
「やりたいサッカー」だけでは勝てない。ペップ、ビエルサ、コルベラン…欧州4カ国で学んだ白石尚久の指導哲学
日本人として初めて、イングランド2部WBAのトップチームコーチに就任した白石尚久が、日本に帰ってきた。現在はリーガのバレンシアで指揮を執るカルロス・コルベランの下で多くを学び、ペップ・グアルディオラやマルセロ・ビエルサらが実践したスタイルを間近で学んだ指導者は、J3の高知ユナイテッドで新たな挑戦を始めた。指導者としてスペイン、オランダ、ベルギー、イングランドを渡り歩いてきた白石の指導哲学に迫る──。
(取材・文=田嶋コウスケ、写真提供=白石尚久)
アーセン・ヴェンゲルのサッカーへの強い憧れ
欧州の舞台で経験を積んだ日本人指導者が、J3の高知ユナイテッドSCの指揮を執ることになった。
監督の名は白石尚久。2008年からバルセロナで子どもたちを指導するスクールコーチとなり、2011年にスペイン女子1部リーグのCDサン・ガブリエルの監督に就任。当時日本代表だった本田圭佑の個人コーチを経て、エクセルシオール・ロッテルダム(オランダ)とシント=トロイデン(ベルギー)でコーチを務めた。さらに2022年には、監督としてKMSKデインズ(ベルギー2部)を率いた経験を持つ。
これだけではない。昨シーズンまで、チャンピオンシップ(イングランド2部)のWBAでコーチを務めたのだ。イングランド2部以上のクラブで、日本人指導者がコーチとして入閣したのは史上初めてのことである。
では、欧州で知見を広げてきた白石は、どんなサッカー観を持っているのか──。
現在49歳の白石は、アーセナルを率いたアーセン・ヴェンゲルのサッカーに強い憧れがあるという。
「僕の世代で言うと、ヴェンゲル監督が率いたアーセナルのサッカーに惹かれましたね。ポゼッション型の4−4−2のスタイル。 1〜2の少ないタッチでボールを素早く回し、スピードのあるストライカーやウインガーで得点を重ねていく。
攻撃にテクニックのある選手を揃えて、トップの位置にティエリ・アンリがいました。スピード感溢れるサッカーをやってましたよね。この時代で言えば、マンチェスター・ユナイテッドも素晴らしかった。ウインガーのライアン・ギグスが活躍した時代です。選手たちがどんどん前に上がっていく。彼らのようなスピーディーなサッカーに憧れました」
「チームが勝たないと、スタッフが路頭に迷うぞ」
指導者として欧州で経験を積んでいく中で、白石には特に印象に残っていることがあるという。それは、研修先のノッティンガム・フォレストでの出来事。当時、クラブを率いていたのは英国人のスティーヴ・クーパーだった。
ノッティンガム・フォレストは特殊なクラブである。オーナーを務めるのはギリシャ人富豪のエヴァンジェロス・マリナキス。選手補強に大きな発言権があるとされ、監督は与えられた人材の中でやり繰りを強いられていると報じられている。白石は、クーパー監督の「柔軟性」に強い感銘を受けた。
「クーパー監督は、本当に柔軟性がありました。彼はもともとポゼッションサッカーを志向していますが、最初の10試合でトライしたものの全然できなかった。プレミアリーグから降格の危険もあったことから、ここから4−5−1の守備中心のサッカーに切り替えたそうです。
私は『なぜそこでやり方を変えたのか?』と質問しました。クーパー監督は『チームが勝たないと、スタッフが路頭に迷うぞ』と。チームにはできることと、できないことがある。ノッティンガム・Fは、マンチェスター・シティやアーセナルとは在籍している選手が違う。もちろん、財力も異なると。
ポゼッションサッカーができないなら、ディフェンス中心のサッカーに切り替えて、結果を残さないといけない。そうした理由から『サッカーを変えた』と言うんです。その判断によって、この年フォレストは見事に残留を果たしました」
白石は、クーパー監督の舵取りと適応力に学ぶことが多かったという。
「僕もかつてそうだったんですけど、“自分のやりたいサッカー”というのがまず先にあって、チームにいる個々の戦力をきちんと分析できていなかった時期がありました。ただ僕はもともと有名選手ではないですし、そうなると、やっぱり結果を残すことが大事になります。
チームのプレースタイルというのは、ある程度柔軟に変えていかないといけない。だから、クーパー監督のやり方は本当に勉強になりました。僕は、マンチェスター・シティのペップ・グアルディオラ監督や、アーセナルのミケル・アルテタ監督のような“ポゼッションサッカー”がやりたい。でも、それが実現できるのは、そうしたスタイルが許されるチームに行って初めて可能になることだと考えるようになりました」
スペイン人にとっては良いアップでも、英国人には物足りない
指導者としてスペイン、オランダ、ベルギー、イングランドを渡り歩いてきた白石には、もう一つ気づいたことがあった。それは、国によってサッカー観や習慣、常識がそれぞれ違うということ。ある国のやり方をそのまま輸入しても、うまくいかない時があることを学んだ。
スペイン人のカルロス・コルベラン(現バレンシア監督) が率いたWBAで、教訓になることがあったと言う。
「WBAで、英国人のサッカーを学ぼうと思っていました。例えば、英国人のサッカースタイルがどんなものなのか。試合前日から当日にかけてどのようなスケジュールで過ごすのか。どういうルーティーンで強化し、スタッフを含めて彼らの仕事ぶりも見たかった。その中で、こんなことがありました。
英国人には、独自のやり方があります。彼らは、すごくハードワークをします。一方で、コルベラン監督はスペインからフィジカルコーチを連れてきた。スペインですごく経験豊富な方でしたが、彼のやり方でウォームアップをしていたら、イングランドの選手が『全然体が上がらない』と訴えたんです。
英国人はアップからガッツリやります。スペイン人にとっては良いアップの仕方であっても、英国人には物足りないと。どの国に行っても、そういうことはありました。オランダにはオランダのやり方がある。スペインもそうです。
選手は、その国のやり方に当然慣れているわけです。だから、徐々に徐々にやらせていく。新しい環境でパフォーマンスが上がってくるのは、やはり6カ月を超えないと、なかなか見えてこないことが多い」
アルゼンチン人マルセロ・ビエルサのメソッド
欧州各国でサッカーを全身に浴びながら日々鍛錬してきた白石。そのうえで、柔軟性と適応力が、チーム強化の鍵を握ることを学んだ。
実際、これまでの指導経験を得て、白石には数多くの“引き出し”がある。その中から、今チームにとって最も必要なことは何か。チームマネージメントにおいて、置かれた状況で最適解を見出す重要性を学んだのである。
ピッチ上の戦術においても、それは同じだ。WBAで監督を務めていたコルベランは、リーズ在籍時代にコーチとしてマルセロ・ビエルサ監督の下で学んだ。そのためコルベランの指導は、アルゼンチン人のビエルサのメソッドを取り入れていたという。
「ビエルサ監督のやり方は、監督が主役です。選手は、監督から言われた通りにやる。例えば、ボールテクニックなら、テクニックの練習を何度も何度もやります。それがオートマティックにできるようになるまで、何度もパターン練習をやる。
個人的にいいなと思ったのは、段階的に仕上げていくそのやり方です。まずテクニックを仕上げる。その後に個人戦術をトレーニングする。そして最後に全体練習をやる。オランダもそうなのですが、ビエルサ監督も細かくストラクチャーを分ける。そして最後に、全体でやるというやり方です」
バルセロナでの学び。J3での戦い
加えて、白石はバルセロナで学んだ影響も大きいという。これらをうまく融合させたいと、力を込める。
「バルセロナでもやっていたので、彼らの攻撃的なサッカー、グアルディオラがやっているサッカーがすごく好きです。
彼らの場合は、インテグレート(=統合する、一体化させる)してトレーニングを作っていく。すべてを統合してやる。僕はそうしたアプローチを踏襲しつつ、ビエルサのような個人トレーニングを取り込んでいくやり方は『ありだな』と思ってます。そうやって、個々の選手に落とし込んでいく」
白石の強みは、多様なメソッドを知り、最適な組み合せを選べることにある。固有の哲学に縛られず、環境や状況に応じて戦術やトレーニングを組み替えられる柔軟性。これが、理想と現実の間で揺れる現代の指導者にとっても基準になるだろう。
高知で、彼がどのようにその基準を示すのか。そして、欧州での学びをJ3の現場でどう落とし込んでいくのか。彼の動向に大きな注目が集まる。
【連載前編】欧州で重い扉を開いた日本人指導者の“パイオニア”。J3高知ユナイテッドの新監督に就任した白石尚久の軌跡
<了>
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