「75分間のパス回し」の裏側。アジア最終予選進出のなでしこジャパン、指揮官がロッカーで伝えたメッセージとは?
10月26日から11月1日までウズベキスタンで行われたパリ五輪アジア2次予選で、3連勝を飾り、最終予選に進出したなでしこジャパン。第2節のウズベキスタン戦では2点を先行した後、圧倒的にボールを保持しながらシュートを1本も打たずに試合を終えたことが物議を醸した。最終予選の戦いを見据えた池田太監督の決断の背景とは? 日本とウズベキスタン両国の取材を通じて見えた試合の舞台裏を振り返りつつ、最終予選を展望する。
(文=松原渓、写真=ロイター/アフロ)
レギュレーションがもたらした「攻めない」という判断
なでしこジャパンがパリ五輪アジア2次予選を3連勝で突破し、最終予選に進出を決めた。FIFAランキング8位の日本にとって、今予選で同グループになったインド(61位)、ウズベキスタン(50位)、ベトナム(34位)は力の差がある相手だったが、池田太監督は海外組も含め、今夏のワールドカップを戦ったメンバーを中心に招集。
中2日でインド戦(7-0)、ウズベキスタン戦(2−0)、ベトナム戦(2-0)という結果だった。内容面では4-3-3の新布陣にトライしつつさまざまな組み合わせを試し、熊谷紗希がアンカー、清水梨紗がセンターバック、遠藤純が右ウイングでプレーするなど、通常とは異なるポジションでも攻守のバリエーションを増やした。また、ワールドカップメンバー以外から唯一選ばれた中嶋淑乃がインド戦とベトナム戦で存在感を発揮するなど、選手層強化の面でも収穫があった。
試合はNHK-BS1で生中継されたが、ウズベキスタン戦の「75分間のパス回し」は、日本国内で賛否が巻き起こり、海外からの反響も目にした。
試合の詳細を改めて記すと、ウズベキスタン戦で前半10分に南萌華、15分に千葉玲海菜が2点目を決めた後の75分間、日本はボール保持率90パーセント超を記録しながら、シュートを1本も打たずに試合を終えたのだ。
それは、日本にとって2枠しかないパリ五輪への出場権を勝ち取るための判断であり、ボールを奪いに行かなかったウズベキスタンにとっては「得失点差で2位になり、最終予選に進出する」ための選択だった。 だが、試合を見ただけではその経緯は分からず、見え方は良くない。批判の中には「無気力試合」や「両者の暗黙の了解(八百長)」などの言葉もあった。
ロッカールームで池田監督は何を伝えたのか?
この問題の元となった、最終予選の複雑なレギュレーションの概略について今一度、簡単に触れておきたい。
(1)2次予選を勝ち抜き、最終予選に進出できるのは3グループの各組1位と、各組2位の上位1カ国の計4カ国
(2)最終予選ではそのうちの1カ国とのホームアンドアウェーでパリ五輪の出場権を争う。日程は来年2月24日と28日
(3)最終予選の組み合わせは、「2次予選で2位の最上位国がどの組から出るか」で決定
この中で、今回の「75分間パス回し」の流れを作ったのが(3)だ。レギュレーションは細部まで決められており、「2位の最上位国がグループAから出た場合、グループC1位の日本は最終予選でグループA1位と対戦する」ことや、その場合、「最終予選は日本は第1戦がホーム、第2戦がアウェー(それ以外の組み合わせの場合は第1戦がアウェー、第2戦がホーム)」になることが決まっていた。
そして、 グループAの1位はオーストラリアになることが濃厚だった。
日本は、その組み合わせになることを避けようとしたのだ。
オーストラリアは、自国開催だった今回のワールドカップでベスト4入りし、今回の2次予選でも3試合で10万人の観衆を集めている。だが、池田監督が懸念したのは、その強さではない。2月24日の第1戦を日本で戦った後、中3日で真冬の日本から真夏のオーストラリアに移動し、過密日程の中で暑熱対策をするのはどう考えても無理がある。
「対戦相手というよりは、最終予選を戦う上での選手のコンディションを考えて(パスを回す戦い方を)決めました」
試合後の取材で、池田監督はそのように強調した。
同グループで実力のあるウズベキスタン、あるいはグループBから2位での進出チームが出れば、日本はその状況を避けられる。そのために、日本はウズベキスタン戦で得点数を抑える必要があった。
「勝ち点3をしっかり取る。その上で、2点を取ったら相手にボールを渡さないようにしよう」 10月29日、ウズベキスタン戦の会場に入った後、指揮官はアップ前のロッカールームで選手たちにそう伝えた。
「選手たちも難しい気持ちを抱えて戦っていた」「監督が一番…」
サッカーは勝者と敗者が生まれる競技であり、観客の存在によって成り立つエンターテイメントでもある。だからこそ、「勝負しない」内容は、見せるに値しないのではないか――。批判が起こる可能性があることは、選手たちもわかっていただろう。
「若い女子サッカー選手や子どもたちがあの試合を見てどう思うか考えたら、難しい心境でした」と、試合後に吐露したのは田中美南だ。
キャプテンの熊谷は、「テレビ放送もあった中で、見てくださっている方々に見せられるような試合ではなかったことは自覚しているし、選手たちも難しい気持ちを抱えて戦っていたところは正直あります」と、当日の心境を堅い表情で振り返っている。
ワールドカップで出場機会が少なかった千葉は、このアジア予選で活躍を誓っていた一人だ。だが、日本の2点目を決めた直後、笑顔はなかった。その心中は察するに余りある。
だが、そうした葛藤を抱きながらも最後までブレずにパス回しを貫くことができたのは、指揮官の姿勢や言葉が選手に届いたからだった。
「試合前もロッカーでも、監督の言葉が自分たちの迷いをなくしてくれた部分はあります。監督が一番熱を出してその悔しさを自分たちに示してくれたし、この戦い方をさせることに対して『すまない』というような言葉もありました」(熊谷)
「ハーフタイムは監督が一番苦しそうでした。そういうことを一番やりたくない人だということは分かっているし、みんなに向かってごめん、と言っている姿を見たら、一番しんどいんだろうなと。逆に、選手はそれで一つになれたところもあると思いますし、その選択が自分たちのためでもあるので、迷いなくやりきりました」(田中美)
池田監督はどのような熱量や思いでその決断を伝えたのだろうか。試合の2日後に改めて聞くと、このような答えが返ってきた。
「悔しさもありました。我々のコンセプトはボールを奪う、ゴールを奪うことをテーマにしている中で、この戦いを私が選んで、選手たちがそれを実行してくれたので、そのことに対する思いを伝えました」
最終予選へ、「最後のひと枠」を勝ち取ったウズベキスタン
ウズベキスタンは女子サッカーの競技人口が450人と、日本の100分の1以下で、国際大会の出場経験はない。それでも、日本サッカー協会(JFA)の公認海外派遣指導者として昨年から指揮をとる本田美登里監督は、今年10月のアジア競技大会では4位という最高成績を残すなど、同国の女子サッカーの歴史を塗り替えてきた。
ポジティブな国民性や選手たちのキャラクターもあり、日本戦は「勝つつもりで臨んでいた」(本田監督)という。とはいえ、ピッチに立つと、その差は歴然としていた。
「攻撃したかったけどできなかったというのが正直なところです。あれだけきちんとボールを動かされて、パススピードも速かった。キックオフからの10分間の間に(自分たちの)数少ないチャンスがありましたが、点を決めていたらもっと(日本の反撃を受けて)強烈なスコアになっていたと思います」(同)
その差を前半の45分で痛感し、グループ2位での最終予選進出に望みを残すため、本田監督はハーフタイムにウズベキスタンの選手たちに「後半の45分間、この状態をキープしよう」と伝えた。無駄なリスクを背負わず、大量失点することを避けるためだ。そして、試合は2-0で終わった。
11月1日に各地で行われた最終戦の結果、オーストラリア、北朝鮮、日本、ウズベキスタンの4カ国が最終予選に進出することが決まった。
最終戦で、グループBの韓国対中国は引き分けだったが、どちらかが勝っていれば、4カ国目はそのどちらかになる可能性が高かった。得失点差で勝ち上がったウズベキスタンの、日本戦での判断は結果的に吉と出たのだ。
他グループで進出の可能性があったフィリピンや韓国、中国からすると、日本とウズベキスタン戦の内容には納得がいかない部分もあるだろう。だが、今予選のレギュレーションは最終戦のキックオフ時間もバラバラで、日本は他グループよりも開始が早く、そのことが日本に不利に働く可能性もあった。その点でもAFCが設定したレギュレーションは公平性という観点から考えれば疑問が残る。
そうしたことも含めて、決して簡単な3試合ではなかったのだ。清水は、3試合を終えてこう振り返っている。
「ウズベキスタン戦には賛否両論あると思いますが、チームの選択は悪くなかったと思っています。パリ(五輪)への道のりはこれからもっと厳しくなりますが、『絶対に出場権を取らないといけない』と再認識しました」
その思いを共有し、全員が最終予選に向けて一層の覚悟と責任を固めたことも、今回の2次予選で見えた一つの変化だった。
日本の最終予選は北朝鮮との“一騎打ち”に
来年2月に予定されている最終予選で、日本は難敵・北朝鮮との一騎打ちでパリ五輪の出場権を争う。時差はなく、季節も同じ冬に当たるため、アウェーのコンディション調整もそこまで苦労はしないだろう。出場権が決まる第2戦を日本で戦えることも、精神面での大きなアドバンテージとなる。
今年10月のアジア競技大会では、国内組・若手編成の別編成で臨んだ日本女子代表が決勝で北朝鮮に4-1と快勝している。北朝鮮はそのリベンジにも燃えているはずだ。同国は4年ぶりに国際大会に復帰したが、元々は日本、オーストラリアと並ぶアジア屈指の強豪国である。来年2月の最終予選ではさらに完成度を高めてくるだろう。
熊谷は、「アウェーの洗礼は絶対に受けるので、そこに動じないこと。チームとして芯を持ってやれれば問題ないと思いますし、そういった緊張感の中で戦える準備をしていけたらなと思っています」と、力強いコメントを残し、3カ月後の決戦を見据えた。
なでしこジャパンは今予選を通じて積み上げた成果を年末の海外遠征でさらに磨き上げ、パリへの切符をかけた決戦の地へと乗り込む。
<了>
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