羽生結弦は「気高き敗者」だった。艱苦の渦中に見せた、宇野優勝への想いと勝気さ
その姿は、明らかにいつもと違っていた。全日本選手権の本命と目されながら、宇野昌磨の後塵を拝する2位に終わった。スケート人生で最も苦しい1カ月を過ごしていた。
男子シングルで66年ぶりとなる五輪連覇を果たすなど、名実ともに世界の頂点へと駆け上がった男には、並び立つ者のない風格と気品がある。それはまさに、絶対王者だからこそ纏うことが許されるものに思えた。だが、違った。苦境に直面したときにこそ、その人間の神髄が表れる。羽生結弦は、敗れてもなお、気高かった――。
(文=沢田聡子)
悪夢の中の出来事のように見えた光景
男子シングル・ショートプログラム、第4グループ6分間練習の直前に、4年ぶりの全日本選手権に臨む羽生結弦と通路ですれ違った。出番を控える選手を直視することはためらわれたが、侍のような引き締まった気配は幅の広い通路の反対側まで伝わってきた。
羽生は11月下旬のNHK杯で優勝、12月上旬のグランプリファイナルでネイサン・チェンと死闘を繰り広げた末2位となり、12月20日の全日本・ショート当日を迎えている。5週間で3試合という過密な日程がハードであることは間違いなく、体力面での消耗が心配された。
ショートで羽生はほぼ完璧な演技を見せ首位発進したが、フリーで崩れる。冒頭の4回転ループでステップアウトしたものの、続く4回転サルコウは2.77の加点がつく出来栄えで成功。しかし、明らかにいつもの羽生ではないと感じさせたのは、スピンとステップシークエンスを挟んで跳んだ3つ目のジャンプだった。3回転を予定していたルッツが2回転になり、しかも着氷で大きく前に傾き、つんのめるような形になったのだ。続く4回転トウループでステップアウト、4回転トウループ―1回転オイラー―3回転フリップも最後の着氷が乱れる。さらに、トリプルアクセル―3回転トウループではセカンドジャンプが回転不足と判定された。何より衝撃的だったのは、羽生の武器であるトリプルアクセルでの転倒だった。立ち上がる羽生の姿が、悪夢の中の出来事のように見える。その後のスピンで足を蹴り上げる鋭さには羽生の諦めない姿勢が詰まっていたが、連戦の疲労が彼の体をむしばんでいたことを、見る者すべてが感じたのではないだろうか。一つひとつの試合にすべての力を振り絞って臨む羽生には、間隔が詰まった試合の日程はやはり酷だった。
フリー3位、総合2位という成績に終わった羽生だが、フリー後のミックスゾーンでは決して言い訳をしなかった。「体力的にはどうだったのか」という質問には「言いたくないです」と答え、さらに、2回転になったルッツのあたりでは足にきていたのかと問われると、羽生は笑った。
「全部言い訳くさく聞こえるから、本当嫌です。何もしゃべりたくないっていうのが本音です(笑)」
「僕の実力と技術が足りなかっただけ」
自分自身へのいらだちをにじませていた羽生だが、グランプリシリーズでの不調を経て復活し逆転優勝した宇野昌磨について語り始めると、その声にいつもの明るさが戻ってきた。
「昌磨がつらそうなのはずっと見ていて思っていたので、それがやっと落ち着いてきて『スケートに集中できているな』というのを思うと、やっぱりうれしいですよね。これからも彼らしく頑張ってほしいですし、心から応援したいなと思います」
「彼が彼らしくない時期があったので、やっと戻ってこられたんじゃないかなって思うと、正直うれしいです」
宇野の優勝について心底うれしそうに語り、落ち着きを取り戻した羽生は、演技の不調には予兆があったのかと問われると、自らを分析してみせるいつもの冷静さを取り戻した。
「調整がうまくいかなかったです、ずっと。自分の体がどんどん、日に日に劣化していく感じはあって、ショートの前からもうずっと変だなとは思っていた。でも、それでもやっぱり僕は恵まれているので、本当にすごくいろいろな方に支えてもらって、体の状態も今できる最高の状態にしてもらった上でこれなので。正直言って、僕の実力と技術が足りなかったっていう感じですかね。それでも、死力は尽くしたと思っています」
見る者が目を疑った3回転ルッツが2回転になったミスについては、羽生本人も「びっくりしちゃって、自分の中でも。『あれ?』って思って」とコメントしている。
「感覚と、本当に乖離していたんです。今も乖離しているんですけど、自分の言動がどうなっているかはっきり言って全然分からなくて、気持ちとしゃべっていることもまた別々になっているところが多々ある。体力があるうち、例えばショートだったらなんとかなったのかもしれないですけど、どうしようもないところが出てしまった」
そして、羽生は自分に厳しすぎる言葉を口にする。
「でもはっきり言ってしまえば、内容が違うかもしれないですけど、競泳の選手は何レースもやるわけですし。そういうのに比べてみたら、僕なんか5週間で3回しか試合やっていないですし、それでこのぐらいの体力しかないのかって思うと『本当に自分が力使って(ジャンプを)跳んでいるんだな』『もっと力抜いて自分らしい、いいジャンプが跳べるようにしなきゃいけないな』と今は考え始めました」
そこで羽生は語気を強めた。
「諦めてはないです。本当に、最後まで死に物狂いでやっていました」
宇野から学ぶことはたくさんある
メダリスト会見で中央に座った宇野は、昨季は羽生のように強くありたいと思い続けたことで結果を出せなくなったことを吐露している。それを隣で聞いていた羽生は、不調の宇野に思いを寄せていたことを語った上で、あらためて宇野の復調を喜んだ。
「僕は本当に素直に、彼がまたこうやって自分の道を見つけて、彼らしいスケートができていることがすごくうれしいです」
そして、宇野には宇野の強さがあることにも言及する。
「スケートについたり離れたりする時間も、多分昌磨にとってはすごく大事。僕は多分、それをやってしまうとすべてが崩壊してしまう。何かを楽しんでいる時ですらも『スケートのために今楽しんでおこう』とかって考えちゃったりもするし。やっと昌磨が昌磨らしく戻ってこられてよかったなってすごく思いますし、だからこそオリンピックの銀メダリストになれたんだよ、って僕は思っている。昌磨は強いですし、弱いところもあるかもしれないですけど、それも含めて昌磨の強さだと僕は思う。彼から学ぶこともたくさんある」
「ずっと僕が(全日本選手権を)休んでいて、やっと多分昌磨が心から全日本王者って言えるようになったと思うんですよね。戦ったらもっと前に負けていたかもしれないんですけど、でも本当にやっと昌磨に初めてちゃんと負けられたので、これから胸を張ってまた頑張ってほしいと思います。僕もまだ頑張るつもりではいるので、一緒にまた引っ張っていけたら。(隣にいる宇野に向かって)頑張ろうね、おめでとう」
そして宇野を気遣う中にも、勝ち気さがのぞいたのが羽生らしかった。
「僕もしんどいこともありますけれど、でも『こんなもんじゃねえぞ』って、これから頑張ります」
四大陸選手権で4回転アクセルを
続いて行われた日本代表選手発表記者会見では、羽生が四大陸選手権と世界選手権に出場することが明らかになった。過去に羽生が四大陸に出場したのは、2011年、13年、そして平昌五輪のプレ大会として行われた17年の3回のみだ。今回四大陸へのエントリーを希望したことについて、羽生は「四大陸は僕の一つの壁なので」と語っている。
「そこでネイサンと当たるかもしれないですし、まずは今負けてしまった昌磨という壁があるので、ベストコンディションで思い切りぶつかりたいなと思っています」
羽生は、四大陸を4回転アクセル習得の段階としても捉えている。
「四大陸に出ることによって、それ(4回転アクセル)も習得するステップにしたいなと思っています。それっていうのは言わなくても多分分かると思うんですけど、今は本当に圧倒的な武器が必要。それは4回転ルッツに比べたら1点しか違いがないですし、それぐらい価値のある、やるべきものなのか……『じゃあ4回転ルッツを2回やった方がいいんじゃないか』って、自分自身も思います。ただ、でもこれはやっぱり、僕自身のプライドなので。今のスケートを支えている芯なので、絶対に跳びたいなと思っていますし、それも含めた上で、四大陸をどういうふうにこなしていくか。四大陸自体をどれだけ成長できる場にするかということを考えて、今回エントリーを希望しました」
人の本質は、苦しい時にこそはっきりと見えるものなのかもしれない。優勝候補の大本命として臨んだ全日本で予想外の2位に終わった羽生が見せたのは、不調を抜け出した後輩に対する思いと、4回転アクセルに対する熱意だった。
<了>
羽生結弦の誇りを懸けた挑戦は続く。酷使した体、溜めたダメージ、それでも闘い続ける理由…
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宇野昌磨とランビエールの“絆”に見る、フィギュア選手とコーチの特別で濃密な関係
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