町田瑠唯と篠崎澪「同じ涙」を流した唯一無二の絆。国内ラスト戦の“らしくない”言動の理由

Career
2022.06.30

東京五輪のアシスト王、町田瑠唯が今シーズン世界最高峰WNBA(アメリカ・女子プロバスケットボールリーグ)のワシントン・ミスティクスで躍動を見せている。さかのぼること2カ月前、日本のWリーグ・富士通レッドウェーブの選手としてファイナルの場で敗れた町田は試合後、「バディ」だと語る選手と二人で号泣する姿を見せた。多くのバスケファンの涙を誘ったこのシーンで二人が流した“同じ涙”とは?

(文=守本和宏、写真提供:富士通株式会社)

「うん。あの時は多分、同じ涙を流したんじゃないかなと」

2022年4月。代々木第一体育館。Wリーグ史上最多、7151人を集めたWリーグプレーオフファイナル。
2連覇を成し遂げたのはトヨタ自動車。
その表彰を見届けた後、準優勝の表彰台に上がる、富士通レッドウェーブ(以下、レッドウェーブ)のメンバーたち。右端から順番に、各選手にメダルがかけられていく。

その反対側を、筆者はずっと見ていた。一番左端の二人は、共に下を向きながら、二人だけで言葉を交わし、止めどなく流れる涙を、ユニフォームで、腕で、ぬぐい続けた。

一人は、この試合の直後、WNBA挑戦に旅立つ町田瑠唯。
もう一人は、この試合を最後に引退する、篠崎澪だ。

表彰式が進む中、天井からぶら下がる大型ビジョンは、ずっと二人を映し続けた。
自分たちが抜かれたビジョンに気付き、「ヤバい、抜かれてる」「ヤバい、ヤバい……」と口にする二人。でも、涙は止まらない。

レッドウェーブで8年間、パスを送り続けた町田。そして、町田のパスを受け続けた篠崎。バスケットボール人生におけるベストパートナーとの別れに、普段照れ屋の二人も涙を止めず、この時ばかりは二人だけの時間を優先した。

この時、具体的にどんな言葉を交わしたのか聞いてはみたのだ。ただ、その言葉そのものはむしろ、重要ではなかったのだと思う。町田の言葉が、胸に強く残る。

「特にシィさん(篠崎)に何か言ったとかじゃなくて、多分お互い思ってることは一緒で……。自分が表彰台に立った時、耐え切れなくて、『やばい泣きそう』ってシィさんにつぶやいたら、『そんなこと言わないでよ』って言ってシィさんが泣いちゃって。私も泣いてっていう会話だったんですけど。多分……」

一息飲み込み、町田は納得した様子で言葉を発した。
「うん。あの時は多分、同じ涙を流したんじゃないかなと、自分は思ってます」

涙のシーンをことさら強調するのは個人的に好きじゃない。ただ、その時に抱いた彼女たちの感情、そこへたどり着いた過程。そして、周りの誰からも尊敬される、偉大な篠崎澪という選手の足跡を伝えたいと思ったのだ。

2011年から加入した“謙虚な”天才パサー

女子バスケットボール界には、コートネームというものが存在する。町田瑠唯は「ルイ」、篠崎澪は「シィ」。二人のコンビは、「ルイ-シィ」とか「ホットライン」と呼ばれ、女子バスケファンの間ではここ数年、リーグを代表する見どころだった。「町田-篠崎のラインはパスが来るとわかっていても、止められませんからね」と、実況・解説はおなじみのフレーズで紹介した。それは、彼女たちが出会った8年前から、あまり変わらない。

町田瑠唯がレッドウェーブに入ったのが2011年。長岡萌映子、本川紗奈生らを擁し、札幌山の手高校を三冠に導いたポイントガードとして加入した。「私はこの魅力的なチームが好きで入った」と本人が語るように、レッドウェーブは当時から、三谷藍などが所属する強豪。フィットするまで時間がかかるかと思ったが、早々にホームとどろきアリーナでのデビュー戦で、ひと目見て感じる非凡なパスセンスを披露したのが記憶に残っている。

Wリーグ史上初の日本人女性HC(ヘッドコーチ)岡里明美体制下で、安定感あるスリーポイントを武器とした有明葵衣、スピードスター中畑恵里など、ポイントガードを固定し切れなかったチームで、早々に立ち位置を確保した町田。それは、最初のチーム歓迎会で、岡里HCのファーストインプレッションを聞かれ、「え……きれいな方だと思いました」と答えて、「スタメン確定(笑)」と言われたのとは関係なく、彼女自身の実力によるものだ。天然というか、その自然なキャラクターで、すぐにチーム内外のアイドルとなっていく。

その後、日本代表では3番手のガードとなるなど、代表での定位置獲得には時間を要したものの、もともと2011年FIBA U-19世界選手権でもベストファイブとアシスト王に輝いている。当時から「スピードは世界に通用すると感じた」「アシストは決めてくれる仲間がいて成立するもの。私一人の評価じゃない」との信念は、東京五輪銀メダル獲得後のインタビューでも変わらない。その後も高田汐織などが「ルイとプレーしたいから」とレッドウェーブに移籍してくるなど、誰かの人生をも変える存在として活躍してきた町田。疑いの余地がない、日本女子バスケの歴史に残るポイントガードだ。

「ルイがいなかったら、ただのよく動く人になって、最後は…」

町田から遅れること3年。篠崎は松蔭大学卒業後、2014年にレッドウェーブに入団。年齢的には、町田より、1つ年上になる。無尽蔵のスタミナ、ファストブレイクで真っ先にコートを駆けるスピード。スペースを見つけ入り込む、圧倒的な運動量で何度もチームを救ってきた。予想外だったのは、元日本代表の点取り屋だった名木洋子など選手がそろう2番ポジション(シューティングガード)で、チーム加入初年度初戦にスタメンデビューを飾ったことだ。

「なんでこの中で私がスタメンなんだろうって自分も疑問でした。だからとりあえずディフェンスがんばりました」と本人も話すほど驚きの抜擢(ばってき)だった。結果的に、その年の新人王を受賞するのだから、BTテーブスHCの手腕は評価に値する。テーブスHCは「彼女は緊張すると何も考えられないタイプだった。最初は少し動きを教えたら、すぐ頭がパンクしていた。だから、自由にやらせた。それで1年目のJX-ENEOSサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)戦で31点取ったんや」と、彼女なりに成長できる環境を用意したと語る。

町田と篠崎の相性は抜群だった。ボールを取ったら、すぐ動き出す篠崎に、いつもベストのタイミングでパスが飛んでくる。そんなところにパスが出せるのか、そんなゴール間近で受けて決められるのか、そんな信じられないシーンを何度も演出してきた。篠崎も、「ルイと出会えてよかった“どころ”じゃないですよ。ルイと一緒にやってなかったら、ここまで成長できなかった。自分のプレースタイル的にパサーがいないと、絶対生きない選手じゃないですか。ルイがいなかったら、ただのよく動く人になって、最後は動くのやめてましたよ(笑)」

彼女たち二人の活躍は、今更詳しく語る必要もない。誰から見てもリーグ屈指のコンビであったことに間違いはなく、どのチームもわかっていながら止められなかった。篠崎が東京五輪前に自身の心情や3×3に専念したいなどの思いから、やめたいと言った時も、町田・テーブスHCが熱心に引き留めた。篠崎もその思いに応え、自身の中で葛藤を抱えながら、ラスト1年と決めたシーズン。

そのラストシーズンでレッドウェーブは6年ぶりにWリーグファイナルへ進出。ルイ-シィ中心に、チーム全体で優勝にかける思いが強かったのには、そんな背景があった。そしてそれは町田瑠唯“らしくない”言動につながる。

ルイらしくない、いい話

テーブスHCは明かす。ファイナル2戦目の最終クオーター、敗戦(とともにシーズン終了)濃厚となった試合終盤の出来事だ。

「ルイが、ちょっと面白いこと言ったよ。最後に15~20点ビハインドで残り3分ぐらい、ルイがベンチに来て『BT、お願いこのメンバー絶対下げないでください。最後まで一緒にやりたいから』って言った。ルイはね、そういうこと言うタイプじゃない。たとえHCの判断が間違っていても言わない、伝統的な日本人。篠崎が最後だから一緒にプレーしたかった。だから私は『おまえたち下げるわけないよ』って言った。ルイらしくない、いい話」

プレーしていた篠崎はこの発言を知らず、後で知って泣いたという。結果的にレッドウェーブはトヨタ自動車に2連敗。武器とする機動力、平面上の走り勝つバスケットボール。スペーシングからのスリーポイントで初戦は勝利に近づいたが、相手の馬瓜エブリン、シラ・ソハナ・ファトー・ジャ、馬瓜ステファニーらビッグマンを崩し切れず。この試合を最後に引退を表明していた三好南穂など中心に結束力も強かったトヨタ自動車に屈し、2007-08シーズン以来の優勝には届かなかった。

「シィさんとしかできないプレーがたくさんあった」

そして迎えた表彰式。町田と篠崎の目には涙があふれた。その心情は、不思議と、いや自然とリンクする。

篠崎「(町田が)泣きそうみたいになって、今はやめて、泣かないでみたいに言ったんですね。『あっち(ベンチ)行ってから』みたいな感じだったんですけど、二人で抑え切れずに泣いちゃって。それで、パッと見たら(ビジョンに)抜かれてて、『やばい抜かれてる』『恥ずかしい』とか、そんな大した話してなかったんですよ。でもそうですね、私も同じ涙だったと思います。ルイを思って泣きました(笑)」

町田「シィさんは本当に今まで一緒にプレーした中で、何て言うんだろう。唯一無二の存在じゃないですけど、今までいないというか。シィさんとしかできないプレーがたくさんあった。こんなこと言ったらシィさんに失礼かもしれないですけど、バディみたいな。(それぐらい思っても全然いいのでは?)いや、向こうは思ってないかもしれないじゃないですか。相方じゃないですけど、バディみたいな感じだなって自分では思ってました」

篠崎「そんなに言われると、ありがたいでしかないですよ。私はルイに育ててもらったようなもの。本当にそういう気持ちしかない。表彰式の時の涙も、自分が引退しちゃうのも少しはありましたが、難しいな。チームに対するありがとうとか、みんなに対する思いとか、家族のこともあったけど、やっぱりルイと一緒にできてよかったっていう感謝の気持ちが一番大きかったですから」

出会うべくして、出会った二人。特別な言葉は、心を通わせた二人には、いらなかったのだ。

「チームメートの扱い、プロフェッショナル」

東京五輪3×3代表としても活躍し、バスケファンの間では知られた存在の篠崎。この偉大で小さな(167㎝)巨人の引退に、普段は厳しいBTテーブスHCも最大限の賛辞を贈る。「ありがとう以上の感情ではないか」と聞くと、彼はこう答えた。

「めっちゃリスペクト、本当に好きな選手。40分ゼロレスト(休憩なし)。ディフェンス・オフェンス関係なく動く。スリーポイント、ミドル、プルアップ、ゴールまでのカッティング、完璧。そして……毎日の行動やコンディショニング、チームメートの扱いすべてがめちゃくちゃプロフェッショナル。本当に周りに尊敬されてる選手です」

確かに、ルイとシィがいた8年間のレッドウェーブは、そんなふうに、周りのみんなを大切にするチームだった。

一つ、印象的なシーンを付け加えたい。表彰式が終わったルイとシィはベンチに戻り、乾いていた涙をまた流した。シィと同じく、今季限りで引退する生方江梨奈チーフマネージャーを見て、流した涙だ。この原稿に登場しない多くの選手たち、マネージャー、スタッフ。誰かを置いていかない優しいチーム、そんな文化を二人が創り上げたように思う。

ルイとシィが交わした幾多の言葉

パスとは言葉のようなものだ。

ルイとシィが交わした、何千・何万ものパス。練習中から試合まで、彼女たちは長い時間、たくさんのパスを通して会話してきた。「とりあえず空いているとこに動けばパスが来る」とシィは表現し、「最後の方は会話さえなくても、来るのがわかった」という。

僕たちは大人になって、そんなふうに相手を信頼し、心を任せられる“バディ”に会えたのだろうか。心を通わすために、パスのやりとりをできているだろうか。上司と部下、先輩と後輩、妻と夫、編集者とライター。立場は何でもいい。出会いは常に突然で必然だが、その後の関係性づくりは、きっと自分の努力次第なのだろう。

ルイとシィも、互いにバスケに打ち込み、逃れようのない悲しみも笑顔に満ちた喜びも、たくさんの感情を共有した結果、ベストパートナーとなりえたのである。あなたにも、そんなベストパートナーがいたらそれはとても幸せなことだ。時には、同じ涙を流すこともあるかもしれない。そんな時、篠崎澪という偉大な選手がいたことを、ちょっと思い出してくれたら、うれしく思う。

<了>

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