久保建英「黒歴史」乗り越えて芽生えたリーダーの自覚。選手としての成長と森保ジャパンの進化

Career
2025.04.07

アジア最終予選を3試合残し、開催国以外では世界最速でFIFAワールドカップ北中米大会出場権を獲得した森保ジャパン。その原動力となった久保建英の成長の軌跡は、チームの進化とリンクしている。18歳5日でデビューし、期待や理想と現実の狭間で苦しんだ時期も、今では客観的に振り返ることができる。自信を打ち砕かれた悔しさを、久保はどのように前進するエネルギーに変えてきたのか? カタールワールドカップ、ラ・リーガやUEFAチャンピオンズリーグの戦いを経て、アジア最終予選に至る成長の軌跡を、久保自身のコメントと共に振り返る。

(文=藤江直人、写真=ムツ・カワモリ/アフロ)

連続先発起用が示す成長と信頼の証

予期せぬ言葉だったからこそ、久保建英は思わず表情を綻ばせた。ホームの埼玉スタジアムにサウジアラビア代表を迎えた、3月25日のFIFAワールドカップ・アジア最終予選 第8節のキックオフが迫ってきたタイミングで、久保は名波浩コーチからこんな言葉をかけられている。

「信頼しているよ」

意外に映るかもしれないが、久保はサウジアラビア戦で2019年6月の代表デビューから42試合目にして初めて、一度の国際Aマッチデー期間内で2試合続けて先発を果たしていた。

5日前に同じく埼玉スタジアムで行われた、バーレーン代表とのFIFAワールドカップ・アジア最終予選 第7節で久保はシャドーとしてフル出場。1得点1アシストの活躍で日本を2-0の勝利に導き、来年夏に開催されるFIFAワールドカップ北中米大会の出場権獲得の原動力になった。

これまでの森保ジャパンのパターンでは、中4日で臨むサウジアラビア戦はベンチスタートが予想された。スペインから帰国してチームに合流したのは、バーレーン戦のわずか2日前。時差ぼけや長距離移動による疲労を考慮すれば、バーレーン戦の先発そのものにまず驚かされた。

「2試合続けて先発で使ってもらえるのは初めてなので、僕が成長した部分なのかな、と」

久保はサウジアラビア戦後にこう語り、名波コーチとのやり取りを笑顔で振り返った。 「そのひと言をもらえるだけで選手はうれしい。頑張ってきてよかったと思う」

期待と現実の狭間で決めた代表初ゴール

日本代表における軌跡は決して順風満帆ではなかった。例えば代表初ゴール。18歳5日でデビューした久保は、金田喜稔がもつ「19歳119日」の代表最年少ゴール記録の更新が期待された。しかし、待望の初ゴールが生まれたのは2022年6月10日。ノエビアスタジアム神戸で行われた、ガーナ代表との国際親善試合の73分だった。

出場17試合目。21歳6日で決めた一撃に、久保は「いやぁ、長かったですね」と苦笑した。

「このまま一生、入らないんじゃないかと。代表に関しては、本当にそう思っていました。周りの選手たちがゴールを決めるたびに『自分がそのポジションにいたらよかったのに』とか、僕のシュートがブロックされるたびに『何で自分だけいつも』と思うこともあったので」

さらにガーナ戦の4日前のブラジル代表戦で、ピッチに立てなかった悔しさを露にしている。

「正直、何で試合に出したくれないんだ、と。僕が出たら日本はもっとやれていたと思ったけど、試合に出ていない僕がそれを言ったところで、ただの負け惜しみにしかならないので」 久保は直後にレアル・マドリードからレアル・ソシエダに完全移籍した。それまでの3シーズンはマジョルカやビジャレアル、ヘタフェへ期限付き移籍を繰り返し、武者修行とはわかっていても「シーズンごとに、プレー環境を変えるのがつらかった」とこぼした時期もあった。

ワールドカップで突きつけられた無念「半分は黒歴史」

腰をすえてプレーに打ち込める環境で、相性も抜群だったソシエダでの日々で自信を大きく膨らませながら、久保は初めてのワールドカップとなる2022年11月のカタール大会を迎えた。

しかし、森保ジャパンが後半にあげた2ゴールで逆転勝ちし、世界を驚かせたドイツ、スペイン両代表とのグループステージで先発した久保は、ともにハーフタイムでの交代を告げられている。クロアチア代表とのラウンド16に至っては、体調を崩して無念の欠場を余儀なくされた。

「いまのコンディションならば、自分を押し通せるくらいの個の力があるだろう、と。たとえ我を通したとしても、周囲のみんなも認めてくれるだろうと思っていました」

カタール大会を迎えるまでの心境をこう明かした久保は、日本代表の力になれなかったカタール大会を「自分にとっては、半分は黒歴史みたいなワールドカップでした」と自虐的に振り返った。

「よく言えばチームのために戦えたけど、悪く言えば自分のやりたかったプレーがまったくと言っていいほどできなかった。チームから課されるタスクを実践しながら、自分のプレーもできると思っていた。しかし、そこまでの個の力がなかった。自分の見積もりが甘かったというか、完全に勘違いしていた。僕が思い描いていたワールドカップとは、まったく違ったものでした」

自信を打ち砕かれた悔しさを、前へと進む力に変える決意を込めてさらにこう続けている。 「圧倒的な個の力がないと、こういう舞台では厳しいと思い知らされた。次のワールドカップで、僕は25歳になっている。25歳ならば代表の中核になっている選手がどこの国にもいる。自分がそういった存在になれるように、大事なのは結果だと思って頑張っていきたい」

森保ジャパンの進化とリンクする成長の軌跡

目に涙を溜めながらカタールの地で立てた誓いが、久保を前へ進める原動力になった。北中米大会出場を開催国のアメリカ、カナダ、メキシコ以外では世界最速で、アジア最終予選を3試合残しての史上最速で決めた森保ジャパンの進化と、久保の成長の跡は鮮やかにリンクしている。

そして、カタール大会後に久保が残してきたコメントには、大人への階段をのぼっている跡が明確に刻まれている。例えば充実した2022-23シーズンを終えた後にはこう語っている。

「日本でもフットボールは流行っていますが、歴史では野球のほうがはるかに長い。フットボールはプレー人口もファン人口も世界一のスポーツなので、日本でもっと注目され、もっと定着してほしいと望んでいます。そのためにも、個人としても話題を作っていきたいですね」

続く2023-24シーズンには、待ち焦がれてきたUEFAチャンピオンズリーグの戦いも加わった。過密スケジュールのなかで、日本代表と行き来する状況を歓迎していると語ったのは、ワールドカップ北中米大会出場をかけたアジア2次予選が幕を開けた2023年11月だった。

「特にしんどいとは思っていないですし、サッカーが好きでやっているので問題はありません。国際Aマッチデー期間で選手を呼ばない理由がないし、たとえ所属クラブに残ったとしても、そこで練習するだけなので。移動がきついのはみんな同じですし、それぞれが置かれた立場でやれることをやっている。好きなことでご飯を食べられている状況に、逆に感謝したいですね」

昨年2月にはソシエダとの契約を、2029年6月末まで2年間延長した。チームから寄せられる信頼の証であり、ソシエダが公開した動画で久保は新たな契約書にサインした理由をこう語った。

「チームに関わるすべての方々と、フィーリングが合っている点が最大の決め手になりました。成長期にあるチームと一緒に、僕もさらに成長していきたい」

アジア最終予選が始まった同9月には、日本が誇る左右のウイング、三笘薫と伊東純也の存在をあげながら、久保を加えた3人が同時に先発した試合がない“七不思議”に思わず苦笑した。

「名前だけを並べたらロマンがあるかもしれないけど、それ相応のリスクもあるわけで。起用を決めるのは僕でも、ましてやメディアのみなさんでもなく監督となりますけど、そうした機会があれば僕にできるプレーというか、彼らの個の力を十分に生かす意味でも、僕が変に顔を出す必要はないのかな、と。僕が黒子の役割に徹して、サポートしていくのがいいかもしれませんね」

北中米ワールドカップへ、芽生えたリーダーの自覚

迎えた3月のバーレーン戦。守備を整備し、日本を徹底的に研究してきた相手に苦しめられたなかで66分に待望の先制点が生まれた。鎌田大地のゴールをアシストした久保が胸を張る。

「みんなを落ち着かせたい、ゴールに絡んで楽にさせたい、という気持ちでプレーしていました。気持ちは入っていましたけど、その分、ちょっと空回りというか、硬さが見えていた。そのなかで僕自身は動きがよかったので、僕が何とかして結果を残そう、と」

87分には久保のスーパーゴールが決まった。左コーナーキックでショートを選択。伊東からリターンを受けるとペナルティーエリア内へ猛然とドリブルで切り込み、角度のない位置から、ニアポストと相手キーパーのわずかな間を射抜いて決めた豪快な代表6ゴール目を珍しく自画自賛した。

「今回は自分の力で決めたゴール。以前はイケイケ感があったけど、実力は確実にいまのほうが上だし、何よりも落ち着いている。いい選手になっている、と思っています」

引き分けでもかまわないとばかりに、自陣に引いて守備を固めてきた相手を最後まで攻めあぐね、スコアレスドローに終わったサウジアラビア戦後には久保は自らを責めている。

「苦しいときに受け皿になるとか、周りの選手が余裕をもってプレーできる状況にしないといけなかった。国を背負って戦うというところに、みんな少なからず緊張を感じていると思うけど、僕にはそういうのがない。僕がみんなの緊張をぬぐうようなプレーができればいいかなと」

言葉の端々から伝わってくるのはリーダーの自覚。長く久保が最年少だった代表チームには、今回の3月シリーズでは昨夏のパリ五輪代表だった藤田譲瑠チマ、関根大輝、高井幸大が名を連ねる。6月に24歳になる久保は、来年夏の北中米大会をにらみながらこんな言葉を残している。

「年齢は関係ないと常に言いつつも、25歳になる来年の夏には体のほうも個人的にはできあがってくるころだし、さらに言い訳もできなくなる。この1年ちょっとでさらに突き詰めていって、今度こそ僕にできる最大限のプレーを発揮できるようなワールドカップにしたい」

自信を木っ端微塵に打ち砕かれた自分と、逃げずに向き合ってから約2年3カ月。心技体をたくましく成長させた久保は、森保ジャパンで最も選手層が厚い2列目で首脳陣から「信頼」の二文字を勝ち取り、そのパフォーマンスがチームの勝敗に直結する絶対的な存在へ昇華しつつある。

<了>

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