新世代の名将・黒田剛が覆した定説。ハイブリッド型の高校サッカー監督はプロで通用する? J2町田ゼルビア好調の背景
現在J2リーグで堂々の首位に立つFC町田ゼルビア。今季から監督に就任し、快進撃を見せるチームを牽引するのは、プロでの指導経験を持たない“名将”黒田剛。これまで28年間にわたって青森山田高校を何度も頂点に導いてきた実績を持つ高校サッカー界随一の名将は、プロの世界で結果を残すために高校サッカーから何をJリーグに持ち込んだのか?
(文=大島和人、写真=Getty Images)
高校サッカーの戦い方がJ2のリーグ戦でもハマっている
これは青森山田だね、高校サッカーだね――。FC町田ゼルビアを取材する記者仲間は、よくそんな感想を口にして町田GIONスタジアムを出ていく。
例えば4月16日に開催された第10節。大分トリニータとのJ2首位攻防戦で、町田はサッカーファンを騒然とさせるトリックプレーを決めた。コーナーキックから8人、9人を連動させて相手を撹乱し、完全に崩してゴール。黒田剛監督は試合の記者会見でこうコメントしている。
「約30年間、高校サッカーを指導する中で、ロングスローを含めて、セットプレーのトリックプレーはやってきたことです。難しい形でしたが、彼らのクオリティーならばできるというものをチョイスして、練習しました。それが先制点につながりましたし、きれいに決まったので、ビックリしました」
高校サッカーはセットプレーにこだわる。彼らが戦うのは1年に42試合あるJ2でなく、1戦必勝のトーナメントだ。だから高確率で1点を取れるプレーがあるなら、「1回限り」だとしても仕込む価値が出る。2021年度の第100回 全国高校サッカー選手権で高川学園高校が見せた「トルメンタ」は、ソーシャルメディアを通じて全世界に拡散されて話題を呼んだ。セットプレーの創造性に関していえば、高校サッカーはプロ以上だ。
セットプレーだけではない。大分戦の前半、第2節・ザスパクサツ群馬戦と第3節・ツエーゲン金沢戦の終盤に見せたハイプレスにも「らしさ」を感じた。今は負傷で欠場しているが、攻撃はオーストラリア代表ミッチェル・デュークがピッチに入るとロングボール、ハイボールも増える。それもいってしまえば高校サッカーの風味だろう。
黒田監督は試合運びに「行く時間帯」「耐える時間帯」のメリハリがあって、割り切るところはハッキリ割り切る。一つひとつは当たり前のプレーでも、徹底するのが黒田ゼルビアのスタイルだ。ベースはシンプルでも、相手の分析に基づいて、アレンジはしっかり効かせている。そんな高校サッカー、一発勝負の戦いがJ2のリーグ戦でもハマっている。
高校の名将がプロで苦しむという定説
町田は第11節を終えて勝ち点「23」を稼ぎ、現在J2の首位。もちろんリーグ戦はまだ「第1クォーター」を終えたばかりで、成功と断ずるのは早いが、とはいえ開幕前の予想は明らかに上回っている。町田の予想順位はせいぜい7、8番手だったし、某所の「最初にクビになりそうな監督予想」では52歳の新人指揮官が大本命に挙げられていたのだから。
今まで「高校サッカーの名将はプロで通用しない」という定説があった。よくよく思い返すとサッカー界におけるサンプルは1例のみで、布啓一郎氏(現VONDS市原FC監督)の事例だ。布氏は群馬をJ2復帰に導く実績も残しているが松本山雅FC、FC今治ではいずれもシーズン途中の退任だった。選手権を4度制した市立船橋高校時代の圧倒的なインパクトに比べるとプロでは失敗した印象になる。
他競技だと田臥勇太を擁して能代工業高校を「高校バスケ9冠(3年連続全国タイトル独占)」に導いた加藤三彦監督の例がある。彼は高校の教員からプロに転じ、2008-09シーズンのリンク栃木ブレックスでは開幕からヘッドコーチ(監督)を任された。田臥に川村卓也、伊藤俊亮といった有力選手をそろえた編成だったが、開幕から10試合で更迭されている。
高校生はプロに比べれば未熟で従順だし、選手が自分の意志でチームを出ていくことも基本的にはない。そして監督は選手獲得、予算などの全権を握る例が多い。そういったカルチャー、仕組みも大きな違いだ。高校のカテゴリーで成功する指導者は、キャリアの中でスタイルを高校サッカーに最適化させていく。高校の名将がプロで苦しむという定説は、一般論として分かる。
青森山田は“勝負弱い”チームだった
ただ、高校サッカーにもさまざまなタイプの指揮官がいる。黒田監督の指導歴を振り返っても、青森山田や監督自身に変遷があった。彼にとって初の選手権は1995年度の第74回大会で、5年後の第79回大会で30歳の青年指揮官はベスト4進出を果たす。当時の青森山田はブラジル人留学生がエースで、青森県出身者はほぼ皆無というチームだった。
彼はそこから壁に直面し、2002年度の第81回大会からは5年連続で3回戦負けを喫している。当時の青森山田は試合を互角以上に進めつつ、終盤に勝ち越される展開の多い“勝負弱い”チームだった。例えば筆者は2007年1月、第85回大会の3回戦(vs.静岡学園高校)を駒沢陸上競技場で観戦している。大石治寿(現福井ユナイテッドFC)のロスタイム弾で敗れ、ベンチでうつむき悄然とする黒田監督の姿は今も忘れられない。
夏に開催される高校総体は2005年に初優勝を果たしているし、単純に抽選などの運もあったに違いない。とはいえ当時の青森山田はトーナメントに強い高校サッカー型でなく、むしろリーグ戦で力を発揮するスタイルに見えた。中0日で開催されていた3回戦になると、試合の終盤に息切れしていた。
しかし青森山田はそこから一気に「スーパーチーム」になっていく。一つの理由が「高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ」の発足で、Jユースも含めた全国のトップチームと日常的に競り合える環境が整ったこと。もう一つは青森県全体を巻き込んだ底上げだ。
「多くの人と関係しながら、組織を動かす」スタイル
青森山田は2009年度の第88回大会に柴崎岳を擁して選手権準優勝を果たすが、柴崎、櫛引政敏ら先発の過半が青森生まれの付属中出身者だった。昨年に青森山田の監督を引き継いだ正木昌宣氏、付属中の監督を任されて今は町田に移った上田大貴氏といった青森山田OBがコーチングスタッフに加わり、黒田監督を支える体制も整備されていく。
「プレミアイースト」は初年度から11シーズン連続で(2020年は新型コロナウイルス感染症拡大のため、各地域で代替大会を開催された)残留を果たし、3度のEAST制覇を果たしている。Aチームが高円宮杯U-18プレミアリーグ、Bチームがプリンスリーグ東北、Cチームが青森県リーグ、付属中は全国中学生大会を制する……という具合に気づくと青森山田がまるごと強くなっていた。選手権でも3回戦を云々する立場でなくなり、2016年度の第95回大会で初優勝を果たすと、7年間で3度の優勝という黄金時代に突入した。
今は中高一貫体制から人材が続々と輩出され、青森山田中学にも県外からも人材が集まるようになっている。郷家友太は宮城、松木玖生は北海道、宇野禅斗は福島の出身だ。青森山田は中高とも選手や親から選ばれる、全国でもトップレベルのタレントが望んで選ぶ進路になっている。
40代も半ばに入った黒田監督は「多くの人と関係しながら、組織を動かす」スタイルで、青森山田を王者に押し上げていた。戦術的にもさまざまな展開、日程に対応する多彩なオプションを持った高校サッカーらしいオールラウンドな指導者になっている。自分で自分を磨く執念、学習能力は確実にプロでも生きるはずだ。
もう一つ見逃せないのはゼネラルマネージャー、総監督としての経営手腕だ。選手を集めて終わりでなく、CチームやDチームまで“やりがい”が持てる環境を整備し、なおかつ学校法人の経営を損なわぬように指導者、スタッフとコストを手当していく――。要は中小企業の経営と似たスキルだ。育成年代のスポーツ指導者にとって最大のリスク因子は、おそらく親との向き合いだ。黒田監督はそれを30年近くこなしてきたのだから、相手が少々の武闘派サポーターでも怖気づくことはないだろう。
「昭和の豪傑」とは明らかに違う。ハイブリッド型の指導者像
黒田監督には過去の高校サッカーの歴史を引っ張った名将と重なる強みもあるが、いわゆる「昭和の豪傑」とは明らかに違うタイプだ。大阪体育大学卒業後は一時ホテルマンをしていた時期もあるそうだが、非常に神経が細やかで、鋭さだけでなく柔らかさもある。オフピッチの姿勢、規律といった生活面の重視は「高校サッカー流」だが、問答無用に相手へ押し付けるタイプではない。相手を感情と理性の両面で納得させて動かす「コミュ力が高い」タイプだ。
間違いなく「高校スポーツの名将」「教育者」だが、重々しい堅物のイメージは一切ない。選手やメディアに対しても茶目っ気のある、気さくなところを見せるタイプで、芸能人など“柔らかい”付き合いも広い。学校の教員指導者は、伝統的にコメントが謙虚で慎重だが、黒田監督は「そこまでメディアにサービスしても大丈夫か?」と不安になるほど踏み込んだ発言をする。そして自チームの強みを堂々と語ってくれる。
彼は学校という狭い組織に特化した人材ではなく、オープンな姿勢を持ち、外を巻き込むタイプだ。高校サッカー的な強みに加えて、ある種のプロっぽさがあるハイブリッド型の指導者に見える。
また少し違うタイプだが、近年の高校サッカーには昌平高校の藤島崇之監督、興国高校の内野智章監督など「選手自慢」「選手の売り込み」をメディアへ盛んにする若手指導者もいる。彼らはチームや選手を引き締める防衛でなく、外部に対する“攻めの発信”をする。飯塚高校の中辻喜敬監督はEXILEのメンバーのような風貌と髪型で、ルイ・ヴィトンのセカンドバックを持って高校サッカーのベンチに入っていた。既存の学校教育とは違う文脈だが、スポーツで人生を切り開こうとする高校生ならば知ってもらうほうが得な時代だし、カッコ良さもリーダーの大切な資質だ。
サッカー部に200人、300人という選手を集め、一人ひとりの人生で必要な糧を与えつつ、学校経営に貢献し、選手をプロや強豪大学に送り込む。ハラスメントや過剰な投資に頼らず、周囲を納得させて、相手にもメリットがあるサステナブルな手法で強化を進める――。それが新世代の高校サッカー指導者だ。
もちろん高校サッカーの監督多しといえども、黒田監督ほど圧倒的な実績を残している監督は他にいない。「監督にはクビになった監督とこれからクビになる監督の2種類しかいない」という警句が示す通り、Jクラブの監督はなかなか消耗の激しい地位でもある。ただ、発信力や周囲を広く巻き込みオープンな姿勢や、何百人という集団を率いるマネジメント力は、カテゴリーと無関係に尊ばれるスキルだ。そんな“高校サッカーの先端”にいる人材ならば、Jクラブの監督を堂々と務められるはずだ。
<了>
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