知られざる「欧州を目指す日本人トレーナーの指標」の存在。海外一択の決意の末、カンボジアで手にした経験値と順応性

Career
2022.11.03

女子サッカー界の最高峰「UEFA女子チャンピオンズリーグ」の舞台で活躍している日本人トレーナーがいることをご存知だろうか? 23歳で日本を飛び出し、カンボジアのアンコールタイガーFCで3年間研鑽(けんさん)を積み、2021-22シーズンより活躍の場を欧州の舞台へ。現在はオーストリアのSKNザンクト・ペルテンに所属し、女子チームを中心にクラブのトレーナーを務めている原辺允輝(はらべ・よしき)だ。22歳で初海外を経験し、翌年にはプロのトレーナーとしての一歩を海外で踏み出した若者は、いかにして「欧州を目指す日本人トレーナーの一つの指標」と言われるまでのキャリアを手にしたのか?

(インタビュー・構成=中林良輔[REAL SPORTS副編集長]、写真提供=原辺允輝)

パラオでの初海外を経て、目指す方向が「海外一択」に

高校時代には看護師を志したが、図らずも滑り止めで受かった鍼灸系の大学に進学。大学入学当初は、将来について「鍼灸接骨院で働いて、ゆくゆくは自分で開業でもするのかな」と漠然と考えていた原辺は、東京五輪を控えてスポーツイベントに関わることも多かった大学生活を通して、「トレーナーとして東京五輪に関わりたい」という目標を持つようになる。その目標がきっかけで、大学卒業後にカンボジアやオーストリアのサッカークラブを渡り歩き、いまや“海外で活躍する日本人”の一人となった彼の軌跡をひも解く。

――海外で働きたいと考えるようになったきっかけはあるのですか?

原辺:学生時代に仲の良かった友達が大企業の内定を蹴って、フィリピンとグアムの間にあるパラオという小さな国での仕事を選んで国外に飛び出したんです。日本の大企業で働く安定よりも、海外の小国でのチャレンジを選んだことに対して「なんで!?」と理解しがたかったと同時に、その理由がどうしても知りたくもなって。そのことを両親に話したら、「実際に見にいってみるべきだ」と背中を押してくれて、1週間1人でパラオに行ったんです。

――そのときが初めての海外経験ですか?

原辺:人生初海外です。そこでJICA(国際協力機構)の仕事でパラオで活動されている日本人の方々とも知り合って、パラオの運動施設を管理している方や、野球や陸上競技を教えている方もいました。現地で友人やJICAの方々と触れ合うなかで海外で働くことに魅力を感じましたし、スポーツの発展していない国であれば日本よりも仕事の需要があるのではないかとも考えました。

――それはトレーナーとしての仕事ということですか?

原辺:そうです。パラオを訪れたのが2017年3月で、すでに東京五輪の開催は決まっていて、各競技に出場する日本チームや日本人選手のトレーナーという限られた枠に、その時点で学生の自分が入っていくのは難しいことはわかっていました。それなら、パラオのようなまだスポーツが発展しきっていない国であれば、トレーナーとして東京五輪を目指せるんじゃないかと。そのような大学生の浅はかな考えが、海外で働く道を考えるようになった最初のきっかけです(笑)。

――そこから実際に海外でトレーナーとして働くためにどのようなアクションを起こされたのですか?

原辺:パラオから帰国後、良くも悪くも視野が狭くなってしまって、その先の道を海外一択で考えるようになりました。また、僕自身は野球しかやってこなかった人間なのですが、海外でトレーナーとして働くなら野球よりも世界中にチームがあるサッカーのほうがいいというアドバイスを先輩方からもらって、サッカー業界を目指すようになりました。大学卒業後には、当時選手として所属していた田島翔さんを通じて、3カ月間アメリカの独立リーグに所属するサッカーチーム、ラスベガスシティFCでトレーナーのインターンとして経験を積ませてもらいました。

――その当時、英語はどの程度習得されていたのですか?

原辺:まったくできなかったです(苦笑)。なので、使えるものはゼスチャーからGoogle翻訳からすべて使って必死にコミュニケーションを取っていました。英語もそうですし、トレーナーとしての技術もそうですし、あらゆることを現地で学びながら体当たりで過ごした3カ月間でした。

驚くべき行動力とスピード感で勝ち取ったカンボジア行き

――初めて海外を訪れた翌年の2018年から、実際に海外でトレーナーとして働き始めるわけですが、そのきっかけはなんだったのですか?

原辺:アメリカから帰ってきた1週間後くらいに、先輩から「東南アジアのサッカーチームが日本人のトレーナーを探しているらしいよ」という情報を得て、「行きたいです! どこの国ですか?」と。そのときの自分は仕事を選べる立場ではなかったので、どこの国のどんなチームでもチャンスがあればチャレンジしようと決めていました。「カンボジアのアンコールタイガーFCというクラブらしい」と教えてもらったので、すぐにクラブのウェブサイトを探して、問い合わせフォームからトレーナーとして働きたいとメッセージを送りました。

――驚くべき行動力とスピード感ですね。その後、すぐクラブ側から返信があったのですか?

原辺:はい。で、オンラインで5回面談を受けました。日本人のGMの方や、当時の監督やコーチ、すでに退任が決まっていた当時の日本人のトレーナーさんともいろいろとお話をさせていただいて、最終的に採用いただきました。

――アンコールタイガーFCは日本人の加藤明拓さんがオーナーを務めるクラブではありますが、現地のトレーナーではなく、日本人トレーナーを求めていたのは技術的な部分からですか?

原辺:そうですね。あとは、経営陣は日本人なので、選手たちのケガの具合やコンディションなど、同じ言語で事細かく聞けること、それと当時は3人の日本人選手がいたので、その選手たちとのコミュニケーション面も考慮しての判断だったそうです。

――初めての海外生活、初めてのプロのトレーナーとしてのお仕事が始まり、順風満帆なスタートとはいかなかったのではないかと想像します。

原辺:やっぱりコミュニケーションの部分で大きな壁にぶつかりましたね。単純に言語というだけの意味ではなくて、目の前にいる選手がいま何を考えていて、監督は何を求めているのか。それを瞬時に理解して、自分が求められている仕事をする。そういったコミュニケーション能力が1年目には圧倒的に足りていなかったと感じます。

巻いたテープを目の前ではがされたことも。1年目の苦悩

――トレーナーとしての技術的な部分でも最初は苦労されたのではないですか?

原辺: 1年目は本当に大変でした(苦笑)。欧州でのプロ経験のある外国籍枠の選手に、巻いたテープを目の前ではがされたこともあります。ただ、高いレベルのトレーナーさんと一緒にやってきた経験のある選手から、当時のトレーナーさんと比べられるのは当然のことなので。「あのときはこうだった」と面と向かって文句を言われたこともあります。スペイン人の監督からも1年目のシーズンが終わる間際に「もしこのままの状態だったら、来年は一緒に仕事をしたくない」と言われていました。

――そのような状況をどのように乗り越えたのですか?

原辺:まだまだ経験不足であることはわかった上で飛び込んだ世界なので、毎日考えに考え抜いて、コツコツと経験と努力を積み重ねるしかありませんでした。日本にいる先輩トレーナーにオンラインでアドバイスを求めることもありましたが、やっぱり実際に同じ空間にいないと教わることにも限界がありますし、そもそも日本の常識が当てはまらないカンボジアにマッチする必要があったので、一人で考え込むことが多かったですね。

あとは、とにかく選手たち、スタッフたちのことを知ろうと思って、練習外でも積極的に同じ時間を過ごすように意識していました。特に監督とは、午前練が終わったあとに一緒にお昼ご飯を食べて、カフェに行って、ジムに行って、ほぼ毎日一緒に同じ時間を過ごしていました。

――それは監督の考えていることを引き出して理解するためですか。

原辺:そうですね。まずは監督の価値観を知ることから始めました。どういうことを監督がプロフェッショナルと見ているのか、どういう立ち居振る舞いをすれば監督にとってのベストなのか。監督あってのトレーナーだと、いまでも思っているので。とにかく現場のトップである監督の考えを知ろう、知ろう、知ろうと。その取り組みが2年目以降にすごく生きたと思います。

「欧州を目指す日本人トレーナーの一つの指標」

――カンボジアでの3シーズンを経て、今年の2月から欧州のクラブに所属されます。その経緯についてお聞かせください。

原辺:今年の頭の時点ではまだカンボジアでお仕事させていただいていました。 オーストリアには2021-22シーズン途中に来た形になります。本当にわがままな話なのですが、アンコールタイガーFCには去年のシーズン中の段階から「キャリアアップをしたい」と相談をさせていただいていて。チーム側からもありがたいことに「ヨシのキャリアのためなら」と理解していただいていました。その時点で契約更新もしてもらっていて、「チームとしては来年もヨシでいく構想だけど、もし退任することになった場合は後任を推薦してほしい」とも言われていて、すでに後任のめども立てていました。その後、1月の中旬に突然先輩から「オーストリアどう?」と連絡がありました。

――カンボジア時代を含めて、常にキャリアに関する相談を各所にされているからこそ、周りの関係者から人材募集の話が届くわけですね。

原辺:それはあるかもしれません。その前にはあるJ1のクラブがトレーナーを探しているというお話もいただいて、職務経歴書を送りました。そちらの話は最終的に強化部長さんから電話をいただいて、「すみません、今回は……」と結局実現はしなかったのですが。

――オファーの内容次第では日本に戻るという選択肢もあったのですか?

原辺:自分のなかで「J1のクラブだけ」と決めて、例外的に日本に戻ることも考えていました。やっぱり日本サッカーのトップであるJ1のクラブで一度やってみたいという気持ちはあるので。

――日本に戻るという選択肢は消え、欧州で働くことはどのようにして決まったのですか?

原辺:話をしてくれた先輩を通じて、当時オーストリアのFCヴァッカー・インスブルックで働いていたモラス雅輝さんを紹介してもらいました。その後、オンライン面談を経て「ぜひ来てほしい」と言っていただきました。欧州のクラブから声をかけてもらえるだけでありがたい話なので、二つ返事でその2週間半後にはオーストリアで働き始めました。その後、2022−23シーズンからはモラスさんと一緒に同じくオーストリアのSKNザンクト・ペルテンに移籍して現在に至ります。

――欧州での指導実績が豊富で、浦和レッズやヴィッセル神戸での指導経験もあるモラスさんは、「欧州を目指す日本人トレーナーは原辺さんを一つの指標としてほしい」とSNSで発信もされています。モラスさんからはどのような点を評価されたのでしょうか?

原辺:カンボジア時代の3シーズンで、カンボジア人や日本人はもちろん、ナイジェリア、ブラジル、アルゼンチン、スペインなど多国籍な選手たちの体をケアして、コミュニケーションも取ってきた経験値や順応性を評価いただいたとお聞きしました。

「試合中に選手がピッチで倒れる回数が圧倒的に少ない」欧州の底力

――実際に欧州に行って、カンボジア時代との違いはどのあたりに感じましたか?

原辺:いやもう、すべてが違いますね、当たり前ですけど。FCヴァッカー・インスブルックでは主にセカンドチームを担当していたのですが、所属する17歳、18歳の選手たちがみんなどこかの国の年代別代表の選手だったりして、体もでかくてゴツい。「この選手、本当に18歳?」と疑いたくなるくらいです。細い選手ももちろんいるんですけど、細い選手もフィジカルが強くて、当たり負けしない。自分より頭一つ大きい選手とショルダーでぶつかり合ってもつぶれない。頭では理解しているつもりだったんですけど、「ああ、世界って広いしレベルが違うんだな」と痛感しました。

――体の強さというのは、単純なフィジカルの強さだけでなく、疲労回復の早さ、ケガをしにくいという面もあるのですか?

原辺:あると思いますね。オーストリアに来てトレーナーとして一番驚いたのが、試合中に選手がピッチで倒れる回数が圧倒的に少ないということです。カンボジアでは、1試合平均3〜4回は選手が倒れてトレーナーがピッチに入っていましたし、僕は一度、自陣と敵陣の別々の場所で2人の選手が同時に倒れて、ペナルティーエリアからペナルティーエリアまで走ったこともありました(笑)。

――欧州では、体の強さだけでなく、試合中は痛みを我慢してプレーを続けるという文化もあったりするのですかね。

原辺:どうなんでしょうね。ただ、痛みには本当に強いと思います。見ていて「これは捻挫やったかな」と思ったら、そのあと普通に走り出していたり。選手同士がぶつかる音にも迫力があります。男子に限らず、女子チャンピオンズリーグに帯同していても、選手が倒れるのは1試合に1回あるかないかぐらいじゃないですかね。それも顔面にフリーキックのボールを食らって、アザができるぐらいの衝撃を受けながら、治療を受けたあとには当然のようにピッチに戻ったり。本当にタフだなあと。

――最後に、原辺さんの今後の目標についてお聞かせください。

原辺:海外に出た年から、もし来年契約がなかったら、キッパリと区切りをつけて日本に帰ろうとは決めています。その分、1シーズン1シーズン覚悟を持って、評価を勝ち取って、契約更新してもらおう、あるいは新しいご縁を勝ち取ろうと。こればっかりはチーム事情などもありますし、職業柄、1年1年どうなるかわからないですけど、心の中ではずっと海外で頑張りたいという思いが強いです。

あと、ここまでくれば、本当に世界のトップクラスのクラブで働きたいという気持ちもあります。いまも女子チャンピオンズリーグを通して女子の世界トップレベルを体感できているのですが、本当に学ぶことが多いですし、楽しくて。選手の体つき、プレーの動き、大会の規模や施設面に関してもそうですし。なので、いまのクラブでも結果を出して、認められて、また次ご縁があれば、男子の世界のトップレベルでやってみたいという思いは強いです。

【後編はこちら】海外のサッカーチームで働く秘訣とは? 成功者の意外な共通点。「言語ができない」は言い訳でしかない

<了>

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[PROFILE]
原辺允輝(はらべ・よしき)
1995年7月17日生まれ、大阪府出身。オーストリアのSKNザンクト・ペルテン所属の鍼灸師・トレーナー。森ノ宮医療大学卒業後、トレーナーとしてアメリカで3カ月間インターンを経験。2018年よりカンボジアのアンコールタイガーFCでプロのトレーナーとして働き始める。2021-22シーズンよりオーストリアのFCヴァッカー・インスブルック、2022−23シーズンよりオーストリアのSKNザンクト・ペルテンに所属。UEFA女子チャンピオンズリーグにも帯同している。

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