
なぜラ・リーガは世界初の知的障がい者リーグを作ったのか。バルサで優勝“リアル大空翼”小林耕平の挑戦録
チェルシー優勝で幕を閉じたFIFAクラブワールドカップ2025。それから、約2週間後の7月29日。アメリカのヒューストンで、知的障がい者のクラブワールドカップ「GENUINE WORLD CUP 2025(ジェヌイン・ワールドカップ)」が開幕した。マンチェスター・シティ、パリSG、ボカ・ジュニアーズなど世界的強豪38クラブが参加するこの大会に、日本からも横浜F・マリノス フトゥーロが参戦。そして、FCバルセロナの中盤として日本人選手が出場している。小林耕平、バルサのユニフォームに袖を通しスペインでリーグ優勝を経験。知的障がい・自閉症などを抱える32歳のフットボーラーだ。
(インタビュー・構成=守本和宏、写真提供=小林耕平)
45万インプレッションの投稿「ラリーガ優勝しました!」
今年6月1日、小林は一つの投稿をXに掲載した。
「ラリーガ優勝しました!」
世界的クラブFCバルセロナ。その知的障がいカテゴリー「FCバルセロナGenuine」が、LA LIGA GENUINE(ラ・リーガ・ジェヌイン)のGrupo Respeto(リスペクト・グループ)で優勝を飾ったのだ(リーグが2つに分かれており、もう一方のGrupo Compañerismo[仲間意識・グループ]はビジャレアルが優勝)。この投稿でバルサに所属する日本人がいると知った人々の反響は大きく、その投稿は45万インプレッションを獲得(7/20時点)。「日本人がバルサ選手としてリーガ優勝する時が来るとは……」「リアル大空翼」「日本人の誇りです!」と称賛の声が届いた。
本人に、その感想を聞いた。「バルサファンがすごく反応してくれて、『こんなチームがあったんだ』『知らなかった』とか、『息子が障がいを持ってて、こんなふうになれたらいいな』などの声もあったのはうれしかったです」と、昨シーズン所属したクラブ、ジローナの頃とは「だいぶ反応が違った」と笑う。
LA LIGA(サッカースペインリーグ)が立ち上げた「LA LIGA GENUIN」は、2017-18シーズン、世界初の知的障がい者サッカーリーグとして誕生。大会開催前には、レク(=余暇)として選手みんなで遊園地に遊びに行くなどユニークなカテゴリー。その根底には、「Se trata de COMPARTIR ANTES QUE COMPETIR」=「競争する前に共有を」=「(意訳)勝ち負けよりフットボールを通じて豊かな人生を」との考え方がある。その理念を、小林の言葉から読み解きたい。
世界初の知的障がい者サッカーリーグ「ラ・リーガ・ジェヌイン」
創設8年を迎える知的障がい者リーグ「LA LIGA GENUIN」。世界的人気のラ・リーガ1部、女性の「フェミニーナ(Liga F)」、その同列カテゴリーとして存在し、現在は47チームが参加。選手としてプレーするには16歳以上、公式文書を通じて知的障がいの程度が33%以上と証明する必要がある。
試合は8人制。前後半でなく、10×4クオーター制だ。一般的なホーム&アウェイ方式でなく、複数チームが一カ所に集中して戦うセントラル方式(ホストクラブが会場を用意)を採用。それが11月のシーズン開始以降、4フェーズ行われる。一つの勝利は得失点差を数えず、1勝1ポイント。年間10試合程度をこなした後、5月末~6月にブロックごとのシーズン優勝が決まる形だ。
小林は、このバルセロナでメディオ(中盤)を務める。2-3-2の真ん中。トップ下とボランチを兼ねたようなポジションだ。パスを散らしたりゲームの組み立てもするが、「持ち味はシュート」だと言う。
「今季は出たのが7試合ぐらい。8ゴール3アシストぐらいでした。たぶん(チーム内でも点を)とってるほうだと思います」と負けん気を見せる。
彼がなぜ、バルサでプレーすることになったのか。その経緯を聞くと、「自身の理念を追求した結果」であることに気づく。

理解できなかったオフサイド。わからないから下げられて…
学習障がいと軽度の知的障がい、加えて自閉症を持つ小林。先天性のものだが、気づいたのは25歳ぐらい。意外と本人自身が障がいに気づくのが遅く、幼少期に苦しい思いをする(知的発達に遅れがありながら、健常児として扱われギャップを感じる)場合も多いが、小林もその例だ。
「支援学級が学校になくて、その選択肢もなかったから大変でした。(クラスは)超うるさいし、板書が苦手で、これがきつい。書いてたら終わっちゃうか消されて、提出物も出せない。自閉症も今以上で、コミュニケーションも汲み取れなくて大変でした」
サッカーは小さな頃から途切れ途切れで続けていたが、ちゃんとやり始めたのは小学校高学年の頃。マリノスで10番をつけた中村俊輔に憧れ、「友だちと遊ぶ手段がそれだったから」始めたものの、やはり当初は苦労が多かった。
「ルールも複雑で、フォーメーションも覚えきれなくて苦労しました。当時フォワードでしたけど、オフサイドが理解できない。何度も説明されるんですけど、わからないから下げられて……っていうのは覚えてます」
悔しさや不満などが顔に出やすいタイプ。それを普通は我慢したり、自分の中で折り合いをつけていくわけだが、その“推し量り”が小林には難しい。持っていた障がいは、サッカーを続けるうえで障壁にもなった。
「理解力が低いので、いろいろなことを覚えきれないと大変。時間の計算もわからないし、何分に交代とか、コミュニケーションの相違があった。気持ちのコントロールもうまくいかなくて、人間関係もうまくはいきませんでした」
ただ、その中でも都度いた仲間に助けられたという。
「チーム全員じゃないですけど、“向き合ってくれる人”がいた感じですね。細かく、どうして理解できないのかヒアリングしてくれたり、時には厳しく言ってくれた。諦めず向き合ってくれた人が年代ごとにいたのは、大きかったです」
それぞれのターニングポイントでの理解者には「本当に感謝している。その時に向き合ってくれている感じがすごく大事でした」と話す。
視察から始まった、スペインでの挑戦
そんな彼がどうしてバルサ入りできたのか。きっかけは、やはり人のつながりだった。
一度は障がい者枠で就職したが、並行して社会人のフットサルチーム、障がい者サッカーチームでも活動を続けていた小林。しかし、Jリーグで障がい者チームを所有しているのは全国で5チーム。障がい者フットサルスクール普及に向けて個人で活動する中、スペインにいる先輩から声をかけられ、2023年2月ラ・リーガ・ジェヌインのチーム、ジローナを練習視察するチャンスが訪れる。
「最初はリーガに挑戦しようとか、そんな気さらさらなかったんです。視察のために行って、一応スパイクを持っていって子どもとボールを蹴っていたら、練習参加を現場の人が許してくれた。実際にプレーしたら選手たちが気に入ってくれて、“登録しよう”みたいな流れになったんです」
これをきっかけに半年間準備を進め、仕事をやめて渡西。最初はバルセロナの近隣都市ジローナに所属し、1シーズンを過ごす。その後、バルセロナへの移籍話が持ち上がった。元々ジローナが同じカタルーニャ地方のバルセロナとよく試合していたのに加え、日本で知り合った以前からの友人がバルサのコーチになり、「一緒にプレーしないか?」と誘われたのだ。移籍後は環境も良くなり、国際試合への出場も増えた。
「契約金やサラリーは出ないですが、移動費は出す必要なくて、国際大会に行ってもかかるお金は空港で飲むコーヒー代程度です。練習場はトップチームと同じ、シウタ・エスポルティーバ・ジョアン・ガンペール。スタッフが手厚く、他カテゴリーとの当番制でディレクター1人、コーチ4人、心理カウンセラー3人、トレーナーがついてくれる。活動数も多くなり、1週間で練習2回、週末に試合が1。ジローナの頃は週1だったので、かなり変わりました」
チームメイトには、ベースとなる知的障がいプラス、何かを持っている選手が多い。知的障がい+ダウン症が多く、脳性麻痺で一部の身体障がいを抱えるプレーヤーも2~3人いる。小林本人は今シーズン、ケガに苦しんだ時期もあったが、主力の一人として活躍。リーグ優勝を勝ち取り、優勝後にはバルサのジョアン・ラポルタ会長とも話をした。
「けっこう気さくで、質問とかみんなに聞いてましたね。ニコ・ウィリアムズを獲るのかって聞かれて、それには笑って答えませんでした(笑)」
サッカーが人生のすべて、では絶対にない
日本とスペイン。健常者と障がい者の受け止め方はそれぞれだ。特にこのリーガ・ジェヌインの大きな特徴を挙げるなら、レクリエーション(=余暇)の存在だろう。例えばタラゴナのフェーズなら、4泊のうち1日目は移動で、2日目はセレモニーと遊園地で遊ぶ。残り2日が試合だ。レクの日は敵味方関係なく、スタッフも含めて遊び、国際試合でもイタリアだと観光の日があったり、ポーランドでは動物園にも行った。日本だと試合をして終わりといった、比較的結果重視な感覚だが、海外ではレク重視の傾向が強い。その根底には、「サッカーがすべてじゃない」とのマインドがあると小林は言う。
「サッカーを通じて生活の質を上げることを重視して、半分旅行の要素を入れているのだと思います。僕はバルサで優勝しましたけど、うまい子が全員じゃない。日本だと結果重視で選手起用も考えたりしますが、スペインでは楽しむことが、障がい者サッカーでも重要。日本なら試合で勝てるメンバーを極力使うイメージですが、スペインだとそれはない。価値観が違いますね」
思いもよらず実現したリーガ移籍に「今でも信じられない」と話す彼が、特に感じるのは日本とスペインでの障がい者への接し方だ。
「全然違いますね。スペインだと、障がい者を一人の“人”として見てくれる。日本は“障がい者”として見られる。言葉にすると難しいですけど…いいことはいい、悪いことは悪いと、ちゃんと言ってくれる。日本みたいに『障がい者だしな』で終わらない。『障がい持ってるから、あいつ何言っても無理だ』みたいなのは、あまりないですね。心のバリアフリーが進んでる気がします」
恵まれた環境でプレーする小林には、夢が二つある。
「一つは障がいを持つ人たちや子どもたちに、居場所を少しでも多く作ることです。自分は多くの人のお陰で、たくさんの経験をすることができた。だからその経験を自分のものにせず、還元していきたい。もう一つは、選手として背番号10で世界大会に出たい。そして、優勝したいです。10番は中村俊輔さんを見てサッカーをしてきたから。国際大会で結果を出すことで、知的障がい者の競技を世間に伝えることができる、と考えています」
「結果はすべてではないし、サッカーが人生のすべて、ということは絶対ない。この経験を次の世代に伝えていきたいです」
障がいには、それぞれ程度がある。小林がバルサでプレーできているのは、彼の努力の賜物だが、その努力さえかなわない人が、知的障がいに多いのは事実だ。その一方で、小林がバルサでプレーしている事実が、「知的障がい者がバルサでプレーできるわけがない」との不可能を打破していることに他ならない。
筆者の長男も4万人に1 人のドラベ症候群の知的障がいを持つ。職業柄よく、「お子さんもサッカーしてるんですか」と聞かれるので、ずっとこう返していた。「知的障がいがあるから無理ですね。ルール自体覚えられないので無理です」。
でも、今度からはちょっと変えようと思う。「ドラベ症候群っていう知的障がいを持ってるんですけどね、いつかバルサでプレーするかもしれないです。可能性はゼロじゃないから」
そんな希望を体現する小林の、世界での挑戦は続く。
<了>
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