MEMBERとして活動に参加されていますが、どのような思いで取り組んでいるのでしょうか?

木村:私はスポーツというもののおかげで社会とつながっていくチャンスをもらえたと思っているんです。泳げたから友達も増えたし、速くなったからパラリンピックにも出場させてもらい、いろんな場へ出させていただくチャンスをもらえました。そんな思いをスポーツを通して、社会に還元できればいいなと思って参加させていただいています。

中西:パラアスリートの方々から健常者の我々が学ぶべき点はものすごくたくさんあって、彼らの話を聞くだけで自分の人生を変えられるほどだと思います。常に難しい状況で、我々にとって当たり前のことが当たり前ではないことがたくさんあって、そのなかでどう向き合っていくのか。そういった話を聞ける機会をもっと創出していけるような社会になっていくと私自身もありがたいと思いますね。

――木村選手はすでにイベントや公演会などで、ご自身の経験を話す場というのはたくさんあったと思いますが、今後はどのようなメッセージを伝えてきたのでしょうか?

木村:最近は子どもから大人まで、さまざまな方を対象にお話させていただく機会がたくさんあります。そのなかでも特に子どもたちには、自分の人生の軸を持ってほしいと思っています。何か一つでも一生懸命頑張っているものがあれば、そこを軸として自分のアイデンティティーが確立されて、自信を持って生きていくことができる。それが人生を豊かにしていくものです。仮に結果という意味でうまくいかなかったとしても、“頑張ったという事実”は財産になることは間違いありません。僕自身がそうでしたし、自分の芯になるものをつくってもらいたいと思ってお話させていただいています。今後も継続的に発信はしていきたいなと。

中西:おっしゃるとおりだと思いますね。逆にその芯になるものがなんなのか、その選択肢を我々大人がいかに示していけるかが大事だと思いますし、そういう機会をつくることも我々の仕事だと思います。そういった意味でパラアスリートと接する場というのは、子どもたちが芯になるものを見つける良い機会になります。社会としてパラアスリートと子どもたちの接点をたくさんつくってあげることは、社会貢献という意味で今後の大事なポイントだと思います。

<了>

■『HEROs』とは
アスリートの社会貢献活動を推進することを目的に、日本財団が立ち上げたプロジェクト。多大な影響力を持つアスリートが社会貢献活動に取り組むことは、多くの人々に社会課題に対する意識や社会貢献活動への関心を生み出し、社会課題解決の輪を広げていくことにつながる。そのためにHEROsでは、ACADEMY / ACTION / AWARDの3つの事業を通じて、アスリートを中心とした社会貢献活動のプラットフォームをつくり、必要な情報提供やサポートを行っている。
元サッカー日本代表の中田英寿氏、元メジャーリーガーの松井秀喜氏、元柔道全日本男子監督の井上康生氏、元ラグビー日本代表の五郎丸歩氏、日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太、プロボクサーの村田諒太ら多くの現役/元アスリートがHEROsアンバサダーに就任。HEROsの活動を推進している。
https://sportsmanship-heros.jp/

■『HEROs AWARD』について
社会とつながり、社会の助けとなる活動を行うアスリートや団体の取り組みに対して毎年1回表彰を行い、スポーツやアスリートの力が社会課題解決の活性化に貢献していることを社会に周知することで活動を後押しし、社会貢献活動をより多くの人々が取り組むようになることを目指すプロジェクト。2022年度のエントリー期間は5月9日(月)~7月31日(日)。
▼詳細はこちら
https://sportsmanship-heros.jp/award/

[PROFILE]
中西哲生(なかにし・てつお)
1969年9月8日生まれ、愛知県出身。スポーツジャーナリスト/パーソナルコーチ。同志社大学卒業後、1992年に名古屋グランパスエイト(当時名)に入団。1997年に川崎フロンターレに移籍し、1999年には主将としてJ2優勝とJ1昇格に貢献。2000年に現役引退。引退後は、スポーツジャーナリストとして活動しながら、パーソナルコーチとしてサッカー選手の永里優季、久保建英、中井卓大、斉藤光毅らを指導。TBS「サンデーモーニング」、テレビ朝日「GET SPORTS」などのテレビ番組でコメンテーターとして出演するほか、TOKYO FM「TOKYO TEPPAN FRIDAY」ではラジオパーソナリティーを務める。

木村敬一(きむら・けいいち)
1990年9月11日生まれ、滋賀県出身。東京ガス所属の競泳選手。2歳のときに病気により視力を失う。10歳から水泳を始め、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属し、日本大学では健常者の水泳同好会に所属。パラリンピックには2008年の北京大会から4大会連続出場。ロンドン大会で銀・銅1つずつ、リオデジャネイロ大会では銀・銅2つずつのメダルを獲得した。2018年4月から約2年間アメリカを拠点に活動。2021年の東京大会では、100m平泳ぎの銀メダルに続き、100mバタフライで悲願の金メダルを獲得。2021年に初の著書となる自伝書籍『闇を泳ぐ 全盲スイマー、自分を超えて世界に挑む。』(ミライカナイ)を刊行。同年よりHEROsメンバーとして活動し、さまざまな社会貢献活動に参加。同じく2021年に紫綬褒章受章。

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