鹿島で経験した「タイトルを獲らなければわからない景色」。山本脩斗が振り返る7年間と思い描く未来
昨シーズン限りでの引退を表明した山本脩斗が16年間に及ぶ、プロのキャリアで、最も強烈な輝きを放ったのが、2014年に加入した鹿島アントラーズで過ごした7年間だろう。左サイドバックとして、スタミナを武器に上下動を繰り返し、大事な試合ではヘディングでゴールを決めることもあった。
その7年間では、2015年にナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、2016年にJ1リーグ、天皇杯と国内3大タイトルを獲得し、2018年にはクラブ初となるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝にも貢献。ジュビロ磐田時代、湘南ベルマーレ時代を合わせた16年間のすべてをJ1リーグでプレーしただけでなく、これだけの経験をしている選手は、決して多くはないだろう。
一時代を築いたともいえるアントラーズでの日々で感じたもの、培ったもの、そして、引退後に携わるという、アントラーズの強化・スカウト担当としての仕事についても聞いた。
(インタビュー・構成=原田大輔、トップ写真=長田洋平/アフロスポーツ、本文写真撮影=佐野美樹)
「サイドバックをやってみろ」葛藤を繰り返した6年間と新天地
――2014年から2020年までの7年間在籍した鹿島アントラーズでは、J1リーグ、天皇杯、ナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、そしてAFCチャンピオンズリーグを獲得しました。それもあって左サイドバックというイメージが強いですが、もともとは攻撃的なポジションの選手だったんですよね?
山本:大学までは中盤でプレーしていましたね。サイドバックは、プロになってからです。プロ1年目の2008年に、当時(ジュビロ磐田の)コーチだったヤンツー(柳下正明)さんから、天皇杯の試合を前にして、「サイドバックをやってみろ」と言われて、当時は中盤の選手でしたけど、その試合で右サイドバックをやりました。プロ2年目からはヤンツーさんがジュビロの監督になったこともあって、本格的にサイドバックをやりつつも、中盤でも出場するみたいな。だから、中盤がやりたいけど、試合に出場していくならサイドバックだろうなと。その後も葛藤しながら過ごした6年でした。
――ということは、サイドバックでプレーする楽しさを感じたのは?
山本:アントラーズに移籍してからです。それまではやっぱり、選手は試合に出てナンボでしょと思う部分もあったので、今、与えられた仕事や役割をやるしかないと思ってサイドバックをやっていました。だから、自分の結果にも、内容にも、全然、納得はできていなかったですね。
――そうしたなかで2014年に、当時の指揮官だったトニーニョ・セレーゾ監督からのラブコールもあって、鹿島アントラーズに加入しました。
山本:ジュビロで最後に過ごした2013年は、8試合の出場。今のままでは、選手としても終わるなとも感じていて、環境を変えたいと思い始めていた時期でした。その状況でタイミングよく、アントラーズから話をいただき、移籍を決断しました。
――アントラーズはここ5年、タイトルから遠ざかっていますが、当時はより常勝軍団というイメージも強かったように思います。実際に踏み入れたチームの空気や雰囲気を覚えていますか?
山本:オンとオフがはっきりしているというか、ピッチに入ったらみんなスイッチが切り替わるような雰囲気でした。最初のボール回しまではみんな笑いながら和気藹々とやっているんですけど、次のメニューくらいからは急に表情が引き締まる。技術も含めて、自分よりもうまくて、経験のある選手たちばかりだったので、その人たちに追いつこう、このレベルに到達しようと、毎日、学び、吸収しながらやっていました。
――そのなかで左サイドバックとしての地位はどのようにつかんでいったのですか?
山本:開幕から左サイドバックで起用されて3連勝したんです。しかも、3試合とも無失点だったので、楽しさを感じると同時に、守備にも手応えをつかめました。自分のなかで「俺、できてんじゃん」って。このメンバーのなかでもやれる自信と、試合に出場し続ける経験で得ていく自信は大きかったですね。
成長を実感。不思議と負ける気がしなかった「過酷な約40日間」
――2021年からプレーした湘南ベルマーレで若手選手に対して感じたと話されていた、自信によるプレーの変化や成長を、まさに自分自身もアントラーズで実感していたと?
山本:自信ができてちょっとずつ視野が広がり、どんどんとできることが増えていく。それがまた好循環をもたらしていく。当時、センターバックには(昌子)源(現FC町田ゼルビア)がいるし、駆け上がると横には(小笠原)満男さんがいた。それもあって難しいことをせずに、シンプルにプレーをしようと思っていました。後ろから声も出ているから、自然と自分も出さなきゃと思うようになり、自分の考えや知識、経験と、すべてがワンランク引き上がった感覚でした。
――当時のアントラーズで印象的だったのが、右の西大伍選手(現グルージャ盛岡)、左の山本さんが共鳴していたことでした。一方がクロスを上げて、もう一方がシュートを仕留めるなんて場面もあった記憶が残っています。
山本:キャラクターは全然違うのに、阿吽の呼吸みたいなものはありましたね。陰と陽じゃないですけど、大伍はボールを持てるし、前に行きたがるし、ヤス(遠藤康/現ベガルタ仙台)と縦の関係性も築いていた。そこで逆サイドの自分がバランスを取ることもありましたけど、自分が行くときは満男さんが残ってバランスを取ってくれるのでうまく機能していました。
――今のアントラーズの選手たちが求められている選手個々の状況判断力が、一人ひとりに備わっていた?
山本:監督から、これをするな、あれをするなというのはあまりなかったですし、自分たちの持ち味や特徴を受け入れてくれていました。だから、攻撃に行く、行かないも、お互いに声を掛けることで、誰かが自然と残る状況を作っていました。
――2018年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)優勝も含めて、選手として国内3大タイトルもすべて獲得しています。タイトルを獲ったことで得たものは何でしたか?
山本:言葉にするのは難しいですが、確実に違いは感じました。見える景色と、そこまで到達する過程で、チームが向いているベクトルが分かるというか。特に2016年にJ1で優勝し、FIFAクラブワールドカップを経て、天皇杯を獲った期間は、連戦に次ぐ連戦で、過酷な約40日間でしたけど、不思議と負ける気がしなかったですからね。
――川崎フロンターレに2−1で勝利した2016年の天皇杯決勝では、前半にゴールも決めています。
山本:実は、クラブワールドカップ決勝のレアル・マドリー戦くらいから、すでに膝が痛かったんです。それもあって、天皇杯決勝ではダッシュできず、大久保嘉人さんのスピードについていけなかった。これではチームに迷惑を掛けると思って、ハーフタイムに交代を言おうと思っていたら、最後にヘディングでゴールを決めたんです。アドレナリンが出ていたから、試合もできていたんですけど、そのあと、検査したら左膝をしっかり痛めていました(苦笑)
タイトルを獲らなければわからない景色
――当時のチームの強さはどこに感じていたのでしょうか?
山本:やはり、満男さん、ソガさん(曽ケ端準)の存在は大きかったと思います。加えて当時は、源や(土居)聖真、(柴崎)岳もまだまだ伸び盛りで、年齢も含めたチームのバランスもよかったように思います。年齢が下の選手たちは、年上の立ち居振る舞いを見て、感じ取っていく。自分は、ジュビロ磐田では、前田遼一さん、川口能活さん、中山雅史さんもいましたし、アントラーズでは満男さん、ソガさん。そういった先輩たちの背中を見てきたから、自分もこうありたいなと思って、湘南ベルマーレでは、そうした姿勢を見せてきたつもりです。
――タイトルを獲ったチームの「強さ」とはなんでしょうか?
山本:アントラーズを知る選手が「試合より練習のほうが強度も含めてきつかった」という発言をしますけど、自分もそこに共感します。先輩からの指示も厳しかったし、練習も激しかった。でも、当時はそれが普通というか、ベースだった。サッカーの世界では当たり前に起きることですけど、監督も代わり、選手も代わり、そういったものが少しずつ薄れていったことが、(タイトルを)獲れなくなったり、(試合に)勝てなくなったりしていく理由の一つでもあるのかなと。
――獲った経験があるから、言える言葉でもありますね。
山本:自分も2015年にナビスコカップの優勝を経験して、普段の練習の質、激しさ、厳しさも含めてわかったことがたくさんありました。それをみんなも感じるし、選手数人が入れ替わっても、その空気感が継続するから、次、また次と継続して高い基準を維持できたのかもしれない。
満男さんがACLに優勝したとき、ボソッと言っていたんですよね。「やっぱり、タイトルを獲らないとわからないよ」って。僕らがピッチにいるときに、準優勝したチームが、先に表彰のために階段を上っていく。ACLのときは、特にアウェイで周りもシーンとしたなかで、相手選手たちも悔しい表情をしていた。その姿を見ながら、満男さんが「これが2位と1位の差なんだよ。やっぱり1位じゃなきゃダメなんだよ」って。 今でも、その言葉と意味はめちゃくちゃ印象に残っています。いくつもタイトルを獲ったことのある人が、それを言う。タイトルを獲らなければわからない景色や、気持ち、もう一度獲りたいという欲がある。じゃあ、そのために何をしなければいけないのか……自然に、日々の練習の質を追い求めていくし、それを繰り返していきますよね。
可能性を秘めた選手をアントラーズに導いていくことが自分の仕事
――アントラーズのプログループに所属し、強化・スカウト担当として活動していくこれからのことについても聞かせてください。
山本:主にトップチームのスカウト担当を任せてもらうことになりました。アントラーズとしても、今まで注力できていなかったポストということで、自分自身にとってもやり甲斐と魅力、おもしろさを感じて決断しました。
――これからは、自身の目で見て、アントラーズで戦える選手たちを見出していく立場になります。
山本:自分自身も未知なところはあります。それも含めて、何ごとも経験していかなければわからないことが多いと思っています。
今までは、それほど多くの試合を見るタイプではなかったですが、サッカー選手として培ってきた経験と目を信じて選手を見ていきたいと考えています。そこには、アントラーズが勝つために、優勝するためにというベースがあります。そのために、自分が与えられたポジションを全うしていく。多くの試合を見て、いろいろな選手を知り、可能性を秘めた選手をアントラーズに導いていくことが自分の仕事。また、その選手が活躍してチームが優勝することが最終的な目標になります。
そのためにまずは、いろいろなことを経験していければと思っています。また、クラブからは、スカウト担当というだけでなく、トップチームの強化についても学んでほしいと言われているので、選手のケアを含めて、自分にしかできないこともあるはずなので、そうした視点でもチームをサポートしていければと思っています。
【連載前編】引退決意した山本脩斗、湘南で挑戦し続けた3年間「悔しい気持ちを持ちながら、やるべきことをやり続けた」
【連載中編】「引退した今、話そうと…」山本脩斗が語るジュビロ磐田への感謝。命の危険すらあった病気から学んだ姿勢
<了>
フロンターレで受けた“洗礼”。瀬古樹が苦悩の末に手にした「止める蹴る」と「先を読む力」
引退発表の柏木陽介が語った“浦和の太陽”の覚悟「最後の2年間はメンタルがしんどかった」
なぜ遠藤航は欧州で「世界のトップボランチ」と評されるのか? 国際コーチ会議が示した納得の見解
[PROFILE]
山本脩斗(やまもと・しゅうと)
1985年6月1日生まれ、岩手県出身。サッカー・J1リーグ所属の鹿島アントラーズ強化・スカウト担当。元プロサッカー選手。盛岡商業高校、早稲田大学を経て、2008年にジュビロ磐田へ加入。2013年に鹿島アントラーズに移籍。2015年にナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝、2016年にはJ1リーグと天皇杯で優勝を果たし、国内3大タイトルを制覇。2018年にはAFCチャンピオンズリーグも制覇。2021年に湘南ベルマーレに移籍。J1リーグ277試合14得点。2017年には日本代表にも選出されている。2023年12月に現役引退を発表。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
33歳で欧州初挑戦、谷口彰悟が覆すキャリアの常識「ステップアップを狙っている。これからもギラギラしていく」
2024.10.10Career -
海外ビッグクラブを目指す10代に求められる“備え”とは? バルサへ逸材輩出した羽毛勇斗監督が語る「世界で戦えるマインド」
2024.10.09Training -
「周りを笑顔にする」さくらジャパン・及川栞の笑顔と健康美の原点。キャリア最大の逆境乗り越えた“伝える”力
2024.10.08Career -
バルサのカンテラ加入・西山芯太を育てたFC PORTAの育成哲学。学校で教えられない「楽しさ」の本質と世界基準
2024.10.07Training -
「ホッケー界が一歩前進できた」さくらジャパンがつかんだ12年ぶりの勝利。守備の要・及川栞がパリに刻んだ足跡
2024.10.07Career -
9歳で“飛び級”バルサ下部組織へ。久保建英、中井卓大に続く「神童」西山芯太の人間的魅力とは
2024.10.04Career -
高知ユナイテッドSCは「Jなし県」を悲願の舞台に導けるか? 「サッカー不毛の地」高知県に起きた大きな変化
2024.10.04Opinion -
なぜ日本人は凱旋門賞を愛するのか? 日本調教馬シンエンペラーの挑戦、その可能性とドラマ性
2024.10.04Opinion -
佐伯夕利子がビジャレアルの指導改革で気づいた“自分を疑う力”。選手が「何を感じ、何を求めているのか」
2024.10.04Training -
デ・ゼルビが起こした革新と新規軸。ペップが「唯一のもの」と絶賛し、三笘薫を飛躍させた新時代のサッカースタイルを紐解く
2024.10.02Opinion -
男子バレー、パリ五輪・イタリア戦の真相。日本代表コーチ伊藤健士が語る激闘「もしも最後、石川が後衛にいれば」
2024.09.27Opinion -
なぜ躍進を続けてきた日本男子バレーはパリ五輪で苦しんだのか? 日本代表を10年間支えてきた代表コーチの証言
2024.09.27Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
33歳で欧州初挑戦、谷口彰悟が覆すキャリアの常識「ステップアップを狙っている。これからもギラギラしていく」
2024.10.10Career -
「周りを笑顔にする」さくらジャパン・及川栞の笑顔と健康美の原点。キャリア最大の逆境乗り越えた“伝える”力
2024.10.08Career -
「ホッケー界が一歩前進できた」さくらジャパンがつかんだ12年ぶりの勝利。守備の要・及川栞がパリに刻んだ足跡
2024.10.07Career -
9歳で“飛び級”バルサ下部組織へ。久保建英、中井卓大に続く「神童」西山芯太の人間的魅力とは
2024.10.04Career -
全米OPジュニア日本人女子31年ぶりの快挙を果たした16歳。“妹気質”園部八奏が見せた急成長「何も考えないようにと、考えた」
2024.09.26Career -
プレミアの“顔”三笘薫が背負う期待と懸念。日本代表で躍動も、ブライトンで見え始めた小さくない障壁
2024.09.20Career -
なでしこJ守護神・山下杏也加がパリから持ち帰ったもの。マンCデビュー戦で見せたMVP級の存在感
2024.09.19Career -
なでしこGK初のビッグクラブ移籍が実現。山下杏也加が勝ち取ったマンCからのオファー「サイズは関係ないと証明できた」
2024.09.17Career -
鎌田大地の新たな挑戦と現在地。日本代表で3ゴール関与も、クリスタル・パレスでは異質の存在「僕みたいな選手がいなかった」
2024.09.13Career -
「自信が無くなるくらいの経験を求めて」常に向上心を持ち続ける、町田浩樹の原動力とは
2024.09.10Career -
「このまま1、2年で引退するのかな」日本代表・町田浩樹が振り返る、プロになるまでの歩みと挫折
2024.09.09Career -
「ラグビーかサッカー、どっちが簡単か」「好きなものを、好きな時に」田村優が育成年代の子供達に伝えた、一流になるための条件
2024.09.06Career