
「日本は引き分けなど一切考えていない」ラグビー南アフリカ主将シヤ・コリシが語る、ラグビー史上最大の番狂わせ
前回大会王者としてラグビーワールドカップで激闘を繰り広げているスプリングボクスことラグビー南アフリカ代表。大きなプレッシャーにさらされているチームにおいて、長期間に及ぶ膝の負傷から復帰を果たしたシヤ・コリシにかかる期待は大きい。そこで本稿では、今月刊行された書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』の抜粋を通して、南アフリカを象徴する存在の波瀾万丈なラグビー人生を振り返る。今回は、2015年大会の世界に衝撃を与えた日本代表戦について本人が重い口を開く。
(文=シヤ・コリシ、訳=岩崎晋也、写真=AP/アフロ)
日本はただの数合わせでの出場ではないと証明した
2015年のワールドカップはイングランドで開催され、数試合がウェールズでも行われた。予選プールには、いくつか好カードが組まれていた。トゥイッケナムではイングランドがオーストラリアを迎え撃つ。ウェンブリーではニュージーランド対アルゼンチン戦がある。アイルランドとフランスはミレニアム・スタジアムで対戦する。
ブライトン・コミュニティスタジアムで行われた南アフリカ対日本戦は、客観的に見てそれほど注目のカードというわけではなかった。わたしたちは2度のワールドカップ覇者で、世界のラグビー大国の一角であり、一方日本はワールドカップでは過去に24戦してわずか1勝のみ、世界ランクは15位だった。この大会で、わたしたちは優勝候補の2、3番手に挙げられていた。日本の優勝オッズは1500倍だった。
もしこのスプリングボクス対ブレイブ・ブロッサムズ戦のチケットを持っていたら、奇跡的な番狂わせを目撃することになっただろう。日本の勝利に40倍のオッズをつけるブックメーカーもあった。この試合のチケットを持っていたら、砂のなかに混じった金の粒のように貴重なものを持っていたことになる。
それはイングランド南岸の街の、9月の美しい、初秋というよりも晩夏の1日で、空には雲ひとつなかった。もちろん、スタジアムでこれから繰り広げられる嵐を予感させるものは何もなかった。
試合開始直後から、日本はただの数合わせで出場しているのではないところを見せた。こちらの巨大なフォワード陣に筋力では劣るが、賢明にプレーし、セットプレーからはすばやくボールをまわして、ちがうポイントでぶつかってきた。 ゲームのコントロールを取り戻すために、フォワード陣を接近させて力を解き放った。フランソワ・ロウとビスマルク・デュプレッシーがトライを決め、ハーフタイムに入った。後半開始まもなくにはルード・デヤハーが続いた。だがブロッサムズは屈しなかった。こちらが得点し、決着をつけようとするたび、彼らは立ちあがって、自分たちを鼓舞し、立ち向かってきた。
29対29。「前進しろ。必要な仕事を続けろ」
わたしは残り25分、3点リードの場面でピーターステフに代わって入った。5分後、五郎丸歩のペナルティキックで22対22の同点になった。ジャン・デヴィリアスは選手たちを集めて、切羽詰まった口調で言った。あと20分、全力でプレーしつづける必要がある、と彼は言った。厳しく行って、正面からねじ伏せ、粉々にする。そうすれば勝てるぞ。今回は、わたしがデビューしたスコットランド戦のように笑ってはいなかったし、不安を隠すことはないと考えていた。両ベンチを見れば、違いは明らかだった。
こちらの控え選手は混乱し、イライラしていた。彼らの控え選手は活気づき、興奮していた。
だが、わたしはまだわれわれが勝つと確信していた。2分後には、アドリアン・ストラウスが執拗なタックルをかわしてトライを決め、ふたたびリードを奪った。ハンドレのコンバージョンで29対22。これで決まりだ。ラグビーの歴史には、格下が60分以上持ちこたえたが、そこで力尽きたという例はいくらでもある。今回も、そうなるだろうとわたしは感じた。しかも相手のゴールラインまで5メートルでラインアウトを得た。もう一度得点すれば、それで決まる。だが、彼らは楽にしてくれなかった。今度は自分たちのラインアウトを取り、地域を挽回した。
残り12分、南アフリカ陣内。日本はラインアウトからボールをすぐにまわし、外、内、外と3枚のカードを使った巧みなプレーで最後は五郎丸が鮮やかにゴールラインに滑りこんだ。スプリングボクスのファンさえ拍手を送るほど完璧なプレーだった。コンバージョンは簡単ではなかったが五郎丸がねじこみ、また同点になった。
29対29。
〈前進しろ。必要な仕事を続けろ〉
残り9分。スクラムからハンドレが突進する。ボールを両手で抱えて外のジャンをおとりにし、ふたりのディフェンダーのあいだを裂いてあと5メートルまで走りこむ。そのあとわたしが前進しようとするが、タックルにつかまった。アドバンテージをもらい、トライを目指してプレーを続ける。アドリアンとエベンがつなぎ、わたしがもう一度持ってゴールラインに迫る。ラインに触れられるほどの距離だが、相手が身を挺(てい)してラインを守り、ボールを置くことはできない。ペナルティの3点を選ぶことになる。ゼロよりはいいが、必要な点には足りなかった。
これで32対29。
死か栄光か。日本は引き分けなどいっさい考えていない
ディフェンスラインを敷くことを強いられた。彼らはまるで不死身のドラキュラのようで、息の根を止めることはできない。
18フェーズで、彼らはコーナーへと展開してゴールライン目前に迫る。コーニー・ウーストハイゼンがラックの相手側から動かず、すばやくボールを出させないようにした。トライを取られれば日本の勝ちであり、ほかにどうしようもなかった。あれは賢明なプレーだった。だが、そのためイエローカードをもらい、最後の数分を14人で戦うことになった。
日本がペナルティを得る。きっとペナルティゴールを狙い、3点取って同点を目指すだろう。ところが、彼らはそうしなかった。タッチラインに蹴り出し、ラインアウトを選んだ。彼らはこの試合を勝ちに来ている。観衆は沸き立ち、その選択を賞賛した。
日本はラインアウトのボールを取り、巨大なモールを作り、そこにバックスまで加わって圧力をかけてきた。ゴールラインを越えそうになり、密集のなかで、彼らはボールを地面に置こうとした。わたしの手は、日本の選手――どの選手かはわからない――の手とともにボールをつかんでいて、その選手にボールをグラウンディングされないように全力で耐えた。数分前、わたしはゴールまであとわずかなところに迫り、そして今度はわたしが同じくらいきわどい場所で彼らのトライを持ちこたえている。ほんのわずか、あと数センチの世界だ。レフェリーのジェローム・ガルセスは密集を覗きこみ、ホイッスルを吹いた。
「5メートルスクラム、赤ボール」
チームメイトたちはわたしの手を引いて立たせ、背中を叩いて称えた。だがトレヴァー・ニャカネはそのモールで負傷しており、退場せざるをえなかった。ウーストハイゼンがシンビン中であるため、スクラムにふたりのプロップが必要で、また14人の状態を保つためにフォワードがひとり外へ出なければならなくなった。それでわたしが外へ出た。スカルクがブラインドサイドへまわり、エイトマンのポジションは無人になる。スクラムが組まれると、すぐに回転した。ガルセスの笛。もう残り時間はなくなり、ふたたび日本がペナルティを得る。今度こそ、ペナルティゴールで引き分けを取りに来るはずだ。
明らかに狙いやすい位置だし、五郎丸はこの試合、8回のキックで7度成功させている。 キャプテンのリーチマイケルはためらわず、またガルセスにスクラムを要求した。これではっきりした。日本は引き分けなどいっさい考えていない。なんの迷いもない。全か無か。死か栄光か。
リーチはラックのいちばん下に入っていたはず…
それは無理だ。
サイドラインの脇にすわり、額の汗を拭いながら、わたしは確信していた。彼らの攻撃を抑えこんでわたしたちが勝利を収め、試合に勝つ。そしてのちのち誰もが、あのときは危なかったけれど、どうにか勝ちきったと話しあうことになる。
80分を過ぎ、両チームがスクラムを組む。単純明快な二者択一だ。こちらがやるべきことはボールを奪い、外へ蹴り出すこと。日本がやるべきことはトライすること。それがすべてだ。スタジアムは、まるで生きもののように音を立て、躍動している。スクラムは横に流れ、90度回転する。ガルセスが笛を吹き、やり直しを命じる。
81分が過ぎる。クラウチ、バインド、セット。限界の淵にいる男たちの肩に数トンの圧力が加わる。
スクラムは崩れる。またガルセスが笛を吹き、やり直しを命じる。
82分。戦いつづけた金髪の戦士、スカルクがスパイクの爪のあいだの泥を拭って落とす。いまは誰もが、少しでもしっかりと地面に踏ん張れるようにしなければならない。リーチは仲間に声をかけ、最後にもう一度、力をふりしぼるように鼓舞する。スタンドから猛烈な滝の音のような声援が押し寄せてきて、リーチは声を張りあげなければならない。
83分になる。わたしはまだ負けるとは思わなかった。こちらのディフェンスは固い。抑えこめる。どちらのサポーターでもない観客も、全員が日本に声援を送っている。日和佐篤がもう一度スクラムにボールを入れる。フーリー・デュプレアが日和佐を押し、隙を狙う。われわれが押している。日本は後退し、ルーズボールになる。スカルクとルーリーがボールを狙う。だがアマナキ・レレイ・マフィがふたりの目の前でボールを拾う。まだ日本ボールだ。日和佐は左のブラインドサイドにボールをまわす。
リーチの突進。薄い緑のディフェンスラインはピッチ全体に広がっている。タックルし、人数を数え、押しあってポジションにつく。
日和佐は右の広い空間にボールをまわした。またリーチ。真壁伸弥。立川理道。日本のフォワード陣はひたすら前進する。ディフェンダーに押しとどめられ、もう一度、もう一度、もう一度前へ向かう。 日和佐はコーナーのリーチに3度目のボールを託す。リーチはラックのいちばん下に入っていたはずだ。
緑のラインが折れ、裂ける。そしてついに破れる
何であんなに早く起きあがれるんだ?
リーチはアドリアンに首をつかまれる。観衆がさらに声を上げる。もはや、動物のわめき声のようだ。まるで、その意志の力で日本の背中を押し、トライさせられるかのように。日和佐はバックスが待ち構えている左にボールを送る。薄い緑のラインはさらに伸び、手薄になっている。
マフィがフィールド中央でボールを持つ。ジェシー・クリエルが高いタックルに行く。だが、高すぎる。それは怠慢ではなく疲れきっているせいだ。何度も力をふりしぼり、もう余力が残っていなかったせいだ。マフィはジェシーを振り払い、さらに走る。
緑のラインが折れ、裂ける。そしてついに破れる。
すべてがスローモーションのようだ。マフィの外側にはマレ・サウとカーン・ヘスケスがいる。ハンドレとJP・ピーターセンがカバーにまわる。3対2。JPはウインガーの永遠のジレンマに引き裂かれている。間合いを詰めるか、距離を保つか。マフィはサウを飛ばしてヘスケスにパスする。ヘスケスは脚を入れ替えるようにしてボールをつかむ。サウがコーナーを示し、ヘスケスに向かって叫ぶ。JPがヘスケスめがけて飛びこむ。ヘスケスはゴールラインに飛びこむ。ヘスケスは滑りこんでボールを置き、得点する。
トライ。勝利。地響きがわき起こる。
選手と観客は、最大の喜びに一体となって狂喜乱舞する。スタンドでは、大人が体を震わせて涙を流している。負けつづけた自分のチームを応援し、レプリカジャージを着つづけた人々だ。そのあいだ、こんな日が来るとはまったく思わなかっただろう。こんな、あらゆることが可能だと思える日が。王たち、英雄たち、そして負けつづけたすべての人々のための日が。
わたしたちはたしかにファンや報道陣から叩かれた。だが、日本を賞賛し、笑顔で勝者を抱きしめるのが大切なことだ。翌日、スカルク・バーガーが真壁伸弥と健闘を称えあっている写真が話題になったが、それはどちらが勝者でどちらが敗者かわからないような写真だ。
この試合についてはその後、何度もさんざん質問されたが、そんなときは決まって、強いチームが勝ったと答えた。それはただの礼儀ではなく、真実だ。彼らのほうが強さで勝っていて、われわれの力は十分ではなかった。
ロッカールームの雰囲気は葬式のようだった。選手たちは壁を叩き、ぼんやりと宙を見つめた。予選プールの残り試合を全勝しないと勝ちあがれない、ということだけではなかった。ワールドカップでは、遅かれ早かれ負ければ終わりというステージがやってくる。だから、それが少し早く来たとしてもあまり違いはなかった。
わたしたちはラグビーワールドカップの歴史で、それどころかラグビーのすべての歴史で、もしかしたらあらゆるスポーツの歴史のなかでも最大の番狂わせで敗れてしまったのだった。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』より一部転載)
<了>
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[PROFILE]
シヤ・コリシ
1991年6月16日生まれ、南アフリカのポート・エリザベス出身。ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップのシャークスに所属するラグビー選手。現在ラグビー界で最もリスペクトされている選手のひとり。2018年にラグビー南アフリカ代表、スプリングボクスの主将に任命され、128年のチームの歴史ではじめての黒人主将になった。翌年には、チームをラグビーワールドカップ決勝でのイングランド戦の勝利に導く。2020年には妻のレイチェルとともにコリシ財団を立ちあげ、医療関係者に個人用防護具を提供し、南アフリカ国中で食料支援を行っている。
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