25歳のやり投げ女王・北口榛花の素顔。世界を転戦するバイリンガル、ライバルからも愛される笑顔の理由
今年8月の世界陸上2023ブダペストで日本陸上界の新たな歴史を作った北口榛花(JAL)は、弾けるような笑顔と愛くるしいキャラクターも魅力だ。圧倒的な実力とその人柄で、各国からのライバルからも慕われる25歳のやり投げ女王の素顔とは? 高い運動能力の原点や、チェコ語を流暢に操る理由、ユニークなSNSの発信や、オフの過ごし方にも迫った。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=YUTAKA/アフロスポーツ)
身体能力の原点。さまざまなスポーツに触れた幼少期
――北口選手は3歳から水泳を始めて、小6の時にはバドミントンの全国大会で優勝(団体戦)するなど、幼少期からスポーツ万能でしたが、運動神経の良さはどのように培われたんですか?
北口:幼稚園の頃から体が大きかったですし、一人っ子なので小さい頃から両親と公園でボールを投げたり、野球やサッカー、テニスなどをしていたことも大きかったんじゃないかなと思います。
――その中で、やり投げに絞った理由はなんだったのですか?
北口:中学校に上がる段階でバドミントンはやめましたし、水泳もオリンピックを目指すレベルではなくて、陸上のほうが成績が良かったんです。練習時間や試合の日程で両立できなかったので、高校2年生の時に陸上に絞りました。
――本格的にはじめてからは世界ユース選手権で世代新記録、日本新記録など順調にタイトルと記録を積み重ねてきましたが、どんなことが結果への原動力になっていたんでしょうか。
北口:小さい頃からスポーツをやってきて、いろんな試合に出させてもらっていたので、種目が変わっても、どうやって試合に臨めばいいかが常にわかっている状態でした。例えば水泳は体をしなやかに動かさないと泳げないですし、バドミントンは腕を振る動作が重要で、それはやり投げに直結しているなと感じます。やり投げのポールを投げる感覚とはまた違うのですが、バドミントンから転向したところが生きています。
世界を転戦するバイリンガル。拠点を移してチェコ語を習得
――北口選手は英語に加えてチェコ語も堪能ですが、語学は海外生活の中で自然と身についたものなんですか?
北口:チェコでも田舎のほうに住んでいるので、英語をしゃべれる人が滅多にいないんです。レストランでも英語のメニューがなかったので、自分で少しでもしゃべれるようにならないと、買い物もできないし、レストランにも行けないんですよ。コーチが言っていることも、自分自身で理解するのと、人に通訳してもらって教わるのだと、理解度が違うんですよね。やり投げを知らない人に通訳してもらうと意味のわからない日本語になってしまうし、チームメイトに通訳してもらうと、その選手の主観みたいなものが入ってしまって、本当の意図がわからなくなることもありました。あと、チームメイトとコーチが話している時に明らかに自分の名前が出ているのに、良いことなのかそうでないことなのかもわからないのが怖くて。最初は必死で盗み聞きしていたんですけどね(笑)。
――それは気になりますよね(笑)。チェコ語は特に習得が難しい言語と言われますが、今は不自由なくコミュニケーションが取れているんですか?
北口:そうですね。ただ、ほとんど会話や音で覚えているので、まだ読み書きがちょっと怪しいんです。チャットなど、文章でやり取りする時に(セケラックコーチから)「間違ってる、そうじゃない」と言われることも。綴りが少し違うだけで、全然違う意味になってしまうんです(苦笑)。
でも、ヨーロッパを転戦するようになってから、英語のようにパッと聞いても何語かわからない言語って、本当にたくさんあるんだと知りました。たとえば、チェコ語ってポーランド語とかと似ているんですよ。だから、ポーランドで試合をする時などに似ている言葉や単語があると、少しわかるような気がして楽しいです。
――それは、複数言語をしゃべれる人にしか得られない感覚ですよね。
北口:そうかもしれませんね。この間、ポーランドで検定員のおじちゃんたちと会話をしていたんですが、向こうはポーランド語で、私はチェコ語でしゃべっていて、だけどちゃんと通じ合えていたんです。その時はコーチもいなかったので、通訳を通さずに意思疎通できたのはすごく嬉しかったですね。
喜怒哀楽を全身で表現。SNSでは毅然と問題提起も
――今年8月のブダペスト世界選手権で逆転優勝を決めた時、全身で喜びを表現する姿や、弾ける笑顔が印象的でした。その姿に元気をもらった人も多いと思いますが、昔から喜び方はストレートなほうだったんですか?
北口:そうですね。でも、基本的に喜んでるより怒っていることのほうが多かったです。特に、バドミントンとかの時はよく怒っていて、うまくいかないと、いろいろしてしまう子どもだったので……(苦笑)。先生や親から「それは良くない」とよく注意されていました。
――今でも記録が伸びない時に悔し涙を見せることがありますが、昔は今以上にストレートだったんですね(笑)。
北口:良く言えばストレートですけど、悪く言えば抑制ができなくて(笑)。今はそんなことはないですけど、勝った時はほとんど何も考えずに喜んでいるので、後から写真や映像で見て、「私こんなことをしてたんだ」って、恥ずかしくなる時もありますよ。
――SNSでもユニークなコメントやご自身の思いをつぶやいていますよね。
北口:基本的には言いたいことがあったらつぶやいたり発信しているので、マネジメントの方からすると大丈夫?と思う時もあるとは思うんですけどね(笑)。やっぱりアスリートも一人の人間なので、そういうところを見せてもいいんじゃないかなって思ってます。
――親しみやすくてとってもいいと思います。9月には、世界選手権で運営側のミスにより、試合前にピン変更を求められた選手がいたことについて、「強くNO と言うことの必要性」をX(旧Twitter)で投稿して問題提起されました。あの時はどのような思いだったんですか?
北口:あの時は「言ったほうがいいな」と思ったんです。私は当事者ではないのですが、巻き込まれてしまった選手たちのSNSを見ても、アクシデントの詳細まで書いている選手はいなかったんです。ただ、海外の選手だったら絶対に抗議をするところなので、「日本人は何も言わずに受け止めるんだな」と思われるかもしれないなと。2025年には世界陸上が東京で行われるので、「日本ではそういうことが起きないようにしたい」という気持ちもあって、今回起きたことを現役選手や、これからトップアスリートになる選手、東京大会の際にボランティアなどで陸上に関わってくださる人たちも含めて共有することが大事だと思いました。
――陸上界の未来を考えて発信したメッセージだったんですね。
北口:そうですね。その後にいろんな人がリアクションしてくださって、陸上界の方や選手たちも公式にコメントを出してくれたので、よかったなと思います。
帰国後は「納豆ブーム」到来。オフには他競技も観戦
――オフはおいしいものを食べに行くのが好きだそうですね。パティシエのお父様が作るスイーツはその一つだと思いますが、試合の前などに食べる勝負飯はありますか?
北口:勝負飯は決めていなくて、いつも試合で行った場所のおいしいものを食べるようにしています。国内で試合をしていた時は、「大事な試合の前にはうなぎを食べる」とか、そういうのをやっていたんですけどね。海外では手に入らない食材が多いので、「勝負飯」っていうのは作っていなくて。試合の時間が長いので、合間にカステラを食べることはありますが、カステラも日持ちするものではないので、そこはあまりこだわっていないです。試合の日はバナナとかチョコレートとか、その日の気分によって持っていくものを変えたりしています。
――X(旧Twitter)で、「ご飯、納豆、味噌汁、焼き茄子が最高」と書いていましたね。
北口:日本人からすると、普通に食べられるものじゃないですか。でも、(海外の)大会から帰ってきて次の日に食べたら本っ当においしく感じて。チェコではタイ米のようなお米を食べているので、いつも炊き方を変えて、日本のお米みたいに炊いてるつもりだったんですけど、やっぱり日本のお米を食べたら「日本のお米おいしいじゃん!」って。納豆も、3カ月半ぶりぐらいに食べて、それから納豆ブームが始まって、今も毎日食べています。
――プライベートでは女子バスケットボールのWリーグを見に行ったり、バレーボールや全日本実業団陸上など、他の競技もよくご覧になっていますよね。スポーツ観戦が好きなんですか?
北口:そうですね。長い時間じっとしていられないので、試合時間が長い競技はあまり見る機会がないんですが、バドミントンとかバスケットとか卓球とか陸上とか、点数が入りやすい競技は好きでよく見ています。JALのアスリート社員で、他の種目の選手もいるので、その選手たちの試合をライブで見たり、結果も気にして見ています。仲間だから気になるっていうのもあるんですが、他の競技も見るのは好きですね。
――どんなポイントを見ているんですか?
北口:バスケットだと、解説している人の情報をじっくり聞いたり、どの解説者のお話が面白いかな、とか。引退した選手が話している時は、その人のプレイを見たことがあるので楽しめますし、自分の経験を交えながら解説する方もいて、当時のエピソードを聞いて楽しんでいます。
私自身、小さい頃にいろんな競技をやっていたこともあって、バドミントンだったら山口茜選手が小さい頃からスーパースターだったのでよく見ますし、水泳も、小さい頃に見ている選手が現役で活躍しているので、テレビなどでやっていると見ています。
――見ることに関してもプロなんですね。今後はアスリート同士の横のつながりもさらに広がっていくといいですね。
北口:そうですね。私は日本にいなくてなかなか会えないというか、まだ友達が少ないので(笑)。今後、そういうつながりができたらいいなと思います。
――最後に、北口選手の活躍でやり投げに興味を持った方々にメッセージをお願いします!
北口:やり投げは、やりが放たれた時にきれいな放物線を描いて、そのカーブが大きければ大きいほど感動があると思います。女子だったらやりの重さが600gと決まっていて、選手はみんな規定で決められている同じようなやりを投げているんですけど、選手一人一人の個性は違って、最終的に現れるその放物線が違うのもすごく魅力かなと思うので。そういった部分にもぜひ注目してほしいです。
各国の選手同士はいつも大会で顔を合わせるライバルなんですけど、やりの貸し借りが普通に行われる競技なので、困ったことがあったらライバル同士でも助け合うのが当たり前になっていて。最近は「やり投げファミリー」と言うぐらい、いいコミュニティーになってきているんです。そういう中で、選手の人柄も感じることができるのは魅力だと思いますし、ぜひ注目してみてほしいですね。
【連載前編】やり投げ女王・北口榛花の勝負強さの原点とは?「強い国には全部行った」陸上界に生まれた新たな歴史
<了>
競歩の意外なトイレ事情 専門家が語る競技の魅力、なぜ日本は「世界記録」が出せるのか?
なぜ新谷仁美はマラソン日本記録に12秒差と迫れたのか。レース直前までケンカ、最悪の雰囲気だった3人の選択
女子フェンシング界の歴史を塗り替えた24歳。パリ五輪金メダル候補・江村美咲が逆境乗り越え身につけた「強さ」
なぜ日本人は100m後半で抜かれるのか? 身体の専門家が語る「間違いだらけの走り方」
[PROFILE]
北口榛花(きたぐち・はるか)
1998年3月16日生まれ、北海道出身。やり投げ女子日本記録保持者。1m79cmの長身としなやかさを生かした投てきが魅力。幼い頃から水泳とバドミントンをはじめ、高校から本格的に陸上に取り組み、2、3年とインターハイ連覇。3年時には世界ユース選手権で世界一になり、高校記録(58m90)を樹立。日大1年時にU-20世代の日本記録(61m38)を作り、チェコに拠点を移した4年次(2019年)に64m36、秋には66m00と日本記録を更新。2020年、日本航空にアスリート社員として入社。2021年の東京五輪で入賞を果たすと、昨年6月のダイヤモンドリーグ(DL)パリ大会で優勝、世界陸上2022オレゴンでは銅メダル。今年7月のDLシレジア大会で67m04の日本新をマークし、8月の世界陸上2023ブダペストでは日本勢初の金メダルを獲得、陸上のパリ五輪代表内定第1号となった。DLブリュッセル大会で67m38と日本新記録を更新し、DLファイナルで日本人初優勝。パリ五輪では悲願の金メダルを目指す。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
卓球・カットマンは絶滅危惧種なのか? 佐藤瞳・橋本帆乃香ペアが世界の頂点へ。中国勢を連破した旋風と可能性
2024.12.03Opinion -
非エリート街道から世界トップ100へ。18年のプロテニス選手生活に終止符、伊藤竜馬が刻んだ開拓者魂
2024.12.02Career -
なぜ“史上最強”積水化学は負けたのか。新谷仁美が話すクイーンズ駅伝の敗因と、支える側の意思
2024.11.29Opinion -
FC今治、J2昇格の背景にある「理想と現実の相克」。服部監督が語る、岡田メソッドの進化が生んだ安定と覚醒
2024.11.29Opinion -
スポーツ組織のトップに求められるリーダー像とは? 常勝チームの共通点と「限られた予算で勝つ」セオリー
2024.11.29Business -
漫画人気はマイナー競技の発展には直結しない?「4年に一度の大会頼みは限界」国内スポーツ改革の現在地
2024.11.28Opinion -
高校サッカー選手権、強豪校ひしめく“死の組”を制するのは? 難題に挑む青森山田、東福岡らプレミア勢
2024.11.27Opinion -
スポーツ育成大国に見るスタンダードとゴールデンエイジ。専門家の見解は?「勝敗を気にするのは大人だけ」
2024.11.27Opinion -
「甲子園は5大会あっていい」プロホッケーコーチが指摘する育成界の課題。スポーツ文化発展に不可欠な競技構造改革
2024.11.26Opinion -
なぜザルツブルクから特別な若手選手が世界へ羽ばたくのか? ハーランドとのプレー比較が可能な育成環境とは
2024.11.26Technology -
驚きの共有空間「ピーススタジアム」を通して専門家が読み解く、長崎スタジアムシティの全貌
2024.11.26Technology -
なぜ大谷翔平はDH専念でもMVP満票選出を果たせたのか? ハードヒット率、バレル率が示す「結果」と「クオリティ」
2024.11.22Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
指導者育成に新たに導入された「コーチデベロッパー」の役割。スイスで実践されるコーチに寄り添う存在
2024.10.16Training -
海外ビッグクラブを目指す10代に求められる“備え”とは? バルサへ逸材輩出した羽毛勇斗監督が語る「世界で戦えるマインド」
2024.10.09Training -
バルサのカンテラ加入・西山芯太を育てたFC PORTAの育成哲学。学校で教えられない「楽しさ」の本質と世界基準
2024.10.07Training -
佐伯夕利子がビジャレアルの指導改革で気づいた“自分を疑う力”。選手が「何を感じ、何を求めているのか」
2024.10.04Training -
高圧的に怒鳴る、命令する指導者は時代遅れ? ビジャレアルが取り組む、新時代の民主的チーム作りと選手育成法
2024.09.27Training -
「サイコロジスト」は何をする人? 欧州スポーツ界で重要性増し、ビジャレアルが10人採用する指導改革の要的存在の役割
2024.09.20Training -
サッカー界に悪い指導者など存在しない。「4-3-3の話は卒業しよう」から始まったビジャレアルの指導改革
2024.09.13Training -
名門ビジャレアル、歴史の勉強から始まった「指導改革」。育成型クラブがぶち壊した“古くからの指導”
2024.09.06Training -
バレーボール界に一石投じたエド・クラインの指導美学。「自由か、コントロールされた状態かの二択ではなく、常にその間」
2024.08.27Training -
エド・クラインHCがヴォレアス北海道に植え付けた最短昇格への道。SVリーグは「世界でもトップ3のリーグになる」
2024.08.26Training -
指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
2024.07.26Training -
ポステコグルーの進化に不可欠だった、日本サッカーが果たした役割。「望んでいたのは、一番であること」
2024.07.05Training