ベッケンバウアーが伝えた「サッカーの本質」。自由を愛し、勝利を渇望した“皇帝”が体現した勝者の矜持
クライフ、マラドーナ、ペレ、そして……。1月7日、ドイツサッカーを象徴する存在であり、サッカーの歴史上最も偉大な選手の一人であるフランツ・ベッケンバウアーが亡くなった。1974年に主将として自国開催のFIFAワールドカップで西ドイツに栄光をもたらすと、1990年には監督としてイタリアワールドカップを制覇。選手と監督の両方で世界を制し、ピッチを離れてからも世界のサッカーを牽引し続けてきた比類なきレジェンドだ。「自由」を愛し、「勝利」を渇望した彼の人物像を追うことで、勝者の矜持、サッカーのあるべき本質に迫る。
(文=中野吉之伴、写真=AP/アフロ)
3万人が出席し、370万人以上が視聴した「皇帝」の追悼式典
「カイザー=皇帝」という異名にはあらゆる尊敬と畏怖の思いが込められている。
ドイツサッカー史上最高の選手として、世界のサッカー界で伝説的な存在だったフランツ・ベッケンバウアーが2024年1月7日に死去。享年78歳。サッカーファンのみならず、多くのドイツ人が悲しみに暮れた。
若い世代にとってはどこまでピンとくる話かわからないが、ベッケンバウアーは一人の選手という枠組みを超越した存在だった。選手、そして監督としてFIFAワールドカップ優勝を果たし、常勝バイエルンで長年会長を務め、2006年ドイツワールドカップでは組織委員長として円滑な大会運営に多大な貢献を果たした。
1月19日にアリアンツ・アレーナで行われた追悼式典には、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー大統領、オラフ・ショルツ首相、バイエルン州首相のマルクス・ゼーダーらも参列し、マヌエル・ノイアー、トーマス・ミュラーといった現役選手のほか、歴代のバイエルン選手の多くが最後の別れに駆けつけた。3万人以上が出席した式典の様子は複数のテレビでも生中継され、370万人以上が視聴していたという。またアリアンツ・アレーナにある通りの名前を「フランツ・ベッケンバウアー通り5番地」とし、彫像の設置も計画されている。
リベロというポジションを初めて確立した「重力の支配者」
「カイザー」の名に疑問を持った人は一人もいないはずだ。プレーヤーとしてのベッケンバウアーはどこまでも規格外だった。
軽やかでありながらダイナミック。自由でありながらインテリジェンスの高さをあらゆるところで感じさせるプレーの数々。エレガントに空間と時間を制圧し、時にパワフルなプレーで威圧することもあった。
1965年にバイエルンをブンデスリーガ昇格へ導き、1969年にはブンデスリーガ初優勝をカップ優勝との2冠で達成。1974年から1976年にかけてUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)で3連覇。代表選手としては1972年ヨーロッパ選手権優勝、1974年にはワールドカップで優勝。1972年、1976年には世界年間最優秀選手に贈られるバロンドールに選出されている。
その鮮やかさに心を奪われた人々は彼に「ボール際のジェントルマン」、さらには「重力の支配者」とさえ名づけ、その偉大さはファンだけではなく、最高レベルの選手が集まるバイエルンや西ドイツ代表のチームメイトも絶対的な信頼と尊敬を抱いていた。
盟友でもある元西ドイツ代表MFギュンター・ネッツァーは「後にも先にも彼以上の選手はいない。彼こそがベストの選手だった」と称し、チームメイトであり、友であり、仕事上の良きパートナーでもあったカール・ハインツ・ルンメニゲは「彼がドイツサッカーにもたらしたものはどれだけ高く評価されてもしきれるものではない。選手として、そして監督としてワールドカップに優勝した人だ。サッカー界に存在する中でトップ中のトップの人材なんだ」と最大級の賛辞を口にしていた。
「リベロ」というポジションを初めて確立したのもベッケンバウアーだ。
最終ラインの前後に位置し、すべての流れを掌握しながらポジションに縛られることなく自由に動き、ゲーム全体を意のままにコントロールし、機を見計らった攻め上がりでゴールも量産。世界のサッカーの潮流を一人で変えたといっても言い過ぎではないだろう。
神の友達のようにさえも見える彼のオーラはどこからくるのか?
「自由に羽ばたくために」
それはベッケンバウアーにとっての生涯における命題だったのかもしれない。
選手としては若き頃から誰もが認める存在だったものの、派手な私生活ぶりが非難されることも多々あった。17歳で当時の交際相手との間に最初の息子トーマスが生まれ、3人目の妻ハイディとの間に55歳で息子、58歳で娘を授かった。「神はどんな子どもをも喜んでいる」という表現もベッケンバウアーらしい。
そのような彼の奔放さを最初からすべての人が受け入れられたわけではない。
1960〜70年代において世界的な名将と称されたゼップ・ヘルベルガーが西ドイツ代表監督を務めていた時代には代表追放の憂き目にあう恐れもあった。誰よりも規律を重んじるヘルベルガーの目には、ベッケンバウアーの存在は浮きすぎていたようだ。
そんな窮地のベッケンバウアーを救ったのが「日本サッカーの父」とも称されるデットマール・クラマーだ。当時ヘルベルガーのアシスタントコーチだったクラマーは、ベッケンバウアーの教育係として、彼の持つ例外的なポテンシャルを正しく引き出すために尽力し、規律正しく過ごしてもらうためにと合宿時には同室で過ごしたりもした。
クラマーは、ベッケンバウアーの60歳の誕生日に受けた「同部屋で眠ることになった日、どちらのほうが気恥ずかしさを感じていましたか?」という質問に対してこのように答えている。
「いやいや、完全にリラックスしたものだったよ。最初の夜に彼は冗談を口にしていた。『この状況は80歳の誕生日を迎える時でもあなたにとって最高のものの一つになるだろうね』、と(笑)。彼と一緒だと飽きない。よく私は自問自答していたものだ。神の友達のようにさえも見える彼の持つオーラはどこからくるのか、と。彼の持つ偉大さはそのシンプルさだ。彼のような才能を持った若者はほぼ例外なくどこかでうぬぼれ、道を踏み外してしまう。だがフランツは違った」
その後、クラマーがバイエルン監督に就任したことで二人は再会。クラマーの右腕としてベッケンバウアーは絶大な存在感を発揮した。それでいて「カリスマ性が大きすぎるがゆえの問題などまるでなかった」とクラマーは述懐していた。
「普通に話をして、アドバイスをした。問題があったらフランツは平和に、そして名誉ある振る舞いで解決してくれたよ」
才能の塊であり、努力を惜しまないハードワーカー
指導者としても母国を世界一に導いたベッケンバウアー。西ドイツ代表監督として1990年イタリアワールドカップで優勝を果たした際に重要視したのが、「規律」と「自由」のハイバランスだった。
選手には自由を許した。ワールドクラスの左サイドバックだったアンドレアス・ブレーメは「チームミーティングでは激しい言葉でつめることはあったけど、フランツはいつもリラックスした空気をもたらしてくれたし、僕ら選手に多くの自由を認めてくれた。だから畏怖の思いを持って監督の話に耳を傾けていた」と振り返る。当時は珍しいことではなかった選手の食事中の喫煙や、夜少し遅くまで遊びに出ても何も言わなかったという。
だが、サッカーにおいては一切の妥協なく要求し続けた。イタリアワールドカップで西ドイツ主将を務めたローター・マテウスは「相手チームについて本当にすべてを知っていた。それだけ多くの時間を分析に費やしてくれたからだ。本物のハードワーカーだった」と述懐する。
サッカーの才能の塊でありながら、努力を惜しまないハードワーカーでもあったベッケンバウアーについて、クラマーもかつてこのように語っていた。
「私がしたのは彼の持つ才能を引き出しただけだ。素質がなければならない。指導者が何かを流し込んでから引き上げることはできない。だが素質だけでもダメだ。素質は磨かれて初めて輝くもの。才能を見抜く目と才能に対する働きかけがなければ大成はしない。フランツもハードにトレーニングをし、そしてスター選手となっていったのだ」
「夏のおとぎ話」でドイツ国民を熱狂にいざなう
2006年ドイツワールドカップでは組織委員長としてワールドカップ招致に尽力。「夏のおとぎ話」としていまなお語り継がれるほどドイツ国民を熱狂にいざない、その後のドイツサッカー強化の礎を築いたといわれる大会の成功に大きな貢献を果たした。
のちに政治的な闇取引の疑いが明るみに出たことは哀しいことではあるが、それでも世界中を飛び回り、自身がメディアの注目を集めることに真正面から向き合い、選手時代と同様にエレガントに立ち回っていたことは間違いない。ベッケンバウアー自身は社会慈善活動にも長年にわたって力を入れており、さまざまな慈善財団の活動に参加していた。
よき理解者だったクラマーがベッケンバウアーという人間を次のように称していたのがとても印象深い。
「物事の流れと本質を瞬時に理解し、シンプルに決断する。コンラート・アデナウアー(西ドイツ初代首相)、ゼップ・ヘルベルガーもそうだったが、学術的な根拠がなくてもシンプルにすぐ正しい解決策を見いだせる。ミュンヘン地方に古くからあることわざがある。『大慌ては怠惰よりも悪い』。彼は慌てたりはせず、でもどんなことにも彼の持つ几帳面さと真面目さで取り組むことができるんだ。そうしたリラックス能力は緊張感を適切に保つことの条件だよ」
「シンプルさはサッカーの本質」
筆者がベッケンバウアーから直接聞いた印象的な言葉がある。「シンプルさはサッカーの本質だ」と伝えてくれたことだ。
2006年ドイツワールドカップ組織委員長時代のベッケンバウアーに一度だけインタビューをさせてもらったことがあるのだが、ちょうど当時導入がディスカッションされていたビデオ判定やゴール判定について彼らしい持論を述べてくれた。
「サッカーは最もシンプルなゲームであり、それは今後もそうでなければならない。ビデオ判定はその観点からも問題だと思っている。ボールへのチップ導入は、それがゴールかノーゴールかの判定の助けになるのであればディスカッションされるべきだろう。だが私も1966年『伝説のウェンブリーゴール(※)』があった時にピッチにいた人間だ。それもサッカーにおける魅力をもたらすことだというのを忘れてはならない。あれから40年が過ぎてもなお激しくディスカッションされるべきテーマがあり、それがもたらす素晴らしさが私たちをサッカーへといざなう魅力にもなるんだ」
(※)ウェンブリー・スタジアムで行われた1966年イングランドワールドカップ決勝で、西ドイツ代表を相手にイングランド代表FWジェフ・ハーストが延長戦の前半11分に決めた決勝ゴール。ハーストが放ったシュートがクロスバーに当たってボールが真下に落ち、協議の結果ゴールが認められた“疑惑のゴール”。
時にわれわれは不必要に考えすぎてしまっては、物事を自分たちで複雑なものにしてしまう。でも世の中何もかもを小難しく考える必要もないのかもしれない。シンプルイズベスト。「自由」を愛したベッケンバウアーは、イタリアワールドカップ決勝前に選手たちを次のような言葉でピッチに送ったそうだ。
「控室から一歩足を踏み出したら、あとは心から楽しんでサッカーをしよう!」
誰よりも軽やかにプレーをし、誰よりも勝利を渇望して戦い続けたベッケンバウアー。ペレやヨハン・クライフ、ゲルト・ミュラーといったかつての盟友たちと心から楽しんでサッカーをしていたその姿は、これからも世界のサッカーファンの心に残り続ける。
<了>
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