
「不世出のストライカー」釜本邦茂さんを偲んで。記者が今に語り継ぐ“決定力の原点”
日本サッカー史上最高のストライカーと称された釜本邦茂さんが、2025年8月10日、肺炎のため81歳で逝去された。Jリーグの前身であるJSLで通算202得点、日本代表でもメキシコ五輪銅メダル、歴代最多75得点を記録するなど数々の偉業を成し遂げ、その存在はまさに「不世出」。記者として釜本さんと長年にわたって接してきたサッカージャーナリストの六川亨さんが、初めての邂逅から最後の対話まで、忘れ得ぬエピソードを綴る。
(文=六川亨、写真=スポーツ報知/アフロ)
ボールボーイとして渡した一球が、初めての出会い
不世出のストライカー、釜本邦茂さんが8月10日、肺炎のためご逝去された。まだ81歳だった。
釜本さんと初めて会ったのは、1971年に国立競技場で開催されたJSL東西対抗戦だった。中学2年生だった筆者はボールボーイとしてバックスタンドでパイプ椅子に座りながら、目の前で繰り広げられる熱戦に夢中になっていた。ボールに触ったのは1回だけ。タッチを割ったボールを追いかけて、手渡したのが釜本さんだった。
当時の筆者からすれば、見上げるような長身で、その存在感に威圧されたものだ。彼に匹敵する存在感を感じたのは、日韓ワールドカップの招致合戦を繰り広げていた際に会った鄭夢準(チョン・モンジュン)FIFA副会長兼大韓サッカー協会会長(当時)だった。
メモリアルなJSL200得点も「激怒したのは当たり前」
その後、不思議な縁で筆者はサッカー専門誌の記者となり、釜本さんとの縁は社会人になっても続いた。1981年のJSL(日本サッカーリーグ)200ゴールの際はヤンマーの試合を追いかけ、カウントダウンに参加した。
記念すべき200ゴールは神戸市立中央球技場での本田技研戦だったと記憶している。左サイドを突破した楚輪博さんのグラウンダーのクロスを、ニアに走り込んで決めたものだが、釜本さんにしては珍しく当たり損ねのボテボテのシュートだった。
当時の釜本さん曰く「ニアでもファーでも、あらかじめ意図的にスペースを空けている。ワシが走り込むエリアじゃ。ところが若手選手はそれを知らず、ワシが空けたスペースに入ってきて潰してしまう。激怒したのは当たり前のことじゃろ」と平然と言っていた。
ちなみにメキシコ五輪で左ウイング杉山隆一さんとは、「隆(リュウ)さんがゴールラインまで切り込んで突進してきたらニアへのグラウンダー、外側にふくらんだらファーへの浮き球のセンタリングくらいしか決め事はなかった」そうだ。
「3人がかりといっても…」皆納得の偉人ならではの回答
1984年に現役を引退された釜本さんのことを改めて“ストライカーらしい”と感じたのは、1993年にJリーグが始まる前の監督会議後の懇親会での出来事だ。
当時ヴェルディ川崎の監督だった松木安太郎さんが、当時ガンバ大阪の監督を務めていた釜本さんに「ゴール前にフリーでいる選手と、3人がかりのマークに遭っている釜本さん。どちらにパスを出すべきですか」と質問したそうだ。
すると釜本さんは迷わず、「フリーでいる奴とワシとどちらの決定力が上かを考える。そこでワシが上ならワシに出すべきだ」と答えたそうだ。そこで「3人がかりのマークに遭っていてもですか?」と聞き返すと、「3人がかりのマークといっても、タックルに来るのは1人ずつじゃ。1対1の繰り返しで素早く3人を抜けばいい」と、平然と答えたそうで、居合わせた監督たちは皆納得したという。
釜本邦茂はエゴイストなストライカーではない
ただ、釜本さんはエゴイストなストライカーではない。
しっかりと試合の状況を見ているのだと思ったのが、1988年に西ドイツで開催されたUEFA欧州選手権(EURO)決勝、オランダ対ソビエト連邦戦を取材後に、マルコ・ファン・バステンの2点目について質問した際の答えだった。
試合はルート・フリットのゴールでオランダが先制したが、さらにファン・バステンが左後方からのロングパスを右足ダイレクトシュートでGKリナト・ダサエフの頭上を抜いて追加点を決めた。
この、のちにサッカー史に刻まれるスーパーゴールについて「釜本さんだったらバステンと同じようにダイレクトで狙いますか」と聞いたところ、「0-0、0-1だったら確実に決めるため、トラップしていたと思う。ファン・バステンも1-0でリードしていたからダイレクトで打ったのだろう。ワシも1-0のリードならトラップはしないで狙っとったな」というものだった。
試合状況と、シュートの難易度、ゴールに結びつく確率を瞬時に判断できるからこそ「不世出のストライカー」と言われたのだろう。この言葉が似合うのも、釜本さんしかいないと思う。
そんな釜本さんと最後に会ったのは2022年11月、2022年FIFAワールドカップ・カタール大会を展望する座談会だった。まだまだお元気で、頑健な体躯に圧倒されただけに、81歳でのご逝去は返す返すも残念でならない。
天国ではメキシコ五輪銅メダリストで、早稲田大学時代から一緒だった森孝慈さんや、当時の長沼健監督、平木隆三コーチらと森保ジャパンの話題で盛り上がっているに違いない。
<了>
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[PROFILE]
六川亨(ろくかわ・とおる)
1957年、東京都生まれ。サッカージャーナリスト。法政大学を卒業後、1981年に日本スポーツ企画出版社に入社。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。その後、2001年にフロムワンに入社。カルチョ2002やプレミアシップマガジンの編集長を務めながら、サッカーズ、浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。2010年よりフリーのサッカージャーナリストに。これまでワールドカップ、EURO、南米選手権、オリンピックなどを精力的に取材。主な著書に『Jリーグ・レジェンド』シリーズ、『Jリーグ・スーパーゴールズ』、『サッカー戦術ルネッサンス』、『ストライカー特別講座』、『7人の外国人監督と191のメッセージ』など。
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