“勉強するラガーマン”文武両道のリアル。日本で戦う外国人選手に学ぶ「競技と学業の両立」

Education
2026.02.26

日本でプレーする外国人ラグビー選手たちは、激しいコンタクトの裏で“もう一つの戦い”を続けている。競技だけに依存しない未来を見据え、大学で学び、資格を取り、キャリアを設計する。大学院レベルの専門分野を学び続けた南アフリカ出身選手と、弁護士資格を持つスコットランド出身選手。彼らが語ったのは、「努力には理由がある」というシンプルな真実だった。

(文=向風見也、写真=アフロスポーツ)

日本代表資格を得たラガーマンの“もう一つのキャリア”

努力する理由がある。タイラー・ポールはこのように話す。

「自分が頑張らないと。周りが助けてくれるわけではありませんから」

ポールは南アフリカ人のプロラグビー選手。2020年に来日し、昨秋には日本代表となった。5シーズン以上この国でプレーしたので、海外生まれでルーツのない選手が代表になる資格を満たしていた。

身長195センチ、体重111キロの31歳。密集戦、衝突合戦での愚直さと激しさで、ナショナルチームにあっても不可欠な存在となりつつある。

「自分が頑張らないと」という言葉は、アスリートとしての態度だけに関するものではない。世界的な強豪で鳴らす母国で楕円球を追っていた頃から、彼は学習と運動とを両立していた。

プロになる前から、自国のネルソン・マンデラ大学に在籍した。競技だけで生活できない場合の進路を作るべく、ファイナンシャルプランナー(FP)になるための勉強をした。

晴れて当時自国トップのクラブと契約してからも、ビジネススクールに在籍して大学院レベルの専門的な学究を重ねた。折しも長距離の飛行機移動が伴うスーパーラグビーというリーグに参戦していたが、空いた時間を活用してテキストに目を通したと言う。

「プロになる前のアカデミー時代には、朝一番でジムセッションがあり、その後に大学で授業を受けてから夕方にチーム練習に出かけました。プロになってからは、夕方以降のクラスで学びました。また、(遠征などで)教室に行けなかった場合のカバーを別のタイミングで。その頃は自由時間がなかったかもしれません」

もういくつかのテストをパスすればFPの資格をつかめるといったところで、パンデミックによるラグビー市場の変化に直面。新たな活躍の場を日本に求め、2024年からはこの国3つめのチームとなるクボタスピアーズ船橋・東京ベイのフォワード第3列として活躍する。

なぜタイラー・ポールは根気強く勉強を続けられるのか?

話をしたのは今年2月上旬。リーグワンのレギュラーシーズンが中盤戦に突入した頃だ。受験シーズンの只中だったとあり、根気強く勉強する秘訣について聞かれた。

強調したのは、大義の重要性だった。

まず、自分がなぜ勉強するのかを問う。その答えに沿って、机に向かったと述懐する。

そもそも治安が不安定かもしれぬ祖国にあって、勉強は、したいことであり、しなければならないことだった。

「自分が頑張らないと」の真意はここにあった。

「別に、私は昔から学校で優秀だったわけではありません。年齢を重ねるにつれ、学べるようになったタイプです。(勉強に)責任が生まれ、将来の仕事につながるとわかった時点でやるようになりました。南アフリカの情勢を考えると、やれる仕事の対価を(シビアに)考えなければいけなかった。やはり、自分が頑張らないと。周りが助けてくれるわけではありませんから」

選手としてのポールは泥臭いプレーを信条とする。パスをもらうやタックラーに衝突する。ランナーを援護して絡む防御を引きはがす。迫る走者を仕留める。

自立したボール保持者を複数名が束になって押すモールというプレーでも、渋く光る。仲間のモールを推進させるだけでなく、相手のモールの隙間に腕や肩を差し込み、向こうのつながりを断つことで進撃を防ぐのもうまい。

初めて参加した日本代表のモール練習でもその凄みをアピールしており、テストマッチデビューを飾るのも自然な流れだった。今夏以降に増える欧州勢との代表戦、さらには2027年のワールドカップでも、その仕事ぶりが期待されよう。直近のジョージア代表戦前の意気込みが、この人の不変の態度を示している。

「インターナショナルレベルの試合では、疲れがたまるなかで一貫性を保つのが難しい。ただ身体を張って、正面から戦っていきたい」

弁護士資格を持つラグビー選手という生き方

ハードに学び、ハードに戦ってきたラグビーマンは東海地区にもいる。

静岡ブルーレヴズ所属のマリー・ダグラスは、身長198センチ、体重113キロの36歳。ポールと同じように身体のぶつけ合いで光るバイプレイヤーであり、母国スコットランドで弁護士資格を得た異色の職業選手でもある。

5人きょうだいの次男として幼少期を過ごし、建築業界で働く父、オフィスレディの母が子どもたちを支える姿に触れてきた。両親の「努力」の凄みを痛感した末、「家系で初めて大学に進む人」になった。

幼少期から親しんだラグビーでプロを目指していながらも、それは狭き門だと感じていた。そのためフィールドで汗を流す傍ら、キャンパスで専門書をにらんだのだ。

「スポーツで生きてゆくのはそこまで簡単ではないと思っていました。ケガなど、一瞬の出来事もあると思うので。そこで教育が大事だという価値観を持ち、勉強をしました。学生時代、時間がある時には建設現場でも働いていました」

多くのアスリートにとって、勉強とスポーツの両立はしたくてもできない難行の一つではないか。これをダグラスが実現できたのはなぜか。答えは簡潔だった。

「スポーツで、勉強で感じたメンタルへのストレスをリセットする。そのおかげで、また勉強に集中できるようになります」

ダグラスにとって、勉強は心置きなくラグビーに没頭するためのツールであり、ラグビーは勉強の効率を高める装置だった。

「ハードワークは才能を超える」競技と勉強を両立する理由

興味深いのは、ダグラスが司法試験をパスした後にラグビーでも道を切り開いたことだ。

約10年前、医師をしていた妻がスカウトされたのがオーストラリアだった。スコットランドに勝るとも劣らぬラグビー強豪国である。

南東部の都市メルボルンへ移り住んだ。現地からスーパーラグビーに参戦していた、レベルズでのプレーを視野に入れた。まず潜り込んだのは、予備軍がひしめくアマチュアのクラブシーンだ。チャンスをつかむべく必死な若者同士の競争に身を置きながら、生計を立てるべく地域の不動産会社の法律家としても働いた。

レベルズのトライアウトに挑んだ時期は、特に多忙を極めた。

 

午前中に出社し、午後にトレーニングへ出かけ、終了後は再びオフィスへ戻った。このハードスケジュールを乗りこなせたのは、大義を持っていたうえ、学生時代にある視点をインストールしていたからだ。

「時間をマネジメントし、練習の時は練習に、仕事の時は仕事に100パーセント集中するという切り替えも大事」

誰しもに与えられる24時間、ひいては365日をどう使うかについて、自らプロデュースした。そのおかげで渡豪して2年目の2017年、レベルズの選手となった。その後は複数のチームを経て、2020年に静岡入り。現在は子育てをしながら、非英語圏の競技場でプレーする。

自身がリタイアする遠い未来には子どもも大きくなり、いったん仕事をやめている妻も医療現場に戻るだろうと将来を見据える。

改めて、目下のスタンスを示す。

「ハードワークはタレント(能力)を上回ると思っています」

自分も、自分の子どももこんなふうに過ごせたらよいな。そのように多くの人が感じそうな人生を、粛々と動かす。

<了>

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